第74話 気狂いが気狂いになった理由に興味はない
「君さ、ホントに何がしたいの?」
アインの冷たい声が響く。
純粋な興味や、無関心な雑談ではなく、追い詰めるための問いだ。
ひたすらに言葉で詰めて、心を折る。百パーセント、侮辱が目的だ。
アインがいかに、人を見下しているか。
そこに、信頼や情といった感情が一切存在していない事が分かる。
「他人を守るため、他人を救うため、他人を愛するため。君が鍛練する理由に、どこにも自己がないよね」
「っ…………!」
「気持ち悪い。なんで、そんなに必死になれるの?」
虫でも見るかのような視線だ。
これまで散々振るわれてきた暴力も相まって、まさに靴底に張り付いた虫の死骸のような扱いだ。
ズタボロにしたクロノへの気遣いなど、どこにもない。
弟子への慈しみが欠場していた。がらんどうのように、空虚な目をしている。
「人は、立ち上がるための動機を自分の中にしか見出だせない。そこで他人を理由にする奴は、結局途中で折れて、悲惨に終わる」
クロノの事を、視界からすら外す。
逆を向いて、散歩でもするかのように歩く。
歩によってくるくると円を描き、気だるげに言い聞かせる。
いや、やはり、そんなに上等な行動ではないのかもしれない。適当に、言葉を放り投げているだけなのだろう。聞かせる気もなく、垂れ流しているだけ。
クロノに対する態度に、優しさなど一欠片すら存在しないのだから。
「君もその口だと思うよ。他人のためにしか生きれない奴は長生き出来ない」
「はあ……はあ……」
「弱い。脆い。つまらない。自分に頓着しない奴は、能力だけあっても、こんなもんか」
ぼんやりと空を眺めながら、独り言る。
失望を交え、なるべく心を抉るように。
思い浮かべるのは、子を見捨てる親だった。子の事は、自分の思い通りになると信じて疑わない、ろくでなしを再現している。
「ゴミめ。もっと面白くなると思っていたが、期待外れだった」
「…………」
殺したいほど、憎んでも仕方がない。
この先、永劫に拒絶される事を願われても、それは必然だ。
ほぼ鬱憤ばらしだが、クロノとて、それには気付いていよう。
いくら鈍くとも、ここまでの悪意を向けられて、分からないはずがない。
「お前は弱いままだ。ずっと、そうして地べたを這いずっていればいい」
「…………」
「強くなりたいなんて、分不相応な。救いたい、助けたいなんて、出来るはずがない。他人のことを構う前に、自分の面倒を見れるようになれ」
見下され、いたぶられて。
そこまでされても、アインは手を緩めない。
クロノを下敷きにして、座る。
物憂げに空を見ているので、クロノを見ていない。視界に納める価値すらないのだ。クロノにも、その扱いは知れている。
分かるように、しつこいくらいに行ってきた。
今回も、執拗に虐め続ける。
殺す寸前までいたぶり、そして、自力で治せと嘲笑する。
そして、
「…………」
「?」
アインは、首を傾げた。
これまで集積してきた違和感を、無視出来なくなったからだ。
悪意をぶつけてきた対象の、微かな感情。
ひときわ、人の感情を読み取れるアインからすれば、理解不能なものを感じた。
思わず気になり、尋ねてしまう。
「……お前、なんで喜んでるんだ?」
「え、なんで、分かったんだ……?」
反射的に、アインはクロノから飛び退いて、蹴り飛ばす。
若干嫌な音がしたが、クロノの自己治癒でなんとかなる範疇だ。
鳥肌を立てて、嫌な顔をさらす。
ゴロゴロと転がるクロノに近寄ろうとはしない。
気持ち悪さにおののいている。
「きも……マゾかよ……」
「ごふっ! ち、ちが、うって……」
よろよろと立ち上がるクロノを見る視線は、ゴミを見るようだった。
そのままゴミ箱に捨ててしまおうかと悩むアインに、クロノは慌てる。
「俺の、事を、見てくれてるのが、嬉しくて……」
「は?」
「他人に理由を作るのは、良くないって言ってるけど、俺には無理だ。切り離せないよ、他人を」
弁明を聞いても、見る目は変わらない。
何を言っているのかと、本気で疑っている。
「俺の悪いところを、皆が言わないところを、お前は正しく指摘してくれる。これは、仲良くなれるきっかけだ。だから、俺はそれに気付いて喜んでた」
「は?」
言われて理解できない事などあるのか。
アインですら、信じられない。
人間に対する理解は、それなりに長けていると自負していたから、余計にだ。
気持ち悪さもあったが、興味が勝る。
アインの罵倒よりも先に、クロノの説明が先走った理由がそれだった。
「ボクにその気はさらさらないけど? むしろ今、心の距離が開いたよ?」
「うん。俺も無理強いはしない。友達になりたくないなら、ゆっくり、時間をかけてその気にする」
「ボク、君に対して結構えぐいことしてきたけど、良いの?」
「俺のための行動だろう? なら、まったく問題はない」
真っ直ぐ向ける視線は、熱意が込められている。
アインが気恥ずかしくなるほどに、クロノは真正面から、アインを口説いている。
ドン引きしすぎて、手も口も出ない。
「むしろ、新しい一面が見えて、とても良かった」
「理解できん」
形容出来ないほど、アインは顔をしかめる。
これまでにないアプローチだ。記憶を全て掘り返しても、こんなに気持ち悪いと思った事はない。
アインは、クロノを見下していた。
言動に芯がなく、多少の絶望で取り乱し、
「俺は、仲良くなれると思った。なら、それは俺にとって命を賭ける理由になる。お前の言う、自分の中の動機になると思うぞ」
「意味が分からん」
仲良くなれそう
たったそれだけの理由で、何故そうなるのか。
本気で理解できなかった。
アインの人生の中でも稀有な例すぎて、どうすれば良いか分からない。
ゴミを見るような目が、変わった。自然と、クロノを視界に納めている。
「ずっと、お前が言った事を考えてたんだ。俺が、強くなりたい理由だよ」
「だから、何故そうなる。散々言ってんだろ。自分のために強くなれない奴はしょーもないって」
「うん。真逆かもね。だけど、追い詰めてくれたおかげで、分かったんだ」
クロノの傷が癒えている。
満身創痍のはずだったが、全快している。
魔力操作にガタが来るほど、めちゃくちゃに虐げられたはずだ。
だが、治りきっている。
いつも通りなら、治癒は中途半端に終わったはずだ。
「やっぱり、俺は仲間が欲しい。そのためなら、何でも出来る」
「なんで、そうなるんだよ……」
アインは、思わず呟いた。
鍛えた相手が斜め上の結論に至り、困惑の極みである。
どうしてこうなった、虐めすぎてマゾに目覚めていないだけマシなのかと、頭を抱えたくなる。
だが、それはクロノの知ったことではない。
確信を持って、自分を通す。
「思い出したんだ。前は、誰とも関わることを許されなかった。だから、他の奴らが羨ましかった。死ぬほどな。だから、俺は、このために死んでもいい」
「……それが、今際の際にも言えるか?」
「一人は嫌だ。それは、死ぬより怖い」
本気で言っていると、分かる。
何が彼をそこまでするのか、アインは知らないし、興味もない。
本当なら、クロノがいつも吐き散らす偽善を暴いてやろうと思っていた。
だが、予想外の方向へ吹っ切れてしまった。
悩ましさに額を押さえてしまう。
「酷い目に遭ったから、自分の根っこに向き合えた。ありがとう」
「はー、予想外だわ。まさか、クロノくんがこんなイカれ野郎だとは……」
アインの呟きは、クロノには届かない。
正しさの確信を得たクロノには、イカれ、などという評価も、正しいものと分かっていた。
「まあ、良いや。イカれてる奴は嫌いだけど、まあマシな部類だし」
「友達になれるのか?」
「なれる訳ねぇだろ、今嫌いだって言っただろうが」
溜め息が混じる。
乱暴な口調に、クロノはふっと笑う。
投げ掛けた言葉がきついほど、喜ばれる気がして、思い切りドン引く。
そして、
「はあ……ていうかよぉ……」
「ん? なんだ?」
「ボクは、べつに友達なんざ欲しくねぇんだよ」
クロノは、途方もなく巨大な獣に睨まれている光景を錯覚した。
山より巨大で、空をつくほど高く。おぞましく、恐ろしく、そして孤高だ。
息も出来ないほどに、怖かった。
アインは今、気まぐれで留まっている人の枠組みを越えようとしているのだと、悟る。
「勘違いしてんな。お前なんぞ、ボクとは釣り合わん。友達なんて、烏滸がましい」
冷たい声だった。
興味がないから冷たく聞こえるのではない。
視界に収めながら、敵対的な態度を取った。
目の前の相手が凄まじく強大な存在で、それが、自分に不快感を抱いている。
命を握られている感覚がする。
その上で、クロノは口角を大きく上げる。
「……心を折ろうなんて、無駄だぞ。俺は、イカれてるからな。俺は今でもやっぱり、お前とも友達になれる気がしてる」
「まだ言うか? 殺すぞ? 必要ない。ボクはもう、友達は作らない」
「お前も、俺と同じで、人と外れてるからな」
アインの動きが止まる。
図星をつかれた、としか言い様がない。
そんな意外な態度を取ったアインに、クロノは嫌味なほどに深く嗤う。
「きっと、仲良くなれる」
「…………」
異常な思考が、人とは外れた資質が、英雄足りうる天運が、発言に真実味を抱かせる。
アインをしても、まさか、と。
万が一にもあり得ない事だが、それでも、もしも、を思わせる。
「調子に乗んな、カス」
「いたっ!」
いつの間にか移動していたアインに、頭を叩かれた。
気付けば地面を舐めていた。影すら、クロノに掴ませなかった。
顔を見せるなと言わんばかりに頭を踏まれて、アインの方を見られない。
慣れているので、特に抵抗はしない。したところで、抜け出せるはずもない。それに、今はこのくらいで引いておくのが良いと感じたのだ。
そのままの姿勢で、クロノは聞く。
「お前のキショイ思考は分かった。他人のために命を躊躇いなく使えるのもな。理由なんざ知らんが、イカれてるならイカれてるで構わん」
「は、はは、酷いなぁ……」
「まあ、頑張りな。次の奴を絆せないなら、見直させるなんて一生可能性すらないからな」
意味は、分からなかった。
問いただしても答えてくれないと、短い付き合いでも分かったからだ。
頭から足が退かれる。
そして、
「今日から上級訓練だな。一筋縄じゃいかないが、精々頑張りな」
アインは、消える。
周囲を見回しても、気配すらない。
理由も、意味も分からないが、やるべき事はひとつだ。
課せられた修行を、全力で行う。
励む事以外、クロノには出来ない。選択肢など与えられていないのだ。
「……頑張ろう」
この日から、暗殺の日々は始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます