第88話 あ??
「おい、あのチンチクリンについて吐け」
ライラがそうクロノに問いかけたのは、鍛練と称してクロノをボロ雑巾にした後の事だった。
アインのしごきによって技量は格段に上昇し、クロノは強くなれたろう。
しかし、やはり英雄には届かない。
ただの手合わせとなれば、地力の違いがもろに出る。
これは、なるべくしてそうなったに過ぎない。
ライラにとっては、何ともない手合わせである。
だから、クロノが少なからず悔しがっていたのが、意外ではあった。
負けるのが当然という認識が無くなっていたのだ。
「……いや、吐けも何も、ほとんど知りませんよ」
「あ? なんだよ、ダチじゃねぇのか?」
「自分の事を教えてくれないんです」
クロノの成長が体だけでなく、心にも見られた事であるのは、喜ばしかった。
内心を誤魔化すためにか、掻き消すためにか、ライラは、がしがしと頭を掻き毟る。
ついでに、煙草の煙をクロノに吹き掛けた。
「んだよぉ、つくづく気の合う野郎だぜ」
「気が合うって……」
「アレにとっては、てめぇは生徒だろ。ああいう奴は、自分より弱い奴を信用しねぇ」
積もる話もあるだろう。
クロノはそう言われて二人きりにさせられた。
他の面子は、やはりアインにしごかれている。
クロノはふと、そちらを見る。数キロは離れているが、なんとなく視線の先に居るだろうと思った。
その様子を見て、ライラは目を細める。
「詳しい事は分からないか。じゃあ、アレの強さについて吐け」
「強さって言っても……」
クロノは、露骨に困っていた。
強さの源を言語化するのが難しかったのと、それだけ秘密主義を貫くアインの事を、安易に話して良いかを迷ったからだ。
友と呼んだ人間に不義理は出来ない。
「安心しろよ。信用してないって言ったろ? あたしなら、手の内全部は味方にも見せねぇよ。見せてるっていう事は、人に話されて構わないって事だ」
「……でも、あの時の戦いじゃあ、全部出し切ってたように見えまして」
「切り札や奥の手なんて、何個も用意してるに決まってるだろ。戦闘なめんなよ」
戦闘の事しか考えてない専門家の言葉は、やはり違った。
自分ならこうする、が絶対にアインにも当てはまっているという、根拠のない理論だった。
だが、あまり間違っている感覚がしない。
二人の根っこが似すぎていて、何故だか凄まじい説得力があった。
すると、
「え、なに?」
突然の投石に、クロノは戸惑う。
避けられる速度であったが、戸惑いの原因は、飛んできた方向だ。
先程、クロノが目を向けた所からである。
つまり、ここには居ない面子の誰かからという事になるのだが、
「石になんか彫ってある。『好きにしろ。やさぐれ女の言った通りだから』……」
「な?」
「ていうか、この距離の会話聞こえるんだ……」
この伝言を成立させるアインの能力と、不適な笑みを浮かべた師匠に、クロノはついていけなかった。
きっと、頭の中でどう対峙するかを思い描いているに違いない。
余裕が出てきたので、先程の台詞を思い出す。
「あの、信用されてないって所を呑み込めないんですが……」
「流せ。いいから、思うことを説明しろ」
強く勧められ、得心もいき、断る理由がなくなってしまった。
仕方がないので、命令に従う事にする。
「ま、まず、技が凄いです。説明するのも無理なくらい深みがあります……」
「ああ。確かに、アイツはヤバいな。あたしより、ずっと上手い奴だ」
「身体強化が凄いです。ただ速くなる、強くなるじゃなくて、反射神経とかが本当に凄くて……」
「なるほどな」
「あと、凄い剣を使います」
「あ、そう」
沈黙が横たわる。
「てめえ、説明ヘタかよ」
「す、すみません……」
自分の経験を具体化、抽象化する事の難しさに、思わずクロノは唸る。
どうすれば伝わるかを思い悩む。
「まあ、あたしにも何となく理解できる部分はある。知らない部分を教えろ。剣ってのは?」
「凄い剣、です!」
「そりゃあ聞いた。具体的な話だよ」
クロノが思い出すのは、アインがその剣を振るう姿だった。
本人は性に合わない、素手の方が良い、などと言っていたが、そうとはとても思えないくらいに、堂に入っていたし、美しかった。
大袈裟でもなく、これが剣士の限界値かと思ってしまった。
柔と剛が絶句するレベルで溶け合い、爆発的な破壊と、絶対的な守りを両立させていたのだ。
見たもの全てを表現しきるのは、クロノには不可能だった。
「うーん……」
「まあ、そんなに期待してた訳じゃねぇけど……」
ジト目になる師匠に対して、若干焦る。
翌日以降の機嫌が悪くなり、ハチャメチャにしごかれる可能性が高い。
すると、驚くほど素直な言葉が飛び出た。
「え、と、なんというか、お手本みたいでした!」
「手本?」
「もう、武道とか、剣の概念をそのまま形にしたみたいで。アレより先はもう無いっていうか……」
それでも、全てを言葉には出来なんだろう。
拙い言葉を吐いてしまった事を後悔し、師を恐る恐る見上げて、
「なるほどな」
静かな師に、息を呑んだ。
そして、
「十分理解した。じゃあ、お前の番だ」
「???」
「お前からあたしに、聞きたいことはないか?」
バツが悪そうに、師は目を逸らす。
先程までの荒々しさはなく、とても静かだ。
クロノは、遅れて理解する。
これまでのやり取りは、ここに繋げるためのものだったのだ。
ある程度、クロノの状況は知っていたのだろう。
気兼ねなくライラに質問を投げられる機会を、与えようとしていたのだ。
「師匠、俺が王都で戦った敵の事は……」
「知ってる。あたしは、あたしたちは、アイツ等を倒すために徒党を組んで戦ってるんだ」
欲しいものが、そこにある。
忍耐の理由もメリットもない。
クロノは、ライラに話を促す。
「『越冥教団』は、世界のルールを崩そうっていうイカれた集団だ」
「世界の、ルール?」
「授業で習っただろ? 五つの禁忌の事だ」
世界に五つ存在する、破ることが絶対に赦されない法則。
破ろうとすれば、星による裁きを受ける。
星は寛容だが、とても素直だ。素直だからこそ、己が不快に思ったモノに対する容赦がない。
だから、誰も破ろうとも思わない。
そのはずだったのだが、
「奴らは、そのルールを破ろうとしている。おぞましい事だ。各地の英雄を引き入れ、対抗しているが、しぶとい。何百年も戦い通しだ」
「…………」
「何せ、尋常じゃなく強ぇからな」
ライラは、新しい煙草を咥え直す。
吸いきったものは踏みつけて消火した。
嗜めたかったが、流石に空気を読む。
「教主を頂点として、五人の幹部、使徒が仕えてやがる。てめぇが戦ったのは、第五使徒『聖王』。連中の中じゃ、一番マシな奴だ。強さも、ヤバさもな」
前回の戦闘において、自分たちが『聖王』を撃退出来た理由を、クロノはクロノなりに正しく分析している。
アインやラッシュといった明らかなイレギュラーと、『聖王』側がクロノを殺せないという強い規制が、あの辛勝に繋がったのだ。
もしも、全力の殺し合いであったならば。
そんな事態は、想像もしたくない。
しかも、その相手が、敵の集団の中で最弱などと。
「その、『聖王』の元から、師匠が俺を連れ出したんですか……?」
「……そうだ。てめぇは、アレの実験の成功例だよ。あたしが連れ出したのも、そういう訳だ」
以前、敵から聞いたことだ。
その内容に、嘘は無いらしい。
「……奴らは、世界のルールを破って、何がしたいんですか?」
「知らん。ルールを破る事自体に意味があるのか、破った先に他に目的があるのか、それも分からん」
恐ろしい事だ。
不明な点が多すぎる。
果断な師は、確定的な情報は必ず言う。
ならば、これ以上重要な情報は望めまい。
「クロノ。てめぇがアイツ等と戦うんなら、あたしは歓迎する。だが、まだてめぇは……」
「勝ちます」
定まっていく感覚がする。
クロノの中で、何かが研ぎ澄まされていくような、妙な心地がする。
それは、師を前におどおどとしていたクロノの背筋を伸ばし、胸を張らせた。
「次の『武術祭』で、師匠にも、アインにも勝ちます」
「……面白れぇ。やってみな」
伝える言葉は、決意は、それで十分だった。
認めさせる相手が一人ではなくなった。
クロノにとっては、それだけの事だ。
そして、
「師匠。最後に、ひとつだけ」
「あ? なんだよ?」
「煙草、嫌いだったんですか? いつも吸ってるから、てっきり……」
どうでもいい事を、軽い気持ちで聞いた。
しかし、クロノの目は、師の心の奥底にある、暗く、淀んだ感情を映す。
しまった、と思った時には遅かった。
クロノの知らない部分の師を、既に暴いてしまったのだ。
ライラは、静かに、低く言う。
「あたしは、自分の匂いが嫌いなんだ」
ふと、アインの言葉を思い出す。
煙草は嫌いだが、匂いを隠すにはちょうど良い、と。
その意味を測る事は出来ず、これ以上踏み込もうとは思えなかった。
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