第78話 激闘
神聖なる力が高まる。
それは、神という超常の存在を信じる者にのみ許された、星の理の外の力だ。
使用の際には、厳重な監視と拘束の元でしか成り立たない。
魔力のように大きな力を用いれば、許されざる大罪だ。微かな力しか使えない。この星の上で、それをすれば、人に、もしくは星に裁かれる。
だが、この場では、その制限はなかった。
あり得ないほど強大な神聖力が爆発している。
もしも、男が結界で王都を覆い、星の監視下から逃れられる場を作り出さなかったなら、この地が一帯消し去るほどの『裁き』が起きただろう。
この星で、彼
だが、その罪を裁ける存在は、ここには居ない。
際限なく、禁忌の力は引き出される。
一人は守るために。
起こされた惨状から守るため。
無造作に戦場へと吐き捨てられた、無辜な民が逃げ切れるように。
決して、これ以上は誰一人死なせない。
強い決意の果ての、大儀式だった。
そして、
ドゴン!
と、何かがぶち当たる音がする。
とある一人の願いにより、不壊の加護を得た建物に、激突したのだ。
受けた衝撃は、通常時の比ではない。
だが、叩きつけられた男は、何のダメージもないかのように、平然と立ち上がった。
神官服にはシワ一つなく、汚れすらもない。
男は受けた攻撃を気にせずに、ただ一点を見つめ続けていた。
男が叩きつけられ、百分の一秒が経過した時だ。
その先から、矢のように獣が飛び込んだ。
獣は、莫大な魔力を纏っている。
術を介さず具現化し、ただのエネルギーが物質に影響を与えられるほどの密度だ。
本来人間に存在しないはずの爪が、牙が、角が、獣を獣として足らしめる。
これの元が人間と言われても、その暴力性から、即答出来る者は居まい。それは、狂暴と強さだけを押し固めたような、おぞましい怪物だ。
獣は男の前で着地し、男の腕を掴んだ。
男の表情は、小揺るぎもしない。
すると獣は、ありとあらゆる暴力を男で試す。
爪で切り裂き、玩具のように振り回され、地面や壁へ叩きつけ、全身を殴りつけ、蹴りあげ、牙で食い散らかそうとする。
だが、男には、傷が付かない。
どれほど狂暴でも、影響を与えられない。
そんな中で、男は反撃に出る。
暴力の雨霰の中で、男は左手を獣の腹にかざす。
触れてから、瞬きにも満たない時間だ。
左手から、閃光が解き放たれた。光は空へと放たれ、結界に当たった。
もしも、男が意図して威力を抑えなければ、あらゆる物質を貫通していただろう。
光は、存在しているようでしていない。
対象への攻撃成功、もしくは術者の意志でのみ、存在し得る奇跡だ。言い換えれば、この光が存在しているということは、既に対象に当たっているということ。
触れられた瞬間、薄皮一枚が焼けたタイミングで、身を捻って回避した獣が異常なのだ。
だが、全てが獣に有利になる訳ではない。
回避のために手を離さざるを得なかった。
距離が出来たため、男はさらに大規模な術を発動する。
祝詞を省き、最低限の祈りと贄によって繰り出される奇跡は、本来のものより威力はない。だが、代わりに、術者の意志によって神速で発動できる。
獣が再び距離を詰めるための跳躍のタメの隙に、四つの神聖術が繰り出されていた。
上下左右からの光線。
光によって構成された檻。
振り下ろされる光の槌。
獣の力を削ぐ光のヴェール。
それらは、この世の何よりも優先される。
なので、発動の瞬間に当たっているのだ。なので、当たれば必ず対象は倒れるのだ。
如何にして、獣はこれらを切り抜けるか?
答えは、当たりながら、倒れず、避ける。
力を削がれた状態で、すべての攻撃を掠め、ギリギリで避ける。
この神聖術は、必中の上に絶対に急所に当たる。
どんな強者でも、当たった事にさえ気付かない。発動はそのまま、詰みに直結なのだ。
だが、獣はそんな範疇に収まらない。
皮膚が焼けた瞬間に致命傷にならない内に回避し、神聖術の必中の効果を狂わせる。
神に対抗出来るこれは、何の誇張もなく神業だ。
獣は、この神業を平然とこなす。
距離は潰した。
なので、今度は獣の攻撃番、とはならない。
男が手を合わせる。
簡易的な祈りだ。
手組法と歩法、それに無垢な者の心臓を捧げただけ。高速で行った、僅かに足された儀式。
しかし、それは絶大な意味を有する。
これまで、ノータイムで発動していた神聖術だが、そこに儀式の手順が加わった。
神聖術の威力は、跳ね上がる。獣の逃げ道は、全てかき消された。
―――――――!!!
天より光が満ち溢れ、獣を呑み込まんとする。
さながら太陽の光のように厳かに、しかし、それでいて一切の慈悲を感じさせない。
守護の加護すら貫通する、強大な一撃だ。
塵すら残らずに、消滅した。必中必殺のそれは、一つの結果だけを実現させる。
決まれば終わりの、神聖術なのだ。
だが、男は決して油断を解かず、
―――――――――――――!!!!
獣は、光が終わった瞬間に、男へ飛び付いた。
崩拳は真っ直ぐに男の腹を捉える。
冗談のように真後ろへ吹き飛ぶ男へ、獣は視線を合わせた。
不壊のはずの地面が一瞬壊れるのではと思えるほど強く、獣は踏み込む。
次の瞬間、獣は消えて、上段蹴りが男の首へと直撃する。
獣はその隙に、切り離した左腕を再生させた。
逃げ場の無い、究極の光を前に、獣が取った手段は非常に豪快だ。
皮膚を掠めて回避する、という裏技が使えないほどの、大範囲の攻撃。
それに対して、獣はノーリスクの回避を諦めた。
獣は即座に己の左腕を切り離し、
上に『在る』ものが、術者の命令で『放たれ』て当たる前に、僅かにでも切り落とした左腕の位置が、体よりも高い必要があったのだ。
究極の神聖術は、見事に対象を消し飛ばし、何もこの世に残さなかった。対象を完全に殺した光は、役目を終えて消えてしまう。
これまでの神業と、難易度は何も変わらない。
発動の瞬間を狙い澄まし、生け贄を怪物の口に放り込む。
僅かにでも誤差があれば、獣は死んでいた。
だが、そんな狂行を眉一つ動かさずに、瞬時に判断し、成し遂げる。
圧倒的、反則的、究極的。
ありふれた単語では、表し切れない凄味だ。
称賛する者も居らず、そもそも観戦すらほぼ不可能なのだが。
さらに、戦闘は加速する。
懐に隠し持っていた瓦礫を、獣は男へと叩きつけた。
この瓦礫は、不壊の加護を受ける前に砕けたものだ。
目眩まし目的で砕いたものを拾っていたのだが、加護をかけられたのは僥倖だった。
これで、目眩まし以上の意味を有してくれる。
獣は大小入り交じった不壊の瓦礫を右手に納めた。
それを振りかぶり、思い切り投げた。
音速を超えて、熱を帯び、それでも不壊によって形を変えない瓦礫は、男へ直撃した。
瓦礫と男の神官服に、亀裂が走る。
力の起源を同じくしたそれらは、完璧に反発し合ったのだ。
獣は距離を詰める。
先程放った瓦礫を拾い集め、そのまま男へとさらに叩きつけようとした。
しかし、
メキッ!!!
骨が砕ける感触が、獣の内から響く。
一直線で投げて、明後日の方向へと飛んだ瓦礫へと向かったのだが、男が先回りしていた。
掌底をモロに喰らい、吹き飛ばされる。
男のガードの硬さを逆手に取られた攻撃だ。
空中で体勢を整え、背の高い建物に着地、さらに跳躍するが、男はその間に攻撃を済ませていた。
男の傍らに、光の猟犬が顕現していたのだ。
それらは消えると同時に、獣へと牙を剥く。
獣は、当然のようにそれを回避する。
その返しに猟犬を蹴り落とし、さらに空を蹴って加速しながら踏みつけた。
男へと視線を戻すが、猟犬を屠るまでの時間は、あまりにも長すぎた。
男の矢は、既につがえられている。
離した瞬間に、それは確実に獣の心臓を撃ち抜いた。
それは、必中であり、不可逆だ。
撃ち抜かれた傷は、決して癒えない。
超常たる獣とて、それは変わらない。
なので、未だに獣が歩を進めたのは、あり得ない事なのだ。
吐血している事から、決して無蓋であったとは思えない。
だが、これですら、獣の命には届いていないのだ。
あまりにも深く、恐ろしい。
深淵としか言い表せないほどに、その生物はどこまでも深い。
どういう理屈か、男にも理解不能だ。
ただ、これでは死なないという確信があった。素直に獣の凄まじさを認めていた。男の胸中にあったのは、それだけだった。
獣の姿が消える。
男は下からの衝撃で、空を見させられる。両足が地面を離れた事を感じた。
蹴りあげた姿勢の獣を視認した瞬間、周囲に光を蓄える。
それらが真っ直ぐに獣を襲う。
しかし、獣はまた消えている。
今度は背中から、衝撃だった。
獣の膝蹴りが炸裂したのだ。
次は地面で男をまた蹴り上げる。
その次は横に叩きつける。
その次は反対方向へ殴った。
踏みつけて下へ、放り投げて上へ、殴って横へ、蹴って上へ、肘打ちで下へ。
男は王都中をスーパーボールのように乱反射する。
何度、それが続いたか?
獣はさらに着地地点に先回りし、もう一度攻撃しようとしたところで、違和感を感じて両手を見る。
すると、何故か四肢が焼かれていた。
いつの間にそうなったか、意識していなかったため、まったく分からない。
遅れて走る痛みと熱によって、これが現実と気付いた頃には、男の攻撃が始まる。
光の槍が、投擲されたのだ。
距離という概念を無視し、獣の腹に突き刺さる。
回避が遅れ、風穴が開く。
それに合わせて、男は自ら距離を詰めた。
遠距離からの攻撃が得意のはずだが、そのアドバンテージをかなぐり捨てる。
だが、だからといって、勝負を投げた訳ではない。
光の剣がその手には握られ、光の後輪を背負っていた。
激突までに経過した時間は、ゼロ秒だ。
体勢を整えた瞬間には、男はもう手の届く距離に居た。
剣を振り下ろせば、そのまま獣の脚が切り落とされる。
これは、回避も出来ない。
因果すら無視し、確定した結果を叩き出された。
そんな意味不明な攻撃だった。
男は、獣に回避や回復の暇を与えない。
光剣で切り裂かれ、後輪は光の矢を放ち続ける。
再生もするが、獣の再生速度は、それほど速くはない。
このままなら、削り殺される。
ほぼ詰みの盤面にまで至った時だ。
獣は、虚空から剣を振り抜いた。
男の剣は折られ、肩から腹にかけて、肉を断たれる。
それは、白く無骨な長剣だった。
そうとしか言い様がないほどに飾り気がなく、しかし、凄まじい覇気を放つ剣だ。
この剣を振り抜いた獣は、とても静かで、美しかった。
男は一瞬、動きを止める。
傷を癒すのと、次の獣の攻撃に備えるためだ。
男は鎧を纏うて、新たな光剣を振りかざし、
獣の剣と、光剣が激突する。
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