第4話

 その黒い靄を見た翌日から件の白猫が姿を見せなくなった。猫がいなくなること自体はそれほど珍しいことではない。しかし、可愛がっていた猫なだけに、肩を落とすものも少なくなかった。

「探してみようか」

弥一が言った。

「手伝いの合間とか、仕事しながらなら、できるかもね」

ちあやもそう言って同意した。

 その時、ふっとちあやの視界の端に黒いものが入った。無意識にその痕跡を追う。耳元で、猫の鳴き声を聞いたような気がした。

「……あっち」

ちあやは何かに操られるように、山小屋を指さした。

「ちあや?」

「あ、えと、行って、みよう?」

そう言って駆けだした。

「あ、おい」

弥一が慌ててその後を追った。


 山小屋、と言うほど、山の中に在るわけでは無い。村の外れの、山の方に作られている共同の物置小屋だ。最近は誰も使っていないはずだった。

「うっ、」

小屋に近寄っただけで、嫌な匂いがした。

「血の、匂い?」

弥一が真っ青な顔で言う。ちあやが頷いた。それだけではない。ちあやの目にはその小屋を覆う、大きな真っ黒い猫の影が見えていた。

(何で……)

ちあやは震える足をどうにか前に進めた。そして、小屋の扉に手をかけた。鍵などついていない。扉はからり、と、乾いた音を立てて開いた。

「う、うわあああああああ!」

悲鳴を上げたのは弥一だった。

 そこには、天井にかかる古い網に絡まった、件の白猫の死体があった。

 

 白猫の首には、網が絡まっていた。必死で暴れたのだろう。細い網が首に食い込んで毛を引きちぎり、肌を割いていた。吊られた猫の下には真っ赤な血だまりができていた。

 だが、問題はそれだけではない。網にかかっていたのは、その猫だけでは無かったのだ。複数の猫の死体が網にかかっているのが見つかった。腐敗しているもの、白骨化しているものもあった。良く調べれば、その小屋の外にも猫のものらしき死体があった形跡がある。骨の欠片や、わざわざ埋めてあったものもあった。

 最初は事故として捉えられていたが、村人の間には、それが人為的に行われていた可能性を考える者も出始めた。

 だが、証拠などあるわけもない。誰が犯人なのか、はたまたただの事故や偶然に過ぎないのか、全てが分からないまま、ただ、村の中の空気だけが淀み始めた。

「ちあやは、どう思う?」

弥一がちあやに聞いた。二人は大人たちに呼び出され、事情を聞かれていた。その、帰り道だった。

 ちあやは黙って首を横に振った。

「ごめん。傷ついてるよな」

女であるちあやが、凄惨な現場を見てしまったのだ。傷ついているのだろうと、弥一はそれ以上そのことに触れなかった。

 ちあやは、傷ついていた。ただ、恐ろしい現場を見てしまったからではない。それも確かに衝撃を受けたが、ちあやには、別に見えていたものがある。あの黒い靄と、猫たちの死体。あの靄が示すものが、そういう系統の、つまりは、

「おう、大変だったな」

そう声をかけて来たのは村長の息子の政太だった。ちあや達より三つ年上で弥一は兄のように慕っていた。

「政太さん」

弥一の顔があからさまにほっとする。

「オレはさ、誰かがやったなんて思ってないよ。不幸な事故とか……そうじゃなかったら妖の仕業なんじゃないかな」

政太の言葉に、ちあやの肩が震えた。

「最初の一匹が事故で死んで、その後次々に猫を呼び寄せた、とか」

「政太さん、その話はあとで僕が聞きますよ」

ちあやの動揺に気付かない政太がべらべらと話すのを聞いて、弥一が止めた。

「あ、そうだな。悪い悪い。女の子の前でする話じゃないな」

そう言って政太が笑った。

「政太、さん?」

「おっと、いかんいかん。笑い事でも無いな」

そう言って咳払いする政太。口元に寄せられたその手を見たちあやの顔が真っ青になった。

「ちあや?」

「ご、ごめんなさい。私、ちょっと気分が……」

「やっぱり。色々あって疲れてるんですよ、こいつ。今日のところは僕が送っていきますから」

そう言って弥一は政太に頭を下げ、ちあやを伴って家の方へ向かった。

「おう、気を付けろよ」

そう言って見送る政太を、ちあやはこっそりと振り返った。

 自分が見たものを、信じたくはなかったが、確かめずにはいられなかった。

 

政太の手には、真っ黒い猫の形をした靄がまとわりついていたのだ。


 件の白猫を、政太が殺したのかどうかは知らない。だが、彼の悪意が、猫に関与したことは確かだろう。ちあやにはそう思えた。


 ちあやはそのことを誰にも言わなかった。幸い、その後件の小屋は取り壊され、猫がいなくなることも無くなった。

 その事件の後、ちあやは自分が見ているものを誰にも言おうとしなくなった。そして、ちあやには分かるようになったことがあった。黒い靄は、良くないものであることが多い。それは誰かの悪意であったり、憎しみであったり、恨みであったりした。怒りの色はまだ赤い。だが、これがもっと強くなると、黒ずんで、やがて黒くなる。そのことに気付いた。

 そして、ちあやは誰かの悪意が、誰かに向けられ、災いが起きているのを黙って見ていた。

 小さなものならいい。そう思っていた。幸い、村の中でそれほそ大きくその靄が育つことはなかった。小さな悪意とすら呼べない程度の感情なら、誰でも持つことはある。それが、小さな災いとなっても、大したことではない。そう思ってもいて、それがちあやの周囲の現実でもあった。

 

 やがて、猫の件も忘れられ、村の中の空気も、元に戻っていった。ちあやだけが、元には戻れないままで。


 そうして、あの日。

 その日は、長く続いた時化がようやく終わり、朝から気持ちの良い晴れ間が広がっていた。

 弥一の父親が、久々に舟で海に漕ぎ出そうと準備を進めていた。村の者達も手伝って、着々と準備が進む中、出航を待つ船を目にしたちあやの手から、持っていた桶がぽろりと落ちた。中に入っていた清水が足を濡らすのも構わず、ちあやはその場に立ち尽くしていた。

「あーあ、もったいない。大丈夫か?」

そう言って桶を拾い、弥一がちあやの顔を覗き込んだ。

「弥一」

ちあやの唇が震えている。

「どうした?具合、悪いのか?」

ちあやはぎこちない動きで弥一を見た。顔色が真っ青になっている。その顔を、弥一はどこかで見たような気がした。

「あの、船だよね」

ちあやが指さした先には、弥一の父親の船がある。弥一の祖父から受け継がれた、古いが頑丈な船だ。

「そうだよ。家に伝わる自慢の船さ」

得意気にそう言う弥一にちあやは取りすがった。

「止めて」

「何を?

弥一は怪訝な顔をする。

「海に出ないで」

「何で」

今度はあからさまに不機嫌な顔と声になった。それを見て、ちあやは何かに気付いたようにはっとした顔をした。

「その、」

「何も止める理由ないだろ?天気も良いし、船も整ってる」

「でも、ほら、まだ時化も収まったばかりだし、また時化てくるかも……」

ちあやはしどろもどろに言う。


ちあやの目には、船を覆う、真っ黒い靄が見えていたのだ。

 

 ちあやは必死になって出航を止めた。しかし、たかが少女の言葉に、歴戦の海の男達は弥一同様耳を貸さなかった。

「ちあや。心配なのは分かるが、ここ数日の時化で、碌に漁が出来てないんだ。皆、今日を待ち望んでいたんだよ」

ちあやの父も、ちあやを納得させにかかった。ちあやはもう黙るほか無かった。

「じゃあ、これ」

そう言ってちあやは母の形見であるお守り袋を父に渡した。母の形見と言われて父に渡された時には、もうその由緒は分からなくなっていた。母も、母の母からもらったものであるという。

「心配性だな。分かった。持って行くよ。ありがとう」

父は笑ってそれを首にかけ、船に乗り込んだ。

 ちあやはずっと皆の無事を祈り続けていた。


 船は、戻らなかった。

 バラバラになった船の残骸が、翌日から浜に打ち上げられた。そして、その中には乗っていった漁師たちの、無残な死体が混ざるようになった。

 弥一の父は、首のない、胴体だけが戻って来た。辛うじて体に残っていた布地で、やっとそれだと分かるほど損壊していた。

「おい!生きてるぞ!」

死体が次々と流れつき、哀しみの色に染まる浜辺で、その声は上がった。その時まだ帰って来ていない者の親族が駆け寄った。自分の身内であって欲しいという願いを持って。

「とう、さん」

その願いが叶ったのはちあやであった。

「とうさん!」

辛うじて息はあるものの、父は、娘の呼びかけに答えることも出来ないほど弱っていた。

 ちあやの父は、片腕を失っていた。


 それからずっとちあやは意識の戻らない父の看病をしていた。体も心も疲れ果て、それでも、生きて帰ってくれたことを大切にしたくて、懸命に自分を奮い立たせていた。そんなちあやの元に、弥一が訪れた。

 弥一の父を含む、今回の漁で犠牲になった者達の葬儀が、ちょうど終わったばかりだった。

 弥一は黙って立っていた。目に、涙をいっぱいにためて。

 弥一は、ちあやが大変なのもよくわかっていた。今回のことが、決してちあやのせいではないことも。

 それでも。

「父親が生きて帰ってきた」

 そのことへの、醜い嫉妬が、胸でくすぶり続けて辛い。彼の纏う黒い気は時に深い悲しみの色が垣間見え、雄弁に彼の心の葛藤を物語っていた。

「弥一……」

ちあやの口が疲労の末にそれだけを零した。だが、ちあやにも弥一にどう言葉をかけていいか分からなかった。

「ちあや」

弥一が名を呼んだ。

「僕、知ってるんだ。ちあやは、あの時と同じ顔をしてた。あの、猫が死んだときと」

ちあやの胸がどきりと鳴った。

「ちあやが、殺したのか?」

「違う、」

ちあやは力なく首を横に振った。でも、そう言うことになるのだろうか。良くないことが起こると、知っていて止められなかったのは。

「あの船も、ちあやが沈めたのか?」

「ちが……」

「フカにやられたんだろうって、政太さんが言ってた。……海は、血まみれだったろうって」

ちあやは言葉が出なかった。何も言えない。喉がひりついて、息をすることすら苦しい。

「ちあや。お前は災いを呼ぶ。お前は血を呼ぶ。お前は血綾、なのだな」

本当はもっと醜い言葉が、のどの奥から迸りそうだった。

 けれども、それだけは、懸命にこらえた。


 それからすぐにちあやの父も息絶えた。熱に浮かされ、何度も母の名を呼び、ちあやを呼んだ。すまない、許してくれと繰り返した。

 そんな父が、ふっと意識を取り戻した。

「父さん!」

「ちあや、か」

穏やかな顔をしていた。

「誰か呼んでくる」

そう言って立ち上がろうとしたちあやの手を、父がしっかりと掴んだ。痛いほど強く。

「ちあや、すまない。お前のいうことを聞いていれば……」

「ううん。いいの。帰って来てくれたから、それで」

「ああ、そうだ。あの時もお前が、お前が止めてくれたのに、おれはお前を信じなかった。すまない、すまない」

父の目から涙が零れて落ちた。その目は空を見つめている。ちあやを通して、別の誰かを、恐らくは、ちあやの母を。

「父さん、」

「ちあや、お前を一人にしてしまう。だが、ちあや、父さんはずっとお前を見ている。母さんと、二人で、ずっと、ちあや、だから、どうか、生きて……」

父の首にかけられたお守りの結わえていたその紐が、ぷつりと切れた。お守りはその身体を伝って床へと落ちる。役目を終えたと言うかのように。

 そして、父の目は静かに閉じられ、二度と開くことはなかった。


 ちあやの父の葬儀が終わり、この船の事故の犠牲者の弔いが全て終わった。全ての弔いを隣村の寺の住職に依頼していたのだが、全てが終わって帰ることになった。

「ちあやに供をお願いしたい。一人で」

その、思いがけない申し出に村の者も、ちあやも不思議に思ったが、世話になった住職の言葉に逆らえるわけもなく、また、それほどの理由もなかった。

 そして、ちあやは素直に住職と共に隣村への道を歩いていた。

 普通に道を歩いているつもりではあるが、どうも足元がおぼつかない。たった一人の肉親であった父を失った。そのことにも全く現実味が湧かない。

 あんな事故など、本当は起きていなくて、明日にも漁に出た皆が、たくさんの魚を積んでかえって来そうな気さえする。

「ちあや」

住職に名を呼ばれて顔を上げた。その顔を生気のなさに、住職は小さくため息を吐いた。そして、ちあやに自分が持っていた包みを一つ、渡した。

「この荷物を、あの山のあの大きな欅の木の根元にある猟師小屋に届けてほしいのだ」

そう言って、隣村への道からそれた先の山を指さした。目で見て小屋が分かるくらいの近さである。女の足でも半時も歩けば着けるだろう。だが、もう空は夕焼けになりかかっている。

「今から、ですか?」

「そう。急ぐのでな。お前は足が速いだろう?」

奇妙な依頼であった。ちあやは僧侶の顔をじっと見た。そうすれば、相手が自分に対して悪意を持っているかどうかくらいはわかる。

 そして、ちあやははっと気づいた。あの船の事故以来、村の人達の顔には、灰色の雲のようなものが見えたこと。

「その、力は、平素は隠しておいた方がよかろうな」

そういって僧侶はぽんぽんとちあやの頭を撫ぜた。やっぱり、お坊様にはわかるんだ、と、ちあやは心で呟いた。

 そしてなんとなくわかった。もう村へは帰れないのだということを。

「お前は、災いを呼ぶ」

弥一の言葉が思い出された。その言葉を、それと似たようなものを、村の皆が持ってしまったのだ。それは、本当かもしれない。自分が、全ての災いを呼んだのかもしれない。

 猫のことも、船のことも。

 ちあやは僧侶から包みを受け取ると、すぐに駆け出した。途中、一度だけ村を振り向いた。黒くかすむその色は、自分への悪意だろうか。それとも単なる悲しみだろうか。今のちあやには、自分を責めているようにしか見えなかった。


それほどまでに自分が憎いのか。

あれほど止めたのに。

自分とて父を亡くしているのに。

何の因果で。

何の、因果で。


 唇の端を噛みしめ、ちあやは走り出した。今は何を考える力も無かった。ただ、言われたことをそのまま遂行する以外に、身体を動かす意味が見つけられなかった。


「ふうん」

ちあやから包みを受け取った猟師は中に入っていた文を呼んでそう息を漏らした。

 年の頃は五十路に入っているように見える。一人で猟師小屋にいるには年を取っているように思えた。しかし、そこはやはり山の男らしく、体つきのしっかりとした、目に強い輝きのある男であった。

 男はちあやの持って来た包みをそのまま投げ戻した。

「着替えろ。そのなりでは山の神が嫉妬する」

ちあやは女の着物のままであった。山に入る格好でもない。海育ちのちあやではあるが、海には海の神があることを知っている。海にすむものは海の神に祈り、約束事を守った。そして、山には山の神がいる。約束事は、守らねばならない。

 それは、分かる。住む所を変えても、違う場所へ行っても、それを守らなければならないということは。

 ちあやは黙って小屋の隅にあったふるぼけた衝立の後ろに回り、そこで包みを開けた。そこには男物の着物が入っていた。それも、老猟師がが来ているのと同じような、山で暮らすためのもの。

「………」

ちあやはそれをしばらく黙って見つめた。そして、女物の着物を脱ぐと、着替えはじめた。

 村では生きられなかった。生きられなくなった。家族もいなくなった。親類縁者、誰もいない。

 今はここにしか生きるよりどころがない。それでも、それがあるなら、どこででも恵まれているといえる。行き場を無くして、命を落とすものも多いのだ。

 そして、ここで生きるには、女であってはいけないのだ。

 女であってはいけないのだ。

 ちあやの目から、涙が一粒、流れて落ちた。


 老いた猟師は住職からの文を見て不機嫌そうに歯を鳴らしていた。

 何故、今になって、と、思う。しかし、先に分かっていたとしてもどうしようもないことだ。それは分かる。ただ、どうしようもなく、悔しくなる。その悔しさを飲み込んで、生きることにはもう慣れた。慣れたはずだと、思っていた。

 僧侶からの手紙には、ちあやの出自と思われる話が書かれていた。はっきり出自とは言えない。何故か。確証がないのだ。

 ちあやの両親は駆け落ちしてあの村に住み着いた。そもそもその時点ですでに血筋を追うのは不可能だ。だが、可能性としては住職が追った血筋が間違いでないかもしれない、という程度のものだ。

 老猟師にしてみても、それが大きく自分の余生にかかわるということではない。彼の家はとうの昔に身分を捨て、野に下った。彼は、それを父の昔語りとして聞いただけだ。

 それだけだ。

 それだけのことをもうどうするという気も無い。

 ただ、これから長くは生きられないであろう自分が、この命の最後に、自分の血統の最後の役割を果たすのかもしれないと思うと、それもよいのかとも思う。

 そのことに、なんとも言えない縁を感じていた。

 それでいい。

 それでいいのだと、誰かに言われたような気がした。


かたり


衝立の向こうで音がした。

「終わったか」

老猟師が声をかけると、ちあやが姿を現した。その姿を見て、漁師は一瞬、驚いた。

 ちあやは長くしていた髪を落とし、残りの短い髪を高く結い上げていた。一見すれば、男のようにも見える。

 だが、天性の美しさは、男のなりをしていても、隠せるものではない。むしろ、男のなりをすることによって、引き出され、そのことによって輝きを増しているようにすら見える。

 京の都の白拍子のように。

(血は争えぬ)

男は苦笑いし、心の中でそう、呟いた。


 それから冬が近くなるまでの時間を二人は共に山で暮らした。老漁師は山での生き方をちあやに余さず教え、ちあやはそれを懸命に学んだ。山菜の採り方、罠の仕掛け方、獲物の捉え方。山の神様への作法。そして、山の中での動き方、身のこなし、そのすべてを老猟師から学んだ。

 ちあやはまた、山の中を器用に動き回った。木登りも覚え、木から木へと飛ぶ事すらあった。老猟師だけでなく、山に生きる全ての生き物が彼女にとっての師匠であるかのようだった。

 そんなちあやの姿を、老漁師は何とも言えない表情で見守っていた。

 すっかり師弟尾関係になったものの、老漁師は、ちあやに名前を教えようとしなかった。

「あなたを何と呼べばいい?」

ちあやは何度もそう訊いた。だが、

「好きなように呼べ」

と、返されるだけだった。困ったちあやは、

「じゃあ、おじじ様」

と、言った。すると、老猟師は一瞬、怒ったような顔を見せたが、結局、好きにしろ、とだけ言った。

 猟師はずっと独り身のようで、身内はいなかった。そのことはちあやにも教えてくれた。ちあやにも、祖父はいない。いるのかもしれないが、会ったことはない。

「おじじ様」

初めて呼ぶその呼称。身内をなくしたちあやに与えられた、久しぶりの身内の呼称。それが嬉しくも感じられた。老猟師もまた、呼ばれることのなかった呼称で呼ばれることが、どこか気恥ずかしくもあったが、素直に嬉しかった。

 二人はお互いを本当の身内のように思っていた。

 それでも、別れはやってくる。

 どうしようもなく、避けようもなく。

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