第130話 戦況


 泥と血の匂いが絶えず鼻腔を襲う。

 大地を踏みしめ前へ進むが、足裏の感覚は酷く湿っていて、土かどうかも分からない。

 視界のほとんどが真っ赤で、全身がとても熱い。

 だというのに、底冷えするような感覚が背筋を撫でる。

 かつてない経験、過去にはない恐怖。

 空前のカオスの中で鈍った判断力が、より大きな混乱を生む。

 

 初めて戦争を体験し、クロノたちは相応に打ちのめされた。


 初見の状況、狂気の具合。

 何もかもがこれまでと異なる。

 いきなり対応しろという方が、無理がある。


 けれども、師は、初々しさを許さない。

 現実は、彼らの弱さを許さない。

 何よりも、自分自身が、許さない。



「…………」



 醜態を、忘れない。

 理想を、忘れない。

 必要なのは、適応だった。

 

 一秒でも早い成長を。

 一瞬でも大きな力を。

 そのために、さらに彼らは戦に身を投じる。



「…………」



 ごうごうと、雷が鳴り響くような音がしていた。

 最初は、これに何度も乱された。

 自然とはまるで異なるソレには、恐ろしき想いが込められている。

 

 人の怒号とは、こういうものなのか。

 こんなにも、心が乱されるのか。

 知らなかった頃を思い出せないほどに、刻み込まれた。

 胸がかき乱されるような、嫌な心地だけは、どうしても慣れることができなかったが。

 

 

「来た」



 どれほど人間の想いが強さに関係するか、彼らは思い知らされた。

 狂気と、それが統率された時に起こる化学反応が、どれほどなのか。



「『神よ、主よ、我が王よ』!」



 接敵、そして、力が弾ける。

 凄まじいエネルギー量だ。

 クロノたちのように、それを貯められるだけの器があるならまだしも、鍛えた一般人程度なら、容易く破裂するだけの力である。

 当然、彼らの目的はソレだった。



「…………!」



 自爆。


 教団の下級兵士の大きな武器だ。

 盆百な弱者でも、強者に傷を与え得る。

 死さえ拒まなければ、それが叶うのだ。

 骨の髄まで使命で満ちた彼らが、躊躇う理由は何一つない。


 爆発と共に、血と骨片と、不自然な礫が散乱した。

 殺傷性を高めるための措置が、いくつも隠れている。

 肉体の中に隠された数多の礫は、後天的に仕込まれたものだ。

 生きたまま、どのような処置が行われたか。 

 倫理を紙くずのように捨て去れるモノの恐ろしさは、際限がない。

 


「…………」



 毒、爆発物、刃物。

 何が混ざるかは、個人差だ。

 使えるものは、何でも利用する。

 過去の経験から、嫌というほど味わった辟易としてしまう。


 だが、顔をしかめる暇もない。

 


「何人……」



 光


 直撃すれば、何も残らない結果が残る、神の光が降る。

 クロノはこれを、紙一重で

 コレは、『神父』の攻撃と同等のソレ。発動した瞬間から、当たることが確定している。

 アインが手本を見せた、神の秘技の裏を突く方法。

 神業ではあるが、それを理由に出来ないとは言えない。


 遠距離からの攻撃。

 これを仕掛けるのは、中級兵のやり方だ。

 

 下級兵とは異なり、少々の才能があった者たちだ。

 使い潰すには少々惜しく、出来れば生き残って欲しい。

 特別な能力を扱える人材は、とても希少だ。

 希少な彼らを使い潰して、この奇跡を成り立たせている。

 そして、

 


「いったい、何人……」



 上級兵ともなると、使徒の直属の戦力だ。

 英雄とも、直接戦闘を可能としている。

 使い潰さんほどの度重なる使用に耐え、数多くの鍛練を戦い抜いてきた。

 三人で英雄に匹敵する、恐るべき練兵だ。

 

 下級兵で削り、中級兵が援護し、上級兵が仕留める。

 基本的な戦術は、この通りだ。

 夥しい数の犠牲のもとに、戦況は拮抗する。

 


「無駄に……」


  

 噛み締めた奥歯が砕ける。

 握り締めた手が、爪が、掌に刺さる。

 悔しいと、相対する度に思ってしまう。

 


「悲しい」



 切り傷が、無数に生まれる。

 クロノが『神の子』であり、世界でも有数の実力者であるとしても、勝てない。

 システムとして成立するほどに統率された彼らを前に必要なのは、絶対的で圧倒的な戦力だ。

 人の限界を何度も踏み越えた力を要する。

 


「本当に、不毛だ」



 幾千という争いが、何百年も繰り返された。

 戦うほどに、それを実感する。

   

 そして、



「終われ」



 アリシアによる援護。

 背中を任せたアリオスの加勢。

 控えたラッシュは、リリアの呪いが周囲に及ばぬようにしているのだろう。

 となれば、既に負けはない。

 


「終わってくれ、争いなんて」



 祈りは遠く、届かない。

 


「はあ……面倒だね、君は……」



 苦しむ若人に、彼女は溜め息を吐く。

 戦場など、端から一人でどうにでもなったのは、唯一彼女だけだった。

 全てを知った彼女は、少年の想いなど滑稽に映るだろう。

 だが、少女の想いも秘められる。

  

 終わりへの想いは、変わらないものだ。

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