第84話 祝福を授けましょう
「死に晒せ、ダボがあああ!!」
飛ぶ罵倒、おぞましき眼、そして、あまりにも美しい剣技。
男と真正面から戦えるのは、アインだけだ。
クロノは裏から、横から、徹底してサポートに回る。
そして、アインの剣の道筋を、死にもの狂いで追い続ける。
一瞬でも気を抜けば、即座に殺される。
振り落とされないようにするので必死だった。
「があああああ!!」
「う、おおおお!!」
「くっ……!」
叫び続けるアインと、呼応するクロノ。そして、苦い表情を隠さない男。
負った手傷と、実力、これまでの消耗。様々な要素で、全員が満身創痍だった。
三者三様に、限界に達そうとしている。
だが、各々が出せる能力の上限を無視して、さらにもう一歩先へ進む。
(クソっ! さっき負った傷が……それに、この攻撃の密度……! これでは『儀式』を開く暇がない! なんと厄介な!)
(息つく暇がない! ヤバい! 今、この瞬間に学んで強くなれなきゃ、死ぬ!)
(楽しい!!!!)
凄まじい量の血液が、戦う度に散る。
ほとんどが既に負傷しているアインによるものだ。だが、そこにはクロノのものも、そして、男のものも混じっている。
回復など、すればその隙をつかれて殺される。
特に男の術理では、回復力は特に強いが、その分手間が必要なのだ。
剣を、振るう。
思考が殺意で塗り潰されるまで。
「!」
クロノの剣が、男の肩を抉る。
アインに気を取られすぎた。
目下最大の強敵だったアインの剣は、手数が多く、重く、強い。
戦うほど、体力を削られる。
そちらに気をやらざるを得なかった。
だが、それは、確実にクロノが男に追い付きつつある証だ。
「はっ!」
男の蹴りが、クロノを捉える。
攻撃の後のほんの僅かな隙をつかれた。だが、クロノを責められるような被弾ではない。むしろ、かろうじて防御が間に合っただけ、クロノが優れている。
弾き飛ばされ、距離ができた。
早くアインの元へ駆け寄らねばと、アインたちの方を向く。
「!」
「先に貴方からです……!」
男は傷だらけになりながら、アインを遠くへ追いやったようだ。
真っ直ぐ、クロノの方へ向かう。
瞬きをする間もなく、クロノに到着するだろう。
しかも、男の周囲の道具が増えている。傷の回復の時間を削ってまで、男はこれからの攻撃を準備したのだ。
少なくとも、一秒以上。時間にすればあっという間だが、彼らの戦闘スピードは異常だ。最低でも、二十度は剣を打ち合わせることになる。
サポートでギリギリの相手がパワーアップし、さらに、しばらくは一人で戦う。
本来、土台不可能な話だ。
「…………」
脳裏をよぎるのは、敗北の歴史だ。
これまでの戦いでは、結局おぞましい力に身を委ねなければならなかった。
そこまでして、ようやく戦況はクロノに傾く。
クロノは他の人間よりも強い。しかし、上を見れば腐るほど、強者は存在する。
その事実に、クロノは人並みに悩んだ。
ぶち当たった壁は分厚く、高い。しかも、クロノが望まない分野での壁だ。
どうしても、それを越えられる自信がない。
何をしても、周囲を巻き込み、最悪の未来を迎える事しか想像出来なかった。
だが、今のクロノは、違う。
殺意を、より漲らせる。
今、満ちている思考は、如何にしてこの一秒を乗り切るか。
現状打破のために、真の意味で全身全霊をかけようとしている。
「「…………!」」
男の光剣は先ほどまで、ただ光が剣の形をしただけのものだった。
しかし、今は刃や意匠までハッキリ見える。
明らかに出力が上昇しており、クロノが真正面から受け止められるものではなかった。
クロノは男の剣を迎え撃つように下段に構える。
そして、一合目は、完全に互角だった。
クロノの全身から、『神気』が強く沸き立つ。
しかし、ただ『神気』が漏れ出ているのではない。
凝縮され、力強く、均等に、クロノとクロノの剣のことを、まるで不可視の鎧の如く守っている。
無駄なく、完璧なエネルギー運用だ。
その精度は、今のアインに迫っている。
「お、おぉおお!」
二合目は、男から切り込む。
やはり、上がった出力はバカに出来ない。
本来ならば、そのまま地平線の先まで斬れる一撃だ。
クロノだけで守れたのは、理に反する事象だ。
力強い一撃に、クロノは守勢に回らざるを得ない。体勢を崩しそうになりながらも、クロノはなるべく丁寧に受け流した。
そのまま、三、四、五、六合打ち合う。
そして、七合目は、クロノから切り込んだ。
「!」
これまで、防戦一方だった。
技も、力も、速さも、何もかも男が上なのだ。
それを、この僅かな期間で、無理にでも逆転しようとしている。
ただ己を格下と認め、戦うだけなら、反撃は起こらない。
クロノは、足掻いているのだ。
必ずこの戦いの中で、敵を上回ってやるという気概を見せた。
「あ、ぁああぁああ!!」
「…………!」
八、九、十合と、クロノのターンは続く。
その必死さは、確実に、クロノの力を押し上げる。
さらに、打ち付け、斬り合い、つばぜり合いにまで持ち込む。
ここまで、完全に互角だった。
ゾーンに入る、とはこのことだった。通常時ではあり得ないほど深く集中し、力を発揮していた。
「舐めるな、若造!」
「…………!」
それでも、実力差は大きい。
男は二百年以上を生きた傑物だなどと、クロノは知る由もない。
だが、クロノとて感じてしまう。
男のあらゆる技が、長年の研鑽の末に辿り着いたものなのだと。
激しい剣劇の中で、その重みを感じた。
クロノは段々と守勢に回っていく。
そして、男は上段から光剣を振り下ろす。
クロノの防御ごと、叩き潰すつもりだった。
この一撃は、その予定を現実にするほどの威力が込められている。
だが、
「クソっ!」
「?」
男は突如振り向き、光剣を背後へ向ける。
クロノは一瞬意味を図りかねたが、直後に響く笑い声で確信する。
「へひゃははははは!!」
「ぐ、おおおおおお!!」
クロノよりもさらに一段速く、アインは剣を振るう。
動けば動くほど、腹や胸から血が吹き出る。
袈裟斬りは身を引き、突きは受け流し、斬り上げれば下段で受け、剣以外の蹴りなどの外法は、真正面から防御する。
ここまでの十手は、クロノが瞬きを終えた瞬間には終わっていた。
凄まじい猛攻に、男は後手に回った。
クロノは遅れてアインへ加勢する。
「あぁああぁああ!」
技と技、力と力の応酬だった。
ほんの僅かな要素で、天秤はどちらかへ傾く。
クロノは、その僅かな要素になろうと足掻く。
絶対に足手まといにはならないと、強く意気込む。決して、負け犬では終わらないとなけなしのプライドを燃やす。
苛烈な戦いの元で、クロノは男の隙を見つけた。
そして、
「うあああぁああ!!」
「「チッ……!」」
クロノは、男の右腕を斬り飛ばした。
直後に、男とアインから舌打ちが聞こえる。
その意味に気を引かれて、思わずアインの方へ注目すると、腹に衝撃を受けた。
アインが、クロノを蹴り抜いたのだ。
すると、斬り飛ばした男の腕は光って、
「罠かどうかくらい、カンで見分けろぉお!!」
防御体勢を取るアインと、爆発する男の腕を見た。
極光によって視界は遮られる。
「……『神よ、我らを見守り給え』」
男の詠唱は、何よりも荘厳に響く。
あらゆる障壁を無視して、その神への祈りは御座へと届いていく。
そして、
「ボサッとすんなって言っただろ!」
クロノは襟首を捕まれ、後方へ引き下げられる。
アインは剣を虚空へと振り下ろす。
すると、何かが剣に当たる音がして、クロノたちの左右の建物に穴が空いた。
振り向いたアインの顔がクロノの瞳に映り、息を飲むことになる。
「阿呆が……ボクの戦い方を、もっと頭に叩き込め……反射でボクと同じ事が出来るようにしろ……」
「あ、アイン……」
アインが剣を握っている右半分は、醜く焼け焦げていた。
切り落とした腕が、何故爆発したのか?
見せた隙は、いったい何だったのか?
間抜けにも、餌に飛び付いてしまったのは、クロノのミスだった。
謝罪の言葉が真っ先に口から飛び出ようとして、
「謝るなよ。お前のおかげで、今、楽しいんだ」
「え?」
「死にそうなんだよ。こんなの、滅多にない。楽しまなきゃ、勿体ない」
通常の精神構造ではない。
あまりにも違う在り方に、震える。
だが、僅かに覗く強者ゆえの孤独だけは、クロノには理解できるものだ。
狂気的な笑みの意味も、少しだけ分かる気がした。
だからクロノは、その狂気も含めて、アインを信頼出来ると初めて思えた。
「……勝とう」
「完膚なきまでに、だ! ほら、ここを凌がなきゃ何の意味もねぇからな!」
瞬間、アインの集中が跳ね上がる。
いつ死んでもおかしくない重傷だが、弱さをまったく見せない。
腰に鞘を据えて、納刀しているのに、抜き身の刃のような鋭さを思わせる。
その危険さと美しさに見惚れそうだった。
それから間を置かず、空が光る。
その時の事は、クロノの目でも、完全には捉えられなかった。
なんとなく、二度剣を振るったように思えた。
すると、何かが弾かれたのかもしれない。
何となくこうなったのでは、と推測出来るが、あまりにもアインと男の攻撃が速すぎたのだ。
「本気の神聖術だ! ボクの後ろに居ろ!」
「『主は、天より矢を射られた』」
光ったと思ったら、アインは剣を振っている。
一振り一振りに、全神経を集中しているのだろう。
気付けば、滝のような汗が流れている。
空から降り注ぐ光の矢から、自分たちの身を守るので精一杯なのだ。
その場から動けない。
極限の集中を必要とするアインに、動きながら敵の攻撃を防げなどという無茶は言えない。
なので、
「俺が、撃ち落とす」
空に居る男を、クロノは睨む。
直線距離で、既に一キロ以上の距離がある。
この遠距離から、男の絶対の防御を突破しなければならない。クロノの実力では、どれだけ死力を尽くしても、攻撃を届かせるのが関の山だ。そこからダメージを与えるなど、不可能だ。
それに、そうグダグダと時間をかけてはいられない。アインの守りも、あまり長くは続かない。
ならば、やるべき事は定まった。
今ここで限界を越えて、短時間で、不可能を可能にするしかない。
クロノは、エネルギーを集中させる。
アインがそうしたように、極限のその先まで意識を研ぎ澄ませる。
視界から色が消え去り、音が聞こえなくなる。
上段に構えて、ピタリと全ての動きを止める。
本来なら、戦場ではあってはならない数十秒にも及ぶ隙だった。
だが、その隙は、最も頼もしき怪物がカバーしてくれる。
「がああああああ!!!」
血反吐を吐きながら、アインは剣を振った。
同時に、筋肉が切れる音や、骨が軋む音がする。まさしく、満身創痍だ。いつ潰れるか分からない。だが、クロノの次の攻撃までは死ぬ気で持たせてくれるはず。
クロノの信頼は、アインに預けられている。
その時、アインの真っ白な魔剣が輝いた気がした。
優しい光は、クロノを包む。
クロノの中に生まれた、全能感と余裕。
ここしかないと、クロノは悟る。
そして、
「うおおおあああああ!!!」
クロノの剣は、世界を断ち切る。
「「…………」」
言葉が、出なかった。
クロノもアインも、剣を下ろす。
乱れていた息がだんだんと落ち着いていく。
二人で同時に、空を見た。
そこには、青空が広がっていた。
王都を覆っていた結界は、巨大な裂け目が生まれていた。
先の先には、
「素晴らしい」
男は、空中でクロノたちを見下ろす。
肩口から腹にかけて、空を覆った結界のように、大きく裂けていた。
階段を下るように、男は地面へ近付いていく。
この度に、傷はどんどんと塞がっていく。
クロノたちの目の前に立つ頃には、ほぼ完治してしまった。
「素晴らしいですね。本当に、素晴らしい。神の器としてだけではなく、空間の君主としても、この場面で育つとは。この調子で、成長し続けて欲しい」
「…………」
アインは、全てを出し尽くしたのだろう。
背後に居るクロノでも、立ったまま気絶しているのが分かった。
クロノも、これ以上戦闘を行える状態ではない。
だが、男はまだ、力を秘めているようだった。
「さて、どうしましょうか? ここで貴方を手に入れても面白いのですが……」
「…………」
「しかし、野に出す事へのメリットも……いえ、デメリットを考えればやはり……嗚呼、とても悩ましい! 小生は、どうすれば良いのでしょうか?」
何をどうしても、絶対に勝てない。
ただでさえ、男は己より強い。
逆転の芽など、どこにも無かった。
しかし、
「おや? まだ、続けるので?」
「…………」
クロノは、剣を下げない。
疲労と傷のせいで、もう剣を上げていられない。
まともな思考すら出来ていないかもしれない。
だが、戦意の火を消す理由には、ならない。
男は、クロノに向けて薄く笑う。
「良いでしょう。折角ですし、もうひとつ絶望を味あわせて……っ!」
「隙を見せたな」
男の心臓から、刃が生える。
後ろから貫かれたのだと、すぐに察した。
男の絶対の防御を、アインやクロノ以外の誰かが、打ち破った。
「がふっ! ……心臓、神の祈り、さらには毒ですか。なんと、陰湿な……」
「『主の心臓は器なり。注がれる祈りを受け止める聖杯なりや』でしたよね?」
クロノはもちろん、男やアインですら、
凄まじいレベルの隠行だ。
心拍、足音、衣擦れなど、あらゆる自らの音を封じ、彼らのような使い手にも感知不能なレベルで魔力を抑え、男の弱点である心臓を刺したのだ。
限界まで潜み、一撃をもって必殺を為す。己の手札を最大限に利用し、敵の情報を得て、目的を達する。
暗殺者としての技能は、本当に卓越していた。
男が思わず、惜しいと思うほどに。
「……小生の守りは、神への祈りによるもの。これを打ち破るには、同類の奇跡を得る必要がある。そういえば、祈祷について、随分前に教えましたね?」
「ええ、ためになりました。神に縋るのも、悪くないな」
「それは、良かった……。しかし、神の奇跡を宿した、刃に、毒を塗るのは、感心しません……」
男は、微笑む。
背後を取った彼、ラッシュに向けて。
ラッシュは、跪くように姿勢は低かった。
男は右手をラッシュの頭にかざして、
「まあ、今は、仕方がありません……とにかく、今日のところは、新たな、信徒の誕生を、祝いましょうか……」
「…………」
「どうか、未熟な貴方が、小生のようには、なりません、ように……」
男の足元に、陣が描かれる。
すると、男の姿は瞬時にかき消えた。
この魔法が『転移』だったのだと、遅れて気付く。
心臓を一突きにし、しかも猛毒を盛った。だが、それで殺せたとは思えない。
一時的に撤退に追い込めただけだが、それでも、十分な成果だ。
ただ、男は、祝福を残して去って行った。
「さて、どうしたもんかなあ」
勝ち馬に乗ったとは言い難い。
ボロボロの彼は、とても頼りになるとは思えない。
しかし、彼は、クロノは、ラッシュに何も課さないだろう。
ただ強いだけの彼は、ラッシュを虐げない。
派閥を乗り換えた理由など、それで十分ではないかと思った。
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