第ニ節 王城廊下にて

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 門の砕け方は、なんとも見事なものだった。侵入者を妨害するための先端がとがった鉄格子も付いているが、完全にへし折れている。門としての役目を果たせずにいた。

 魔導コーティングが施されているそれらは、本来こんなにも簡単に突破されてしまうものではない。よほどの一級魔導使いによる犯行であろう……とセツナは直視しながら思う。


 言われたとおり、早朝という時間からここに来た。いまできる精一杯な普通の格好をしてだ。

 黄土色なワンピースの上に羽織る紺のシャツ。そして茶色い革靴という組み合わせだ。いずれも、城下町の廃棄場に捨てられていたものを拾って身に着けた。

 

「下民め! 何を見ている!」

 だというのに、セツナはやりを向けられた。壊れた門の前にいる衛兵騎士にだ。

 明らかに不審を含んだ目つきだが、セツナは退がらずに応じた。姫君の言うとおりに行動したのだ。なに一つ問題はないと考え、衛兵の威嚇に対して棒立ちを続けた。

 堪らず動いたのは衛兵のほうだ。二人の内の一人が、距離を詰め始める。

「貴様……っ! 聞こえなかったのか!!」


 だがその動きは、帝国の暗殺者からしてみれば隙だらけであった。

 視線を前方へと集中し、相手のわきに狙いを済ませて右手を上げる──。


「わっ……!! ちょ、ちょっと待ってー!!」

 寸前のところで、リリアーナ姫の大声が響いた。衛兵は振り返る。

 同時に、セツナの手も止まった。急いで駆け寄ってくる姫君に視線を合わせる。

「ギリギリセーフ……。君、来るの早いよー!」

「朝と言われました」

「けどまさか六時とか……。ん?」

 リリアーナは、セツナに接近していた衛兵をにらむ。

「私の客人です。なんですか?」

 衛兵はうろたえつつ、やりを下ろして敬礼。

「も、申し訳ございません! そのような報告は受けていなかったもので」

「そもそも、何もしてない民に武器を向けない!!」

 姫君が頬を膨らませる。衛兵は、頭を下げて謝った。


「……あの」

 立ち尽くすセツナが口を開く。

 リリアーナは反応に気づく。セツナを見た後に咳払い。

「失敬。じゃあ行こっ、セツナちゃん!」

 元気な呼びかけに、口の中がむずがゆくなる。


 その最中、手首をぎゅっと握られた。

 反射的反応を見せ、リリアーナの手から振り払うように引き抜く。


 驚いたのか、姫君は目を大きく見開く。

 しかし、セツナの表情を直視すると……優しくほほ笑みかけてきた。再びセツナに近寄る。


 逃げようとする手を押さえ、今度は指同士を絡めてきた。

「大丈夫。ほら」

 他人による手の温かみに初めて対面する。

 彼女のあらゆる言動が、命令でしか動けない少女に未知の感覚を与えた。



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 言われるがままにやってきたセツナであったが、この後、何がどう進むのかまでは把握していない。

 来てくれればきっと君の為になる。そう言われたから、ものは試しにとこの行動にでただけだ。

 無論、警戒心は解いていない。姫君の性格は友好的なように見える。

 しかし、何かしらの企みがあるかもしれないという予想もまだ頭に入れている。城内こそ、どこから何が飛んでくるのか分からない。まだ気を抜かずにいた。


 だがその間、二人はずっと手をつないだまま……。

 セツナの心は、やや手の温かみに傾いていく。


「そんなに緊張する?」

「は……?」

 自身のほおを指差し、姫君はいたずらっぽく笑う。


 その挙動で、セツナはようやく自覚した。

 いつの間にか、ほおに熱がこもり出している。外見上では真っ赤であることも確信した。

 セツナは、自由なほうの手で顔を隠す。

「照れ屋な暗殺者さんってギャップだなぁ~。かわいい~」

 普段ならこのような発作は起きない。ともかく、いったん話題を逸らす。


「セツナが敵国の人間だと分かっていながら……呑気です」

「敵じゃないよ」

 断言した。笑顔とともに置かれているその目は真剣そのもので、真っすぐセツナを捉えている。

 続けて述べながら、リリアーナは空いているほうの腕を広げた。

「争いごとを始めたのは偉い人たちの勝手で、ふつう、自由に暮らしたい人たちには関係ない。だから、私のフィールドに立っている今、仲良くなるのを受け入れるべきだと思う! 違う?」

 明るくしかし、もっともな意見だ。


 セツナは視線を下ろし、少しだけ悩む。

 リリアーナに握られた手をゆっくりと引き抜いた。

 立ち止まる両者。セツナは、もう片方の拳の中へ握っていた手を隠していく。

「それを誰しもが許すとでも? 刃を向けてくる相手と同じさとの者を、人は簡単に受け入れたりはしない」


 リリアーナは口を閉じ、笑みを消す。

 その沈黙と無言こそが正解だ。現実的に正しいのは、セツナの言葉である。


 それを打ち払うかのごとく、セツナの身体を突き飛ばしてきた。

「な……!?」

 らしくもない油断だ。そのまま開いていた扉の中へと転げ込む。

 靴を床に擦り付け、転倒から復帰する。すぐに廊下へ戻ろうと駆けだす。


 リリアーナは、魔導石ジェイドムーンを摘む。輝く石は、リリアーナの手を離れて前方へ飛んでいく。

 廊下と扉の境界線で静止。弾けると、扉がひとりでに閉まり、セツナの進路を塞いだ。

 中から取手を押し引きするが微動だにしない。風の魔法によって、扉は鍵を閉められたように固定されてしまった。

 蹴っても無駄だ。防御力自体が上昇している。完全に閉じ込められた。


「やはり……罠だったのですね……!」

 歯噛はがみしながら、セツナは自身の甘さを呪う。警戒はしていたが、この国の象徴として君臨する姫だ。予想以上に巧妙かつ卓越した魔導技術を持っていた。

 本来、魔力を保持していない人間種は、魔道具と魔導石を使って魔法を発動する。しかしリリアーナは、媒介として扱う魔導具も無しに魔法を発動できる。大陸を越えて話題になった事実だ。


 ともかく、セツナは周りを観察する。

 室内は、窓が無く薄暗い。天井にある小さなランプだけが光源だ。


 扉の向こうから、巧妙高い姫の声が聞こえてきた。

「あっ。もちろんだけど、そこにいる人たちを傷つけたらダメだからね?」


 そう言われて間もなく、部屋の奥から足音が響く。

 多人数分だ。そのうちの何名かは、ランプを持ちながら歩いてきた。

 いずれも……メイド達だ。やがて同様の光が複数も点りだす。

 セツナは、その女性たちに囲まれた。

 さすがの暗殺者も、標的対象外かつ、無防備な相手にナイフを構えるようなことをするつもりはない。それでも両手を握り締め、いつでも動けるように身構える。


 しかし、様子がおかしいことにすぐ気づいた。彼女らは皆ニタニタとした笑みを浮かべ、この状況を楽しんでいるかのようだ。

 そして、その中心にいる人物が持っている物に目がいく。

 彼女らと同じ黒鉄色の制服だった。



 自分が閉めた扉を背に、リリアーナは鼻歌を鳴らしていた。

 これから見られるであろうものを考え、つい無意識のうちにである。


 背後からノックの音が響いた。続けてメイド長の声が聞こえる。

「リリアーナ様。ご用意ができました」

「ありがとう~!」

 振り返ってから、人差し指で扉を軽く叩く。

 呼応して、扉の中央から翠の光が広がってゆく。波紋を打つかのようだ。

 光は徐々に薄まる。完全に消えると、解錠かいじょうの音が鳴った。

 数歩後ろに下がる。中から扉が開かれるのを待っていると……メイド服を来た少女の姿が見えた。


 頭の上には、フリル状のヘッドドレス、ホワイトブリムが載っている。メイドの証とも言える存在だ。うなじを半分まで覆う長さの黒髪と対照的な色をしており、とても目を引く。

 身体の細さも、腕が剥き出しのデザインだけあってよく際立つ。顔立ちの端正さや、みどりの輝きを持った目も、衣服との相互作用で魅力を引き上げている。


「ひゃわぁ~~~! か・わ・い・いっ!!」

 駆け寄って抱きしめようとしたが、その勢いを一本指で止められた。額に当てられた人差し指のせいで、リリアーナはそれ以上前へ進めない。

 メイド服の少女、セツナ・アマミヤの頬には朱が浮かんでいた。リリアーナを睨む。

「どのような狙いですか」

「かわいい子には、かわいーー格好をさせよって」

 上半身の引き締めや、極厚のスカート。それら要素を目視したうえで、セツナの評価は以下である。

「動きにくいです」

「うーん……。でもごめんなさい。もう変えられないのです」

「は?」

 威嚇など気にせず、リリアーナは満面の笑みで言う。


「これからは、この城で働いてもらうので」


 宣告に、セツナは呆気あっけに取られた顔をした。

 しばらく口をわなわなとさせた後、こう言う。

「お断りします!!」

 当然の否定である。この城に仕えるということは、アーガランド帝国を裏切るに等しいからだ。

 しかしリリアーナは、バツが悪そうに自身のほおく。

「推薦権も使っちゃったんだよねー」


 推薦権とは、騎士や王族が保有する権利の一つだ。指名した者を、自分の部下や、近くの役職に配属できるものである。

「自分は望んでいません!」

「こっちにいたほうがマシだよー! 元が孤児なら、家族からの許可も必要なくてスムーズだし」

 セツナの表情からは、明らかに苛立ちが見て取れる。すぐにはなだめられそうにない。


 とはいえ、生気の無かった瞳に、少しだけ輝きが増したように見えた。

「だ、だーいじょうぶ。歓迎してるのは私だけじゃないから。ね、みんな!」

 部屋の中にいるメイドたちに目配せする。彼女らは一斉に声を張り上げた。

「「「休暇!! 増える!! 最高!!」」」

「だいいち、セツナをここにいさせるということは──」


 発言を遮る。再びリリアーナは、セツナの手を引いた。

「ほら、こっち!」

 彼女を連れて廊下を進んでいく。角を曲がったところにらせん階段がある。それも上がりだす。

 聞き耳を立てられる者もいなくなったところで、セツナがまた反論する。

「クレセントに寝返ったとして、いつか処分されかねない。そうなれば、ここにいる人たちに迷惑が──!」


 すると、リリアーナは足を止める。

 その場で振り返り、セツナを見下ろした。

「なおさら怒った! 意地でも殺そうとするなんて正気じゃないよ!」

 言い放つと、また彼女を強引に引っ張る。そのままの勢いで走りだす。

 一番上の階まで到達した。奥にある扉の前まで来て、足を止める。


「ここが仕事場だよ!」

 自ら扉を開ける。そこは、二人が出会った寝室だ。

「私のお世話係として、あなたをメインのメイドにします。配属日は私と行動して、何かあれば対処してください。分かりましたか?」

 覗き込んでいたずらな笑みを浮かべ、見つめる。

 逃れるように視線は逸らされた。

「敵国の人間を、よりにもよって一番身近に……」

「まぁ、いいじゃないですかぁ! せっかくですし」

 深く理由は答えぬまま、共に部屋の中へ入る。


 美人でかわいいメイドを手に入れることができた。これから先の日々を思い描き、リリアーナは目を輝かせる。

「よろしくね。セツちゃん♪」


 初めての呼称。それを受け止めたセツナは、視線を落とした。

 少しの後、上目遣いで目を合わせだす。

「なぜ……名前を縮めたのですか?」

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