第81話 参考文献に少女漫画を読むべきか、バトル漫画を読むべきか


「マズイ……」



 いったい、何度目だろうか?

 格上を相手にして、『勝てない』と思った事は何度もある。

 クロノは、自惚れていない。自分の力量はわきまえている。

 戦う事を選んだのだって、相当な覚悟を有した。

 力の差は、天と地ほどの差がある。いったいどうすれば勝てるのか、まったく想像がつかない。だが、それでも、戦う他にはなかったのだ。


 だが、戦っている内に、思い知らされる。

 これは、本当にマズイ。

 勝てないと、心が屈し始めているのを、自覚してしまう。



「ほら、もっと頑張ってください」



 このままなら、確実に負ける。

 余裕綽々の表情は、これまでで一度も変わっていない。

 有効打はあるというのに、何も通じない。

 当たれば、それでも十分効果はあるはずだ。だというのに、まだ一度ですら、通用していない。

 


「ほら、ほらほらほら」



 男の能力は、究極の理不尽である。

 攻撃を行えば、確実に当たる。スピードは関係なく、意を決した時点で当たっている。

 男の行動は、何よりも優先されるのだ。

 どれだけ苦心しても、届かない。絶対にねじ曲がらない法則として立ちはだかっている。

 だから、絶対にクロノたちはダメージを負う。そして、男は絶対に無傷のままだ。

 リリアの呪いとクロノの剣だけが、男の無敵を貫通し得る可能性がある。クロノの剣だけが、男の攻撃を凌ぐ事が出来る。

 

 だが、問題なのはそこではない。

 クロノとリリアが挟まれば勝負にすらならないのは変わらないが、それでも最低限、蹂躙ではなくなる。

 マズイのは、心が折られそうになるのは、男との技量の差だった。



「クロノ!」


「!」


「ほうほう」



 アリオスの雷剣が、男の目に直撃する。

 相も変わらず、突き刺さりはせず、固い手応えに阻まれる。

 だが、男を直接害する手段は取れずとも、それ以外の効果は無効化されない。

 光と音で、視覚と聴覚を潰す。さらに、エネルギーを常に放出し続け、魔力探知の妨害をする。よりクロノが斬り込みやすいように、直前まで男の関節を極める。

 直接の害と取られない範囲で、邪魔をする。

 アリオスがサポートに回らなければ、クロノは一瞬で斬り伏せられていただろう。

 アリオスは、己の役目を精一杯こなしている。己の能力以上の成果をあげている。


 だが、



「目眩ましの上に、魔力探知の妨害ですか。厄介ですよ」


「!」



 男は、クロノの攻撃を片手で防ぐ。

 光剣ではなく、大きな盾に置き換わっている。優しく受け止め、流されてしまった。

 剣の軌道が思いがけずズレ、体勢を崩す。

 立ち上がるよりも先に、クロノの顔面は蹴り抜かれ、後方へと飛んでいった。

 アリオスは即座に退避しようとする。



「ですが、小生と彼とでは、格が違うのです。貴方の献身も、意味をなさないほどに」


「!」



 だが、男は退避するアリオスを掴む。

 そのままアリオスを片足と片腕で崩し、地面に叩きつけるまでに、刹那の時間で事足りた。

 そのままアリオスの頭にめがけて、片足を振り下ろす。

 グシャ、という嫌な音が響き、



「分かりますか、この差が。理不尽なこの力は、小生が神より授かった力なのです」



 恍惚としたまま語る男の足元から、アリオスは脱出を果たす。

 直前に、アリシアが床を泥沼に変えた。

 その分、受けた衝撃は小さくなり、致命傷は避ける事ができたのだ。

 男は次に、アリシアへと微笑みかける。

 


「神は、人を導いてくださる。貴女たちも、きっと神は優しく迎えてくださる」


「『濃霧』!」



 アリシアが放った魔法は、一帯を白に染め上げた。

 男は一直線に、背後へ腕をやる。

 そのまま、一歩を踏み込んだとしたならば、クロノの首の位置になる。

 ごい、と強引に引き寄せて、目の前に引きずり出して、



「神は、拠り所。不安を抱える闇を、照らす光なのです」



 だが、それはクロノではなかった。

 足音を立て、僅かな魔力を纏った人形デコイだ。

 解き放たれてから、掴まれるまで、男は完璧にクロノだと思っていた。

 足運びのクセ、重心、魔力の質まで、完璧にクロノをトレースしていた。

 そして今、そこら中で足音がする。

 同じ人形と、クロノが駆け回っているのだろう。

 男ですら、どれが本物かは見分けられない。



「尊い事でしょう? この世のすべての闇は、神によって照らされるのです」


「…………!」



 男は、両手を組んで祈った。

 すると、衝撃波が周囲を駆け巡る。

 男の攻撃は、不可避だ。有効範囲内に居た、クロノ、アリシア、アリオスは、弾き飛ばされて、建物に叩きつけられる。

 男は、満面の笑みを浮かべている。

 心底幸せだとでも、言いたそうに。

 


「従ってくれれば、とても嬉しい」


『■■■■■■■■!!!!!』



 呪いが吹き出る。

 不浄が暴れ狂う。

 唯一、範囲攻撃の外側に居たリリアが、呪いを解き放ったのだ。

 触れれば、それだけで腐り落ちかねない。

 クロノたちを巻き込みかねなかった。意識が朦朧としているだろうクロノたちに、自力で回避することを願う他にないなど、不本意この上ない。

 だが、時間を稼がなければならなかった。



「ですから、熱心に誘いましょう。貴女たちの未熟は、承知の上ですので」


『死死死死■■■■死死!!!』



 呪いは、形を成していく。

 本来、呪いとは、生物を苦しめ、殺すためのもの。それ以外の用途は、後付けの蛇足だ。

 リリアは、生粋の呪術師である。

 だから、より敵を殺しやすくなるように、これまで編み出されてきた呪術とは、まったく別の形を本能で取る。

 海のごとき巨大な呪いが、小さな剣の形を取った。

 リリアは、幽鬼のように構える。

 


「見えているものが、狭い。ただ、それだけの事です」 


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」



 男は、リリアの剣を受けない。

 受ければそこから、腐ってしまう。

 呪いとは、穢れそのものだ。防御をすれば、その防御ごと穢れさせる。

 掠りでもすれば、それで良い。

 これまでのような、速度のない攻撃ではない。リリアが手に取り、振るっている。


 だが、

 


「小生が、世界の見方を変えましょう」


「う゛っ!!?」



 神の剣の柄を、振り下ろす。

 指一本すら触れずに、昏倒させる。

 


「クロノくん。君なら、分かるはずです」


「!」



 死角から、音もなく放たれた奇襲。

 力も速さも、十二分だった。

 だというのに、優しく受け流された。

 触れただけでも、岩を塵にする威力はあった。音に近い速度だったはずだ。

 しかし、接した時点で、音すら発さない。

 すべての力を、完璧に呑み込まれた。


 技が、クロノのことごとくを上回った。

  


「君なら、分かるはずです」


「誰が、お前なんかの、事が、」


「神に最も近い、君ならば」



 その言葉に、クロノは息を呑んだ。

 図星をつかれた、と表するべきだろう。

 自らの力の核心に、厭悪の象徴の招待に、思わず固まってしまった。

 ショックで、思考も真っ白になる。

 


「どう、いう……」


「どうも何も、そのままの意味ですよ」



 剣は、既に納められている。

 戦う気は、無いのだろう。

 いや、それを言うなら、男ははじめからだ。

 これまで、男に戦闘の意志はなく、話をするための前段階だった。

 己を殺し得るはずがないと本気で思い、心から下に見ていた。

 もしも、僅かにでも、クロノたちが男を妥当する可能性があったのなら、こうなってはいない。


 心が、折れそうになる。

 


「君は、最も神に近い存在として造られた。小生たちの手によって」


「…………!」



 そこに、ダメ押しをされた。

 衝撃の大きさに、潰された。

 クロノには、隠された秘密を見通す目がある。

 だから、分かってしまうのだ。男のすべての言葉に、嘘はない。

 


「心待にしていました。小生は、君が出来上がるのをずっと待っていた。ようやく、確信を持つことが出来た。君のその力は、神を降ろすに足る」


「…………」


「十五年。よくぞ、ここまで育ってくれました。彼女の手を離れ、縁を手に入れ、足掻き、失う。やはり、これこそ、最も強くなれる方法でした」



 ならば、思い付いてしまう。

 これまで、恋い焦がれてきた、誰かとの関係。

 師によって切られてきた、あらゆる縁。

 不思議に思ってきた、師の意向。


 理由


 巻き込んでしまう。

 あらゆる者を、不幸にしてしまう。

 クロノの周囲に居る人間は、どう立ち回っても、波乱に見回れるのだ。

 必ず、どこかで踏みにじられる。

 何故なら、それがクロノのストレスになるから。

 それによって、クロノが、より強くなろうとするから。これこそ、奴らの目的だから。

 


「あ」 

 


 剣を握り締めるアリオスは、体を起こせていない。

 どれだけ立ち上がろうと力を込めても、言うことを聞いてくれないようだ。

 虫のように蠢き、踏み潰される寸前だ。

 まだ動けているが、出血が激しすぎる。


 アリシアは、完全に気を失っている。

 クロノの速度に合わせるために、動体視力を無理矢理上げたのがまずかったのだろう。

 複雑な魔法を使い続け、五感を限界以上に高め、脳を酷使しすぎた。

 すぐに駆けつけて、処置をしなければならない。

 最悪の事態が、起きかねない。


 リリアは、全身から呪いを垂れ流している。

 意識を手放した事で、呪いのコントロールのタガが外れたのだろう。

 呪いは、毒そのものだ。毒をもって毒を制すのが呪術師ではあるが、それにも限界はある。

 自らの毒によって死ぬ事も、珍しくはない。


 アインは、どこに消えたのか?

 確認する余裕など無かったから、分からない。

 ただ、もう死にかけている。

 

 では、何故そうなったのか?



「俺のせいか」


「ありがとう。君が、優しい青年であったればこそ、この状況を作れました」



 王都は、暗い結界に覆われた。

 クロノたちが早期に動いたが、失われた命の数は、百や二百ではない。

 ただ、幸せに暮らしていた無辜の民たち。

 彼らが無残に殺されたのは、何故なのか?



「俺のせいか」


「本当に良かった。絶望、嫌悪、苦痛、罪。小生たちが最も得意な領分です」



 男は、笑っている。

 ニコニコと、嗤っている。



「ありがとう」



 嗤っている。



「ありがとう」



 嗤っている。



「ありがとうございました。小生たちの、嬰児よ」



 耳につんざく。

 いつまでも残る。

 耳障りで、不愉快極まりない。

 しかし、それを止める事は出来ない。心が折られているからか、手足が言うことを聞かない。

 もし、動けたとしても、止められる実力など、クロノにはない。

 だから、

 


 男は、いつまでも、嘲笑っていた。




 

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