第3話
ちあや、クガイ、礼大の三名は、その後、件の荷物を元々の届け先であった寺に届けた。
先に文を受け取っていた寺の住職は怪訝な顔をして三名をじっと見た。恐らくは、その荷物が危険なものであることが、既に文で伝わっていたのだろう。それが分かっていて引き受けるということは力のある住職である。そうであればこそ、
(ただの櫛になってるって、気づいてるわけね。でも、それに気づくということは、)
自分の中途半端な力のことや、クガイや礼大の能力についても気づいているのかもしれない、と、思った。ただでさえ、おかしな取り合わせの一行だというのに、変に警戒されたら困る。
ちあやが何か言わなくてはと思った時、住職は柔和な笑顔を浮かべた。
「道中御無事で何よりでしたな。何もない寺ですが、ゆるりと休まれるがよろしい」
そう言って、若い僧侶を呼ぶと一行を案内するように申しつけ、荷物を持って奥へと向かった。
三名はその若い僧に案内され、用意された部屋へと下がった。
「そうぞごゆるりとお過ごしください」
丁寧に頭を下げて、若い僧が襖を閉めた。その途端、
「はあ、」
三名同時に大きく息を吐いた。
「いや、なかなか」
最初に口を開いたのはクガイであった。
「うん」
礼大も前髪を掻き上げつつ短く返事をする。ちあやは黙ってそんな二人を見ていた。
すると、礼大が少しばかり笑顔を見せてちあやに聞いた。
「あの住職に何か感じた?」
すると、ちあやはすっと部屋の外へ目を向けた。そして、
「うん」
と、答えた。二人が、お、という顔をしたが、ちあやはくすっと小さく笑って自分の胸元を抑えた。
「なんかこう、あったかい感じ」
それは誰しもが感じる、普通の感覚。それを敢えて言うということは、特段、口にするようなことは何もないということだ。
「そうか」
クガイが短くそう言って微笑した。
「力のある、お坊さんだよね。それは何となく分かる。やっぱり、ここのお坊さんの方があの荷物を扱えたんだと思う」
ちあやはするするとそう言った。自分でも驚くほど、簡単にそんな言葉が出て来た。今まで誰にも、そんな話をしてこなかったのに。
「でも、強さ、じゃなくて」
ちあやはどこか遠くを見るような目をした。あの時の住職のことを思い出していた。物に宿った残留思念は追えるが、人間そのものに何かを見るかといえば、不思議とそれは見えないのだ。
それでも何となくは感じることがある。分かるような気がすることはある。これもまた中途半端で、尚更人に説明するのは難しい。良いあぐねていると
「質」
クガイがぽつりと言った。
「そう」
ちあやが大きな声を出した。礼大が指を唇に当てて、しー、と言う。ちあやが慌てて自分の口を両手で覆った。
そうして、しん、となると、何やら可笑しくなってきて、三人は小さな声で笑った。
「でも、びっくりしたんだろうね。あれはもう」
礼大が膝を崩しながら言った。緊張がゆっくりと解けていく。
「抜け殻だからな」
クガイもまたそう言いながら後ろへ体を開いた。
「でも、供養は必要でしょ。一度は器になったのだから、また何か入りかねないし。それに、」
ちあやはあの時のことを思い出していた。依り代となった櫛が、礼大の錫杖で割られた瞬間、聞こえたのは悲鳴だけでは無かった。
それは、哀しい、哀しい、女の泣き声。
「供養、されてほしい。成仏して欲しい。今度は、今度こそは幸せになれるように」
ちあやは祈るようにそう言った。
「生まれ変わったら?」
礼大が言った。
「うん」
ちあやの返事に、皆が優しく微笑んだ。同意の代わりに。
不思議だ、と、思う。自分の内側から、何かが抜け出て行くようだった。それは、失うというよりは、中に在ったものが形を得て、自分から出ていく感覚。
内側は、空になるのではなく、空きが出来る。そこにまた、いつでも何かが生まれ出でる、その準備をするように。
「さて、」
「ここまで見れば、大丈夫だろう」
「……何が?」
二人の言葉に、ちあやは不安が大きくなるのを感じた。
「ここを出てからの話だけど、何か他に届ける予定の物は?」
礼大がちあやに聞いた。
「えと、ちょっと遠くになるんだけど……」
何でそんなことを聞くんだろうと不思議に思いながら、ちあやはごそごそと胸から一通の文を取り出した。
「白河のお城に勤める息子に、母親から」
その言葉を聞いて、礼大とクガイは驚いた顔を見合わせた。そして、ぱん、と、手を合わせた。
「これは、導きだな」
「間違いないね」
そう言って声を上げて笑う。
「ちょっと、何なの?」
「こっちも同じ方向に用が在るのさ」
「奥州に在る、もう一つの都にね」
「都……?」
ちあやがそう言うと、二人は意味ありげに笑った。そして、
「ちーさん」
礼大がちあやの両手を取った。一瞬、ちあやの背中に鳥肌が立った。男に触られることなど慣れていない。むしろそんなことがあったら殴り倒して逃げているところだ。無論、礼大が僧侶でなければとっくに殴っている。
が、もう一つ気になることがあった。
「ちー、さん?」
「ちあやさんじゃ長いから」
礼大は悪びれずにそう言って笑っている。
「是非とも、ボクたちとそこへ行って欲しいんだ」
「何で?」
「うん、その辺ね。やっぱりちゃんと説明してもらおうと思って」
「誰に?」
「ボクたちの上の人」
「上の人……」
ちあやは目の前の光景をすんなりは受け入れがたかった。
場所は吉野。そこに編まれた小さな庵にいた。小さいながら、手入れのきちんとされた庵で、持ち主の気品を伺わせる場所であった。
そこでちあやが面会した相手。それは。
「先の将軍、宗尊である」
目の前の貴族の男はそう言って静かに微笑んだ。その微笑みの奥には憂いが見て取れた。年の頃は三十路手前というところだろうか。将軍職を退くには早い気もする。そもそも、その年で将軍職から退いたのなら、後は誰が継いだと言うのか。
「先日、我が息子、現将軍より急使が届いてな」
そう言うと、宗尊が目を向けると、その方角から一羽の白い梟が音も無く宗尊の肩に乗った。
「これをあの子に預けたは、有事の際にあの子の肩に重責が乗らぬようにと思う手のことだが……正直、そのようなことにはなって欲しくはなかった」
「一体何が?」
「それも分からぬ」
そう言って宗尊は笑った。
「だが、何かこの日の本を脅かすようなことが……で、あろう?」
そう言って宗尊はクガイを見た。
クガイはちらりとちあやを見て、それから静かに頷いた。
「何も、わからないのですか?」
ちあやが小首を傾げる。仮にも今の政の中枢にいたはずの人間が、そして、今いるはすの人間が何も分からないとは。
「我が子はまだ十だ」
「とっ……」
ちあやは言葉をなくした。まさかそのような幼子が将軍になっているとは思わなかったのだ。ちあやは一介の市井の人間だが、この国で政の中心になっているのが将軍だと言いうことは知っている。しかし
「市井の者には、実質の権力者が執権北条氏であることは分からぬだろう。そして、分からぬでもよい。それで、国が平和であるならば」
ちあやは心の中で、ああ、と、思った。この宗尊という男は、特に権力に対する欲は無いのだろう。願っているのは、我が子と、この国の安寧。本来ならば、そういう人間が国の頂点に立った方が良い。しかし、政はそうはいかない。そのことに対する憂いが、宗尊からは滲み出ている。
「それで、私は何を?」
この何も分からないままで、とは、思う。しかし、自分がわざわざ呼ばれたということは、分からないままでも何かをしなければならず、そのことに自分が必要だということだろう。
「初代将軍頼朝公より、将軍職に就くものに一子相伝で伝えられてきたことがある。それに、其方が必要なのだ。これも確証はない。伝えられてきた場所に、其方が立たねば分からぬのだ。仔細はこの二人に伝えてある。どうかこの二人について行ってはもらえまいか」
このとおりだ、と、言って、宗尊は高座を降りてちあやの前に座り、深く頭を下げた。
「な、にをなさるのですか。ダメです。お貴族様ともあろうものが、私のような一介の地下人に頭を下げるなんて!」
ちあやは慌てて宗尊を起こそうとした。しかし、触れることも畏れ多い。どうしてよいか分からず、ちあやは礼大とクガイに目線で助けを求めた。
「あなたが行くと仰ればいいかと思いますよ」
礼大は意地悪そうにそう言うだけだった。
ちあやはその態度に苛立ちを覚えたが、結局。
「分かりました。とにかくこの二人についていきます」
と、不本意そうに言った。すると、宗尊は、おお、と、嬉しそうに声を上げた。
何やら全て仕組まれたような気がしないでもないが、そのくらい自分をと、求めてもらえることが少なからず嬉しかった。
「息子さん、喜んでて良かったねぇ」
ちあや達一行はまず、道中のちあやの届け物を済ませていた。陸奥白河に住む一人の青年に、母親からの文を。
「……うん」
ちあやは心なしかさみしそうに見えた。
「故郷のお母さんでも、思い出した?」
「……」
「おい」
礼大の言葉に、ちあやが足を止めたのを見て、クガイが諫めた。
「いいよ。そんなんじゃないんだ。さ、急ごう」
そう言ってちあやは無理に笑って歩き出した。
二人はそんなちあやの、少し後ろを歩いて行った。
その日の夜は宿をとってゆっくり休むことになった。
「野宿でもいいよ?あなた達の用事、急ぐんじゃないの?」
方向が同じとはいえ、急ぐ用事なら少しでも距離を稼いだ方が良い。宿までは少しとはいえ、逆方向になってしまうのだ。ちあやは二人を気遣ったつもりだったが、
「女の子なんだから」
当の二人は口を揃えてそう言った。
「別に、そんなの気にしてないのに」
過保護だなぁと、ちあやは綺麗に整えられた寝床でため息を吐いた。言われて素直に言うことを聞くちあやでは無かったが、最後には礼大が宿代は自分が払うからとまで言い出したのだ。
「払うのは上の人でしょうに」
誰かの命で動いている以上は、その命令を出した人間が経費を出すのが筋だ。ちあやはその命令を出した本人、宗尊に会っている。そして、必要だと言われている。命じた内容に必要な人間の、その用事に必要な旅路にかかるものは、払ってもらえるだろう。いわば、これはちあやへの依頼でもある。それなら受け取ってもいいかと、やっとちあやは納得した。
(そう言えば……)
宗尊は自分の子供を鎌倉に残してきたと言った。今回の以来の母親も、離れて暮らす息子を心配して文を送った。それを受け取った息子の顔が思い出された。
文と同時にちあやは小さな荷物も受け取っていた。それを渡すと、まず息子は手紙を読み、目じりに涙を浮かべていた。過保護なんだから、とか、心配性だなぁとかいいながら、頬を紅潮させ、どこか嬉しそうで、そして、寂しそうでもあった。
荷物の包みの中には北の国は寒いだろうからと、丁寧に畳まれた暖かそうな着物と、膏薬、恐らくは彼が幼い頃に好きだったのであろう、小さな菓子が入っていた。母の物であろうと思われる、香の移り香を嗅いだ時、青年の目から、抑えきれずに涙が一筋、頬を伝った。その後は涙を見せまいと後ろを向き、しばらく嗚咽を漏らしていた。どうしていいか分からないちあやを見かねて、礼大が彼を慰めていた。そこは腐っても僧侶である。息子は礼大に心を開いて最後には泣き腫らした目でも、笑顔を見せるようになっていた。
よく見れば、しっかりしているように見えて、年のころは自分とたいして変わらないように見える。努力して役人となり、ここに配属されたのだろう。故郷を遠く離れても、母の思いは強く息子を守ろうとする。
否、手元を離れれば、なおさら。
その思いは、天女の羽衣のようにキラキラ、ふわふわと美しく優しく、青年を包んでいる。それが、ちあやには見えていた。同じ女の思いであるのに、あの櫛に絡みついていた思念とは、あまりにも違いすぎる。
母と、女。
もともとは同じものであるだろうに。
ちあやも女だ。まだ、母でもなく、女にすらなり切れていない。微妙な年頃の、未熟な女だ。これから自分はどうなるのだろうと、思う。
鬼となるか、天女となるか。
(……母さんは?)
ちあやはふと、そう思った。自分を生んだ、母親。自分に一番近しい女、そして、母親。その、母は、果たしてどんな人物だったのか。
ちあやはそれを知らない。ちあやは、母の顔を知らずに育っていたのだ。
ちあやの母は、ちあやを生んですぐに死んだ。ちあやは、母のことは父の話でしか知らない。と、いうのも、ちあやが育った村は、父の故郷でも、母の故郷でも無かったからだ。ちあやの父は、周りの反対を押し切って母と駆け落ちし、夫婦になった。その時の詳しい話は知らない。父はその辺りの話はしようとしなかった。
父は、ちあやが十三の年に亡くなった。その時のことは、正直あまり思い出したくはない。
その時のことばかりではない。ちあやの、幼い頃の思い出は、あまり良くないものばかりが溢れていた。
「お前は血を呼ぶ。お前の名前は血綾だ。血の模様だお前にふさわしい名だ」
そういったのは、ちあやの幼馴染の少年だった。目に涙をため、胸に抱いた行き場のない哀しみをぐっとのどの奥で押さえていた。
育った村のことを思い出すと、いつもそれが最初に浮かぶ。
ちあやが育ったのは、西の方の海辺の村だった。駆け落ちした両親が、どうしてこの村を選んだのかは分からない。けれども、父母共にまったく縁もゆかりもない村だということは分かる。
ちあやは母親の顔を知らない。母はちあやを生んだ後、産後の肥立ちが悪く、死んでしまったと、父親から聞いた。ちあやは物心ついたころから父と二人、穏やかに暮らしていた。それが、幼いちあやの世界の全てだった。
ちあやが初めて得体の知れない靄を見たのは、五つの時だった。
「とうさん、あそこにある、くろいものは、なあに?」
父親の背で、半分うとうとと寝かけていた時のことだ。夕闇が迫る村の、一軒の家の上に、一瞬、黒いものが見えた気がした。
「ううん?」
父親はちあやの声に気付きはしたが、その時にはもう、どこにも何も見えなかった。
「何か言ったか?」
その声を聞きながら、ちあやも眠ってしまった。父親は、寝ぼけたのだろうとしか思わなかった。
その夜、ちあやが黒い靄を見た家ではボヤが出たのだが、そのことはちあやも気にかけてはいなかった。幼いちあやには、その靄がその家の上に在ったことは知らないのだ。
そうして、時々何かしらの色のついた靄を見ていたが、ちあやはそれをだんだんと気にしなくなり、気にしなくなったことに連動するようにそれは見えなくなっていった。
しかし、ちあやが十二になった時、それは再び見え始めた。
その時、村には何匹かの猫が住み着いていて、誰の飼い猫ということも無く、自由に暮らしていた。村人も気ままに彼らに餌を与え、時に寝床に入れた。
その猫の中に、美しい、真っ白い雌の猫がいた。その猫は特に皆に可愛がられ、猫たちの中でも女王のように振舞っていた。
それがまた面白く、村人たちはそんな猫たちの様子を楽しんでみていた。
その白猫の首に、ある日真っ黒い靄が見えたのだ。久しぶりに見えたその黒い靄。小さい時に見えていたものは、ちあやの手の届かないところにあった。それが、これほど近くで見える。ちあやは興味本位でその靄に触れようとしてみた。しかし、手は空を切るばかり。何の感触もしない。
「何してるんだ?」
そう、聞いてきたのはちあやの幼馴染。向かいの家の弥一だった。
「え?ここに、黒いものが……」
ちあやは靄の辺りを手で示した。だが、弥一は首を傾げるばかりだった。その時、ちやはそれが自分だけに見えているものだと気が付いた。
「ううん。何でもない。気のせいだったみたい」
ちあやはすぐに誤魔化した。何となく、それが言ってはいけないことのような気がし始めた。今まではそんなことも無かったのに。
「なーん」
丁度良く、猫が甘えた声を出して、いつものようにちあやの手に頭を擦り付けてきた。
「あ、こいつ、お腹空いてるのかな」
それに合わせて弥一もすぐに話題を変え、猫の餌を取りに家に走っていった。その背中を見つめながら、ちあやは心の中でほっとしていた。
それとは裏腹に、猫の首の靄は、どんどん黒くなっていくようだった。
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