第83話 ちな、冗談抜きで死にかけてます
「クハハハハハ!! やべぇ、やべぇな、クソッタレ! 全然血が足りねぇや!」
腹部と心臓からの出血が、止まっていない。
歪んだ笑みからも、ダラダラと血が流れている。
咳き込む度に、冗談にならない量の血が漏れた。手で口を押さえても、抑えきれない量だ。
放っておけば、間違いなく命に関わる。
だが、少女、アインの闘志には、些かの衰えすら感じない。
いったい何がおかしいのか? 少なくとも、クロノの理解の範疇にあることではなかった。
「やべぇな、もうすぐ死ぬぜ? 死にかけるのなんて、いったい何年ぶりだろうなあ?」
はしゃいでいる。
自分の命の危機に、楽しんでいる。
もしかすれば、王都の人間全てが死に絶えるかもしれない。自分の命の灯火は、もうすぐ消える。もっと酷い事が起きるかもしれない。
だというのに、子供のように無邪気だ。
ただ純粋に、命のやり取りを楽しんでいた。
「茶番のはずだったが、予想以上に楽しかった! 苦痛! 怨嗟! 死! なんて新鮮な感覚だ! 血が滾ってきた! おい、クソ神父! 今から殺し合いすんぞ!」
「…………」
「生ぬるい真似すんじゃねぇぞ? テメェも男なら、腹ぁくくれ。王都を混沌に貶めたテロリストが、中途半端なんてつまんねぇだろ!」
とにかく一点、敵だけを見続けている。
それ以外の何も、視界にすら入っていない。
この姿が、燃え尽きる寸前に一際輝くロウソクのようだと感じた。
それはあくまで比喩だが、その結末は比喩と同じようになるだろう。
命を全力で燃やしている。
あまりにも危うく、凄絶で、眩く見えた。
だから、手を伸ばした。
「あ、アイン……」
「こんなに楽しいのは久しぶりなんだ! やっぱり、手加減抜きで全力でやりたい!」
「アイン、アイン」
「下手ぁ打ったら殺すからな!」
「アイン!」
小さな体を掴み、揺さぶる。
耳元で大声を出して、ようやく伝わったようだ。
急に、アインは静かな表情を浮かべる。
しかし、煮えたぎっている闘志は、まったく隠せていない。
下手な返答をすれば、殺されるかもしれない。そう思わせるほどに、鬼気迫っている。
それに、相変わらず凄まじい出血で、平静で在り続けているのがおかしい。死への恐怖など、まるで無いかのようだった。
その態度が、師を思わせる冷徹な顔が、クロノの身を固くさせる。
「……なんだい、クロノくん。今忙しいから、用事なら後にして欲しいんだけど」
「いいや、嫌だ。今、ちょっと付き合って欲しい」
だが、クロノは怯まない。
圧倒的な実力と、理解の及ばない思考を有する危険人物を前に、気丈に振る舞う。
震える手を握りしめ、丸まる背を正そうとする。
鋭い視線にも負けずに、逆に睨み返す勢いで。
震えないように慎重に語り出す。
「なんで、そんなに楽しそうなんだ?」
「はあ?」
問いを投げ掛けられたアインは、怪訝そうな顔をする。
突然何を言っているのか、疑問なのだろう。
そのおかげか、クロノの話も聞かずに戦いに行く気も無くなったらしい。
向けられていないのに肌に突き刺さるほど凶悪な殺気が、今は和らいでいた。
「ずっと、考えてたんだ。戦う、理由。守るために戦いたかった。でも、ダメだった。戦えば戦うほど、守りたいひとたちが傷付くんだ……」
初めてする、心の奥底の淀みの吐露。
毒を吐き出すように、苦しそうにクロノは言う。
これまで見てきたもの、抱え込んできたものを、アインにぶつける。
それで、答えを得たいと思っていた。
「俺は、戦うのが、苦しい。とても嫌だ。なのに、なんでこんな苦しいだけの事に熱中出来るんだ?」
根っから平和を望むクロノが、真反対の性質を持つアインに投げ掛けた問い。
理解し得ないものを理解したいと、そう願っていた。
かつて、己が言ったことだ。
どれだけ難しくとも、縁を結んだ相手の事を知りたい、いつかは理解したい、と。
クロノは、アインに対して、恐怖している。
野蛮極まりないアインの精神性は、クロノの目指す所とは対極だ。
しかし、クロノには、何もかもが足りない。
四の五の言っていられない。
理想を追い求めるために、力も、心も足りない。
だから、
「いっ……!」
クロノは、アインに叩かれた。
相変わらず、何を言っているんだ、とでも言いたげな表情だ。
思わず『何も叩かなくても』とボヤいてしまう。
呆れた様子のアインは、溜め息混じりに、
「下らん事を考えるな。無駄な思考に時間を費やす前に、出来る事があるだろうが」
「……下らないのは、分かってる。でも……いてっ!」
「迷わない奴が、生き残る。ウジウジと悩み続けるのなら、今ここで死ね」
とてつもなく辛辣である。
水を差された事が、気にくわないようだ。
そのまま戦い続けて、そのまま果ててしまっても、後悔はないと言い切るだろう。
清々しさすら感じるほど、アインは何も考えてはいないのだ。
ただ、目の前の戦闘に没頭している。
そして、それを邪魔するクロノに静かな怒りを抱いている。
「戦闘をしているんだ。他の事は後回しにしろ。敵を殺せ。殺すために頭を使え。守れないだの、不甲斐ないだの、そんなことに思考を費やすな」
「…………」
「お前が今、地面を這いつくばっているのは、全力で戦っていないからだ。思考の隅から隅まで、敵を殺すために使わないからだ。敵を越えてやるっていう気概も、工夫もないからだ。お前、自分が格下の分際で相手を舐めるたぁ、何事だよ?」
アインは、見抜いているのだ。
クロノの中にある、不純物。
戦いには関係ないものを、クロノは持ち込む。
いい加減な姿勢を、アインは嫌悪している。
「現状打破じゃなく、罪や責任に頭をやるバカが、闘争に勝てるわけねぇだろ。そりゃあ、負けるさ。勝てるわけない。お前みたいな若造が、アレの努力の果ての力をバカにするな。そんなことも分からんから、お前はダメなんだ」
「…………」
完膚なきまでに、正論だ。
暴力への嫌悪が勝り、人が傷つく事を恐れた。
その結果、手も足も出ずに負けている。
戦闘能力の高さに結び付く、高く、強い戦闘に対する心意気。
命の燃やし方への執着は、常軌を逸する。
自分が勝てない理由を突きつけられ、クロノは項垂れてしまう。
だが、
「分かったら、来い」
「え?」
むんず、とアインはクロノの胸ぐらを掴む。
剣を担ぎ、獣のような笑みを浮かべる。
嫌な予感が、暗い心持ちを吹き飛ばす。
「うわあああぁぁあああ!!」
「ひゃはははははははは!!」
その速度は、アインの全快時より遅い。
しかし、クロノには逆立ちしても出せない速度だ。
クロノのような『神気』を用いない、ただの魔力を運用した身体強化。
なのに、この力は、異常だ。
人の至れる理論値だ。神懸った運用だった。
男の元に至るのに、かかった時間は瞬きだ。
「おい、何寝てんだよ、クソ神父ぁあ!!」
「まったく、獣ですね貴女は」
アインの剣と、神父の光剣が交差する。
さらに、アインはクロノを片手に何度も何度も斬り合う。
アインの剣は、クロノの能力と同じだ。男の必中と優先を無効化できる。
それは、クロノの戦い方の見本だった。
アインの戦い方は、誰も真似できないのだ。クロノにも出来る戦闘方法を敢えて行い、そちらに寄せている。
凄まじい速度と反射の応酬だった。
上へ下へ、戦闘に引き摺られるクロノは、たまったものではない。
だが、
「す、ご……!」
「ひぃハハハハハハ!」
凄まじい技能に、素直な感想が漏れる。
あまりにも、天才的だ。
獣のような笑みと獰猛さからは想像がつかない。
緻密で繊細な戦闘方法だ。
「まったく、面倒くさい」
「本気を出せ。じゃなきゃ、死ぬぜ?」
その血走った目を見た途端に、クロノは血の気が引いた。
比喩でもなく、睨み殺されると思ったのだ。
向けられた訳でもない、感じた者に死を思わせる、最も純真で極大の殺意。
男ですら、僅かに身を固くした。
「……面倒な」
「ふゅへへへははは!!」
男は宙に手を突っ込み、なにかを引き出す。
それが柱であることに遅れて気付く。
二つの柱が顕現したところで、アインの剣は男を捉えた。
反応から見て、まだまだ引き出したい道具があるようだ。
このまま封殺出来れば、とクロノは期待し、
「ほら、ボケっとすんな。お前も戦え」
「え?」
放り出されて、男の目の前に立つ。
いきなりだったので、とても悪い体勢だ。
男との実力差、男の攻撃モーション、被弾までの時間、様々な情報が頭の中で満ちる。
情報に満たされ、思考が白く染まる。
「…………!」
その刹那の合間に、クロノは、活路を見る。
「! ……これは」
「はぁ……はぁ……あ、ぶなかっ……」
赤い血を流す男。
剣から男の血が滴る。
無我夢中で、何がどうなって、男の技を上回れたか分からない。
だが、初めて、クロノの攻撃が通じた。
言葉にできない達成感で、満たされる。
すると、
「ボサッとするな! 体を動かせ!」
クロノを突き飛ばし、アインが割って入る。
僅かな時間に再び男と幾百という剣劇を繰り広げ、男を蹴り飛ばして離脱した。
クロノの隣に着地する。
二人とも、お互いではなく、敵を見ている。
「戦え。今から、マジの戦い方を教えてやる」
「……分かった」
迷いはなかった。
そんな暇は、アインが与えてくれない。
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