第80話 ……寝たフリ
クロノに合わせてまず動いたのは、最も速いアリオスだった。
万全であれば、唯一、クロノの速度を上回る。
つばぜり合いとなった後ろから、斬りかかった。
気配で追ったとしても、間に合わない。
自惚れでもなく、アリオスは速い。速度だけなら、先のアインと比べても遜色ないのだ。
完全に入ったと、そう確信する。
しかし、
「ご挨拶ですね」
神官服は、アリオスの剣を弾いた。
決して、アリオスの攻撃が柔かったのではない。
雷を纏ったその一撃は、熱と速度、アリオスの技と力も相まって、大岩すら両断したろう。
だが、見向きもされなかった。
布と肌しかなかろうに、手応えは鋼鉄を斬ったかのようだ。
斬れない、と即座に直感する。
「『火災龍』」
「いきなり暴力とは。出来る事なら、無闇にそういう事はしたくないのですが」
クロノも、アリオスも、決定打を与えられない。
それが分かった瞬間に、アリシアは動く。
龍の形をした炎が、咆哮をあげながら男へと襲いかかった。
炎は男を呑み込み、猛り狂う。
もしも、クロノのプロテクトが無ければ、一帯がガラスと化していた。
危うくクロノたちを巻き込みかけたが、余裕がないのだ。
格上を相手に、四の五の言っていられない。
それより、主導権を取ることに必死だ。
第六階梯魔法『火災龍』
炎の龍が、敵を呑む。
アリシアが行使するのなら、街をまるごと包む程度は容易い。
その規模の炎が、一人を執拗に追い込む。何度も何度もその場で渦を巻く。この度に温度は上がり続け、まともに息をすれば喉が焼けるだろう。
だが、
「! リリアあぁぁあ!!」
『分かってるわ』
「その力をここまで……まったく、何とも恐ろしい事です……」
炎から、何のダメージもなく男は立ち上がる。
クロノは、リリアを呼んだ。
ガラスを爪で思い切り引っ掻くような、不快感を伴う声が聞こえた。
すると、黒いモヤが男を掴もうとする。
無数の虫の羽ばたきのような、不安と気色悪さを全面に押し出したナニカだ。
だが、それも容易く躱される。
「躱した! やっぱり呪いは有効だ! アリシア、アリオス! サポートに回ってくれ!」
「「了解」」
「若いのに、判断が早い」
第四階梯魔法『グラビティコントロール』
第三階梯魔法『鈍重』
第三階梯魔法『幻痛』
第四階梯魔法『夜の帳』
付与魔法『
敵の動きを阻害し、味方の動きを良くするための魔法だ。
高速で使用された魔法たちは、恐ろしく冴えていた。
その効果は、紛れもなく一級品である。
「一位殿ではありませんが、若い芽で遊びたくなる気持ちも分かります」
「はあああ!!」
魔法で底上げされ、本人に自覚はないが、『神気』という特別な力を、本来あり得てはいけないほどに引き出している。
クロノ本人も、天才の中の天才だ。
研鑽を怠る事なく、一級の師の元で技を学んできた。
技術は、ほぼ一級以上だ。パワーも、スピードも、テクニックも、素晴らしかった。
だが、
「この若さ。摘んでしまわないよう、立ち回るのが難しく、楽しい。クセになりそうだ」
「!」
アインとの戦闘の一部始終を見ていたクロノには、分かる。
この神父は、近接を得手としていない。
アインと戦っていた時は、明らかに距離を取ろうとしていた。
だが、今はその気は一切ないらしい。
悠長に喋る暇まであるのは、余裕だからだ。
「おおおおお!」
「くっ……!」
「素晴らしい気迫です」
今の時点で有効なのは、クロノの剣と、リリアの呪いのみだ。
そんな中で、アリオスは、かなり上手く立ち回っている。
男は、アリオスの攻撃は躱すつもりすらない。どうせ刃は通らないからと、見向きもしない。信じられないイカれ具合だ。
アリオスは、力の性質になんとなく気付いていた。
剣による攻撃は、物理的に止められない。干渉できるのは、傷にならない攻撃だけだ。致命となる行動は、ことごとくが弾かれる。
なので、
「良い判断です。本当に素晴らしい。出来る事なら、部下に欲しい」
目眩まし、足取り、腕取り。
とにかく行動の邪魔をする。
剣の攻撃は防げない。なら、せめて、当たり所がマシになるように。クロノが、より立ち回りやすくなるように。
しかし、
「効きませんよ」
「うぐ……!」
「『空間転移』!」
クロノは、真正面から、叩き伏せられる。
アリオスによって邪魔をされても、なおクロノは男に近接で負ける。
小細工で埋められない実力差がある。
狙いをアリオスに向けた瞬間、アリシアは『空間転移』でアリオスを引き寄せる。
判断が遅れれば、死んでいただろう。
アリオスに出来るのは、あくまで邪魔までだ。鬱陶しいと払われた時に、自衛は出来ない。
獅子と蝿とでは、競り合いにならないのだ。
「やはり、素晴らしい。計画の事を忘れてしまいそうです」
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!』
ジリジリと、地面から黒いモヤが迫った。
クロノたちを守るように、立ち上る。
余裕で男には躱され、距離を取られてしまうが、そのままなら詰んでいたのだ。
贅沢を言ってはいられない。
「……マズイ」
そう呟いたのは、誰だったか?
何にせよ、全員の気持ちであったのは違いない。
たったこれだけで、理解させられる。
男とクロノたちとでは、絶対に覆せない実力差があるのだと。
重い沈黙が横たわる。
警戒と緊張で、動けない。
ただ、一点、男の方を見つめるのみだ。
そして、
「まあ、落ち着きなさい。小生に、戦闘の意志はありません」
男の言葉を呑み込むのに、数秒の時間を要した。
意味が分からなかったのだ。
攻め込んでおいて、どの口が言うのかと。
胡散臭いどころではない。ただただ、嫌悪感が湧いてくる。
奥歯を噛み砕かんほどに食い縛り、睨む。
だが、男はゆるりと言う。
「真面目に戦うつもりなら、初手で殺しています。小生は、話し合いがしたい」
「……何を、話すと?」
察している。
マイペースな口調と、緊張感の無さは、実力の高さの証明だ。
場違いなほどに大きな親愛。
気持ち悪くて吐きそうになりながら、男の真意を探ろうとする。
「ちょっとした雑談ですよ。意味の無い、他愛もない話をしてみたい」
「話す事は、ない」
クロノが代表して、突き放す。
心から、嫌悪ばかりが浮かぶのだ。なのに何故、話をせねばならないのか。
敵とは、何も語り合う事はない。
暴力に溺れた生物のはずだ。先ほどまで、数多の命を奪うことをよしとしていたのだから。
「単刀直入に言うと、我々は、優秀な人材を求めています。ですので、我らに協力して欲しい」
「……話をするつもりはないと、そう言ったぞ」
「我々の目的は遥か遠く、そのために手段を選んではいられない」
クロノたちの言い分など、まるで聞いていない。
弱者に権利など無いと、そう言っているかのようだった。
物腰こそ柔らかだが、見下す視線は隠せていない。
「我らは、彷徨い続けているのです。長く長く迷走して、最近、ようやく道標を見つけた。ようやく、ようやくなのです」
「…………」
「小生の元で働く気はありませんか? 今なら、厚待遇を約束します」
にこやかに、男は言う。
異世界の言葉を話しているのではないかと思うほど、理解できない。
目の前の男の真意は、深く、見通せない。
「……俺を殺そうとしたのは、何故だ?」
「? ああ、しましたね、そんな命令」
ここまで、何を考えているか分からないと感じたのは、アインくらいだ。
超越者として、まったく違う世界が見えている。
それは、理解できないものだし、してはいけないものだと、なんとなく思う。
「あれは、特に意味の無い命令ですよ。彼に達成出来ると思っていませんでしたし」
「どういう、事だ……?」
「強いて言うなら、ふるいにかけるのが目的です。小生の思い通りになるのかの実験とも言えます」
分かるように言っていない。
勧誘をしているのだろうが、何故、こんな濁した言い方をするのか?
理由があるとするのなら、
「おい、俺たちを馬鹿にしたいだけなら、そう言えよ」
「ここまで虚仮にされて、黙ってはいられん」
「足元を掬ってやります」
『死ね』
青筋が立つ音がする。
燃え盛るような怒気だった。
しかし、男は朗らかに笑うばかりだ。
「若い子供たちは、短気ですねぇ。ですが、小生の話は聞いておいて損はしませんよ」
男は、微笑んでいる。
向けられた殺気も、向けられた刃も、まったく気にしていない。
歯牙にもかけてはいない。
何をされても死なないという自信が、そのまま現れている。
悠然と、何にも邪魔されない。
人の姿に収まっているだけで、巨大な怪物のように思えてくる。
「貴方たちは、この世界がおかしいとは思いませんか?」
だから、見えているものが違うのだ。
あまりにも高く、遠く、奥を見ている。
理解したくもない事を、話されている気がする。
「人の傲慢は、目に余る。犯し、殺し、憎しみ合う。愚かでどうしようもない人は、道に惑うている」
「…………」
「必要なのです、道標が。ですから、小生はここにそれを降ろしたい」
高揚しているのが、分かる。
満面の笑みを浮かべている。
そして、
「神を、この星に降ろしたい」
完全なまでに、禁忌だった。
まさか、ここまで存在してはいけないものだとは。
絶対にあってはならない、未来。これは、世界を滅ぼすのと同義なのだ。
背筋が凍る。おぞましい男の思想に、足がすくみそうになる。
「ね? 素晴らしいでしょう?」
「今、ここで確実に殺すぞ」
教団とは、どのような組織か?
ここから全てを察する事は出来ない。
だが、
「この世に居ちゃいけない。早く、今すぐ、殺さないとダメだ!」
「なんたる傲慢。小生たちは、ただ人類のためを思っているというのに」
勝ち目がなくとも、やらねばならない。
この世の地獄を創り出そうとしている。
立ち塞がる以外、どの選択肢も死んでいる。
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