第77話 大丈夫だよね? ボクちゃんとしてる?
リリア・リブ・ロックフォードは、悪意の中を生きてきた。
その生涯を例えるのなら、まさに掃き溜め。
生まれた家、生まれ持った才能。
そうなった理由を問われれば、運命としか言い様がない。とにかく不運で、なるべくして、そうなった。手を差し伸べる者はなく、ひたすらに沈んだ。
痛め付けられ、傷だらけになり、苦しんだ。
闇の中だけが居場所であり、そこ以外での生など、想像すら出来なかった。
慣れきっていた。
光など、知らなかった。
生まれた時からそうだったから、ここ以外では生きられないと思っていた。
だが、それを連れ出してくれた人が居た。
「クロノ……」
救い出してくれた。
それ以上に、胸を満たす事はない。
この事を話せば、何故かクロノは申し訳なさそうにしていたが、理由などどうでもいい。
誰が勝ったか、負けたか、過程のどうこうなど、興味もない。
ただ、救い出してくれた。これ以上の事実は、心底どうでも良かった。
苦しいだけだった、窮屈で退屈な人生。
いつになったら死ねるのか、それだけをぼんやりと考え続けた。
それを変えてくれたのは、クロノだ。
ゴミ以上の価値がなかった人生。器以外の役割などなかった生に、優しい中身を注いでくれた。
呪いを集積していた、薄汚いだけの器に価値を与えてくれた。
これは、奇跡だ。
本来起こり得なかった、在り得べからざること。
それに感謝して、何がおかしいのか?
それに惹かれて、何が悪いのか?
愛を返そうとして、何がマズイのか?
拒絶を恐れて、何が変なのか?
「クロノ……」
愛を欲していた。
これまで、得られなかった分を。
欲しかったものを与えてくれるかもしれない人間に、依存していた自覚はあった。
だが、だから何だと言うのか?
嫌われたくないと思う。出来る限りの愛を示したいと思う。
分かっている。
クロノという人間は、類いまれなる寵児だ。
そして、孤独というものを恐れている。
どんな人生を送ってきたか、知らない。だが、リリアは暗闇について、それなりに詳しい。どんな想いを抱いているかは、想像がつく。
だから、その通りにすればいい。欲しているものを、求めているものを、与えれば。
そうだ、そうなのだ、
「クロノ……」
クロノは、孤独だった。
一人ひたすらずば抜けている。
この環境でも、変わらない。アリオス、アリシア、ラッシュ、アイン、誰一人として対等は居ない。
アリシア、アリオスは、導いてくれたクロノをある種、神聖視している。ラッシュは注意深くクロノを観察し、必要以上に高いものとしている。
唯一、クロノを見下すアインはクロノにとって新鮮で危険だが、許容内だ。
もしも自分が隣に立てるのなら。
そんな事を夢見て、クロノに接する。
なるべくして、隣に立ちたい。
愛を捧ぐ相手として相応しい、愛を向けられるに不足のない人物で在れるなら。
クロノを独占したいと、思うのだ。
それの、何がいけないというのか? 他の誰にも取られたくないと思うのは、罪なのか?
「クロノ…………」
リリアは、醜さを知っている。
人の側面の一つであり、それは、誰も逃れる事が出来ない部分だ。
依存、執着、弱さ。優しく、強いクロノにも、負の一面は存在する。
リリアはそれにつけ込む。
自分が最も勝てるポジションに立てる。自分の能力を鑑みて、出来る、と確信した。
「…………」
己が醜いと思った。
「…………」
救い出されたはずだったのに、己の中には、打算と執着が消えない。
価値あるものへと変えてくれたはずなのに、醜いと思ってしまうものが残っている。
リリアは、過去を清算したつもりだった。
だが、逃げ切ったはずの過去が、その影響が、今もなお苦しい。
変わったはずだと、信じた。
手を尽くされた結末が、こんなはずがない。
英雄に救われた被害者は、その後を幸せに過ごさなければならないのだ。
救った者が、救う価値のない者だったなど、そんなことは許されて良いはずがない。
クロノの死力を尽くした末の未来が、害悪であっていいはずがない。
リリアは、善き人であろうとした。
だが、リリアは、善き人ではなかった。
これは、根本的な話なのだ。
悪意を存分に浴びてきたリリアは、既に染まりきっている。
根が毒を吸い込んだなら、茎も葉も、華まで毒を含んでいる。
分かっている。
今さら、善人には成れない。
「醜い……」
恐ろしかった。
自然と、クロノを食い物にすることを考えていた。
自分が全てを出し抜いて、クロノの寵愛を得る事ばかりを。
それは、許されない事だ。
決してあってはいけない事だ。
悩み続けた。
何度も、何度も、悩んだ。
そんな中で、無神経に言われた。
つまらない
いったい、何故そんな酷い事を言うのか?
クロノが救ってくれた自分が、つまらない、などと。
せっかく呪いから解放されたというのに、何故、過去を指して前の方が良かったなどと。
無神経すぎて、本気で殺したくなった。
だが、
「……ダメだ、これは」
暴行、拷問、殺人。
それは当たり前にあることだ。
人でなしの所業が、当然のように選択肢の中にある。
「ああ……」
リリアの思考は、とてもクリアだった。
クロノの力は、隣に並び立つには、強すぎる。真の孤独を解消することは、リリアには出来そうもない。
だから、他を消せば良いのではないかと、考え付いた。
アリシアも、アリオスも、ラッシュも、アインも殺して、自分だけが寄り添えば、と。
これから彼に近付く者は全て殺して、自分しか居ないのだと錯覚させる。
途中で気付かれても、構わない。自分の拠り所がリリアの元にしかないと狂わせられれば、結果は同じだ。
例え殺されたとしても、きっと深い傷を心に負ってくれる。
「!」
そこまで考えて、すぐに止めた。
こんな毒に染まりきった思考は、そのものが罪なのだ。
己への侮辱と侮蔑と嫌悪で染まりきった所で、
戦いが、やってきた。
「はあ……はあ……」
リリアには、分かった。
巻き散らかされたこの怪物たちは、誰かが作り上げたキメラだと。
常人なら、ただ怪物だと認識するのみだ。キメラのおぞましさに一瞬思考が停止し、その後、悲鳴をあげて逃げ惑う。クロノたちでさえ、見た瞬間は思考が止まった。
だが、リリアは、そこに込められた悪意を見抜く。
実に執拗に、生物の尊厳を潰そうと躍起になっている製作者の悪意を。
リリアは、自然と行動を起こしていた。
この悪意の塊は、無垢なクロノとは相容れないものだ。
これを多く倒せば倒すほど、クロノの心証が良くなると直感していた。
だから、当然のように戦った。
好感度稼ぎの道具としか、キメラを見てはいなかった。
だが、
「強い……」
誤算は、キメラが強すぎた事だ。
呪いの力を失ったリリアには、荷が重い。
本来、荒事が本職の者が対処したとしても、多くは無残に返り討ちに遭う。
キメラ一体にすら、勝てそうにない。
いや、このキメラを相手に『勝負』が成り立っている時点で、リリアもそれなりに力はある。
ただ、それなりでは、足りなかった。殺し合いには、力不足だったということだ。
「わ、私、私は……」
『菫。縺倥l縺ー謨代o繧後∪縺』
死を強く意識する。
命を救われたのに、これではとんだ捨て鉢だ。
こんな所で死んで良いはずがない。『その後』は、幸せでなくてはならない。
だというのに、何なのだろう?
尽くが上手く行かない。何も、幸せになれない。
ならば、何のために救われたのか?
その魂は、根本から薄汚い。
英雄を愛し、手に入れようと、その英雄を貶める事も厭えない。
他を己の糧とする事が、染み付いている。
これなら、救わなかった方が良かったのではないか?
「……もう、分からない」
何がしたかったのか?
何が良かったのか?
もう、何も理解できない。
忌むべき呪いをようやく吐き出せたというのに、その呪いなくしては、こうして迷走するばかりだ。
そして、迷走の先で、きっと他人を傷付ける。
そうなる予感は、強かった。己の加虐性は、誰よりも理解している。
もう、何も分からなかった。
「なんで、生きてるんだろ……?」
そして、
『!!!!!!!!』
「お前、何をしているんだ?」
人に救われたのは、二度目だ。
目の前では、あの忌まわしいキメラが真っ二つになっていた。
クロノのおまけと認識していた。ある種の敵として見ていた。
だが、リリアを守るために前に立ち、殺されかけたキメラは真っ二つになっていた。
「何故、戦わない」
アリオスは、憤りを隠そうともせず、そう問うた。
その問いに対する答えを、リリアは持ち合わせてはいなかった。
何故なら、彼女は全力で戦ったからだ。
ていたらくを責められても仕方がない。
罵倒を甘んじるくらいはしようと、そう思ってリリアは黙った。
だが、次の言葉は、釈然としなかった。
「何故、全力を出さないんだ?」
全力で戦った。その結果が、これなのだ。
いったい、何がいけないのか?
英雄と釣り合うだけの実力は、なかった。たったそれだけの事で、そんな残酷な事を言われる謂れはない。
死にかけてぼんやりとしていたが、小さな苛立ちが宿る。
「お前なら、勝てたはずだ。面倒を増やすな」
「…………」
よりにもよって、リリアを面倒と言い放つ。
リリアには、何を食えばここまで無神経になれるのか、まったく理解不能だった。
理解不能な男は、忌々しそうに続ける。
「……まだ、分かりきった事を伝えないといけないのか? 時間の無駄でしかない」
一刻も早く、キメラを打倒せねばならない。
出来る事なら、こんな奴は放っておきたい。
そんな内心が、色濃く映る。
ある意味、悪意よりも酷い。
一度は殺し合ったというのに、その相手に向ける感情は、無関心だ。
「分かっているぞ。お前の本職は、剣士でも、斥候でも、魔法使いでもないだろう?」
「…………」
「次は、もう守らん。使えるものを使わず、宝を手放す阿呆の世話なぞ、してられん」
侮蔑の色すら、なかった。
使えない相手には、とことん無関心だ。
即座に視界から外して、背を向ける。
優しさなど、欠片も存在しない。
だが、アリオスは、使えるものはきちんと使う。
クロノのように、見抜ける異能がある訳ではない。人の心を予想するくらいだ。
多少人との関わりがあれば、当たり前に出来る力ではある。
しかし、腹芸は、他よりも少々嗜んできた。
最短、最適に、心を揺さぶる。
「……何を考えているかは知らんが、アイツは、そこまで肝が小さくはない」
それだけ言い残し、アリオスは雷速で消える。
少し離れた場所でキメラが
リリアは、クロノ以外の生物が嫌いだ。
呪いの掃き溜めとして育てられ、誰も助けてはくれなかった。
全ては、忌むべき贄なのだ。そう教わったし、その通りだと思うし、それは根にまで染み付いている。
呪いそのものに、『魔王』に自らの支配を許したのは、どうせ死ぬのなら、嫌いなものを全て壊そうとしたから。
他者を害する事へのブレーキが、ない。
人を憎む、おぞましき人でなし。
リリアは心底、生まれながらの呪術師である。
だからこそ、クロノが問題だった。
初めて出来た、憧れ、信頼、愛。
あらゆるものを害する事を目的とする呪術とは、相容れない感情。
抱えた想いに、惑わされた。
だが、
「く、クロノは、呪いを、使う、私を、き、嫌わない……?」
その言葉を、その保証を、ずっと待っていたのかもしれない。
本当は、冷静な部分が訴えていたのだ。
どれほど嫌いでも、自分とソレは切り離せない。なら、利用し尽くさなければ勿体無い。
捌け口なくして、この苛立ちを発散出来ないと思っていたのだ。
あと、躊躇う要素があるならば、
「!」
王都を覆う、巨大な結界の中。
そこにさらに発動される、大結界。
世界の中でも、一部の対象にのみかけられる、防護壁だ。
ただ、凄まじい性能であること以外、リリアには一切分からない。
ならば、
「呪力、解放……」
遠慮する理由は、なくなった。
驚くほどあっさりと、吐ききったはずの呪いが湧く。
そして、
「死ね、ゴミ共」
呪法『魔笛』
術者に傷をつけた者、そして、それに強い縁を持つ者を祟る。
王都中で、キメラが急激に苦しみだした。
そのまま死ぬ個体も少なくないが、残った個体も、アリオスの神速の剣やアリシアの極大範囲の魔法で殺される。
本来、その強大な呪力は、一般人まで祟り殺してもおかしくはない。
だが、クロノの結界がそれを拒む。
クロノの役に立っている自覚が、心拍を跳ねさせる。
頬が紅潮するのを感じる。
こうして邪魔者を殺していけば、いつかはクロノを己のものに出来るかもしれない。
そう思うと、ますます心が高鳴っていく。
「嗚呼……」
リリアは、確信する。
他の誰にも言えずとも、己の心の在り方は決まった。
心底から呪術師に向いている自分に気付き、それが悪とは思わなくなった。
なら、
「私は、貴方の敵を殺し続ける。それは、きっと、」
間違いではないはずなのだ。
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