六章 神の子は死ね
第126話 後悔先に立たず
最も古い記憶が何かと問われれば、鮮明に思い浮かぶ。
『…………』
全身がナニカに満たされて、透明なナニカに囲われている。
液体との輪郭を初めて自覚し、自己を一個の生命体と知覚したその時こそが、彼女にとっての最古の記憶だ。
『…………』
視界、というものを、彼女は有していなかった。
生まれたばかりの赤子が目を開かないように、彼女も未だ、産まれる前の状態。
胎の代わりに試験管を用いているため、その時の彼女は十分な身体機能を欠けている。
だが、彼女の権能は、明確なイメージ像が脳に浮かばせる。
『近い……とても、近い……』
試験管の前に居たのは、超越者だった。
幼いながらにも、彼女には本能が刻まれている。曲がりなりにも、世界最強の生物の血を引いた、生来の強者だからこそ、見えてくるもの。
世界を呑み込まんとする、最も恐ろしき者の尖兵が、そこに居る。
『近いのに、何故、こんなにも遠いのか?』
手を伸ばす彼が、何を目指して、何を掴もうとしているか。
当時、無垢な彼女には、到底理解できる領域ではない。
『このままでは、いけない。このままでは、主の降臨が、叶わない』
見えない闇夜を揺蕩う感覚を、彼女は知らない。
言葉すら解せない彼女に、語らせるのは酷である。
『星の力と主の力、高い親和性が確認できた。今回こそは、思っていた……』
滲む負の感情は、とても深い。
何を想うか、複雑すぎて、とてもではないが、言い表せない。
苦難に挑み続けた者特有の、疲労に苦しんでいた者の表情だけが、その者の内心を語る。
『何かが、足りない。何かが、何かが。あと少しなのに、その少しが、深い……』
弱っていると、天性の狩人は悟る。
強く、あまりにも強いソレではあるが、万全なコンディションではないと。
それでも、彼女を圧倒して余りある力はあるだろうが、それとこれとは別だ。ただ、事実として、他人の弱みが感じ取れる。
彼女が感じたのは、多少の安堵。
弱みがあるということは、付け入る隙があるということ。
もしかすれば、襲われてもソコを狙えば逃げ切れるかも、と。
獣は、限られた身体で、どのように生き延びるかだけを考える。
『いと尊き御方よ。小生の、賎しきこの下僕の、懺悔を聴き給う』
目の前のそれは、恐ろしい存在だった。
人ほどの大きさに収まっているが、それの器は大海にも劣らない。
彼女に計り知れるほど、浅くはない。
生まれたばかりの彼女にとって、それは恐怖の対象だった。
何せ、強さで圧倒的に負けているのだ。人の知性より、獣の本能が勝っているので、致し方ない。
だが、
『我らが、主よ……』
最も古い感動の記憶も、この時だった。
『…………』
膝を折り、手を組んだ。
その所作に、凄味を感じた。
『何故、世界はこうも、残酷なのか……』
彼女は、ライラは、旅を続ける。
百年近く、闘争を止めない。
平穏に暮らせるのなら、そうできたはず。好き勝手に振る舞う力はあるはずである。
その理由を問われるのなら……
※※※※※※※※※※※
ボクは、ごちゃごちゃ考えるのが嫌いだ。
同じことを十秒以上考えても、結論なんて変わらない。
他と違って、ボクはそこまで頭良くないし。
悩む暇があるのなら、ボクは体を動かす。
いつも通り、型稽古。
大昔に教わった、徒手空拳の型。
この四百年、不思議なことに欠かしたことはない。戦いすぎて死にかけた時も、何故か止められない。
我ながらな感じだけど、ボクの技も、ほぼほぼ極みだ。
理論上は、これ以上は無駄なんだけどね。
特別な修行とかは、何もない。
いつも通りに、変わらずに。
いつでも、どんな時でも、ボクはボクを貫ける。
外からやいのやいのと煽られて、考えを変えるなんて、それこそボクらしくない。
やれることを、当然にこなすだけだろ。
前のアレも、別に嫌がらせって訳じゃねぇんだ。
計画を成立させる上で、不確定要素は排除しなきゃならん。
ボクは、甘くなっていたのかもしれない。
徹底して、ボクは戦い続ければ良かったんだ。
ボクの本当の役目は、別に育てることじゃない。メインは、壊して、台無しにすることだ。それ以外は、何も考えなくていい。
目的は一つなんだから、それに向かって走るだけ。
悩む必要なんか、別に無かったわ。
「そんな訳だから、お前らを戦場に連れてく」
目の前に居たのは、遺伝子的にはボクの娘こと、バカ娘。
相変わらず、ヤニの匂いが取れてない。
ていうか、いきなり『そんな訳だから』で始まってるんだけど、会話初心者か?
「……師匠、どういう経緯ですか?」
クロノくんの困惑は、ボクら全員共通だ。
ボクは静かに鍛練してただけなのに、クロノくんたちが寄ってきて見学始めたのも困惑だったけど、その直後に襲来だもん。
開口一番に『そんな訳だから』って、どんな訳だよ。
ボクは隅っこで型稽古してるから、そっちはそっちでやっててくれ。
なんだ、この傍若無人モンスター。
まったく、誰に似たんだか。親の顔が見てみてぇよ。
「アインそっくり……」
おいおい、リリアちゃん?
君、いい度胸してるね?
「っはー。必要か、説明?」
「いや、普通要るでしょ」
「即断即決でイエスって言えよ」
げんなりするな。
最低限の説明もしない奴にソレする権利ねぇぞ。
……ボク? ボクはいいんだよ。
説明とかそんなのをボクに任す方が間違ってるし。
「はーあ。じゃあ、一から説明してやるよ」
「当たり前ですよ……」
「知らん。常識なんて、クソの役にも立たん」
ホント、誰に似たんだかね。
最低限は常識を知っとかないと、変な目で見られるよ?
あ、ほぼ野生か戦場で過ごしてる奴には関係ないか。
「お前らを、あたしらのボスに合わせる。その後、教団との戦場に連れてく。以上だ」
「え?」
異常だろ。
「と、突然過ぎないすか?」
「今日行くんですか?」
ここで、ラッシュくんとアリシアちゃんが抗議。
至極真っ当な言い分ですが、ここで野生児はどう返す!?
「アホ。今、行くんだよ」
真性のアホには正論なんて通じません!
ここは、力で言うこと聞かせるのが正解でしたねー。
獣に理論なんて求めちゃいけません。
こりゃ減点だね。
「思い立ったがなら即行動。まどろっこしいのは嫌いだ。十秒以内に、決めろ」
「「「「「…………」」」」」
「敵を前に戦える奴は前へ。腰抜けは引っ込んでろ」
この子ら、結構気ぃ短いな。
まあ、全員乗るのは分かってたけども。
…………ん?
「おい、何ダンマリ決め込んでる? お前も来るんだよ」
「……んあ?」
邪魔された。普通に不快だな。
なんだよもー。
あのバカどもの相手なんてしたくないよー。
あー、かったる。
一応これでも身元隠してる身だからな。
気ぃ張らんといかん場面が多くなりそうで、まあまあ困る。
行きたくないし、戦場でアイツと会うことになりそうだからなあ。
今回は、戦いたくないから、パスでいいよ。
「さっさと来い。何にイラついてるか知らんが、こっち優先だ」
「別にイラついてねぇよ」
今、心頭滅却してんだろ。
明鏡止水極まれりなパーフェクトなボクに、そんな精神的隙あるかよ。
「ほら、あとで理由聞いてやるから来い」
「別になんもねぇって」
「機嫌直せよ」
しばくぞ。
どういう扱いしるんだよ。
「本格的に妹扱いだね」
「アイン相手によくやるよな」
後で、あのアホどもしばく。
「まあ、ちゃんと来いよ。うちのボスが待ってるんだからな」
「…………」
わーったよ、後で行くわ!
あー、腹立つな。
そういえば、コイツらのボスって誰?
思い返してみたら、マジでこの四百年一回も名前聞いたことないな。
興味本位で見に行ってみるか。
………………
うん、着いてから思うわ。
あーあ、ボクも未来が見えたら良かったのに。
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