第105話 気が重い


 朝からやけに目が覚めて、落ち着かなかった。

 ずっと、なにか心を揺さぶられるような、そんな感覚。予感と呼べば良いのだろうか。理屈なんてないのに、何かがこの後必ず起きる、という確信が消えなかった。

 体がずっと、何かを訴えている。鳥肌が収まらず、心臓が高鳴っていた。

 いったい、何が原因か、分からない。

 だけど、何か、何かが待ち構えているかのような、引き寄せられるような、何かがあったとしか言い表せない。

 

 浅い睡眠、連戦による疲労、不必要な高ぶり。

 心身ともに、マイナスにしか働いていない。

 だというのに、何故か、この数時間後には、ベストを越える自分を出せると確信できる。

 経験したことがない、おかしな心地だ。

 

 腹に食べ物を入れてからも、友と話をしてからも、変わらない。 

 夢を見ているような、浮遊感が消えない。

 集中しているにしては、浮わついている。集中していないにしては、意識が鋭くなりすぎている。

 俺の知らない感覚だった。初めてだけれど、不快じゃない。

 でも、それは決して良いものとも言えない。

 考えの何割かは、ずっと、自分の中の感覚の正体を探る事に割かれていた。


 時を追うごとに、このおかしさは強まっていく。

 精神が凪いでいって、同時に、体はどんどん調子が上がった。

 ものの動きがやたら遅く見えた。筋肉の動かし方が、鮮明だった。

 あり得ないくらい、世界の感じ方が違ったんだ。


 多分、今の俺は、の言葉をどの瞬間よりも実践できていたと思う。

 魔力ではない、強い力の捉え方を、リリアから学んだ。

 複雑な術式の見抜き方を学ばなければ、アリシアの戦いを理解する事さえ出来なかった。

 無意識でアリオスの動き方を真似してると気付く時がある。

 これまで得てきた全部が、考えられないほど上手く血肉になった。


 ………………

 

 歩を進める度に、強くなった自分を感じた。

 ソコに近付いていく度に、備えていく己を感じた。

 会場の、血が混じった砂を踏み締める。

 高ぶりが、成長が、最高潮に達した。

 

 ここまで、およそ四時間と少し。

 これだけ時間があって、ヒントがあって、この不思議な体感の正体に気付けないほど、鈍くはないつもりだ。

 いったい、これは何なのか?

 答えは、一つしかなかった。

 


「アイン……」



 俺の眼は、多分、何でも見抜く事が出来る。

 普段のニュートラルの状態でさえ、あらゆる動きを察知できる。感情や意識を向ける場所すら、見えている。

 凄まじい魔眼であると、自覚がある。

 だけど、俺は会場に入り、時間が経つまで、アインの存在に気付けなかった。

 あまりにも自然すぎて、意識の中に入らなかった。

 目の前で、十歩も歩けば手の届く距離で、何もせず座っている彼女が、だ。



「…………」


 

 集中する、つまり、戦いに備えると、エネルギーは強く脈動する。

 練り上げられた力は、その存在を隠せない。

 今、これまでにない凄まじい力は、なんとなく肌で分かる。


 だけど、この眼には、そんな巨大な力はまったく映らない。


 まだ、俺の力は未知の部分が多い。多いけど、強力なのは明らかだ。

 そして、俺は今、すこぶる調子が良い。

 このエラーの原因として考えられるのは、やっぱり相手にあるだろう。

 例えば、力の規模が大きすぎて、眼に映りきらないだけだとか。


 だから、凄い力を感じる。

 だけど、不気味なほどに変化がない。


 その小さな体に、どれほどの力を秘めているか。

 アインの底は、『神父』との戦いで見た。正直、今でも、勝てるヴィジョンはない。

 理想、限界。アインの強さを言い表すとすれば、そんな言葉が浮かぶ。


 そして、それが今、待ち構えている。

 この恐ろしさを直感したから、体が無意識で備えていたんだろう。

 俺は絶対に、この戦いから逃げない。だから、戦っても死なないように、強くなろうとしている。俺の中にある要素の全てを用いて。

 これは、意地と誇りの戦いだ。仲間の手助けは、ない。

 これまでの全てをぶつける。そして、力を認めて貰う。

 過去最高に、重い戦いになる。


 アインがゆっくりと、立ち上がった。

 構えてもおらず、ただぼうっと突っ立っているだけなのに、隙が見つからない。

 相変わらず、武の化身みたいな奴だ。


 

「……君、やっぱり凄いね」


「?」

 

 

 酷く気だるげな様子だった。

 いや、基本的にテンションが低いけど、本質は師匠と同じく獣みたいな奴だ。

 それが心底から凪いでいる。

 


「ボクの力を、模倣しかけている。本能でかぎ分けたね。有用な力を、君はすぐにものにする」


「…………?」


「素晴らしい事だ。君は、もっともっと強くならないといけないから」



 凪いでいる。凪いでいる、んだと思う。

 落ち着いていて、獣みたいな獰猛さが消え去っている。

 でも、なんだか微妙に違うような。

 


「君にとっても、ボクにとっても、良い事さ」


「アイン?」


「故に、とても残念だ。君が、人でなしに近付くんだから」



 !



「殺す気でかかって来い」



 空気が変わる。

 息が止まるくらいの圧迫感がする。

 この急激な変化の要因、それは、アインが構えを取ったからだ。

 アインなら、別に構えなくてもパフォーマンスは変わらないだろう。臨戦態勢に入ったという、意思表示のつもりでわざわざ構えてみせたんだと思う。

 なのに、それだけで、世界の全てが敵に回ったかのような感覚がした。



「遊んでやろう」


「う、おおおおお!!」



 全力で吠えて、恐怖をかき消す。

 ここで勝てないのなら、俺はきっと、生き抜けない。

 これだけ恵まれて、なおも認められないのなら、俺は胸を張って生きられない。


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