第82話 ちょっとやり過ぎたかもだけど、問題なし!


 初めて村に立ち寄ったのは、クロノが六つになった時だ。


 道なき道、森、山、荒野に海。

 生まれてから六年間、クロノは一度として、町や村といった、人の集まる場所に身を置いた事はない。

 人に関わるのはいつも師であり、食料や水などの、旅をする上で必要な物資を買い込む時は、クロノは決まって留守番だ。

 ずっと遠目で人を見る。それしかせず、それ以外は認めてもらえなかった。

 師以外の人間に触れる機会は徹底して排除され、人から避けるように生きてきた。


 不思議に思った事が、ないはずない。

 不満に思わないはずがない。

 毎日毎日、死ぬほどの訓練を受けてきた。痛め付けられ、責められ、そこまでの扱いを受けた報奨は、僅かな食料だ。

 不条理だと、そう感じたのは当然だ。

 クロノはとても普通の感性を有し、師は普通とはかなり違う感性を有する。

 反発が生まれるのは、当たり前だ。恐怖で縛っても、生まれるものは生まれてしまう。


 六つになって、それが爆発した。

 任された留守など知ったことかと、彼はその日に初めて師の言いつけを破った。

 

 初めて見る人の営みは新鮮で、楽しいものだった。

 世界が色付いて見えた事などなかった。

 時間も忘れて、遊んでいた。

 そして、


 

 その日の内に、滞在した村は滅びた。

 野盗によって、目の前で多くを殺された。


 師は、野盗たちを即座に壊滅させた。



「これで分かったろう? クロノ?」



 炎の中で、恐ろしく冷たい視線がクロノを貫く。

 そこら中で燃えていて、暑くて、熱い。

 にも関わらず、クロノの体は、氷を当てられたように冷えていた。

 師への恐怖か、しでかした事への後悔か。

 とにかく、冷えて、体が言うことを聞かない。

 幼いクロノに対して、師は、



「お前が関わる者は、全てこうなる。結ぶ縁の先は、強固な者でなければならん」


「…………」



 この野盗たちは、たまたま現れたのではないか?

 いや、あまりにもタイミングが良すぎる。

 もしかすれば、師が呼び込んだのではないか?

 師なら、もっと離れた場所で野盗を感知し、倒せただろうに、クロノが後悔してもしきれない惨状になるまで、何もしなかった。

 なら、これは自分ではなく、師のせいなのではないか?

 考えられる事は、いくらでもある。だが、その全てが、どうでも良い。


 何故なら、言葉は既に響いたのだ。決して消えない呪いだったのだ。

 魂の奥底にまで、それは刻まれた。

 それはある種のトラウマで、決して消えてはいけないものとして、クロノは扱った。

 だからクロノは、縁を聖域としたのだ。

 共に在ってくれる事の大切さを、身をもって思い知っている。


 だから、

 


「ゆめゆめ、忘れるな。お前は常に渦中にある。巻き込んでも構わない者とだけ、友達になりなさい」



 その師の言葉に、今も従い続けている。



 ※※※※※※※※



「…………」



 体が動かなくなった時は、思考を放棄した時だ。

 クロノは、それを自覚している。

 師にも、散々言われてきた事だ。

 色々と考えすぎるお前は戦闘に向いていない。迷いの無い奴が戦場では一番強い。

 あまり、戦いが向いている性格ではないと、分かっている。

 ゴタゴタと、悩ましい事を呑み込むための時間は後にするべきで、今は出来る事を即座に実行すべきだ。戦う者の理屈は、分かっている。

 その上で、動けないだけだった。



「……おや。それほどショックだったのでしょうか?」



 首を傾げながら、男は言う。

 心底不思議そうな顔をしているあたり、今のカミングアウトは世間話でもするような気軽さだったのだろう。

 人の道から、外れた鬼畜だ。

 コレに何を説いたとしても、何も変わらない。神に犯された思考は、きっと直らない。

 人を思いやる事も、尊ぶ事も、きっと永遠にない。

 だから、こんなにも無邪気に人の心を抉る事が出来るのだろう。

 


「貴方の出生、確かに歪なものですが、悲しむ事なのでしょうか? 人よりも高いステージに、生まれながらに立てている。喜ぶべきでしょう、ここは……?」


「…………」



 人に焦がれ、人に救いを求めた、自分。

 怪物である事の自覚はあれども、真の意味で怪物と断定されたショックがある。

 社会から弾かれて生きてきた故の疎外感。アリオスたちによって埋まりかけていたソレが、再び顔を出す。

 だが、何よりも重かったのは、



「仲間との疎外感? 悲しみ? ああ、もしかして、罪悪感でしょうか?」



 男は、クロノの心に土足で踏み込む。 

 踏み荒し、凌辱した後に、男は無邪気に嗤うのだろう。

 嫌な信頼感だけは、この短い時間で得てしまっている。

 だが、男を黙らせるなど、クロノの心身が万全であったとしても、不可能な事だ。

 無為に、無気力に、時間が消えていく。



「仲間たちを巻き込んだ。罪なき民を巻き込んだ。過去にも、巻き込んだ事がありましたね。貴方は、その事を悔いている」


「…………」


「悲しいですねぇ。出来た縁を消され続けた。縁を結ぶには、まず強靭で在らねばならない。優しい子供が普通の中には在れず、酷い不自由を強いられている。そして、それは未来永劫変わらない」



 どの口が言うのだろうか?

 そうなっている原因は、全て男たちのせいだ。

 なのに、男は何がおかしいのか、くつくつと嗤っている。

 とても耳障りで、癪に障る。



「全ては、神のご意志のままに。神より特上の愛を授かった貴方は、人並み外れた運命が課される。喜ばしい限りです」


「…………」


「与えられるは、祝福と試練。祝福は尊き神の力をより深く知る手掛かりとなり、試練は乗り越えれば、神は優しく微笑みくださる。なんとも喜ばしい。喜ばしい!」



 クロノの両肩を、男は掴む。

 感極まっていると、表現するべき歓喜だ。

 強い狂気と執念がクロノを捉える。

 


「きっと、貴方の人生は長いものになるでしょう。神に完全に見初められるまで、長い時間が必要ですので。それまでの間、我々は徹底して、見守りましょう」



 手放す気は、無いようだ。

 男の一言ごとに、泣きそうになる。

 男の異常さと、クロノの平凡な心とでは、勝負すら成り立たない。

 茫然自失なクロノに、男は付け込む。

 折った心を掬い上げるよううと、男の親切で、クロノにとっては苦しいだけの救済を与えようとする。



「貴方の友を殺すかもしれません。貴方の妻を殺すかもしれません。貴方の子を殺すかもしれません。ですが、それは小生たちも本意ではない」


「…………」


「人が人を殺すなど、本来あってはならない。誰もが生きる権利を持つ。それを奪うなど、心苦しい。それは、貴方も分かってくれるでしょう?」


 

 気持ち悪い親愛と、乾いた執着を感じる。

 興奮によって、男のおぞましい感情の噴火が起こっている。

 触れたいとすら、思えない。

 本物の深淵は、覗こうとする興味すらも抱かせないほどに恐ろしいのだと思い知る。

 男は大きく頬を歪ませて、



「そう! 我々は生まれし時も場所も違う。ですが、皆一様に愚かしさを秘めており、拠り所を必要としているのです。これはどんな人間も共通の習性です。その中で、神という明確な心の支えを得られれば、この社会はもっと優しく色付く! 神を悪しき者として扱う者は多いですが、それは偏見に満ちた意見だと言わざるを得ません! 神代の頃に戦争があり、星は自らの上に立つ支配者を認めませんでした。ですから、神が邪悪という証明は出来ない! 人が信じ、縋る事を拒むだけで神とは、人を優しく見守ってくれる存在だと誰も理解すらしようとしない! なんとも嘆かわしい! ですが、貴方が、貴方が貴方が神の使徒となることが、こうした人と神との溝を埋めるための一歩となる! ですが、それで終わりではありません! 我らと同じ世界を、他の皆様にも共有して頂きましょう! 小生たちだけの幸せではいけないのです! 多くの人間が神を敬い、神に守られ、導かれれば、人はもっと良い社会を作れるはずです! 右を見れば貧困が、左を見れば傲慢な富裕が広がるのは何故でしょう? それは、人が未熟だからに違いありません。何度でも言いましょう。人は導かれなければならない。暗闇の中を歩むのではなく、目に見える眩い光を追いかける方が、きっと迷い難いでしょう。ですから、小生は、小生たちは、戦っている! 世界中の信徒たちが力を合わせ、何百年も世界に対して! 美しい事だとは思いませんか? 中には人を傷つけてしまうかもしれません。人の物を奪ってしまうかもしれません。人を殺してしまうかもしれません。ですが、恐れてはいけません! この先に救いがあるのです! 神を知らない者たちも、事が済んだ後に、きっと感謝するでしょう! 今の世界を作ってくれてありがとう! 戦ってくれてありがとう! 糧になれて嬉しい、と。貴方は他人を傷つけられる事を恐れますが、それも貴方の未熟ゆえ。我らについてくるのなら、拾捨選択が出来るようになります。目的へ、迷いなく突き進む事が出来ます。今は些事に目を取られ、小生の言葉に共感出来ないかもしれません! ですが!」



 男は、優しく微笑んだ。

 親から子に向けるような、優しい笑みだ。

 愛おしくて堪らないと、表情が物語る。



「ですが、安心して欲しい。貴方の苦悩は、神を迎えれば消えるでしょう」


「…………?」


「神は、貴方が苦しむ原因を、根本から消してくれるでしょう」



 恐ろしい事を言われている気がした。

 頭がいっぱいになっていた。

 何をするのが正解か、分からなくなった。

 仲間を攻撃された事に怒る、危険な組織を潰すために戦う、これ以上被害を出さないために屈服する。

 どれを選んでも、ろくな未来がない気がした。

 いや、そもそも、これから先、何をしても男を中心とした教団に邪魔をされるのだ。

 


「もう、構わない、のか……?」



 ろくな未来にならないとしても、屈すれば、周りに被害は出ないのではないか?

 最悪の結末の中でも、マシな所があるのでは?

 


「コイツの、言う通りに、したなら……」



 災厄を振り撒くのは、コイツ等だ。

 だが、撒かれる災厄の被害を受けるのは、罪もない誰かなのだろう。

 そしてそれは、クロノが生きている限り、変わらない。

 悔い改める事も、躊躇う事もなく、他者の幸せを踏みにじり続ける。

 ならば、



「俺が、もしも、従えば……」



 それが、甘美な道筋に見えてくる。

 自分の安全さえ差し出せば、それ以外の全てが守られるのだ。

 いったい、どこに不都合があるのかとさえ考えられてしまう。

 男の言葉が、意志が、絡み付いて離れない。

 確実に、男の意志に操られている感覚がした。

 そして、



「さあ、貴方も神の加護を受け入……」



「さっきのは痛かったぞ、クソボケぇえええええぇええ!!!!」

 


 絶望に満たされた空間が、軋んだ。

 乱入した少女は、容易くクロノの想像を凌駕する。

 男の顔面にドロップキックをかますまで、クロノは身動きすら出来なかった。


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