第100話 いけー! そこだー! ぶっ潰せ!
ただ、言われた事をやる。
これがいったいどれほど難しいか。
一つをやろうとすれば、何かが疎かになる。
全てを完璧に、完全にする、という事は、至難である。
こと、戦闘に限るとしても、呼吸、足運び、腕の運動、体捌き、読み、得物の握り方などなど。
考えなければならない事は、山ほどある。
そして、その全てに、繊細な作業が要求される。
目まぐるしく変化する状況に合わせて、適時、最適な動きを行わなければならない。
アリオスは、天才である。
特段考えずとも、意識せずとも、修練をせずとも、ある程度はモノに出来た。
しかし、ある程度で、師が満足するはずがない。
完璧であること以外には、何も求められない。
ミリ単位の調整、想い描く理想を上回る事以外、絶対に認めない。
何かを一瞬完璧に出来たなら、その一瞬が長く出来るまで。
常に、理想を上回るように。百点ですら、満足しないように。
自分を遥かに上回る者たちの領域に立つために、必要な事だ。
その点、彼女は素晴らしき師だった。
彼女は究極であり、完全だ。
何よりも無慈悲で、圧倒的な『正解』は、天才の心すら折りにかかる。武の極地そのものである彼女は、アリオスの理想を軽々と踏み越えるのだ。
こんな手本を間近で見られる中、休みたいなどという心は、一切合切消えてしまう。
どれだけ繰り返しても、あの『正解』には辿り着ける気がしない。
だから、寝る間も惜しんで『正解』に近付こうとする。
『君は、本当に真面目だね』
師は、手本を見せる。
実戦で、真正面から、自分の『不正解』をねじ伏せて。
どれだけ土にまみれても、血反吐を吐いても、近付けない事を嘆いて。
彼女は優しさなんてくれない。突き落とすばかりで、何も投げ掛けてはくれない。
冷たき真理は、気まぐれだ。
性質が好ましいからといって、寄り添ってはくれない。超越者の目線から、出来ない者の事など何の理解も示さず、圧倒し、見せつけるだけだ。
拷問にも等しい、激しい組み手。
何度も何度も、叩きのめされる絶望。
修羅の道を歩んだとて、ここまでの戦闘を強いられることもあるまい。
『目の前の事に真っ直ぐで、かわいらしい』
疲労によって落ちる思考力と、判断力の中で、アリオスは聞いていた。
師の声を、真面目に、真正面から。
この世のすべての暴力を身に付けたような、とてつもなく理不尽な師ではあったが、それが彼の性質なのだ。
目指すもののためなら、いつだってがむしゃらになれる。
筋金入りの頑固者だった。
『普通なら、もう少し頭を柔らかくしろと言うところだけど、君は特別だ。もう少し、無茶をしてみよう』
それに、武に関してこれほど頼りになる者も他には居ない。
アドバイスをするというのなら、命懸けででも聞く価値がある。
何十時間も戦闘訓練を行ってきたとは思えない、汚れ一つない格好が、それを物語っている。
『全て、ボクの言う通りにしろ。どんな無茶も、必ず叶えろ』
何故、同じ師の元で学ぶ彼らと、アリオスは違ったか。
それは、彼らが同じ訓練に参加した以外の時間の全てを、修行に費やしたからだ。
もちろん、リソースが一人に集中する分、質の高い鍛練が可能になる。
この数ヶ月、アリオスは、鍛練の質と量において、遥かに他より勝っていた。
正しく、執念である。
クロノに勝るために、本当に全てをかけたのだ。
『お前は、これから半分くらい人間を辞めてもらう』
何をする覚悟も、彼にはあった。
『まず、睡眠を必要としない体になろうか?』
表情がひきつったのは、恐れ故ではない。
己の渇望が満たされる事への、強い歓喜ゆえだ。
※※※※※※※※
「…………!!」
格段に、技のキレが増していた。
クロノを遥かに上回る、究極に迫らんとする技術だ。
剣を振るう度に、その姿の裏側に、アインの姿を見てしまう。
完成され、これ以上先はないとすら思える。
剣に乗る重みは、計り知れない。
戦況自体はさほど悪くはなく、お互い余裕はまだ随分ある。
だが、一合ごとに押されていくのを、クロノは肌で感じていた。
「うっ……! くっ……!」
パワーは、クロノはアリオスよりも遥かに勝っている。スピードは本来ならば互角なのだが、今は鳴りを潜めていた。
エネルギー量を考えれば、まず覆せない。
だが、ひたすらに、ことごとくを技で防がれる。
これまでとは、深みが段違いだ。
一緒にアインの元で鍛練をする時は、アインがスパルタ過ぎて、よそ見しようものならとてつもない惨劇が待っているため、確認のしようがなかった。
まさか、ここまでのレベルに至っていたとは、想定外だ。
「!」
打ち込みに対して、冷静に払われる。
力の要点を先の先で抑えられ、力が入りきらない。バランスを崩し、そのまま流される。
続く反撃をなんとか躱すが、体勢が悪い。
力が入りにくいまま、逃げるように退避した。
アリオスは、離れていくクロノを魔法によって追撃する。
逃げた先に、雷が走る。
「…………っ!」
防御は間に合った。
雷を切り裂き、倒れながら身を守る。
片手を地面についてしまったが、視線はアリオスから外さず、最低限体は生きていた。
そして、
「ぐっ!?」
地を這う雷が、クロノの身を固くする。
事前に地面に仕込んでいた魔法を発動し、直撃させた。
隠蔽を術式に組み込んでいたため、威力はそこまでではなかった。
だが、これは致命的な隙だ。
首を刈るために、アリオスは大きく剣を構えた。
「!」
すんでのところで剣が間に合う。
首筋からは赤い血が流れる。
「鈍い。こんなものではないだろう?」
険しい視線を、アリオスは投げ掛ける。
油断や慢心は塵一つすらなく、未だに最大限、警戒を続けている。
アリオスがいったい、何を求めているのか?
答えはひとつしかあるまい。
全力、つまり、命をかけた果たし合いだけだ。
「……でも、」
「でも、も何もない。貴様は、ここが戦いの場と、理解した上で立っているはずだぞ」
緩やかな剣だった。
だが、その剣は、隔たる障害を無視して、首を薙ぐだろうと、クロノは直感する。
まさに、その剣は『正解』の道筋をなぞっていた。
クロノは飛び退き、転がる。
間近に死を覚えた経験は、とても少ない。
その数少ない経験のひとつに、アリオスのこれが当てはまった。
危機感を、アリオスに対して覚えている。
友を、守るべき人を、恐れているのだ。
「っ!」
すぐに、戦いに意識を集中する。
気を抜いていては、本当に殺される。
友だからといって、いや、友だからこそ、決意は鈍るまい。
というか、クロノの交遊関係の全員がそうだ。
全員、腹の据わり方が、そんじょそこらのものではない。
迷いを打ち払うように、全力で剣を切り下ろす。
それに、アリオスも応えた。
「あ、」
打ち合った瞬間、負けると感じた。
直後、飛び退いた事が正解だったと確信する。
ただ真っ直ぐに振り下ろされたアリオスの剣は、正心中を決して譲らず、クロノの剣を押し退けて、そのまま頭を割っていただろう。
クロノの『不正解』など、ゴミのように蹴散らして、嘲笑う。
その深みは、底を見通す事が出来ない。
「迷いを残して勝てると、思っているのか?」
突きに対して、同じ突きが相殺する。
切り下ろせば、それは半歩届かない。
魔法は、完璧なタイミングで対抗属性の魔法で潰される。
「舐めるなよ」
「!」
「侮り続けるのなら、そのまま死ね」
咄嗟に、防御の姿勢を取る。
反射的な動作であり、クロノが出せるほぼ最速の行動である。
そして、アリオスの剣は、クロノの防御の、針の穴ほどの隙を狙い、通した。
危うく切り裂かれる寸前である。
剣に意識を割かされたところで、アリオスの手が伸びた。
出来た穴をさらに広げ、無理矢理通す。
目を狙った、合理的な判断だ。
そこで、クロノは権能を行使する。
「あ゛あ゛あ゛!!」
時は遡り、潰れた目は再生する。
クロノの視点の世界はゆるやかに回る。
「そう、それでいい」
緩やかな、アリオスの遅い剣。十分、回避は可能なものに、貶めた。
クロノのみに適応された、減速の法則。
だが、観測によって、改めて思い知ってしまう。
なんと美しく、極まった剣技であるか。
ほんの少し踏み込めば、きっと、本物の高みに辿り着けるだろう。
いったいどうして、ここまでの差が出来たか。
つい、見惚れてしまう。
見惚れる間にも、アリオスは休んではくれない。
「ぐあっ!」
死角からの奇襲。
天から降り注ぐ雷に、身が焼かれる。
はじめから、それを狙っていたのだろう。
ピンポイントで、クロノや自身の体勢すら考慮して、全て織り込み済みで放っていた。
未来でも予知したかのような、繊細で正確な戦闘方法に、戦慄を禁じ得ない。
霞む視界から、さらなる一撃が迫るのを見た。
クロノは、権能を行使する。
空間操作の、大魔法だ。
思うだけで発動する、只人には叶わないインチキだが、行使しなければ首が飛んでいた。
アリオスの殺気は本物で、手心など微塵も感じない。
大きく距離を取り、仕切り直すための魔法だ。
だが、
「!」
「惜しい……」
逃げた先に、短剣が飛んでいた。
そのままなら、心臓に突き刺さっていたろう。転移の場所すらも、予想通りだった。
この全てを先回りされている感覚は、覚えがあった。
クロノの行動は、全てコントロールされている。
何度も、九死に一生を得る。無様に回避し、なんとかギリギリだ。成長したクロノがここまで追い込まれる相手など、少なくとも今は三人だけだ。
アリオスは今、
その事実に、クロノは、
「…………」
「どうした、クロノ・ディザウス?」
己を強く恥じた。
「!」
クロノは、現状を正しく認識している。
外から見張るアインが、周囲の結界を強化していることを。
この結界の中でなら、全力を出せるだろう。
鋭い目線を、感じている。
アインが何を訴えているのか、よく分かった。
舐めた事をするな
やるならとことんやれ
その主張に、クロノに否やはない。
出し惜しみして負けるなら、それは間違っている事だ。そんな中途半端が、許される舞台ではない。
友と呼んだ人間に対してそれをするのなら、舌を噛み切って死んだ方がマシである。
「そうだ、それでいい」
「……ここからは、全力でいくよ」
気付くのが遅かった。
ここは、ただの腕試しではなかった。
プライドと命をかけて、戦う場だったのだ。
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