第78.5話 激闘(会話ありVer)


 神聖なる力が高まる。



『でさあ、アダム・スミスっていう経済学者が居たの』


 

 それは、神という超常の存在を信じる者にのみ許された、星の理の外の力だ。

 使用の際には、厳重な監視と拘束の元でしか成り立たない。

 魔力のように大きな力を用いれば、許されざる大罪だ。微かな力しか使えない。この星の上で、それをすれば、人に、もしくは星に裁かれる。

 だが、この場では、その制限はなかった。



『見えざる手っていう概念を考え出してね。政府が何かしなくても、市場は需要供給で勝手にバランス取れて、価格は適正値になるってやつ』


『ほうほう、なるほど』



 あり得ないほど強大な神聖力が爆発している。

 もしも、男が結界で王都を覆い、星の監視下から逃れられる場を作り出さなかったなら、この地が一帯消し去るほどの『裁き』が起きただろう。

 この星で、彼は咎人だった。

 だが、その罪を裁ける存在は、ここには居ない。



『アダム・スミスの国富論は、それはもう読まれてね。彼の死後数百年に渡って研究の対象になったんだわ』


『ほうほう』


『で、問題だったのはここからね』



 際限なく、禁忌の力は引き出される。



『スミスがあんまりにも優秀で、色んな視点とか知見をぶちこんだから、色んな人が自分の考えを擁護するためにスミスを利用したっていう意見があったのさ』


『と、仰いますと?』


『見えざる手っていうのも、スミスの代名詞みたいに言われてるけど、実際国富論で触れたのは一度だけ。そこまでスミスが推した概念でもなかったのに、スミスと言えばこれって有名な単語になった』


『なるほど。話が見えてきました。認知が入り乱れる事で、歪んだ認識が出来上がる、ということですね?』


『その通り。ちゃんとしてる人ももちろん沢山居るけど、歴史が長い上に、有名だからね。やたらめったらスミスの意見を引用するから、スミスに対する間違った認識が生まれる事があったのさ』



 一人は守るために。

 起こされた惨状から守るため。

 無造作に戦場へと吐き捨てられた、無辜な民が逃げ切れるように。

 決して、これ以上は誰一人死なせない。

 強い決意の果ての、大儀式だった。


 そして、



『スミスの神話とか言われてたよ』


『……神話』


『前の世界だと、明確な神が居た訳じゃないしね。定義はもっと、曖昧だったんだよ』



 ドゴン! 

 


 と、何かがぶち当たる音がする。

 とある一人の願いにより、不壊の加護を得た建物に、激突したのだ。

 受けた衝撃は、通常時の比ではない。

 だが、叩きつけられた男は、何のダメージもないかのように、平然と立ち上がった。

 神官服にはシワ一つなく、汚れすらもない。

 男は受けた攻撃を気にせずに、ただ一点を見つめ続けていた。

 男が叩きつけられ、百分の一秒が経過した時だ。



『理解できない現象を無理矢理にでも理解する時とか、人を統率するための何かが欲しい時とか、同じ超常に対する認識を多くの人が持った時に生まれるものだった』


『加護も無いのに、信者は神を信じるとは。神が実在さえすれば、或いは……』


『いやー、それも良いものじゃないよ。人が人をよりコントロールしやすくなるだけだったし。それに、種類の違う信仰心が幾つもあったら、戦争が起こるんだよ』



 その先から、矢のように獣が飛び込んだ。



『話を戻すけど、スミスは良いこと言ってたよー。うろ覚えだけど、商品の価値は使用価値と交換価値があってさー。水とダイヤモンドのパラドックスとか言われててさー。普通は交換価値を貨幣の価値で見るけれど、労働こそが真の交換価値なんだって主張しててねー』


『…………』


『……聞いてる? 君が雑談しようって言い出したんでしょ? ボクの前世の話を聞きたいとかさー』


『いえ、一位殿が勉強をしていたとは。天変地異かと思いまして』


 

 獣は、莫大な魔力を纏っている。

 術を介さず具現化し、ただのエネルギーが物質に影響を与えられるほどの密度だ。

 本来人間に存在しないはずの爪が、牙が、角が、獣を獣として足らしめる。

 これの元が人間と言われても、その暴力性から、即答出来る者は居まい。それは、狂暴と強さだけを押し固めたような、おぞましい怪物だ。


 獣は男の前で着地し、男の腕を掴んだ。

 男の表情は、小揺るぎもしない。



『バカにしてる? 怒るよ?』


『いつも、頭脳労働は我々に任せ、あらゆる問題は暴力で解決できると思っていた貴女ですから』


 

 すると獣は、ありとあらゆる暴力を男で試す。

 爪で切り裂き、玩具のように振り回され、地面や壁へ叩きつけ、全身を殴りつけ、蹴りあげ、牙で食い散らかそうとする。

 だが、男には、傷が付かない。

 どれほど狂暴でも、影響を与えられない。



『マジで、しばき殺すよ?』


 

 そんな中で、男は反撃に出る。



『いえ、悪気があったわけではありません』



 暴力の雨霰の中で、男は左手を獣の腹にかざす。

 触れてから、瞬きにも満たない時間だ。

 左手から、閃光が解き放たれた。光は空へと放たれ、結界に当たった。

 もしも、男が意図して威力を抑えなければ、あらゆる物質を貫通していただろう。

 光は、存在しているようでしていない。

 対象への攻撃成功、もしくは術者の意志でのみ、存在し得る奇跡だ。言い換えれば、この光が存在しているということは、既に対象に当たっているということ。

 触れられた瞬間、薄皮一枚が焼けたタイミングで、身を捻って回避した獣が異常なのだ。



『悪気以外なかったでしょ?』


『小物の戯れくらい、見逃して欲しいものです』



 だが、全てが獣に有利になる訳ではない。

 回避のために手を離さざるを得なかった。

 距離が出来たため、男はさらに大規模な術を発動する。

 祝詞を省き、最低限の祈りと贄によって繰り出される奇跡は、本来のものより威力はない。だが、代わりに、術者の意志によって神速で発動できる。

 獣が再び距離を詰めるための跳躍のタメの隙に、四つの神聖術が繰り出されていた。



『許さん』



 上下左右からの光線。

 光によって構成された檻。

 振り下ろされる光の槌。

 獣の力を削ぐ光のヴェール。


 それらは、この世の何よりも優先される。

 なので、発動の瞬間に当たっているのだ。なので、当たれば必ず対象は倒れるのだ。

 如何にして、獣はこれらを切り抜けるか?

 答えは、当たりながら、倒れず、避ける。



『普段バカにされるような貴女の思考と態度が悪いのでは?』


『うるせぇ!』



 力を削がれた状態で、すべての攻撃を掠め、ギリギリで避ける。

 この神聖術は、必中の上に絶対に急所に当たる。

 どんな強者でも、当たった事にさえ気付かない。発動はそのまま、詰みに直結なのだ。

 だが、獣はそんな範疇に収まらない。

 皮膚が焼けた瞬間に致命傷にならない内に回避し、神聖術の必中の効果を狂わせる。

 神に対抗出来るこれは、何の誇張もなく神業だ。

 獣は、この神業を平然とこなす。



『まあ、そう怒らないでください。小生とて、貴女の話自体は興味深かった』


『今さらおだてても、きついの一発は確定だぞ?』


『まあまあ。代わりに、面白い話をしましょう』


 

 距離は潰した。

 なので、今度は獣の攻撃番、とはならない。



『一位殿。貴女、前世の事は殆ど覚えていないと言いましたね。自身の顔や声、家族や友人。己に深く関わる事は、ことごとく』


『ええ……? そうだけど、何の確認?』


『何故、重要な情報は忘れ、うろ覚えの内容はこうして語れるのでしょう?』

 

 

 ―――――――!!!

 


 天より光が満ち溢れ、獣を呑み込まんとする。

 さながら太陽の光のように厳かに、しかし、それでいて一切の慈悲を感じさせない。

 守護の加護すら貫通する、強大な一撃だ。

 塵すら残らずに、消滅した。必中必殺のそれは、一つの結果だけを実現させる。

 決まれば終わりの、神聖術なのだ。

 だが、男は決して油断を解かず、



『うーわ、考えたこともなかったわ』


『死した後、人は輪廻へと帰る。その過程は、貴女の言葉から推察するに、魂はより根元から漂白を受ける。アイデンティティを完全に否定してこその、転生なのでしょう』


 

 ―――――――――――――!!!!



『えー、怖。じゃあ、前のボクと今のボクとで、同じなのに違う存在かもってこと?』


『心中お察しします。転生後の性格が図太くて良かったですね』


 

 獣は、光が終わった瞬間に、男へ飛び付いた。

 崩拳は真っ直ぐに男の腹を捉える。

 冗談のように真後ろへ吹き飛ぶ男へ、獣は視線を合わせた。

 不壊のはずの地面が一瞬壊れるのではと思えるほど強く、獣は踏み込む。

 次の瞬間、獣は消えて、上段蹴りが男の首へと直撃する。



『いちいちボクの事を貶さないと話が出来ないの?』


『察しが良いですね』



 獣はその隙に、切り離した左腕を再生させた。


 逃げ場の無い、究極の光を前に、獣が取った手段は非常に豪快だ。

 皮膚を掠めて回避する、という裏技が使えないほどの、大範囲の攻撃。

 それに対して、獣はノーリスクの回避を諦めた。

 獣は即座に己の左腕を切り離し、蹴りあげ、天の光へ押し当てたのだ。

 上に『在る』ものが、術者の命令で『放たれ』て当たる前に、僅かにでも切り落とした左腕の位置が、体よりも高い必要があったのだ。

 究極の神聖術は、見事に対象を消し飛ばし、何もこの世に残さなかった。対象を完全に殺した光は、役目を終えて消えてしまう。



『……ていうか、この事を確かめたくて雑談しようって言ったの?』


『面白半分です』


『どうりでクソの役にも立たねぇ話だと思ったよ』


『まったく、一位殿は戦い以外はからきしですね』


 

 これまでの神業と、難易度は何も変わらない。

 発動の瞬間を狙い澄まし、生け贄を怪物の口に放り込む。

 僅かにでも誤差があれば、獣は死んでいた。

 だが、そんな狂行を眉一つ動かさずに、瞬時に判断し、成し遂げる。

 圧倒的、反則的、究極的。

 ありふれた単語では、表し切れない凄味だ。

 称賛する者も居らず、そもそも観戦すらほぼ不可能なのだが。



『意味がないかもしれない。それで良いのです。過程を辿れば、もしかすれば、何かが見つかるかもしれない。何かを見つけて、それが勘違いで。何度も続ける内に、真実に辿り着くのです』


『うへー、そういうの苦手』


『研究者は向いてませんね』



 さらに、戦闘は加速する。



から、多分ボクは飽きっぽかったと思うよー。研究とか地道なの、ぜってー無理』


『まったく。何故教主殿と仲が良いか分かりませんね』



 懐に隠し持っていた瓦礫を、獣は男へと叩きつけた。

 この瓦礫は、不壊の加護を受ける前に砕けたものだ。

 目眩まし目的で砕いたものを拾っていたのだが、加護をかけられたのは僥倖だった。

 これで、目眩まし以上の意味を有してくれる。



『いやあ、実は昔は仲悪かったよぉ』


『でしょうね。全然意外ではありません』


『乗ってこいよ。意外ですねって言えよ』


 

 獣は大小入り交じった不壊の瓦礫を右手に納めた。

 それを振りかぶり、思い切り投げた。

 音速を超えて、熱を帯び、それでも不壊によって形を変えない瓦礫は、男へ直撃した。

 瓦礫と男の神官服に、亀裂が走る。

 力の起源を同じくしたそれらは、完璧に反発し合ったのだ。



『はー、雑談の続きする? 一応、喋れる事はあるけど?』


『あ、もう結構です。貴女が喋ると阿呆が頭良いフリするために適当言ってる感じがして嫌なので』


『お前、トゲがきついな! ていうか、最初に暇だから雑談しようって言ったのお前だからな!』



 獣は距離を詰める。

 先程放った瓦礫を拾い集め、そのまま男へとさらに叩きつけようとした。

 しかし、



 メキッ!!!



 骨が砕ける感触が、獣の内から響く。

 一直線で投げて、明後日の方向へと飛んだ瓦礫へと向かったのだが、男が先回りしていた。

 掌底をモロに喰らい、吹き飛ばされる。

 男のガードの硬さを逆手に取られた攻撃だ。

 空中で体勢を整え、背の高い建物に着地、さらに跳躍するが、男はその間に攻撃を済ませていた。



『あー、ていうか、これちゃんと殺し合いに見えてるよな?』


『今さらですね。これまでのやり取りでダメなら、もう何してもダメですよ』



 男の傍らに、光の猟犬が顕現していたのだ。


 それらは消えると同時に、獣へと牙を剥く。

 獣は、当然のようにそれを回避する。

 その返しに猟犬を蹴り落とし、さらに空を蹴って加速しながら踏みつけた。

 男へと視線を戻すが、猟犬を屠るまでの時間は、あまりにも長すぎた。



『じゃあ、サクッと殺しましょうか? 心臓を撃ち抜けば死にますか?』


『あー、いや、死なないよ? ボクの心臓は大量の魔力を管理する必要があるし、そのまま顕現したら世界がヤバいから別位相に……いや、まあいいや。やってみたら? どうせ死なんし』


『では遠慮なく』



 男の矢は、既につがえられている。

 離した瞬間に、それは確実に獣の心臓を撃ち抜いた。

 それは、必中であり、不可逆だ。

 撃ち抜かれた傷は、決して癒えない。

 超常たる獣とて、それは変わらない。



 なので、未だに獣が歩を進めたのは、あり得ない事なのだ。



 吐血している事から、決して無蓋であったとは思えない。

 だが、これですら、獣の命には届いていないのだ。


 あまりにも深く、恐ろしい。

 深淵としか言い表せないほどに、その生物はどこまでも深い。

 どういう理屈か、男にも理解不能だ。

 ただ、これでは死なないという確信があった。素直に獣の凄まじさを認めていた。男の胸中にあったのは、それだけだった。



『ほー、なるほど。流石ですね』


『心臓って言っても、二つあるからね。一つくらいおしゃかになっても、まあ問題ないよ』


 

 獣の姿が消える。

 男は下からの衝撃で、空を見させられる。両足が地面を離れた事を感じた。

 蹴りあげた姿勢の獣を視認した瞬間、周囲に光を蓄える。

 それらが真っ直ぐに獣を襲う。



『これで十分かな? 大分戦ったけど』


『そうですね。キメラも全部殺されましたし、そろそろお開きにしますか』



 しかし、獣はまた消えている。

 今度は背中から、衝撃だった。

 獣の膝蹴りが炸裂したのだ。


 次は地面で男をまた蹴り上げる。

 その次は横に叩きつける。

 その次は反対方向へ殴った。

 踏みつけて下へ、放り投げて上へ、殴って横へ、蹴って上へ、肘打ちで下へ。

 男は王都中をスーパーボールのように乱反射する。



『久々に全力で体を動かせて良かったよー。またやりたいくらいだ』


『二度目はありませんよ。軽い手合わせのつもりでしたが、かなり怖かったですし』



 何度、それが続いたか?

 獣はさらに着地地点に先回りし、もう一度攻撃しようとしたところで、違和感を感じて両手を見る。

 すると、何故か四肢が焼かれていた。

 いつの間にそうなったか、意識していなかったため、まったく分からない。

 遅れて走る痛みと熱によって、これが現実と気付いた頃には、男の攻撃が始まる。



『あ、そうです一位殿。何かしら、奥の手のようなものはありますか?』


『……? 一応何個かあるけど、どうしたの?』


『一つ披露してください。貴女の限界がそこだと、見せつけられた方がいい』



 光の槍が、投擲されたのだ。


 距離という概念を無視し、獣の腹に突き刺さる。

 回避が遅れ、風穴が開く。

 それに合わせて、男は自ら距離を詰めた。



『えー、あんま使いたくない……』


『必要なことです。それに、一位殿は今回、小生に従うのでは?』


『……んー、まあ、うん……』


『小生も興味がありますからね。是非見ておきたい』


『……お前、そっちが本音じゃねぇだろうな?』


 

 遠距離からの攻撃が得意のはずだが、そのアドバンテージをかなぐり捨てる。

 だが、だからといって、勝負を投げた訳ではない。

 光の剣がその手には握られ、光の後輪を背負っていた。

 激突までに経過した時間は、ゼロ秒だ。

 体勢を整えた瞬間には、男はもう手の届く距離に居た。



『ほら、ここですここ。今なら良いタイミングでは?』


『はいはい、分かったよ』



 剣を振り下ろせば、そのまま獣の脚が切り落とされる。

 これは、回避も出来ない。

 因果すら無視し、確定した結果を叩き出された。

 そんな意味不明な攻撃だった。



『よーく見とけよ? マジで使いたくねぇんだから』


『楽しみです』



 男は、獣に回避や回復の暇を与えない。

 光剣で切り裂かれ、後輪は光の矢を放ち続ける。

 再生もするが、獣の再生速度は、それほど速くはない。

 このままなら、削り殺される。


 ほぼ詰みの盤面にまで至った時だ。



 

 獣は、虚空から剣を振り抜いた。




 男の剣は折られ、肩から腹にかけて、肉を断たれる。

 それは、白く無骨な長剣だった。

 そうとしか言い様がないほどに飾り気がなく、しかし、凄まじい覇気を放つ剣だ。

 この剣を振り抜いた獣は、とても静かで、美しかった。



『はい、大満足です。ということで、終わりにしましょうか』


『もーちょっと感想寄越せや』


 

 男は一瞬、動きを止める。

 傷を癒すのと、次の獣の攻撃に備えるためだ。

 男は鎧を纏うて、新たな光剣を振りかざし、



 獣の剣と、光剣が激突する。

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