第125話 戦争前夜


 何もない、空間にしか、彼は居られない。

 偏在する『無』に耐え得る存在以外は、何もない。

 広く、どこまでも続き、しかし、世界は恐ろしいほど残酷だ。

 ここに存在することが許される者は、尋常ならざる強靭な心身が無ければ、あっという間に呑まれてしまう。

 そんな世界の中心が、彼の住処だ。


 じっと、彼は待ち続けている。

 無限に広がる闇を、見つめる。

 己の名前すらも忘れ果てた彼は、ただ、己に課した役目をまっとうするのみである。


 気が遠くなる時間を、耐え続ける。まるで、植物のように穏やかに。

 しかし、内には、近付けば燃え尽きるほどの激情を隠す。

 既に顔など失って久しいが、雰囲気だけは穏やかに。

 何を思おうとも、隠し通した。

 だから、秘めた想いは、今すぐにでも吐き出したい怒りは、表には出さない。



「……てなことがあったなー」



 黒髪の、小柄な少女が居る。

 その少女も、彼と同じく、尋常ならざる力を持つ怪物だ。

 世界で唯一、彼と並ぶ存在である。

 楽しげに笑う様子からは、決して想像できないだろう。

 

 そして、目前のは、彼にとって長い付き合いの長いだ。

 楽しそうに、愉快そうにしている所も、幾度となく見てきた。

 共にした時間は誰よりも濃密だ。

 だから、その変化は、過敏に感じ取れる。



「ガキだけど、やっぱただのガキ共じゃねぇわ。力があって、その力を振り回す図太さがある」


「…………」


「面白いね。育てる、なんてしたことがなかったから、気付かなかった」



 怪物同士、話をすることもある。

 積もる話はいくらでもあって、他愛もない昔話をする間だけは、悪くない心地だった。

 だが、定期的なお茶会で、その人物が放った話題は、彼とは関係のない話題である。

 こんなことは、過去一度もなかった。

 

 その人物のことは、よく知っている。

 根本にある暴力性は、隠せないほど燦然と煌めいていたはずだ。力があれば、どんなことでもできると信じる者のはずなのだ。

 穏やかに、緩く治めるような言い方は、彼の領分のはず。

 粗野に振る舞うことは、その人物の元々の特質である。

 それを改めるなど、己を殺すことに等しい。

 自分の在り方を誰よりも重んじる、いや、そのように思われるよう振る舞っている。


 だから、



「弟子なんて、冗談かと思ってたけど、案外悪くない」



 心底楽しそうに笑うものだ。

 散々見てきた、獰猛な獣のようなソレでも、強者が順当に蔑むソレでもない。

 ただ、優しく微笑む姿の、なんと尋常なる様か。

 まるで、年相応の少女のようだ。


 その人物は、何も必要とはしないはず。

 大義のために彼に使われ、考えることなく、必要であれば力を振るう兵器であるはず。

 誰にも興味を持たず、そこらのゴミを踏み潰すように、人間を殺すことができるはず。


 だから、

 


「気にかける必要すらない雑魚ばかり。でも、雑魚の中にも、目をかけて良い相手が居るんだな」


「…………」


「最近は、新鮮なことばっかりだ」



 新しい玩具に夢中、という訳ではないだろう。

 超越者のソレではなく、もっと人らしい、当たり前の執着だ。

 変化など、いったい何百年ぶりか?

 変わらないことこそを選び続けてきたというのに、何故こうまで変わるのか?


 過去を振り返ることばかりが、お互いに共通することと思っていた。

 今を想うことなど、時間の無駄だ。


 だから、

 


「胸が熱くなったよ。認めたくないけど、認めざるを得なかった。彼らは、英雄足りうる素質がある。力だけじゃなく、心がね」


「…………」


「逆境に折れず、強者へ立ち向かい、そして彼らはいずれ……」



 だから、



「いずれ、我々を打倒し得る、と?」


「……は?」



 この変化を、彼は認められなかった。



「随分と、楽しそうだと思いましてね」


「……悪いか?」


「ええ」



 彼は、肉体を失っている。

 自ら『存在』を封印し、この世には居ないモノとなったからだ。

 だから、表情、というものはない。

 けれども、感じ取れる怒気は、隠そうとして隠れるものではない。



「貴女は、最近入れ込みすぎです。貴女に課した任務は、『神の子』を守り、育てること。断じて、それ以上は提示していません」


「……そうだな」


「貴女は、近付きです。彼を手ずから育てる、それは構いません。ですが、今の貴女は、やりすぎです」



 目前の人物の苛立ちを、彼は感じ取っていた。

 唐突に何を言い出すのかと、本気で不愉快なのだろう。

 だが、反論がない辺り、自覚はしている。

 素直で、恐ろしく、愚かな子だった。



「関係性を守ることが、貴女の目的ではない。手段と目的が、逆になっている」


「ボクは、」


「弱くなりましたね、アイン」



 一瞬、その人物は意味を図りかねた。

 どういう意味か、と口は形を取り、しかし驚きの余り声が出ない。

 強さに関する、無礼千万な物言い。

 その人物にとって、存在否定に等しい言葉だ。

 予想通りに、怒りを見せたその人物は、彼の胸ぐらを掴む。



「試してみるか?」


「やはり、弱くなった」



 それでも、彼は怯まない。

 彼以上に、その人物に対して、愛と執着を抱いている者は居ないから。



「貴女は、もっと冷酷で、もっと荒々しく、純粋な暴力装置であるはず。なのに、今の貴女は、とてもが低い」


「…………」


「少し前なら、考えられませんでした。貴女にとって、私以外の全ては糧。使徒たちにも多生の思い入れはありますが、それでもいざとなれば平気で殺す。貴女は、甘さとは程遠かった」



 変わるモノを、彼は嫌悪する。



「普段の貴女なら、既に『神の子』の仲間の内、三人は殺しているはず。彼らは、所詮、『神の子』を育てるための肥料にすぎない」


「……違いない」


「悲劇が人を強くする。そう言って、使い潰して然るべきだ。少年少女と見逃しておくには、彼らは力を付けすぎた」



 前に進む意思を持つ子らが、目映く、同時に鬱陶しくて仕方がない。



「彼らは、私たちを敵と定めた。『神の子』の成長のためにも、ここは二、三、削っておくべきでは?」


「……止めておいた方がいい」



 目を逸らしたのを、見逃さない。



「既に、クロノの成長は予想を越えている。下手に刺激しすぎるのは、良くない」


「貴女らしくない」


「何とでも言え」



 何を思うか、彼にはお見通しだ。



「貴女は、弱くなりました。その理由は、貴女の心の隙、それ故です」


「…………」


「力の大部分を封印し、人の感性が戻りつつありますか? いえ、それだけなら、貴女は平気で彼らを使い潰した」



 彼は、第一使徒のさらに上に立つ。

 教団という組織を創り、何百年も、世界を相手にしてきた怪物。

 純粋な戦闘能力こそ、その人物に劣るが、この世界で最も、全知全能に近い存在だ。

 つまり、



「認められません、その感情は」


「…………」


「今をあの頃と重ねることも、とても不服です。しかし、『神の子』とを重ねることだけは、何があっても許せません」



 誰よりも、何よりも、『神』という近いのが、彼である。

 


「神の力に、やられましたか? いや、■■の影響も少なからずありますね? 重なりすぎた偶然の産物として、貴女は弱体化しました」



 全ての答えが、彼には分かっている。

 分からないのは、砂漠の砂のほんの一握りほどの事象だけ。



「厄介。厄介です。敵なら殺せる。ですが、彼はどうにもできない」


「…………」


「貴女を弱くした彼には、是非とも、報いを受けていただきたいのですが……」



 あらゆる今を見通す彼には、予想外は、起こり得ない。



「貴女の言うように、これ以上の刺激は必要ないのかもしれません」


「!」



 人間は、背後を振り向いた。

 いつの間にをしたのか、神の使徒がそこに居た。

 


「ご両人、計画実現を前に気が昂るのは分かりますが、どうか落ち着かれませ」


「……クソ神父」



 神父と呼ばれた男は、鉄面を張り付けたようだった。

 人外らしく、人の感情を覗かせない。

 だが、



「我らは志を違えども、向く方向は同じはず。こうして、いがみ合うのは違うでしょう?」


「「…………」」



 その人物も、彼も、何も言わない。

 黙らされたのだ。

 決死を誓った者を見抜けない二人ではなかったから。



「貴殿らは、我らの希望です。成し得ぬ理想を成すための道を示してくださった恩人です。争う所は、誰も望むところではありません」



 神父の言葉に耳を傾けていた理由は、片や驚愕、片や敬意。

 長らく組織に尽くした神父が抱いた想いは、計り知れなかった。



「一位殿。そろそろ、遊びは終わりの時間です」


「お前……」


「彼らを、騎士団へ案内なさい。本格的な戦争の用意は、できています」



 その人物は、神父の目に見覚えがある。

 人の情緒を知り、弱くはなったが、経験まではなくしていない。

 無頼で生きてきた頃の記憶が、揺さぶられる。

 神父のソレは、幾度も見てきた、死を覚悟した者の目だ。

  


「……神父」


「神の使徒よ」



 呼び止める間もない。資格もない。

 ただ、最後に、



「良い旅を」


 

 その言葉に、大きな予感を覚える。

 決戦の時は、着実に近付いていた。


 

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