第75話 やっと出番で草


「クソ、なんなんだよ、ッたく!」


「なあ、ラッシュ。きっと、分かり合えるんだ、俺たちは」



 ラッシュを支配するのは、焦燥と恐怖だ。

 

 殺しの機会は、そう何度もあるものではない。

 こうして一対一という状況になっている事が、普通ではあり得ないこと。

 面も割れてしまったのだ。普段の生活に戻れば、確実にクロノを守ろうとする金魚のフンが邪魔をする。これ以上のチャンスは、そうそう巡って来ない。

 だというのに、暗殺対象クロノはあまりにも規格外すぎた。

 確実に殺せた攻撃を、幾度も与えた。だが、次の瞬間には、平然と語りかけてくる。致命傷を癒す術など、相応の代償が必要だろうに、理を無視して立ち上がる。

 効果的な攻撃をするにも、ラッシュの体力、魔力や道具といった、貴重なリソースを削らなければならない。

 不死身のクロノがいつまで続くか分からないので、とにかく攻め続けるしかないが、ラッシュが出し尽くしてしまったならば、というもしもを考えてしまう。


 焦りは、冷徹な思考を曇らせる。

 血も涙もない暗殺者に、熱を宿す。



「言葉が足りないだけさ。お前の苦しみも、きっと皆で協力すればなんとかなる」


「死ね、死ね、死ね! 死ねよ!」



 この機会を逃せば、すなわち暗殺の失敗と見なされるだろう。

 それはつまり、死と同義だ。

 ラッシュの知る限り、最も恐ろしい化け物に命を狙われる。

 手を下すのが、神父ならまだ構わない。底知れない相手ではあるが、死ぬ気になれば逃げ切れる可能性がある。

 しかし、はダメだ。

 この世界の極点だと間違いなく断言出来る、あの怪物が動くかもしれない。

 教団の切り札である怪物が、木っ端の処理に動くはずがないのは分かっている。だが、一厘でも可能性があるのなら、身がすくむほど、恐ろしい。


 恐怖は、暗殺者にとって最大のノイズだ。

 恐れを抱く暗殺者は、二流以下だ。



「クソ、クソ! なんなんだよ、いったい!?」



 理不尽が過ぎた。

 こんなことがあっていいはずがない。

 

 これまで、何度も殺しをしてきた。

 国の内外問わず、命令されれば全員殺した。少なくとも、その数は百を下らない。

 難しい任務もあったが、それは全て、殺せば終わったのだ。

 殺せば、それで終わる。ナイフで急所を抉れば、毒を盛れば、魔法で潰せば、それで完了した。

 だというのに、



「何故死なないんだ、チクショウが!?」



 死なない。

 死なない。

 ひたすらに、死なない。

 内臓を潰しても、致死量の毒を盛っても、首を切っても、心臓を抉っても、雷で焼いても、全身を凍らせても、岩で押し潰しても、だ。

 瞬きの間に、全て傷が癒えている。ただの治癒の術ではないはずである。

 はじめから何も無かったかのように、時が巻き戻っているかのように治っている。いや、既に百を下らない殺害の中で、気付いてしまう。

 魔法の術式の複雑さと、ラッシュが見たことのない魔法の気配。ラッシュの知識にも存在しない技術を行使されている、というヒントから導き出される、一つの推察。


 クロノが、本当に自分の時を操っているのだということ。



「クソ、化け物めえええ!!」


「そうだ、俺は化け物だ」


 

 あり得ないを、何度言えば良いのだろう?

 時間操作の魔法は、魔法の中でも最上位の難易度だ。

 なのに、何でもないように、連発している。

 魔力が切れる気配もなく、行使を苦にしている様子もない。

 恐れを、抱く。

 自身を上回る怪物は、おぞましいのだ。



「人じゃない。これまで何度も死の淵に立たされて、気付いた。俺は、人から外れている」


「死ね、早く早く早く! 死ね!」


「だけど、人の心はあるつもりだ」



 クロノは、ラッシュの方へ歩き出す。

 その間にも、様々な致命傷を受けたが、次の瞬間には治っていた。

 いかなる攻撃も、効かないことにされている。

 手札が全て通用せず、しかもその防御は無制限に近い。引けば制裁は免れず、八方塞がりだ。

 


「死ねよ、クソがああああああ!!!」



 持ち得る道具を全て使った。

 計画も、継続も、後先もへったくれもない。

 ただ目の前の敵を拒絶したくて、子供のように暴れたのだ。

 ミス、というより、錯乱させるまで追い詰めたクロノの成果なのだろう。

 あらゆる小細工を使い果たしても、クロノはやはり立っている。

 


「ひ」


「俺は、戦いたいんじゃ、ない」



 死を誰よりも厭うラッシュの前に、死がやって来ている。

 冷たい感触が背中を駆けた。

 クロノは、もう目の前に居た。

 


「ち、近寄るな! 化け物め!」


「……俺は、そんな大層な存在じゃない」



 冷静でなど、いられない。

 得体の知れないものが目の前に迫っている。

 恐怖で身がすくんだ。ラッシュの経験の中でも、ここまで手を掛けられたことはない。

 強い拒絶と、深い恐怖。

 それに支配されて、まともに動けない。

 精細を欠いた動作で、無様に逃げ惑いながら、手持ちの短剣を放る。

 いくつもクロノの体に突き刺さるが、すぐに零れ落ち、傷は巻き戻る。



「なんなんだよ、なんなんだよ、クソッタレ!」


「器用でもない。知識や了見も狭い。力くらいしか取り柄がないのに、戦いでは負ける」



 青ざめた顔で懐を探る。

 だが、もう道具は使い尽くした。

 ラッシュは、ガチガチと歯を鳴らす。

 それに対して、クロノは悲しそうな表情をしていた。



「俺が、本当に怪物なら良かったのにな」


「死ね死ね、死ね!」


「守りたいのに、守れない。身の程は、アインにわきまえさせられたよ」



 刺されても、切られても、殴られても、クロノは一歩も引かなかった。

 話が通じなくても、痛みを堪えながら、ひたすらに訴えかけ続ける。

 この中で、深く、深く、クロノは嘆いていた。

 だがそれは、恐れられたからではない。やりたいことを出来ない、己の不甲斐なさに対してだ。

 


「俺には、何もかも足りない。俺は化け物かもしれないけど、本当に大した事はないんだ」


「なら、なんでお前は死なないんだよ!」



 息がかかるほど近寄れた。

 だが、クロノはラッシュに蹴り飛ばされる。

 

 また、距離は遠のいた。

 クロノはまた立ち上がる。

 クロノにとって幸いなのは、失敗出来ないという意識から、ラッシュが逃げるという選択を取らない事だ。

 


「死ななくても、負ける。俺は今でもアインに勝てるとは思わない」

 

「だから、なんだよ……!」


「死なないだけじゃ、勝てない。さっきも言ったが、俺には何もかもが足りない。俺には、お前のような技術も、勝つための深慮もない」



 クロノは、ラッシュの目を真っ直ぐ見つめる。

 怯えが混じった瞳に胸を痛めるが、それでも、伝えたい想いは止められない。

 真摯に、聞いて欲しいと願う。反撃もせず、されるがままに耐え続ける。

 少しでも、話を聞いてもらえるように。少しでも、恐怖を和らげられるように。



「お前は、凄い奴だ。俺みたいな無茶苦茶じゃなくて、人としての積み重ねを感じる」



 心からの称賛を送る。

 自分よりも遥かに凄いのだと、認めている。



「だから、その力を貸してくれないか?」


「……は?」



 ラッシュには、分からない事だ。

 自分か、それ以外かという認識だった。自分さえ良ければと思うだけだったのだ。

 クロノの言う事など、一から十まで理解できない。

 ただ、今、求められていると気付いている。殺すべき対象から、自分自身を。



「俺は、縁に命を賭けられる。新しく結べる縁も、結んだ縁も、大切だ。でも、俺は不甲斐ないから、一緒に縁を守ってくれる仲間が必要だ」


「…………」



 築かれた縁を、守りたいと願うのは分かる。

 だが、それを外野にも願うのは、理解不能だ。

 守りたいと言う縁とやらも、ラッシュにとっては関係のないものなのだ。

 それを、わざわざ迷惑をかけると宣言されたようなもの。心をさらけ出したのは構わないが、だからといって、好ましいとは思わない。 

 

 出来もしないことをグダグダと。

 巻き込まれたくないのだ。

 強者の好き勝手な要求に、ラッシュは恐怖の裏に、苛立ちを芽生えさせる。



「……俺に、お前やお前のお友達を、守れって?」


「率直に言ってしまえば、そうなる」


「ふざけるな……」



 震えた声が盛れる。

 怖くて、恐ろしくて、それでも言いたい事があったのだ。



「俺は、お前の、都合の良い道具じゃ、ない」


「ああ、知ってる」


「お前と、友達なんて、絶対にごめんだ。俺は、お前を殺せなきゃ、殺されるんだ」



 クロノは、散々自分の不甲斐なさを語った。

 だというのに、そんなクロノと友人になり、お互いを守り合おうと言う。多少のおまけが付いてくるだろうが、だから何だと言うのだろう。

 クロノでは、ラッシュを守りきれないと言ったのだ。

 クロノより弱いおまけが付いてきても、結果は変わらないだろう。

 ラッシュは、誰にも守られない。


 ふざけている。


 

「じ、自己満足なら、ひとりでしてろよ。お、俺を、巻き込まないでくれ……」



 一人の友人を得る安息よりも、クロノと縁を結ぶ事による苦難の方が、確実に大きい。

 メリットがあまりにも無さすぎる。

 クロノという化け物が、己の弱さを知る事は分かった。普段から観察し、性格は悪くないと知っている。友を守るためなら何でも出来るという姿勢も、かろうじて肯定することも出来よう。

 しかし、クロノの望みは叶えられない。

 そんな事よりも、自分の命が大切だからだ。

 


「……それは、出来ない」


「脅し、か? そ、そりゃあ、いい……きっと、仲良くなれるだろうさ……」



 クロノを殺す。己は生きる。

 これ以上の選択肢などありはしない。

 だから、拒絶以外はあり得ない。



「俺は死にたくない。なら、俺はお前に死んで欲しくない。だから、俺の取れる最良は、これなんだ」


「か、勝手が、過ぎる……」



 歪んだままに、クロノは澄んでいた。

 ラッシュも、その純真さは、嫌いではなかった。

 だが、



「…………」



 ラッシュは、自覚している。

 どれだけ手を尽くしても、クロノは殺せないのだ。任務のために死ねないラッシュは、暗殺者としては二流だろう。しかし、これだけ見せつけられて、力量の差が分からないほど、愚かではない。

 任務失敗は必至であり、すなわち、ラッシュの死も確定している。

 ラッシュの震えは、それが明らかになったからでもある。

 挑んでも、挑まなくても、結果は一つ。過去の全てが塵に等しいほどに、難易度に大きな隔絶がある。

 己の終わりを感じ取っているのだ。


 その要因が、憎くないはずがない。

 だから、拒むのだ。

 


「お前は、クソ野郎だ……」


「すまない」


「お前が俺を、殺すんだ……俺がこれから死ぬのも、お前のせいだ……」


「俺が俺である限り、ラッシュ、お前は俺を憎むんだろう」



 だから、友になどなれない。

 そう、言おうとして、



「だから、これから、お前を縛るものから解放しに行く」


「は?」



 クロノに、頭を撫でられる。

 その直後に、強い魔力反応を感じた。

 


「ま、さか……」


「そんな顔なのか、お前に命令した奴は……」



 今、クロノがしたような魔法は、普通に存在する。

 存在するからこそ、ラッシュはプロテクトの用意を万全にこなした。

 高位の魔法使いでも、そう簡単にはいかない防御だ。

 その堅牢な守りを、ものの数秒で、クロノは突破したのだ。

 驚嘆の声が、思わず漏れる。



「や、やめろ! お前なんかが、敵う、相手じゃ……」


「俺は、弱い。守るためには、もっともっと力が必要だ。だから、」



 クロノの雰囲気が変わった。

 


「なりふり構わない事にするよ」


「あ」



 形容出来ない力が、クロノから溢れる。

 とにかく、凄まじいエネルギーであるという事以外は微塵も理解できない。

 それらは完璧な統率の元に、クロノの周囲に留まり続ける。

 削られ続け、もうまともに残っていない魔力とは違う。魔力以外の、さらに強力なナニカだ。

 超越者という単語がラッシュの中に浮かび上がり、呆然とする。  

 そして、



 異変は、止まらない。





「え?」





 空が、途端に黒に染まった。

 一瞬、夜が訪れたのではと思ってしまったが、この光景は、あまりにも異様過ぎる。

 ラッシュはクロノのせいかと思ったが、クロノも同じように空を見上げて、唖然としていた。

 すると、



『クライン王国の皆々様。ご機嫌ようございます』



 声が響く。

 気付けば、ラッシュはどこかの屋根の上にいた。

 突如現れた何者かを見つけるために、クロノが『転移』したが、それに巻き込まれたらしい。

 だが、そんな事はどうでも良かった。

 異様な気配を放つクロノが、さらに異様な様子を隠そうともしないのだ。

 瞳孔が開き、冷や汗を垂らしながら一点を見つめるクロノがまず目に飛び込む。

 疑問を挟む暇もなく、ラッシュは、クロノの視線に釣られてしまう。

 

 

『小生がどこの誰か、ご存知の方は少ないでしょう。なので、まずは自己紹介を』



 神官服が目を引く男だった。

 十人が十人、話しかけられれば警戒するだろう、異様で、たおやかで、訳の分からない雰囲気をした、謎の男だ。

 空中だというのに直立して薄く微笑む姿は現実離れしていて、夢ではないかと疑ってしまう。

 だが、だからこそ、間違いない。

 頭に直接響く声の主は、アレなのだ。

 


『「聖王」を名乗っております。お見知りおきを、と言いたい所ですが、今回は違う』



 王都を囲っても、なお余りあるほど巨大な結界。

 恐らく、王都のすべての人間に声を届かせているであろう魔法。

 ピタリと空で止まる、空中浮遊。

 それら全てを併用して、まったく平然としているエネルギーとコントロール。

 

 戦慄が走る。



『宣言しましょう。小生は、この国を滅ぼします』


『『『『『Rrrrrrrrr!!!』』』』』


「「!!?」」



 それと同時に、嫌な気配が王都中で発生する。

 一番近い気配の場所に視線をやれば、おぞましい怪物が闊歩していた。

 そして、



「やーっと尻尾見せたなあ、クソ野郎」



 クロノの隣から、声がした。

 そちらを向けば、音もなく、小柄な黒髪の少女が佇んでいる。

 クロノたちは、意味のある言葉を出せない。

 少女は、いつにもなく獰猛な笑みを浮かべていたからだ。

 


「あ、アイン……?」


「集中しろ。その状態のまま、お前はあの化け物どもを殺して回りなさい」



 クロノたちに目もくれず、アインは指示を出す。

 有無を言わせない口調から、拒否権は一切ないのだと理解する。

 そして、



「アレとは、ボクがやる」



 その直後だ。

 空の男とアインは、恐らく同時に笑みを深くした。

 どちらも、凄まじくおぞましい。

 示し合わせたかのように、膨大な力が両者から溢れて、



「『さあ、茶番劇を始めよう』」



 声がシンクロした瞬間に、アインは消える。

 クロノたちは、アインが移動した余波で、吹き飛ばされた。


 

 

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