第94話 ボクVSモブ
侮り、嫌悪、微かな興味。
陰ながら賭けも行われる今大会にて、その試合に注目している人間は、決して多くはなかった。
気にくわない魔法学園の生徒が、如何にしてプライドを打ち砕かれるかを肴にする。幼気な少女が如何にして倒されるかを、見学したい。
そんな、ろくでもない理由くらいでしか、観戦をする者が居なかった。
だから、異常性に気付いた者も、本当に僅かだ。
リングの上の、微かな違和感。
そよ風が頬を撫でるような、砂が転がるような、小さな差だった。
例えば、足音。歓声でうるさいが、耳を澄ませば、ざりざりと音がするはずだ。
例えば、立ち姿。慣れぬ環境、四面楚歌の状況下で、動揺や恐怖で挙動不審になるはずだ。
だが、そうした『普通』の反応が、何もないのだ。
支配者であるかのように、立ち塞がる。
薄ら笑いを浮かべ、リラックスしている。
小柄な少女に似つかわしくない余裕に、気付いた人間は一人、アルベルトだけだ。
固唾を飲んで見守り、一挙手一投足に注目する。
一度気付いてしまえば、もう、違和感を拭う事は出来ない。
目を離させてくれない深みが、そこには宿っていた。
「フフハハハハハ! また会ったな、お嬢ちゃん!」
少女の対戦相手の男は、馴れ馴れしく少女に話しかける。
下卑た表情から、心の内がありありと浮かんでいた。
外から見ていたアルベルトは、男が誰かすぐに思い出す。
アルベルトが追い払った、ごろつきスレスレの大会参加者のひとりだ。
既に勝利を確信しているようで、かなり気が大きくなっている。
「いやあ、さっそくお嬢ちゃんとやれるなんざ、俺ぁ運がいい!」
「そうかい?」
「そりゃ、そうさ! 運が巡るっていうのは、こういうことを言うんだろうなあ」
試合の合間に雑談をするのは、あまりして欲しくない事だ。
ただでさえ、一日に数百試合を運営しなければならないのに、いちいち無駄な時間を取るわけにはいかない。選手が二、三言話せば、すぐに開始の合図を出す。
だが、審判役は、何も言わない。
不思議と震える体を抑えるために必死で、それどころではない。
「俺ぁ、この大会で今度こそ本戦に行く。そのために、死ぬ気で鍛えて、戦ってきたんだ」
「あーそー」
「だから、ラッキーだよ! てめえみたいなクソガキが相手で!」
ただ、自然体で立っているだけ。
それだけだが、言葉にならない不気味さを感じる。
アルベルトが精一杯、力の底を読み取ろうとしても、計り知れないという事実が明らかになるのみだ。
ほんの軽い気持ちだった。アインの実力はある程度予想していて、クロノのおまけほどに考えていた。
だというのに、ここまでとは、思いもしなかった。
「俺ぁ、てめえみてぇに道楽で俺たちの領域に首を突っ込む輩がでぇ嫌ぇなんだ!」
「…………」
きつく、男はアインを睨み付けた。
そこには、憎しみすらこもっているように思える。
「この状況で危機感も感じてねぇ。試合だからって、自分が傷付かねぇとでも思ってんのか? 舐めやがって!」
「…………」
「戦士を侮辱するなよ!」
男は、巨大だった。
アルベルトには劣るとはいえ、上背はかなりある。
全身が満遍なく鍛えこまれ、肥大した筋肉は、厚い鎧の上からでも分かる。
鎧や剣を身に付けた上で、動きもかなり自然だ。
自分の分をわきまえ、十全に己を磨いてきた証は、立ち振舞いに現れる。
「ここは、手前の人生をかけて磨いた武を競う場だ! 中途半端に来られるのが、一番ムカつくぜ!」
ゴツゴツとぶ厚い手と、手入れされた爪。
いつでも攻撃、回避、防御を取れる重心の位置。
侮りを内包しながらも、目を決して離さない。
アルベルトから見ても、男は歴戦の戦士だ。多くの時間を、研鑽に費やしてきたのだろう。
手ぶらで、軽装のアインと比べれば、差は瞭然だった。
しかし、
「悪いな、軽い気持ちで出場して」
「あ゛あ゛!?」
アルベルトが思い出したのは、とある劇に連れられた時のことだ。
あまり興味のない催しだったが、断れない相手だったので、内心辟易しながらも見学する事になる。
数刻後、アルベルトは、劇に圧倒された。劇団員の演技はとても素晴らしく、アルベルトも拍手喝采をしていた。
そして、劇団を率いる劇団長と少し会話をする。
素晴らしかったと称え、感謝と共に、劇団を代表して、彼はその称賛を受け取った。
そんな会話の中で、彼はこんな事を言ったのだ。
匠を思わせる雰囲気を纒い、深さを感じさせる面で語っていた。ふと溢すように、『客に上手いと思わせている内は、不十分だ』と。
「いや、ホント、出るつもりなんて無かったんだよ。話の流れっていうか、なんとなく出る雰囲気になっちゃってさ」
「……じゃあ、降参するか? 二度と面ぁ見せねぇってんなら、」
「悪いと思ってるよ。マジマジ。だから、代わりと言っちゃなんだけどね?」
ふらりと、他所を見ながら、
「胸を貸してやるよ」
その時だった。
男が抜剣し、切りかかったのは。
この大会には、高位の回復術を使える人間が複数控えている。
半死半生程度なら、簡単に治せてしまう。
だから、持ち込みの刃を潰していない真剣など、殺傷性の高い武器を使用しても良い。
鍛え練られた魔力と、膂力が溶け合う。
目にも止まらぬ速さと、地を震わす力が両立する。
即死さえしなければ、死にはしない。その細腕を肩から両断するつもりで、男は凶器を振り下ろす。
だが、
「…………」
「は?」
アインに、その剣は当たらなかった。
男はアインに背を向け、腰を地面に着けていた。
アルベルトの目でギリギリ捉えられた景色は、信じがたいものだった。
半身になって縦振りを回避しながら手首を掴み、崩し、回した。
あまりにも優しい力の流れに、感覚すら無かっただろう。
男は、目を点にしている。
「甘い。力の使い方を間違っている」
ぼんやりとしながら、アインは言う。
「全身の力を統一しなさい。力の流れが甘いから、こうして逆に支配される」
「あ……あ……」
「もう一度、やってみなさい」
ふわりと、男をアインは投げる。
感じる魔力は微力で、本人の力も弱いだろう。
だから、何故その細腕で、装備も含め二百キロは超える大男を投げられるか、不思議だった。
男は
「さあ」
息を飲む。
その場の全員が。
そして、
「でりゃあああああ!!!」
雄叫びと共に、男は突貫を行う。
渾身の力を込めて、突きを放つ。
また、男は転んでいた。
「マシになったが、足元がお留守だ」
アインは、肝へ向けた突きに対して、しゃがんで回避を行った。
そのまま足を取り、起き上がった。
たったそれだけの事だ。種も仕掛けもない。
アインは、極めて冷徹だった。
武に関わる部分に、妥協を許せない彼女のこだわりが良く表れている。
男を見下ろしながら、言う。
「攻撃の終わりまで油断しちゃいけない。一つの事に集中しすぎて、隙が出来てる」
もう一度、と男を立ちあがらせる。
有無を言わせるつもりは、無い。
「さあ」
「…………っ!」
体当たり、横薙ぎ、袈裟斬り。
精一杯の攻撃だった。
だが、アインは、全てを当然のように捌く。
「意識しすぎて、力みすぎだ。繊細さを欠いているよ」
体当たりは、容易く躱した。
ふわりと木葉が舞うように。
続いた横薙ぎは、軽く仰け反っただけで届かない。
袈裟斬りは、その直前に顔を捕まれた事で中断させられた。
「君、実戦ばっかりで、あんまり型稽古とかしないでしょ?」
「…………」
「実戦も大事だけど、それだけじゃダメだ。完璧な力の運び方、完全な歩方、魔力運用。そういうものを、無限に極め続けるんだ」
男は、それから何度も挑んだ。
飽くる事なく、肩で息をするまで。
しかし、気付いている。
「力の使い方は良い。でも、不必要な力が出てる」
圧倒的な実力差。
「集中も、足運びも、力の流れも中途半端だ」
何度立ち向かっても、その度に転がされる。
「今のは良かったね。でも、甘い」
最初は、アルベルトだった。
次に、対戦相手の男、その後に他の観戦者たち。
所作の美しさに紛れて気付きにくかったが、こうも長引けば誰でも分かる。
アインは、右手しか使っていない。防御も、回避も、片手が全てを担っている。
しかも、最初の立ち位置から動いていない。ほぼ全てをその場で処理し、仮に飛んで跳ねても、まったく同じ場所に着地し続けている。
遊んでいるのは、明確だった。
「はあ……はあ……」
「どう?」
男は、全身汗だくだった。
何十分も、重い装備を着込みながら、全力で運動していたのだ。
休む間もなく、力をセーブなど考えもしなかった。
もう、立つのもやっとの状態だ。
対するアインは、涼しい顔をしていた。
常に同じ力で動き続け、ムラが一切ない。
淡々と同じ出力を行うアインは、何よりも機械的だった。
「場を引っ掻き回す事になっちゃったお詫びに、訓練をつけてあげたよ」
「…………」
「今日の出来事を糧にして、頑張って武を極めてくれ給え」
男は、項垂れる。
ゆるゆると剣を鞘へと納める。
そして、
「まいった……」
歓声は、あがらなかった。
ただただ、異様さに呑まれていた。
アインは背を向けて歩き出し、アルベルトに語りかける。
「ボクは、自分の力は自分が使いたいように使う。誰が、てめぇなんかの指示で使うか」
「…………」
「ボクを口説きたいなら、策を弄するな。それ相応の力を見せろ」
興味もなくなったのか、アインは人混みへと消えていく。
動けたのは、アインが消えて、さらに数分が経ってからだ。
あの光景はいったい何だったのか?
悪い夢でも見ていたのではと自分に言い聞かせ、観戦客たちも青い顔をしながら散っていく。
その中で、アルベルトは震えながらも喜色を隠せずにいた。
物語であるような、力試しの試練。
圧倒的な強敵に対して、精一杯の武勇を示し、栄誉の傷をかの敵へと与え、祝いの花冠を得る。
困難な道のりに、燃えぬ人間ではない。
血潮を熱く滾らせながら、アルベルトは、アインの影を追っていく。
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