千の彩りと時の風
零
第1話
ここから出たい
ここに居たくない
居たくないのはここだけだろうか
否、
どこにもいたくないのだ
私は
どこにもいたくなくて
でも、淋しくて
その、どうしようもない淋しさを
ずっと抱えて生きている
それでも、生きて行けるように、生きている
心の奥に、そっと、しまって
誰にも見えないように
誰にも、知られないように
それでも、生きて行けるように、生きている
どこにもとどまらずに
誰とも、深くかかわらずに
それでいて、誰かの役には立ちたくて
誰かの想いは大切にしたくて
だから
私は「ここ」にいる
時は後に鎌倉と呼ばれる時代。
大きな一つの政変を経て、日ノ本は穏やかさを取り戻しつつあった。
一つの大きな力が滅び、新しい力が大きくなりつつある。
一つの制度が滅び、新しい制度が整い始める。
そんな時節。
戦による乱れが収束すると、人々の暮らしが、平穏が日常になっていく。戦乱によって奪われていた日々の暮らしと言うものが、人々の手に返っていくのだ。
砕けたことを言えば、民草にとっては誰が上に立とうとも、気にするところでは無かった。自分たちがそこに積極的に参加できないということを知っていた。自分たちが何をしようとも、何を言おうとも、上には届かないことを知っていた。自分たちの力でどうにもならない。政によってなにか悪いことが起きた所で、天災と何が違うだろう。
政はいつでも、一定の身分より上の者のためにあり、そこに誰が座ろうとも下々には関係なかった。民衆にとって、いつでも明日は約束されないものであり、自分たちの力ではどうしようもないものであった。
それまであったものを打ち砕く戦乱。時折気まぐれに与えられる平穏。その一つ一つを受け入れ、乗り越え、人として与えられた寿命の刹那の時を、ただ、懸命に、逞しく生きていくだけだった。
たとえ、その、政の中心が、貴族から武家へ移り、場所を京から相模へ移したのだとしても、彼らにとっては少々栄える場所の中心が移ったという程度のことで、大した問題では無いのだ。
桜咲く、春。
長い冬を終えて、次々と芽吹き、花を咲かせる草木につられるように、動物たちの一部もまた、恋の季節を迎える。そここで、その種族に伝わる甘い恋の歌が聞かれるようになる。
それは、人も変わりなく。
「ああ、」
ちあやは目の前の女性がはらはらと涙を零すのを複雑な表情でじっと見ていた。
ちあやは生業として届け物をしている。頼まれればどこへでも足を運ぶ。どこにもとどまらず、決まったねぐらを持たない。そうして生きてきた。
年は十七。女ではあるが、髪は高く結い上げて、裾の短い男物の服を着ている。生来身軽な質で、足も速い。馬にも乗るが、走って移動することもある。そのためには女物の服は邪魔になるだけだ。夜盗にも狙われやすくなる。そういう意味でも、男の恰好は都合が良かった。ちあや自身も動きづらい女の恰好よりも、自由に動ける男の恰好の方が好きだった。
目の前の女はそんなちあやとは対照的に華美な格好をしていた。年はまだそれほどは上ではない、ように見える。濃い化粧。派手な着物。きつく焚き染めた香が、却って実年齢よりも上に感じさせてしまうことに彼女は気づいていないようだった。
女はちあやがとある男から預かった文を胸に抱き、泣いているのだ。頬を紅潮させ、恋文を胸に抱いて泣く女。美しい、と、思うのが普通なのかもしれない。だが、ちあやの目は冷めている。
その手紙の相手が真っ当な恋人ならば、胸をときめかせるものはあったのかもしれない。そうでなくても、その文自体が真っ当なものであったのなら、ちあやも胸に熱いものを感じたのかもしれない。だが、今回は事情が違う。
女は今、道ならぬ恋をしているのだ。
(やめておいた方が良いと思うけど)
ちあやは心の中で呟いた。
ちあやの目には、その手紙に宿った、青いもやのようなものが見えている。それは、相手の男の心、そのものなのだ。
青い色は冷めた色。男の心はすでに、この女にはない。
そのことに、この女は気づいていないのだ。
女は大きな商家の一人娘であった。彼女には婿入りした夫がある。この夫、外見はお世辞にも良いとは言えず、口下手であった。彼はこの店の遠縁の家の末子で、幼い頃から店に働きに来ていた。女とは筒井筒の仲である。
女の両親は、彼の勤勉さと商才を高く評価していた。そして、婚姻の相手として気心が知れている相手の方が良いだろうという親心から二人を一緒にしたのである。
その判断は決して間違ってはいなかった。二人は仲睦まじい夫婦であった。彼は彼女を深く愛し、彼女は彼を好ましく思っていたからだ。
だが、ここに一人の男が現れる。
件の手紙の男だ。
男は見目は美しかった。男はそれを使って、数多の女を口説き、女の金で生きていた。そんな男が次に標的に選んだのがその女だった。
男は言葉巧みに女に言い寄り、女の心をわがものにした。女もまた、美しい男に言い寄られたことが自分の価値を上げるように思え、その夢にもまた酔いしれた。
そのことに女の夫は気づいていなかったのか。否、気づいていたのだ。だが、彼は自分の外見が決して褒められたものでは無いことを自覚していた。そして、そんな自分に妻はもったいない女だと常々思っていた。その負い目もあり、夫は妻の不貞を見て見ぬふりをした。
それでも、妻の態度が冷たくなり始めると、どうしようもなく寂しさが募った。女の両親は既に他界している。生きていたとて、どうして言えようか。夫は一人、胸の痛みに耐えていた。
ちあやは、幾度かこの二人の間の手紙を運んでいる。ちあやにはこの家の事情など関係の無いことだ。だが、彼女には彼女の知っていることがある。
相手の夫はもうとっくに、その女に飽きてしまっているのだ。
それは、女の手紙を男に届けた時の男の顔色で分かる。そして、それは手紙にまとわりつく、青い靄として現れる。そこに恋や愛の色は現れてはいない。
相手の男は、正直もう、女に飽きているのだ。もしかしたら、最初からこの女を思う気持ちなどなかったのかもしれない。ただの金づるとしか思っていなかったのかもしれない。実際、ちあやは数度、金子の入った袋も一緒に男に届けていた。女からの届け物で男の顔がほころぶのはそういう時だけだった。
しかし、それにすらもう飽きた。そう言ったところだろうか。
この文を、まさにこの文を男から受け取った時、男のねぐらには他の女がいた。文を受け取りに出てきた男の背後から、蛇のようにギラギラとした目でちあやを見ていた。やたらと白い腕が、男の細い腰に絡みついていたのを覚えている。
近所の噂話を耳を澄ませると、どうやらその女は少し前に資産家の夫を失ったばかりの未亡人であるという。年を聞けばどうやら文の女よりも若い。噂話の中ではすっかり悪者になっている。資産家は女よりも随分と年上であったようだ。
財産目当てで結婚して、若い男を恋人にしている。下手をすれば、その女が毒を盛って殺した、という話すらある。男と結託して、という話をしている者もいる。
本当のところは誰にも分からない。
ちあやにあるのは、この男の文はもう届けたくないという気持ちだけだ。気持ちの入らない、上っ面だけの文。気に障るのは、男は字まで整ったものが書ける。それもまた、男の魅力なのだろう。ある意味、その男らしいと言えば、らしい。
(字まで、上っ面だけなんだな)
男の字を見るたび、ちあやは寒気のする思いがした。
文を届ける相手の女はもう用なしなのだ。あとは、その嫉妬深い年増女と、どうやってうまく手を切るか、思案しているというところだろう。
気持ちの入らない、整っているだけの文字の書かれた文を、届ける側の気持ちなど、分かるはずもない。まして、それを受け取った者が、そのことに気付いたらどう思うかなどと。
その時の男の薄ら笑いが、目に焼き付いて離れなかった。
ちあやは目の前で愛しそうに女の胸に抱かれている文を見て、心の中で深いため息を吐いた。
「お客さんかい」
声の方へ目を向けると、一人の男が立っていた。身なりからしてこの家の主人だろうとちあやは思った。つまりは、目の前の女の夫だ。女に裏切られている張本人だ。女はするりと手紙を懐にしまって、つんと向こうを向いた。
「はい、良い髪飾りがございまして、奥様に見て頂こうかと。旦那様も是非ご覧ください。いかがです?奥様に贈り物など」
ちあやは懐から小さな包みを出し、髪飾りをいくつか出して並べた。仕事柄各地を回ることが多いちあやはその土地の物で日持ちのするものを販売用に購入していた。それは、秘密の物を届ける時に、こうしてめくらましにも使うことができる。
「そうだねぇ。私は女ごころに疎くてね。どういうのがいいかね」
そういって男はまじまじと髪飾りを見た。その顔はどこか寂し気で、それでいて幸せそうにも見えた。確かに、美しいという顔立ちではないが、不細工ということも無い。声の調子や立ち居振る舞いは大店の主人として申し分なく、洗練されているようにも思えた。この男のどこが不満なのか、ちあやにはわかりかねるところであった。
それでも、今は女のためにうまく切り抜けなければならない。
「旦那様が、奥様に贈りたい、似合う、と、思うものをお送りされればよろしいかと」
ちあやは営業用の笑顔を全開にして主人に向けた。それとは対照的に女は男が髪飾りを見ているさまを、眉をゆがめてみていた。よほど面白くないのだろう。
男は、そんな妻に静かな笑顔を向けた。それに気づいた女はバツが悪そうに着物の袖で顔を隠し、他所を向いた。
男はそれに苦笑を浮かべ、それでもじっと、妻の顔を見つめた。そして、一つの髪飾りを手にした。
それは、淡く色づく桜の意匠の施された、少々既婚女性には可愛らしすぎるようなものだった。飾りは少なく、金銀を控えめにあしらっている。豪奢ではない。むしろ、どこか素朴な雰囲気のあるものであった。それがまた、何ともいえない可愛らしさを醸し出していた。
「何です、そんな若い娘のつけるようなものを」
だから、あなたに女心はわからない、と、言いたげに唇の端に嫌な笑いを浮かべて女は言った。
恐らく、彼女の間夫であれば、今の彼女に似合う、上品で落ち着いた、それでいて高価そうなものを選ぶのだろう。自分にとってあなたはとても価値のあるものだ、と、匂わせるような。
「私にとって、あなたは今でも出会った頃のまま。若く美しく、そして可愛らしい女性ですよ」
そういって男は笑った。
「そんなこと、嫌味にしか聞こえないわ」
そう言って女はふんと鼻を鳴らした。男は困ったように笑い、庭の桜を見上げた。
「祝言をあげたのも、この季節でしたねぇ」
男の言葉に、女はつられて桜を見上げる。その横顔を愛しそうに男は見つめた。
「番頭であった私を先代が認めてくださり、あなたと娶せてくれた。私はずっと、幼いころからあなたを見ていて、ずっとあなたが好きでした。だから、それは私にとっては本当に夢のような出来事でした。とてもとても、言葉では言い表せないほど、私は幸せでした。それは、今でも同じ」
男はそう言って、そこで言葉を切った。そして、何か思いを巡らせるように目を閉じ、ゆっくりと開いた。
「たとえあなたが他の誰かを好きになり、他の誰かと夫婦になったとしても」
女の目元がピクリと動き、わずかに視線をそらした。だが、すぐに男の顔を見た。その様子に、男はわずかに息を漏らしてつづけた。その視線が、緩やかに女を捉える。女の目が、陽光を照り返して僅かに震えた。
「あなたに出会ってからの私の人生は、幸せそのものなのですよ」
「何故」
その言葉は、まるで意図せずにこぼれるように女の口から出た。声が震えている。零れた言葉に乗っているのは紛れもない本当の心。
「言ったでしょう?私はあなたが好きだからですよ」
「でも、」
女はそう言って黙った。しばらくそのままでいたが、小さく首を横に数度振った。そうして、唇が震え、小さくかすれたような声を出した。
「そうしたら、あなたはこの店の主人じゃなくなるわ」
「そうですね」
男はこともなげにさらっと言った。女は驚いて男に詰め寄る。
「嫌じゃないの?」
「何故です?」
思わぬ問いかけに女は一度息を呑んだ。だが、すぐに聞き返した。自分はこの男の働く姿を知っている。慣れない仕事に戸惑いながら、それでも勤勉に働く、その背中を見て育っている。その背中が、まだ小さな頃から、ずっと。
「商売がしたくて、奉公に来たのでしょう?熱心に働いたのでしょう?」
「私がこの店に来たのは所謂口減らしです。懸命に働いたのは、もちろん、先代様の恩義に報いたいということもありましたし、単純に商いに面白味を感じていたからです。でも、確かにそれだけではないですね」
そう言って男は照れたように微笑んだ。
「そう、懸命に働かねば、あなたのお側に在ることができなくなると思ったからですよ。お店は、才あるものが、あなたが好いたものが継げばよいと思っておりました。私はそれを見ているだけでも構わないと、その頃から思っていました。今からでも、何も遅くはありません。その時が来ただけです。元に戻るだけです。大したことではありません。あなたが私との婚儀を不服と思っていることは知っています。あなたが心に決めた相手が在るのでしたら、私は喜んで身を引きましょう。今までが、私には過ぎたる幸いだったのです」
男は毅然として言った。女は答えない。何も言わない。何も言えないのだ。今までのことと、そして今自らが負った不貞の責が、女の心に重くのしかかり、口を噤ませる。
「では、」
沈黙の後、男はすっと立ち上がった。今にも荷物をまとめるどころか、身一つで出ていきそうな勢いの男の着物の袖を、女はとっさにつかんだ。
男が振り向くと、一瞬、その手を緩めたが、すぐにぐいと強く引いた。その勢いで、男は再び膝をついた。驚いた顔で女を見る。女は俯いていた。そのままの姿勢で口を開く。
「髪飾り、買ってくれるのでしょう?」
その問いかけに、男は頬が緩むのを感じた。男の目には、女が小さな女の子に見えた。幼い彼女を連れて、縁日に行った。その時、飴をせがまれたその姿が、そのまま重なって見える。同じ台詞を言われたのを思い出した。飴、買ってくれるのでしょう?と。
「……はい」
「私は、あの頃のままなのでしょう?」
その言葉が、殊更に今は染みる。本当に、そのままに見える。甘えん坊で、でも、それをお店のためにずっと隠して。両親にも甘えられず、甘えた姿を見せるのは自分にだけだった。それがとても嬉しかった。そんな自分も幼かった。
今は二人とも年を取ったけれど、心の奥底までは変わらないようだ。
「……そうですよ」
男がそう答えると、女は顔を上げてじっと男を見た。頬を染め、少し拗ねたように笑う。それは、本当のことを口にする時の、彼女の癖だ。
「じゃあ、私はあなたがとても好きだわ」
彼女はずっと、幼いころから彼の懸命に働く姿を見ていた。不器用なところもあったけれど、それを一つ一つ克服していくその姿が好きであった。彼が隠れて泣いていても、彼女には不思議と分かった。そんな時は、おやつを分け合って、一緒に並んで食べた。懐かしい、甘い思い出。
年を経て、年頃になり、彼女は男の見目の良さに魅力を覚えるようになった。絵物語に夢を馳せ、恋に恋をしていた。それに反するように、現実が襲ってきて、彼女は戸惑った。そう。戸惑っていただけなのだ。そして、彼から心が離れ、やがて、親に決められた祝言というだけで反発心が湧いた。そうして、知らず知らずのうちにどんどん己の本当の心を見失っていたことに気づいた。
しかし、自分の本心は、ずっとここにあったのだ。見失っていただけで、無くなってはいないのだ。あの頃の想いも、心も、あの温かな、甘い思い出も。
彼女の目から、一筋、涙がこぼれて落ちた。それは、間男の手紙に流した涙とは違う、清らかで美しい色をしていた。その涙を、彼女の夫が優しく指先で拭う。彼女が何かを言葉にしかけた。だが、男は黙って首を横に振った。
「まだ、私はここにいてもいいのかい?」
「いて、欲しいわ。ずっと、ずっと……」
男の問いかけに女が答えた。そうして二人は手を取り合って微笑んだ。二人はやっと心を通わせあったのだった。
「あ、」
瞬きの後、二人はそこにもう一人の存在があったことを思い出した。一部始終を見られたと思うと恥ずかしさが走り、慌てて庭を見た。
だが、そこにはすでにちあやの姿はなかった。代わりに濡れ縁に桜の髪飾りが置かれていた。
その下に小さな紙が置いてあった。それを開くと、
「お代は奥様の懐より頂きました」
と、書いてあった。女ははっとして懐を着物の上から抑えた。すると、そこに入れていた間夫からの手紙がなくなっていた。
「いつの間に……」
「何がだい?」
夫が少し意地悪そうに効いた。
「ううん。何でも」
妻が意地悪そうに顔を横に振る。
「そうか。もう何でもないなら、良かった」
「そうね。もう何でもないわ」
二人はそう言って顔を見合わせ、笑った。
「やれやれ、仕事が一つ減っちゃったけど、まぁ、いいか」
二人の様子を庭の隅で見ていたちあやは、そう呟いてこっそり屋敷を後にした。
ちあやには家族も、親しい友人もいない。自分で望んでそうしているけれど、あの二人のように絆の深い関係も良いものだと思う。その感覚は知っている。
そういう人たちを見ると、ちあやの胸は少しだけ痛む。その痛みを抱えたままで生きると、自ら決めた。それでいいのだと。
ちあやは一度振り返り、屋敷をじっと見て、ふっと笑った。
(でも、すごくいい色になったから、いいか)
ちあやは男女のことなど知らない。この家の事情も、細かい心の機微も分からない。けれども、ちあやには分かるものがある。
それは、ものに宿っている人の心だ。そのものの持ち主だったもの、そのものに少し触れただけのもの。形は色々あるけれど、ものはいわば器なのだと思う。その器に、それに関わった人間の心の欠片、あるいはその多くが入ってしまう。ちあやにはそれがもやのようなものとして見える。それは見えるだけで、どうということは無いのだけれど。
ちあやの目にはその屋敷時代の色が華やかでもあり、どこかくすんでいるようにも見えた。偽りの華やかさの奥に隠された、重い色。
その正体は分からないけれど、少なくとも今、ちあやに見える屋敷の色はとても清々しく、新しい春を迎えた空の色に似ている。
ちあやは懐から件の文を取り出した。青くもやのかかるその色は、偽りを含み、既に冷めた恋心を現しているように見える。ちあやは近くで焚火をしている老人を見つけると、足早に近づいて行った。
「おじいさん、これ、一緒に燃やしていい?」
「ああ、いいとも」
気の良い老人は皺だらけの顔をくしゃくしゃと動かして笑った。
「ありがと」
そう言ってちあやはその文を焚火に放り込んだ。
「おお、よく燃えるの」
そう言って老人は棒でその文をつついた。
「不要のものを捨て、新しくまた始めればええ。より良いものが生まれるじゃろ」
そう言って笑う。
ちあやは目を丸くして老人の笑顔を見ていた。
「お前さんにも、良き未来のあるように」
そう言われ、ちあやは肩を竦めて笑った。
その老人がどこまで何を知っていて、それを言ったのかは分からない。けれど、何やらちあやの心も軽くなったような気がした。
「ありがと、おじいさん」
「何、お安い御用じゃ。娘さん、遠くに行くような格好をしておるが……旅にでもでなさるんかね」
「うん、あちこちを旅しているの」
「そうかい……道中気をつけてな」
「うん。それじゃあね」
ちあやはそう言って老人に手を振りながら駆けだした。
「新しい風を、の」
老人もそう呟いて手を振り返した。
そうして見上げる空は、春の色を映して青く、優しく、透き通っていた
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