第108話 腹が立つ


 世界とは、いったい何なのか?

 

 何度かアインが口にした、世界という単語。

 この世、この星、指す言葉というのは理解している。

 でも、アインの言いたい事は、多分そうじゃない。

 いったい、アインは何を操ったのか。

 どうやって、あの結果を引き起こしたか。


 命の危機に、爆発的に人は成長する。

 危機を脱するため、求めるモノを本能を理解するんだ。

 やれねば死ぬというプレッシャーが、想像もつかない高みへ導く事もある。

 これまで俺は、そうした事を実際に何度も体験した。追い詰められ、追い込まれ、何かを守るために命を燃やしてきた。

 ほんの、数ヶ月だ。それだけで、俺は倍以上は強くなっただろう。

 だから、死に直面して、理解した。

 アインの見えている世界が、ほんの少しなりとも。


 アインは、絶対的で、圧倒的だ。

 その凄まじさを理解して、心底から尊敬の念しか湧かない。

 

 アインは、『全て』が見えていたのだ。

 自分、俺のことだけじゃない。伝わる空気、支える大地、取り囲む人々、生物の意識、呼吸の数まで、本当の意味で全て。

 世界の、全ての情報が、アインには見えていた。

 その完璧で正しい『全て』の中から、情報を即座に取捨選択する。あとは、体に染み付いた『正解』を叩きつける。だから、全てにおいて、アインは誰よりも正しい。

 未来を見えているとしか思えない行動の数々。誰が相手でも影すら踏ませない、武の象徴としての動きは、そうして形作られた。

 

 未来視など、正反対の力だ。

 過去を見つめ、糧とした末のもの。

 

 誰よりも深く、アインは世界を知っている。

 それを操る術も、心得ているのだろう。 

 この空間、生物、非生物問わず、存在というものを包み込む概念そのもの、というのが、今の俺の世界に対する認識だ。

 だが、その仔細は、何も分からない。今、世界に触れたばかりの俺には、理解の及ばない所があまりにも多い。

 

 理解できる事と言えば、アインが俺を強くしようとしている事だけだ。



「そう。そうやって、世界を操るんだ」



 やけに遠くに、アインが立っている気がする。

 一歩の踏み込みと、一つの打ち込みではギリギリ届かない距離だ。

 試合が始まる前の、遠い感覚。

 仕切り直しの意図は、言わずとも伝わる。



「……わざわざ、世界を分かりやすく操る技を見せたのは、手本のつもりだったのか?」


「それが分からないほどバカじゃないだろ?」



 世界を掴み、叩き潰す。

 あの技の大雑把な原理は、こんな所だ。

 とても分かりやすく、見せつけるためにはもってこい。

 どこまでも、俺のための行動だ。



「……不服かい?」


「俺は、お前に認められたい。なのに、自力じゃ、まったく足りなかった」


「悔しいのかい? 贅沢だねぇ。ボクに導かれたとしても、君の実力には違いなかろうに」



 ……それを言えるのは、既に十二分に実力があるからだ。

 何かを壊すも、守るも、機嫌次第。

 無頼に振る舞ったとしても、誰に咎められる事もない。

 何故なら、それだけの力があるから。

 誰にも媚びず、へつらわず、折れない。その力はひたすらに、自分の中の大切なもののために、加減なく振るわれる。


 カッコいいと、俺は思う。

 俺には程遠いと、思ってしまう。



「男の子だねぇ。意地を張って、自分を苦しめるのかい?」


 

 意地。

 嗚呼、意地か。

 確かにそうだよ。カッコいいお前に憧れて、目指して、認められたくて。

 俺は、意地を張っている。わざわざ、苦しい道を歩こうとしてる。

 だってそれは、 



「ああ、苦しむ。俺は、どこまででもそれをする」

 

「へえ?」


「苦しんで、強くなって、お前みたいになりたいから」



 アインは、動きを止める。

 笑顔のままで、だけど、ギョッとしたように。

 止まるべきだったかもしれない。

 それでも、俺は、想いを止められない。



「は、はは、冗談は……」


「冗談なもんか。確かに、雑で、無茶苦茶で、信じられないくらいヤバい奴だってビックリすることもある。でも、誰でも守れる。誰でも倒せる。力を誇らず、俺たちを導いてくれる」



 アインが俺の本音に何を思うか、そんなのは知らない。

 俺の想いは、コイツに伝えなければいけない。

 


「お前がどんな風に生きて、何を背負ってきたか、知らない。でも、お前は、俺の恩人で、目標だ。それは、変わらない」


「趣味が悪い」


「言っておくが、翻さない」



 苦虫を噛み潰したような、嫌な顔だ。

 俺はきっと、良くない事を言った。何かを抱える彼女にとって、重荷になるような、多分、暴言よりもよほど効く言葉を。

 俺だって、アインを分からないままで終わらせたくはない。知ろうと、努力もしている。

 なんとなくだが、アインは悪意よりも、善意の方が苦手なんだ。

 

 だって、アインは、悪と見られたいんだから。

 


「……躾が必要な歳か?」


「必要ない。間違ってるとも思わない」



 苛立っている。

 でも、煩わしそうに眉をひそめている様に、安堵した。

 ずっと、この世の者じゃないみたいな、不機嫌ですらない無表情だったから。



「なんの志もない、何も知らない奴になんて、勝ちたいだなんて思わない」


「…………」


「俺は、お前だから勝ちたい」



 奥歯を噛み締めているのが分かる。

 がらんどうの瞳に、炎が燃えている。 

 イラついたアインのストレス解消の方法なんて、一つしかない。

 コイツは、師匠と同じ、本能で動くタイプだ。人よりもずっと、獣に近い。悪く言えば単純、良く言えば素直だ。


 もしも、アインが面倒だと思えば、だ。

 何の躊躇いもなく、逃げるだろう。

 俺にとって、ここは越えなければならない正念場だ。でも、アインにとっては、何となくで参加しているだけの場だ。

 俺は、どうしても決着をつけたい。


 ここまで言って、黙ってる訳がない。

 真正面から、叩き潰す。

 投げ出したりなんて、絶対にさせない。



「はあ……悪い子だ。不良に憧れるなんて、お仕置きが必要だよ」


「これが悪いことっていう認識を、俺が変えてやる」



 見える。

 ただ脱力しているアインと、臨戦態勢移ろうとする、アイン。

 それの意味するところは、本能で分かる。

 俺の力は、アインにも出来ない事が出来る。不可能を可能に変えるだけの、特異性が。


 力の行く末が見える。

 これまでは捉えられなかった因果の海が、眼に映る。 

 そして、



「!」


「おお!」



 突き出される刃。

 俺は紙一重で躱し、腕を掴む。

 アインは俺の手を振りほどくため、俺の力の流れを支配しようとした。

 そのままなら、俺は瞬く間に崩され、不利な状況に陥っていた。柔を極めたアインに、俺は何も出来なかった。

 だけど、今の俺は違う。


 アインの突きに対して、完璧にカウンターを決めた。

 アインが作り出した力の流れに逆らわず、加速させ、主導権を奪う。明らかに想定外の俺の動きに、瞠目したアインが見えた。

 体勢を悪くしたアインが、防御姿勢を慌てて取った。

 焦ったらしく、小さいが、隙がある。その隙をこじ開け、俺は剣を捩じ込んだ。



「が、はっ!」



 初めて、大きなダメージが通る。

 だが、ギリギリで回避したから、重要な器官は傷つかなかったか。

 苦痛に喘ぐアインへ、さらに攻撃を加えようとする。

 そして、



「舐めるなよ、クソガキ!」


「!」



 世界が、横から殴り付ける。

 俺はその世界を、優しく、切り裂いた。

 


「お前……」


「手の届かない距離だった。その力を、理解も出来なかった。でも、言ってらんないよな、そんなの」



 眼から、血が流れている。

 無理をして、器でもないのに、アインの領域に踏み込んでいるんだ。

 この程度は、当然の負荷だろう。

 


「俺は、俺が守りたいものを守れるようになりたい。誰の手にも任せたくない。お前のように」


「…………」


「俺が苦しい道を歩く理由は、こんな所だ」



 もう、かける言葉は必要ない。

 全てを出し尽くした。

 あとは、全力でぶつかるだけだ。



「いざ……!」


「調子に乗るな、ガキが!」



 荒々しく剣を振り、迫る。

 今度は、俺たちの剣が交差した。

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