第124話 女子会 後


「あの剣は、元々別の持ち主が居たんだ」



 表情は見えない。

 暗く、淀んだ深淵の先には、何も映らない。

 反射すら許さない、光を呑む奥底に、何が座すのかは窺い知れない。

 重く苦しい空気が、纏わりつく。

 吐露したモノは、周囲を侵す猛毒のように、ゆるりと広がっていく。

 


「ボクは、その持ち主から預かった。帰って来た時に返せるように、仕舞い続けてた」



 かつて抱いた後悔、嘆き、怒りを圧縮したものが、漏れ出ている。

 それは、ほんの一端のはずだ。

 なるべく平坦な声を心掛けていることは、相対している彼女らは感じ取れる。

 大きく抑えられ、漏れ出た感情の一欠片。

 その強すぎる想いが、二人の慈悲も、感謝も、何もかもを塗り潰す。



「クロノくんにあげたのは、分かってたからだ。もう、は帰ってこない。だから、諦めてしまいたかった」



 淡々と、嵐のような激情を語る。

 見えない顔が何を表すか、見えないことを、彼女らは悔いるのか、安堵するのか。

 人の触れてはならない聖域があることを、身をもって知る。

 


「あの剣、凄い剣でしょ? 剣として、いや、武器として、アレ以上はない。心を持つ剣を、君たちは他に知っているかい?」



 強者を演じてきたのだ。

 弱さなど見せず、強さだけを見せてきた。

 今の今まで、絶対に表に出してはこなかった。

 この弱さこそが、アインにとって最も大切な部分であった。

 そこに初めて触れた感想を、どうにも見つけられない。



「古い主に置き去りにされた、寂しい犬だ。もう居ない幻想に囚われ続けてる」



 弱みとは、こんなにも胸をえぐられるのか。

 強き者の幻想とは、こうも脆いのか。

 


「あの剣と、ボクとは反りが合わなかった。考えの根っこがまるまる違う。でも、同じ、主を見つけられない遺物だ」


「「…………」」


「ボクは、そう思ってた」



 言葉には、魂が宿る。

 


「でも、アイツはクロノくんを新しい主と認めた。立派だよ。一歩も前に進めてないボクとは違って、変わることを選んでた」



 アインは、強い怪物だ。

 強いから、変わらないことを選んだ。

 強すぎるから、変わることを選ぶことができなかった。



「それが、許せなかった。認められなかった。は唯一無二の存在なのに。代わりを、見つけたんだ」



 羨望が、怒りが、安堵が、苦悩が。

 重なり尽くした想いの果ては、推し量ることが出来ない。

 表層を知っただけで、アインの何を語れるか?

 普段見せていた態度からは、こんなものは決して悟らせなかった。

 


「何よりも赦せないのは、それに納得した自分だよ」



 押せば崩れそうだ。

 強敵に向かう荒々しさの、欠片もない。

 見た目通り、繊細な少女のように見えた。

 


「クロノくんとを重ねた。雰囲気が、何となく似てるんだ。生まれながらの英雄としての、才覚がある。君たちの言う通り、彼は何かを変える力がある」



 静かに、重々しく、アインは、



「ボクは、それがどうしても赦せなかったんだ」



 笑みを張り付けて、そう締めくくった。



 ※※※※※※※※※※※



 重く冷めた空気に、言葉が見つからない。

 想いの果てがどれほどか、これでもかと見せつけられた。

 表には、波紋の一つすら窺わせず。

 膨大な熱量を裏に隠し通し、ここまで来たのだ。


 過去だけを見てきた、幾星霜。

 それだけを、頼りにしてきた時間。

 ここを揺るがされて初めて、ようやくこうして口にしてくれた。

 その事実を、二人は重く受け止める。



「私たちは、そう変わりませんね」



 心からの忠誠心だったのだろう。

 それを向ける先が、居るか居ないか。

 本質的な違いは、それだけなのだ。

 


「彼は、貴女が前を向くための存在になれませんか?」


「……なりそうだから、嫌なんだ」


「そんなに、大切な人が居るんですね」



 怪物と、誰もが思っていた。

 知れども、見せども、未知で埋め尽くされていたのだ。

 だから、項垂れているアインは、かつてなく人らしく見えた。



「靡かないことが、その方への想いの証明と思っている?」


「そうだ」


「貴女は、輝かしきモノは、過去にしかないと信じている?」


「そうだ」


「貴女の目的とやらは、その方に関わること?」


「……そうだ」



 人が、そこには居た。

 人並みに悩み、人並みに信じ、人並みに裏切られてきたのだ。人を外れた力を持ち、人外と謗られる運命を受け入れた。

 だが、人の心も、持ち合わせていたらしい。



のためでも、ボクのためでもある」


「貴女は、その目的のために教団と敵対している?」


「アイツらはクソだ。いつか、潰さなきゃいけない」



 嘘偽りは、一切無かった。

 誤魔化しがないから、恐ろしく刺さる。

 本気で、敵を潰そうとしているのだ。

 そこには、研ぎ澄まされた使命感が宿っていた。



「君たちは、駒だ。ボクの目的のために、必要な駒。それ以上の価値はない」


「そう?」


「君たちを強くしているのも、目的半分、気まぐれ半分だ。君たちに、特別な義理や情もない」


「なら、止めなさいよ」



 揺らがない、人外の道理。

 燃ゆる使命は、大きく理解を外れる。

 真に、人外なり得るのなら、理解されることもなく、不気味に嗤っていただろう。

 だが、



「そうやって、あたしたちの言葉に揺らぐのも。苦しそうに吐き捨てるのも」


「…………」



 見苦しさを覚えた。

 惨めにも、小さな後ろめたさを抱えていたのだ。

 人との対話だというのなら、彼女らに一日の長がある。

 理解不能な怪物は、理解された人へと、堕ちてしまった。

 ならば、誰が誰の手中にあるか。



「弱さを隠して、強さで塗り固めて。もう、良いでしょう?」


「独り、苦しんできたことは察するに余りあります。ですが、もう、構わないのではないですか?」


「何が言いたい?」



 彼女らの目的は、一つだけ。

 あらゆるモノを利用してでも、クロノのために在る。

 そのために、己の本心すらも利用する。



「あたしたちの前でくらい、もう少し素直に成ったらって言ってるの」


「こんなに一緒に居たのに、随分と遅くなりました」 



 待ちに待ったのだ。

 これが、ずっと、言いたかったのだ。

 敬意を込めて、期待を込めて、



「「仲間になって欲しい」」


「―――――!」



 その言葉を、獣だった者の心をどれだけ揺るがしたことか。

 弱さを甘えと断じてきた。

 強さを解きほぐされたのは、後にも先にもこの時だけだと確信があった。

 この真っ直ぐに向く、無垢な瞳を、アインは知っていた。

 遥か過去、初めて受けた施しの味は……

 


「クソが……」



 重ねさせた。

 胸の奥に仕舞い込んだ思い出と。



「……バカなガキ共だな」


「あん? 文句あんの?」


「あるよ。よくもまあ、こんなクサイ台詞吐けたもんだよ」



 裏があるなら、不快に思っていた。

 そして、ただ与えるだけのモノなら、ひたすらに嫌っていた。

 だが、これはその二つに触れない。

 腹立たしいくらいに、心地よい言葉を的確に吐いている。



「ふざけやがって。ボクをバカにしてる」


「相応しい相手に然るべくして払う敬意は、心得ているつもりです」


「なんて、奴らだ。ありがた迷惑っていう言葉を知らないのか?」


「アンタには、必要なモノだわ」



 見透かされるほどに、底が浅くなっていた。

 自覚するだけの判断力は、奪われていた。

 過去だけを見つめると決めていたアインは、過去を思わせる何かに、とても弱かった。

 


「……仲間にしてくれとは、言わん」


「「…………」」


「だけど、」



 起きすぎたイレギュラー。

 疲弊した心。

 目的成就間近という、最も緩むタイミング。

 全てが、アインにとっては、不利に働いていた。


 だから、



「お前らは、ただのクソガキじゃない。それは、認めてやる」



 気紛れだ。

 夢幻のようなものだ。

 夜が明ければ消えてなくなる、泡沫の今でしかない。

 けれども、



「いつか、対等になってみせます」


「アンタがこっちを向かざるを得ないくらい、輝いてやるわ」



 吐いた言葉は、戻らない。

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