第2話

人里を見下ろせる小高い丘の上に二つの人影があった。

 一人は雲水の姿をしている。僧侶かと思いきや、短いながら髪ある。未だ正式な僧ではないようだ。

 もう一人は山伏のような恰好をしていたが、こちらの方は髪はむしろ長く、首の辺りで一つに束ねている。

「なぁなぁ、クガイ、あれあれ、」

雲水の方が山伏を呼んだ。名を礼大という。僧侶としては見習いの身だ。

 クガイ、と呼ばれた山伏はじっと礼大の視線の先を見ていた。そして、何も言わずに微笑を浮かべた。

「うっわ、気味悪」

「うるさい」

そういってクガイは礼大の頭にひとつ、拳骨を叩き込んだ。礼大は、いて、と呟いて頭を抑えた。

 クガイは少し赤くなった自分の拳を軽く撫で、視線を人里に戻した。礼大もまた同じ方へと視線を戻す。

 そうして、二人、黙して同じ方角を見た。そこに惹かれて仕方がないというように、吸い寄せられるようにそこに目が行く。離せない、というように、そこから視線が動かせない。そのこと自体が、もう他とは違うという証拠だった。

「なんとも……」

「うん」

懐かしい、と、二人の呟きが小さく、小さく零れて重なった。

「行くか」

「良い子だと良いけどね」

「どうでも。必要な者には違いあるまい」

「クガイは固いなぁ」

礼大がそう言うと、クガイはまた拳を握りしめた。

「いっ、いい意味で、いい意味で。ホラ、ボクはこんなだし、丁度いいよ。うん」

「お前は緩すぎだ」

「ほら、丁度いい」

ぴっと礼大がクガイを指さす。

「好きにしろ」

クガイがそう言って踵を返す。

 礼大がそれを追いかけようとして、ふと止まった。

「運命の子、か」

肩越しに振り返る。

 そして、すぐに視線を外し、クガイを追いかけた。


「して、どう思う」

鎌倉幕府執権、若き北条時宗は他の重臣たちと話をしていた。

「攻めてくるでしょうな」

「何故、もっとうまく話を進められなかったのか」

「しかし、属国になれというのも」

「遣わした使者も送り返されておる」

「高麗もすでに大元の手に落ちた。我らの地に攻め込まれるのも時間の問題」

「しかし、高麗は地続きだが日ノ本へは海を渡らねばなるまい」

「いかにも、そうそうせめては来られまいよ」

「しかし、」

この頃、大陸ではモンゴル帝国が栄え、日本にも使者を送っていた。しかし、その使者が持っていた親書はの内容は、日本にもモンゴル帝国、元の属国になるようにという内容が暗に含まれていた。

 時宗以下、重臣たちはそれに従う気は無い。だが、懸念されるのは、半島にある高麗まで攻め込み、手中に収めた元が、日本にも武力行使を行う可能性があるということだ。

 この時の将軍は維康親王。年はまだ九つであった。政治の実権は当然持っていない。この頃の執権は、幼いものを将軍に据え、長じれば廃し、また幼いものを将軍職に就けるという方法で政の実権を握っていた。

 しかし、如何に幼くても、国の大事であることは薄々感づいていた。しかし、自分にはどうしようもない。

(どうしても困った時は、この鳥を飛ばすように)

幼い将軍は、実の父で先の将軍である宗尊親王の言葉を思い出した。

「父上、」

自身の無力さに小さな胸を痛めた幼い将軍は、小さな手で、鳥籠から一羽の梟を出し、そっと空へ放った。

「どうかこの国をお救い下さいまし」

迷い無く一直線に何かを目指して飛ぶ梟の背に、まるで神に祈るように、そう呟いた。


「ふうん」

「どうした?」

一通の文をまじまじと見つめる礼大にクガイが声をかけた。

 二人は山の中の大きな木の上に居た。

 背の高い樹からは遠くの景色までが良く見える。木の在る山の様相も、はるか遠くにかすむ他の山々も。その風景は美しく、誰もが心を奪われるだろう。だが、それらには目もくれず、礼大は一通の文に見入っていたのだ。

「ちょっと、な。これは早急に彼女の力を借りなきゃならないかもね」

「まぁ、そうなるとは思ったがな」

そう言ってクガイははるか遠くへ目を向けた。それは、物理的に遠くを見ているというだけではない。クガイの目は、人には見えない何かを見ていた。

「何か、感じるか」

礼大が言うと、クガイはすっと目を閉じた。

 風がさやさやとクガイの髪を、頬を撫でる。傍で見ている分には心地よさそうにも見える。ただ、風を感じているだけなのか、と。

 確かに風は心地よい。だが、クガイはゆっくりと目を開くと、眉根を寄せた。

「嫌な空気だ」


「ふう、」

その頃、ちあやは近くの山の中に居た。正確には二人の方がちあやの近くに居たというのが正しいのだが、彼女は二人のことは全く気付いていない。

 全くいつも通りに仕事をこなしている最中であった。

 しかし、いつも通りでないことが少しばかりあった。ちあやがその日預かっていた荷物は、少々厄介な荷物だった。

 それは仕事で訪れた寺から預かった荷物であるが、どうにも嫌な感じがする。物自体は綺麗な布で包まれていて、中身は分からない。だが、その荷、全体に真っ黒い靄が蛇の様に絡みついている。それを抑えるための水晶の数珠が、しっかりと巻かれていた。

 そもそもその荷物を預かった経緯自体が少々怪しかったのだ。

 ちあやにその荷を預けた住職の話によると、その荷物は、とある男の持ち物であったらしい。その男はどうやら名の在る寺を目指していたようであったが、途中で行き倒れてしまったのだそうだ。その亡骸を近くの村の者が見つけ、弔ったのだが、その者の荷物をどうするかということになった。金目のものは持っていず、その男の持ち物はその、布に包まれた得体の知れないものだけだった。

 ちあやのように何かが見えていたわけでは無いのだが、死人の荷物を勝手に暴くのは気が引けた。そこで村人たちは近くの寺に男の供養を頼み、荷物も預かってもらおうと考えた。

 それまでの間と、その荷物を村長が預かっていたのだが、その村長は三日もせずに頓死してしまった。村長が亡くなった時、件の荷物を大事そうに抱えていたのだという。気味悪がった息子は、父親の葬式にやってきた僧侶にそのままその荷を預けた。

 僧侶は事情を聞くと、行き倒れの男の供養もし、荷物を一度寺に持ち帰り、保管していた。しかし、その間に今度は寺で若い僧侶が亡くなってしまったのだ。行き倒れの男や村長と同じように、その荷物を抱きしめて。

 住職は若い僧侶の死を悼み、手厚く供養しようと準備を進めていた。偶然、その寺への文を携えてちあやが訪れた。

 様子の違う寺の事情を聞くと、ちあやは件の荷を見せてもらった。

「これは……」

「中身は分からぬのじゃが、今となっては暴かぬ方が良いやもしれぬ。儂では力不足。名の在る僧侶に供養してもらうが良かろうかと……お前さん、運んでくれるかね」

年老いた住職は肩を落としてそう言った。

ちあやの目には、その荷物に黒い蛇が絡みついているように見えた。そして、うっすらとではあるが、女の影を見たような気がした。それも、とても美しい女だ。その時はまだ、細かい事情は知らなかったが、そういうものが寺に在ってはいけないような気がした。少なくとも、そういうものを感じられるものがいない、この、小さな寺には。

 そう思っていると、箱から白い手が伸びた。その手はちあやの脇をすり抜けた。

(やっぱり。女には興味がないんだ)

その手は若い僧侶たちへと伸ばされた。死んだ仲間を悼む寺の若い僧侶の頭を一つ一つ撫ぜていた。

(次の獲物を探してるんだ)

ちあやは直感でそう思った。触られた者たちは何かを感じてはいるようで、自分の頭に触れるもの、無意識に払うような仕草をするものが数名いた。そのうち、手は一人の僧侶の頭の上で止まった。にやり、と、女の顔が笑ったような気がした。すると、その僧侶の顔がとろりとなった。

 甘い夢を見るような、顔。

(いけない)

そう思った瞬間、住職が持っていた水晶の数珠をかたりとその荷の上に置いた。すると、女の手がふっと消えた。だが、黒い靄はそのままそこに残っている。

「儂に出来るのはここまでなのじゃ」

住職はそう言って深く息を吐いた。

「……分かりました。私が他所のお寺へお届けします」

「すまぬな。若い女子に頼むようなことではないのじゃが」

「いえ。それが仕事ですから」

そう言ってちあやはその荷に触れた。何ら影響はない。それは数珠の力なのか、それとも自分が女だからなのか。

「ある程度はその数珠が抑えてくれよう。だが、過剰に刺激してはならぬ。特に、その荷を暴くことはせぬ方が良い。何が起こるか分からぬ故」

「はい」

「くれぐれも気をつけて行きなされ」

そう言って最後の最後まで心配する住職に見送られて、ちあやは寺を発った。


「よろしいのですか?女子にあのようなものを」

ちあやが発った後、件の若い僧侶が住職に訪ねてきた。具体的なことには気づいていないが、その荷物自体がいわくつきのものであることは分かっていた。

「あれは、女子には何もせぬよ」

「そう、なのですか?」

「女子には興味がない、あるいは、見えていないようじゃ。そのくらいはこの老いぼれにも分かる」

「そのような」

若い僧侶の言葉に住職は静かに笑った。

「これも、御仏のお導きと思うのじゃ。されば、こうすることが一番うまくことが運ぶはずじゃて」

男を獲物とする女の念。それが籠ったものが男しかいない寺に運ばれた。そこに偶然、女であるちあやが現れた。しかも物や文を届けるのが仕事だという。

 これが何かの導きでなくて何なのか。

 案の定、荷物はちあやが傍にあっても、触れても、何ら反応しなかった。しかもちあやの方は、ある程度その荷が厄介なものであることに気付いている。

 そのため、住職はちあやにそれを任せた。これ以上の運び人は望めまいと、住職は腹を決めたのだった。

 別れ際、住職が小さく頷くと、ちあやもふっと笑顔を見せて頷いた。分かっています、と、言うように。

「御仏の護りのあるように」

 小さくなる背中に二人はそっと手を合わせた。


「はぁ、」

ちあやはもう一度その荷物を見てため息をついた。荷物自体は重い物ではない。しかし、そこにある真っ黒い念はどうにも重苦しく感じられる。住職の数珠が抑えてくれてはいるが、どうにも気味が悪い。自ら進んで受けた仕事とはいえ、厄介だなと思った。

 時に本当に蛇の様に蠢くその黒い靄。

「いつ頃から、見えたのだっけね」

そう、呟いて、ちあやは少し寂しそうに笑った。


 ものにまとわりついて見える、もやのようなもの。それが見え始めたのは物心つく前であったようにも思う。全てのものに対して、それが見えるわけでもなく、法則は今でもよくわかっていない。

 困るのは、余りにも中途半端なのだ。僧侶や陰陽師のように払う力があるわけではない。明確な何かが見えるわけでも、分かるわけでもない。ただ、何となくそれが、良くないものであるのか、そうでないのかを感じるだけなのだ。磨けば使えるのかもしれないが、ちあやにはそうする気にはどうしてもなれなかった。それを使って、商売がしたいわけでは無いのだ。それは、今も昔も変わらない。

 仕事にする気が無く、磨かなかったから中途半端なのか、中途半端だからそもそも磨くまでも無いと思ったのか。それは分からないが、ちあやは自然にその力を生かすことに意識を向けなかった。

 そして、誰にもそのことを言わなかった。

 幼い頃はそれを簡単に口にしていた。自分に見える以上、誰もが見えるものだと思っていたからだ。しかし、それが良くないものであった場合、高い確率で良くないことが起こった。ものに宿る良くない念は、人に良くない影響を及ぼす。直接的にしろ、間接的にしろ、被害を被る者が出てきてしまう。

 それは、決してちあやが口にしたから起こるのではない。元々そこにあったのものなのだ。ちあやはそれを見て、口にしたに過ぎない。

その災いは、ちあやが口にしたために現実になったのではない。しかし、それを見ることも出来ない人間は、それが恰もちあやが仕組んだことのように受け取ってしまう。

 ちあやの外には誰もそれに気づくことが出来る人間がいない。そして、ちあやにはその念を払うだけの力がない。見えるだけで、どうしようもないのだ。

 それが、ちあやにとっての不幸だった。

「お前は災いを呼ぶ。お前は血を呼ぶ。お前は血彩なのだな」

ちあやの胸がずきりと痛んだ。それは、ちあやの幼馴染の男から言われた言葉だった。それまでは、仲良くしていた。だからこそ、余計にその言葉には傷ついた。その傷は今尚癒えずに何かの拍子にずきずきと痛む。

(昔のことだ)

そう思って、その嫌な記憶を振り払おうと、首を横に振った。

「急ごう」

下手にいわくつきの荷物を持っているから嫌なことを思い出すのだと思った。早い所力のある僧侶のところに届けて、払うなり、供養するなりしてもらえばいい。そうすればすぐに終わる。

 そう思って、ちあやが足を速めた、その、時だった。

 件の荷物に絡みついて蠢いていた黒い影がぶ急にぶわっと大きく広がった。それは、寺で見た時よりも大きく、暗い。

(何で?)

住職が巻いた数珠がぎりぎりと音を立てている。その数珠ですら抑えられない何かが、荷の内側から溢れ出ようとしている。だが、それはちあやには向けられていないようだった。相変わらずちあやを無視している。それならば、早く届ければいいだけかもしれない。道中、他の男に会わなければ、だが。

「お嬢さん。重そうな荷物ですねぇ、手伝いましょうか」

そう思った瞬間、間の悪いことに男の声がした。ちあやはそれで察しがついた。

(その所為か)

案の定、黒い靄は必死に数珠を破壊してその男の声の方へ行こうとしている。数珠玉にひびが入っていた。限界が近い。

(やはりこの荷は、男を狙っている)

ちあやは声の主の方を向いた。背後の少し離れた場所に僧侶と山伏の形をした二人の男が並んで立っていた。声の主に間違いないだろう。

 どちらも見目の良い若い男だ。荷の影の過剰反応はその所為だろう。

 その時、パリンと音を立てて、数珠玉が弾けた。瞬間、あの時寺の男の頭を探っていた手のようなものが、素早く二人に伸ばされた。普通、妖であれば、僧籍のものには弱そうなものだが、あの時、寺の僧侶にまで手を伸ばしたところを見ると、この念にはそれは関係ないようだ。若くていい男であれば関係ないのか。男に対する執念が勝るのか。

「逃げて!」

ちあやは叫んだ。だが、二人は動かない。避けようともしない。念の伸ばした白い手が、頭を掴んだ。

 ちあやは荷物に目を向けた。荷を包む黒い影が、唇の端を吊り上げた女の嗤い顔に見える。極上の獲物を捕らえたことを心底喜んでいるいう風だ。

 背筋が凍る。

 また被害が増えるのか。

 自分は何のためにこの荷を運んでいるのか。

(どうする?)

ちあやの頭の中に、住職の言葉が蘇った。

「過剰に刺激してはならぬ。特に、その荷を暴くことはせぬ方が良い。何が起こるか分からぬ故」

それは、ちあやに危害が及ばぬようにということだろう。逆に言えば、荷を暴けば今まで無視してきたちあやを無視できなくなるかもしれない。

 それは、ちあやに注意向けさせ、二人から注意を逸らす唯一の方法に思えた。

(これ以上の犠牲は出せない)

ちあやは危険を承知で荷を解いた。

「あ、バカ」

ちあやの決死の行動に、山伏の方が小さく舌打ちした。

 箱が開けられた瞬間、二人に伸ばされていた手がぴたりと止まった。そして、ぐるりと方向を変え、ちあやに向けられる。

 明らかな敵意を以って。

ちあやが荷を暴くのと、その手がちあやの首を掴むのが同時だった。

「くっ、あっ……」

ぎりぎりと締め上げられ、ちあやの手から箱が零れた。それは音を立てて足元の石にぶつかり、ぱかりと開いて、中身が零れ落ちた。

「礼大!」

山伏が叫んだ。手にした杖が、ちあやの首を絞めていた腕を叩き折る。腕は塵と化して霧散した。

 同時に礼大がちあやが落とした荷の中身に錫杖を突き立てた。

 

 瞬間、この世のものとは思えない、壮絶な悲鳴が響き渡った。


「やれやれ、危なかった」

礼大はそう言って息を吐いた。そして彼は静かに視線を落とした。そこには件の荷の中身がある。それは、長い髪の絡みついた、女物の櫛であった。真ん中から真っ二つに割れている。あの黒い靄はもう見えない。そこにあるのはただの櫛だ。

「これが危ないものだと分かっていたのだろう?みだりに手を出すものじゃない」

山伏はまだ地面に腰を落としているちあやに叱るようにそう言った。

「そう怒るなよクガイ、俺らを助けようとしてのことだろう?」

礼大がちあやに手を差し伸べながら言う。

「坊主や山伏を自分が助けられるとでも思ったっていうのか?」

「その坊主が囚われるところを見てたのだから、仕方ないと思うけど」

自分が口を挟む隙も無く進む二人の会話を聞いて山伏の方がクガイ、僧侶の方が礼大なのだと、ちあやは理解した。しかし、最後の一言が腑に落ちない。

「何故、そのことを……?」

荷を預かった寺に居た時、彼らの姿は無かったはずだ。少なくともちあやは見た覚えがない。これだけ目立つ容姿をしているのに、目の端にもかからないとは思えない。一応、自分も女なのだから。

 ちあやの質問に、二人は気まずそうな顔をした。そして、クガイはあらぬ方を向き、礼大は頭を掻いた。

「気分を害されたのなら申し訳ない。こちらの事情であなたを観察していたもので」

「観察?要は、見張っていた、ということ?」

「まぁ、有体に言えば」

「何も、見張られるようなことはしてないはずだけど?」

半分ははったりだ。ちあやが運んだ秘密の手紙や物の中にはあるいは怪しいものがあったのかもしれない。一応、ある程度仕事は選んでいるつもりではあるが、何事も万全ではないのだ。何かまずいものでも運んでしまったのかと思いつつ、それでも説明を受ける権利はあるだろうと思った。

 少なくとも、何かしらの御咎めを受けるとすれば、追ってくるのは役人だろう。僧侶と山伏に追われるいわれはないはずだ。

「いったいいつから?」

ちあやは仁王立ちになって強気に言った。女だからと言ってなめられたら終わりだという意識が意識が、こういう時は強く働く。

「最初に見かけたのは商家の夫婦を仲直りさせた時、かな」

それを聞いてちあやは驚いた。

「ひと月近くも前じゃない。それからずっと?」

「いや、その時は目をつけただけだ」

クガイが向き直って否定する。本人は弁解したつもりだったが、逆にちあやを怒らせてしまった。

「目を付けるって何?私を捕まえてどこかへ売り飛ばそうとでも?」

身寄りのない女を攫って、貴族や豪族に売り飛ばす事件も起きていると聞く。あまり女らしい恰好はしていないとはいえ、警戒心は解いていない。そして、同じ女であればこそ、そういう事件は特に許し難かった。

「そう言う意味じゃない」

クガイは低い声でちあやの言葉を留めた。それでも食って掛かろうとするちあやの唇を、礼大が指先でふさいだ。

 じっとちあやを見つめて静かに微笑む。その微笑みに、不思議とちあやの怒りは収まっていった。それを見極めるように、礼大はその指先をそのまま足元の櫛に落とした。

「それがヤバいものだって、気づいていたよね」

礼大の言葉に、ちあやの胸がときりと鳴った。

(今までそのことには誰も気づかなかったのに)

ちあやはどうするか考えた。もうそのことを人には話すまいと決めたはずだ。だが、自分には出来ないことがこの二人には出来る。

 ちあやの頭の中で、先刻の二人の連携が憧憬を以って映し出された。

(この二人はきっとただの人間じゃない。ちゃんと力を持った人なんだ)

そう思えば、隠しておく理由も無いように思えた。

 そして、ちあやは小さく頷いた。

「その力が欲しい」

クガイが真面目な顔で正面から見つめて来る。先ほどの声が耳について、まだ少しクガイは怖い。しかし、それ以上に、何故そんなクガイが自分にそんなことを言うのか分からなかった。

「な、何のために?」

恐る恐る訊いてみるが、クガイは首を横に振った。

「今は言えない」

「それって、」

少しムッとしてちあやが何か言おうとすると、クガイが視線を向けた。それでまた少し怖くなってちあやは黙った。しかし、そのまま何も説明されないなら、拒否する権利くらいはあるのではないかと思う。

「うん。勝手だよね。でも、言えないんだ。とある偉い方に関わることだし、」

納得いかないと、あからさまに顔に出すちあやにそう言って、礼大は遠くを見た。

「この国の将来に関わることだから」

その言葉に、ちあやは驚いた。そしてごくりと唾を飲んだ。事態は自分が思うよりもっと大きなことなのだと思った。

 半面、そんな大事のために何故に自分のような半端な能力しか持たないものが必要だと言うのか。能力が必要というなら、先ほど見せたこの二人の方が余程高い。自分など必要ないだろう。

「能力、と、いうか、恐らくは……」

余計に納得いかないという風のちあやにクガイが静かに言った。

「血、かな?」

礼大がクガイに確認するように言う。それにクガイも頷いた。

「血?」

「それもまだ、不確定なんだけどね」

そう言って、礼大は困ったように笑った。

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