第六節(了) オルドにて

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 式の練習を終えたリリアーナは、明らかに不機嫌そうな顔で宿へと戻っていた。

 用意された部屋に入ると、低いため息をついてドレッサーの前の椅子に座る。

 純白のウエディングドレスに身を包み、長い髪を結わえた状態。しかしそのまま突っ伏してしまった。

「だっるぅー……。堅っ苦しい台本だったぁ」


 セツナは、部屋中央のソファでコーヒーを飲んでいた。

 拾ってほしそうな愚痴に望みどおり応じる。

「そのとおりに行わなければ怒られますよ」

「適当でいいと思わない? やることまで変えるわけじゃないんだし」

 二人は、背を向け合って座っている。


 政略結婚を承諾してから、ふた月の時が流れた。

 代々、クレセントムーン王家に関連する結婚式は、ザイヘバル諸島の貿易街オルドで行われる。海や自然に囲まれた美しい土地であり、催しをするにはもってこいの舞台だ。

 明日は、クレセント王国王女、リリアーナ=クレセントムーンの結婚式が行われる。相手は、王国貴族の中でも指折りの資産家。その子息だ。

 リリアーナ姫も大人になった、と感心する者もいれば、どこか寂しさを覚える者もいる。特に国民の大半は後者であり、城下町中が悲しみに包まれた。

 ともあれ、式には大勢の来賓者が訪れる。それ相応の舞台を見せる必要があるため、本番前日の今日は、リハーサルとして式の流れを試した。

 ただ、花嫁花婿は別の時間での練習となっており、対面するのは本番のときである。


 涙に暮れたあの二カ月前以降、二人はより共にいる時間を大切にした。傍にいる時間は続くとしても、その形式は確実に変化するからだ。

 具体的に何かしたというわけではないが、散歩するときも、公務のときも、就寝のときも、互いに触れ合う瞬間が増えた。表情をよく確かめたり、瞳の色、肌の色、髪の色……。

 普段ならそこまで気に留めないことも意識して、今の姿を脳裏に刻み込んだ。

 そうすれば、不思議と安心感に包まれ……。その日は刻一刻と近づいていたのに、今日までは大丈夫だという錯覚があった。


 だからだろう。明日はその日だと自覚した途端、セツナの身には言いようのない異変が訪れた。

 カップの置かれた音が鈍く響く。リリアーナの表情を読み取ろうと、セツナは鏡越しに見る。


 姫君は体を起こす。セツナが用意しておいたカップに手を伸ばした。

 一口し、不服の表情が笑顔に変化する。

「お相手さんの資料見たよ? 悪い人じゃなさそうだった!」

「写真一枚で相性が分かるのであれば、この世に離婚という言葉はありません」

「そうだけど……誰だって変わんないでしょ?」


 王国としては、相手の男に生殖機能さえあればいい話なのだから。

 そう言いたげな姫君をよそに、セツナは立ち上がる。

 リリアーナのもとまで来ると、背後から彼女の両肩へ手を置く。


「とても綺麗きれいです」

「ありがと~」

「できれば……見たくなかった」


 こちらの気持ちが伝わったのか、リリアーナは瞳を揺らす。

 セツナは、リリアーナの頭に乗っているベールを持ち上げる。

 気を遣ってくれたリリアーナが立ち上がり、自分でドレスのコルセットひもをゆるめた。

 さらにセツナは、宿のクローゼットから寝間着を取り出す。ソファに置いた。

 下着だけになったリリアーナは、それをすぐ身につけていく。終えると、ベッドの上にばふっと座る。


 この間に、セツナは部屋の角で片膝をついていた。

 持ってきていた大きなバッグを開ける。そこから多くの物を取り出す。


 チェスのセット、四角いケースに入ったトランプ、それから折り紙の山だ。

 目を見張るリリアーナ。それらがベッドに置かれるのを見た。

「これはー……?」

「二人で過ごせる最後の夜かもしれません。なので……」

「おぉ……。まさかセツちゃんがこういうのに触るとは……」

「失礼かと。ルールも把握しています」

 リリアーナはトランプケースを持ち、ぐるりと見回す。裏面の柄には、花が描かれている。


 それを見ると、彼女はなぜだか固まってしまった。

 彼女が好きだという花をデザインに取り入れたものを選んだのに。なにか認識に齟齬そごがあっただろうかと焦りだす。

 だがしばらく経つと、姫君はほおを緩ませた。


「今日は寝ないで遊ぶ?」

「……一応そのつもりです」

「おお! いいねぇ。でもチェスはイヤです! 弱いので」

「ハンデなら差し上げます」

「それやられたら負けた気分になるでしょー?」

 リリアーナはむくれつつ、折りたたみ式のチェス盤を広げる。駒も並べ始めた。

 その最中に、セツナはナイトの駒を取ってリリアーナの前に差し出す。


「ナイト落ちとともに、好きなタイミングでこれを盤上に置いてよいものとします」

「うわぁ、さすがにめすぎ……」

 引き気味の表情で受け取った。

 すると、その馬の駒を彼女が凝視する。

「……セツちゃんってさ、意外とロマンチスト?」

「何をおっしゃりたいのか分かりかねますが」

 リリアーナは、ふーん、とつぶやいて視線を逸らす。もらった駒を眼前まで持っていく。


 それに軽く口付けした。

「んなっ……!?」

 行動を目の当たりにしたセツナは、耳まで真っ赤にする。そして顔を伏せた。

 ニヤつきが止まらなくなったリリアーナは、そのまま追い打ちをかける。

「ほらやっぱり! 今ので照れるってそういうことじゃん」

「ちが……!」

「かわいいところあるなー♪ やっぱり私のメイドにして正解だったよ~」

 セツナはプルプルと震える。すぐに自陣の駒を並べ、対面の姫君へにらみつける。


「では、そのかわいいナイトはお譲りしたので、こちらの隊に殺されぬようきっちりと守ってください」

 これには、笑っていたリリアーナも冷や汗をかく。

「よ、よーし……。そういうことなら本気、だしちゃおっかなぁー……?」

 リリアーナがポーンを進めてゲームは始まったが、あっという間に戦況の優劣は決まり始める。

 姫君の口があんぐりとし、それを見て、セツナの表情に笑みがこぼれた。


 実力差のありすぎるチェスは、思い出となるであろう夜を彩る。

 互いにこの時間が楽しい。勝敗などどうでもよかった。

 いつまでもこうしていたい。いっそ時計の針が止まって、ずっと二人だけの世界で暮らせたらと願う。


 だが、だからこそ……。

 セツナとしては、最後にあのことについて聞きたかった。


「なぜセツナを……招いてくれたのですか」

 うーん、というリリアーナのうなりが止まる。少し目を見開く。


「なぜって……。君を見過ごせなかったから──」

「人とは、誰かの為に、そこまで殊勝になれるものでしょうか」

 空気の反転に名残惜しさを覚えつつも、そのまま問い詰める。

「もっと欲深く、エゴにまみれたものだと自分は思います」


 確かな理由はまだ聞けていない。敵国の者をメイドにするというのは、大きなリスクだ。

 そうまですることの理念は。意義は。いったいなんなのか。


「そうだよ。私のエゴ」

 珍しく、重く強い一声。

 しかしすぐに表情を柔らかくし、リリアーナは言う。


「君を見てたら、私みたいだなって……思っちゃったんだ」

「え……」

「カゴの中の鳥、っていうのかな。なにかに縛られて、本当はやりたくないことをして……。こんな年頃の女の子にさ。ひどいと思わない?」

 年齢の感覚というものはセツナには分からない。自分と同じような境遇の少女は数多くいた。

 それが普通だと思っていたから。だが、自由を思い描くことがあったのは事実だ。


「だから……。ほんとの自由までは保障できないけど、せめて君には、人らしいことを……と、思って……」

 だんだんと声が小さくなっていく。

 リリアーナは駒を摘む。しばらく静止した後、盤面の空いている場所へと持っていく。


「その手だと次でチェックメイトですが、よろしいですか?」

 首を左右に振った。まだ盤上に置いてない、切り札のナイトに手をかける。

「置く場所次第では、二手先で積みです。よく考えてください」


 やがて、ナイトを摘む指が震えだす。

 異変にすぐ気づいたセツナは、彼女の顔を見る。


 息遣いは荒く、目からは大粒の涙がこぼれていた。

 これまで気丈に振る舞っていた反動か。せきを切ったように決壊している。


「リリアーナ様……!!」

 セツナはチェス盤を払い除ける。彼女を抱き締めた。

 背中を擦り、安心させようとする。


 今日という日を迎えるのが怖かったのは、リリアーナも同じだった。むしろ、結婚を迎える本人が、今日までこうならなかったほうが不思議なくらいだ。

 泣きじゃくるリリアーナ。メイドの肩に頭を押し付け、嘆く。

「終わっちゃう……。や、だ……やだ……!!」

「大丈夫……。セツナは、いつまでもあなたの傍にいます……!」

 リリアーナをなだめるため、ゆっくりと髪をでる。落ち着けるまで何度も……。



 ……気の迷いか。それとも無意識の願望だったのか。

 セツナは、姫君の両頬りょうほおに手を添える。

 互いの視線が合い、セツナのほうから口を開く。


「あなたが望むのであれば……。今のこの時間を、人生で一番の思い出にしてみせます」


 既に気づいていた。今後、誰と巡り会おうが、目の前の人以上に自分を理解してくれる人など現れない。

 だから今ここで、本当に愛する人と繋がりたい。その気持ちが突き動かした。

 たとえ望まない日々が訪れたとしても、ずっと先まで心の糧となる。


 リリアーナを引き寄せ、互いの存在を肌身で感じ合う。

 体温が溶け合っていく感覚に包まれる。それでも、決心するように姫君と向き合う。

 緊張の息をつく。加速する鼓動を感じる。

 二人は、重なり合おうと近づき……静かに目を閉じた。

 ……時間が。



 大切な時間が、終わりを迎えたのはその時だった。



 窓の向こうで、紫色の閃光せんこうが空を走る。二人は咄嗟とっさにそちらを向き、目撃した。

「な、なに……?」

 リリアーナは肩をすくませる。対してセツナは、今の現象を冷静に分析し……。


 そうしたうえで戦慄した。

「まさか……!!」

 光の柱は一瞬で消え去ったが、室内にある家具や小物がガタガタと揺れ始めた。

 町全体を、激しい地響きが襲う。雨粒が波紋を作るような頻度で、地面が次々と陥没していく。

 地震ではない。その正体は、至る場所に降り注ぐ、闇をまとった落石で──。


 二人の終わりには十分すぎる幕開けだった。



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 逃げまどう人々の姿。阿鼻叫喚あびきょうかんの渦の中、悲鳴や泣き声が入り乱れている。

 まるで意思を持ったように落下してくるそれらは、企みに気づかなかった王国騎士たちを後悔させた。


 空から降り注ぐ流星群りゅうせいぐん。アーガランド帝国の黒魔術使いによる無差別攻撃が、オルドに降り注いだのである。

 町の半数以上の人々が重度の熱傷を負い、多数の犠牲者をもたらした。

 しかも、町の中心部に着弾した大岩のせいで、地盤自体が大きく沈下。人の住んでいた場所なのか分からないほどに変貌してしまったのだ。

 生き残った者はいても、そこにかつての面影は一切ない。あるのは、瓦礫がれきと化した建物や、家屋だったモノのみ……。


 そして、この被害に巻き込まれたのは、結婚式のために来ていたリリアーナも同様だった。

 黒魔術使いが繰り出した魔法、ダークメテオは、木造建築など簡単に吹き飛ばしてしまうほどの破壊力を持つ。それを分かっていたので、すぐ護衛の騎士たちと共に退避した。

 しかしあまりの勢いと規模だったため、簡単に逃げることはかなわない。

 隕石いんせきはリリアーナ達のもとにも飛来。王女を狙っては来なかったが、騎士たちは直撃を受けた。

 その際に生じた破片が、ある一つの身体を貫いた。


 黒魔術使いの居場所を突き止めた騎士たちの賢明によって、メテオの砲撃は停止された。

 全滅の危機からは逃れた。だが、果てる命もある。



 大きな穴が、セツナの腹部にできていた。

 メテオの落撃によってき散らされた破片が、彼女の身体をえぐり取ったのだ。

 機敏な動きでリリアーナの前に立ち、彼女をかばったからである。断面のあらゆる部分から出血が起き、地面を赤く染めていく。


 既にリリアーナは、治療魔法習得のための訓練を行っていた。しかし、まだ重症を処置できるだけの技術は持ち合わせていない。

 魔導石と傷口が意味もなく光るだけ。なにも進展がないまま時間が過ぎる。


「お願い、お願いッ……! 今できないと……っ!!」


 泣きながら、何度も詠唱を試みる。魔力の消耗で石がすり減れば、また同じ翡翠ひすいの魔導石を取り出す。

 いくら繰り返しても結果は同じ。

 やがて今の自分では無理だと悟る。必死に辺りを見回す。

 治療に長けた者は同行していたが、メテオの爆撃で散りぢりとなった。誰も余裕がない。


「助けて!! ケガ人がいるんです! 誰か治療を──!」



「リリ、アーナ、様……。ご無事、でしょうか……」


 膝の上でぐったりとしているセツナは、なおもリリアーナの身を案じていた。

「ダメ……。しゃべっちゃダメぇッ!!」

 傷口を手で押さえるが、血液はまったく止まらない。


 このままでは、間違いなく失血死してしまう。

 どうしたらいいのか。必死に頭を回転させるも、なにも思い浮かばない。混乱が姫の身体を震わせる。

 護ると誓ったのに。この結末自体が認められない。



 一方、自らの死を悟っていたセツナは、震えるリリアーナの手を握った。

 その手を自分のほおに当てる。ゆっくり擦り付けながら言う。


「聞いて……くだ、さい……」

 目を閉じるわけにはいかない。

 ただ真っすぐに、最期の言葉を伝えようと、愛する主の顔を見つめる。

「もし、何らかの……追求を、受け、たら………ッ。セツナを、見限って……」

 発言の最中に吐血。限界が近づいてきている。

「いやだ、イヤだ……! こんなのってェ……!!」


 錯乱するリリアーナをなだめようと、セツナはほほ笑む。

 今度は自分の手を、彼女のほおに当てた。

「お願い、します。あなたが……幸せで、いて、くれ、れば……」



 この時、ルミナスと護衛の騎士たちが、ようやく遠くから駆けつけてきた。

「お母さま……。お母さまァ!! 早く治療を──!」

 治療魔法を完璧に扱える母なら、どうにかなるかもしれない。そう思ったリリアーナは、セツナを安心させようと見下ろす。




 笑みを絶やさぬまま、彼女は目を閉じていた。




 時間は止まった。

 描いていた願いと相反する、最悪の結果によってだ。

 その死に顔の美しさにごまかされることもない。ウソだ、夢に違いない。

 あらゆる思考が麻痺まひして、なにも考えられない。感情の波だけが激しく揺れ動く。

 セツナを抱き、嗚咽おえつを漏らす。

 愛する人のしかばね。もう一度動いてくれないかと、何度も何度も繰り返し願う。


 だが、彼女が目を開くことなど当然なく、狂い震える。

 ただ今は、残った温もりが消えるまで、こうしていたかった。



 この襲撃事件は、開戦後、主戦場以外での戦争被害としては最大規模となった。多くの民を失い、クレセント王国からやってきた騎士たちも大勢が死傷。

 最重要護衛対象の一人であったリリアーナの花婿も、黒魔術使いが繰りだしたメテオによって死亡した。

 なにより、黒魔術使いを捕らえることができなかったのは、王国にとって一生語り継がれる汚点だ。失ったものに対して得たものも無いという最悪の結果を迎えたのだ。


 ゆえにレーターとしては……自国の面目を保つため、原因を槍玉やりだまとして挙げる必要があった。

 それにより、襲撃に関連することからないことまで、全ての責任をある人物に負わせた。



 帝国の人間であるという事実を持つ……セツナ・アマミヤである。

 そうして彼女は、世間から、魔女と忌み嫌われるようになった。



☆☆☆☆☆



「いやぁああああぁああぁあ!!」


 現実という地獄は、未だ終わる気配を見せない。少女の心を砕かんと揺さぶり続けている。

 ベッドの上で起き上がるとともに頭を押さえた。髪をかきむしる。のたうちまわる。


 尋常ではない苦しみ声に、寝室へエキュードが入ってくる。

「リリアーナ王女、さあ……!」

 すぐさま彼女の前まで駆け寄り、布に包んでいた錠剤を差し出す。


 枕に顔を埋めているリリアーナは、手探りで薬をつかむ。そうして口に含んだ。

 み潰して飲み込み、やがて暴れていた手足を落ち着かせた。

 荒く乱れた呼吸を整える。仰向けになり、リリアーナの瞳が揺れ動く。

 一息ついてから、横にいるエキュードの姿を確認した。

「ありがとう……エキュード」

 青騎士は、礼を言われてほほ笑む。しだいにうつむいていく。


 セツナを失ってから約一年。夜を一人で過ごすリリアーナは、毎日悪夢にうなされていた。

 愛した人の死に際の姿。そこから待ち受けていた彼女に対する仕打ち。存在しない地獄までもを繰り返し見せられるのだ。

 魔女という呼称を乗せて、セツナは歴史の闇に葬られた。リリアーナも必死に抵抗はしたが、王国の意向に勝てるはずはなかった。


 無力さを呪う。そのあまり、何度かは死のうと思った。

 しかし、それを彼女は望まないだろうと考えると、実行できない。どうしようもできず、いまだ苦しみ続ける。

「せっかく覚えた魔法も、こういうときに使えたらいいのにな。はは……」


 母の力を借りず、リリアーナは、独学で治療魔法ヒールを習得。魔力のコントロールに関してもより練度を高め、防御魔法の強度が増した。

 もう同じような苦しみを広げないために。大切な人を失わないように。

 だが、本当に護りたかった人はもういない。



 明るく振る舞おうとするリリアーナに、エキュードはただほほ笑みかけることしかできず。

 リリアーナが、セツナを大切に想っていたことは知っていた。信頼を越えたものになりかけていたことも。……よく、聞いていたからだ。

 リリアーナの気持ちを尊重し、自分がその代わりになることは絶対に避けるようにしていた。


 それゆえに、彼女のことを完全に理解しきれていないのかもと悔しがる。

「リリアーナ王女。なぜ、猫一匹のために……」


 ロマネ国へ向かう最中のことだ。負傷していた猫を救うため、リリアーナは王国へと帰国。

 それは命令違反だと見なされ、自室での幽閉生活を余儀なくされた。事実上の軟禁状態である。


 エキュードはひどく心配したが、彼女はどこか満足げであった。

「あそこで見過ごしたら、本当に私じゃなくなっちゃいそうだから」


 同時に、彼女のこういった部分にかれたのだと思い出す。

 王国というゆがみの反動から生まれた正義感だろうが、他の王族とは違い、いつも弱者の味方だった。

 ならばやはり、彼女の気持ちをたたえようと思う。

 リリアーナの瞳を見つめながら、力強く伝える。

「あなたが守りたいと思ったことに、間違いなどありはしません。報われてはいませんが、きっといつかは……」


 すると、彼女はほほ笑んだ。

「やっぱり……いちばん君が信頼できるよ」


 そう言ってくれるありがたさと、瞳の向こうの残影をうらやむ気持ちが入り交じる。

 表情に自信が持てない。堪らずエキュードは立つ。

「では……おやすみなさい、リリアーナ王女」

 一礼してから振り返る。扉の向こうへと姿を消していった。



 月光を背に受けながら、リリアーナは、自分が寝転がっているベッドを見下ろす。

 一人で使うには大きすぎると改めて思う。窓側の片半分をなでる。


 消えてしまった彼女の姿が、まだ鮮明に浮かぶ。

 吐息を感じられる近さが本当の幸せだった。


 ここから見る城下町も、一面の花畑も、名の一部である三日月も。何もかも物足りないと感じてしまう。

 特に三日月は……嫌いになっていた。本来あるものが闇に塗り潰されている気がして、残っているのはごくわずか。

 本当なら、ここにいたかもしれないのに。だが同時にこうも思う。


 ──私が、セツちゃんをこの城に招いていなければ、彼女は死んでいなかったんじゃ……。


 たらればが無限に繰り返されていく。思い詰めるがあまり、評判だった明るさはやや陰に隠れた。

 今日も、あの時セツナを護ることができたらと、自分へ呪いをかける。



 その時だ。

 突然まばゆい発光が外で起きた。

 部屋中が揺れる。落雷に似た爆音も鳴り響く。


 思わずリリアーナは目をつむり、両耳も押さえる。

 空が光ったわけではない。雲は出ているが、通り雨の類でもない。

 不審がり、眉間を狭める。無理もない。


 ついこの前、似たような轟音ごうおんを聞いたばかりだからだ。

「あの日も雨じゃなかった……」

 とても偶然とは思えない一致。黒い予感が体内を包む。



 そんな彼女の意識を戻ってこさせたのは、雷鳴の記憶とともにある、一匹の鳴き声。


 窓の外から、愛くるしい生き物がこちらを見つめている。縁に足をかけ、ちょこんと乗っかったままだ。


 その生物に心当たりがあった。

 虚しい感情に包まれていたリリアーナが、一番見たかった光景そのものである。


 双眼が姫の姿を捉える。灰の体毛が多い三毛猫は、高い声を上げて彼女の胸へと飛びついた。

「君ぃ……。助かったんだね!」

 甘えたように鳴きながら、手のひらをめてくる。

 リリアーナの顔がほころぶ。猫を苦しませないよう、優しく抱擁を交わす。

 すると子猫のほうも、喉元をゴロゴロと鳴らした。


 間違いなく、ロマネ国へ向かう途中で出会った猫である。帰国後すぐ、治療のために大治療室の間に運んだ。

 そこから結果は分からず仕舞いだったが、一命は取りとめられたらしい。


 猫が顔をすり寄せてきた。

 よかったと心から思った。命を救えたことで、天国に向けて交わした誓いも少しだけ果たせた気がしたのだ。

 やや涙ぐみながら、三毛猫の背中を擦る。



 猫の身体から、光が放出された。


「へ……!?」

 リリアーナは目を丸めた。思わず猫を落とす。

 猫は、軽々と床に着地した。その場で丸まるように座り込む。


 真の衝撃はここからだった。丸まった分、見下ろす視点のリリアーナから、猫の背中が見えやすくなった。

 その部分が、突如として大きく盛り上がる。

 体毛も徐々に無くなっていく。人肌にも似た色白な素肌を顕とした。


 リリアーナが愕然がくぜんとする中、異変はまだ進む。

 猫の頭が形を変える。変化する前よりやや丸みを帯び、顔のパーツは平らとなった。耳も中へ収納される。


 そして新たに、顔面が象られていく。

 目、口、耳など、ほぼ人と変わらない姿に変化。身長も伸び、手足には爪。三色ではなく灰色一色の毛が髪となって伸びる。


 膝を丸めた座りの状態で、変化は終わった。

 鎖骨付近から鼠径部そけいぶにかけてが、肌に密着した、光沢のある白い衣装に覆われている。肩と膝には、それらを囲む大きな銀の装飾。

 太ももはき出しになっており、やや扇情的に思えた。


 だがそもそも……。さっきまでかわいがっていた猫が急にこのような変化を遂げた。それが異常事態だ。目の当たりにしたリリアーナは言葉を失う。


 すると目の前の……。さっきまで猫だった人物が立ち上がる。

 リリアーナはベッドから落ち、尻餅をつく。

 息を震わせながらも見上げる。胸の膨らみやしなやかな体型を見て、それが女性であることが分かった。


 そして、闇で覆われたその顔を、月光が照らし出す。


 あるはずがないのに、その顔には見覚えがあった。


 整った顔立ちと、翡翠色ひすいいろの輝きを持つ美しい瞳。自分と同年代くらいの少女。

 髪がもう少し黒ければ……会いたくても会えないはずの彼女と瓜二うりふたつだ。


「セツ……ちゃん?」

 見下ろすその表情には、なんの感情も宿っていない。

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