第72話 青臭いのは、嫌いじゃないさ。反吐が出るけどね


 クロノが暗殺者に付け回されるようになってから、三日が経過した。

 四六時中、刃と毒に襲われる日々。

 恐怖と警戒で頭をいっぱいにして、常時、意識を戦闘へ向ける。

 これまで、経験したことがない苦行。

 いつ終わるのか分からないストレスは、クロノを順調に追い詰める。


 周囲を巻き込めないので、自然と一人を選ぶ。


 友や無辜の人々を危険には晒せない。

 狙いが自分なのだから、自分だけが危険であれば良い。

 クロノは、頑なに一人を選んだ。誰かと協力する、というのも立派な自衛の手段だが、それは、一時的な師であるアインとクロノ自身が望むところではない。

 死なぬのは、当然のこと。その上で、強くならねばならないのだ。

 

 自然と、眠る時間が減っていった。


 寝ている間は、常に絶え間なく魔力の鎧が働く。魔力の鎧が働く間は、刃が通る場所はない。

 なので、睡眠中はノーリスクで体力回復が出来る。

 しかし、常に気を張り続ける行為は、ことごとく安らぎを奪っていく。

 気力はどんどん、劣化していく。


 魔力操作の精度は、低くなっていく。


 気力は、十分すぎるほどに削られた。

 生まれた小さな穴を突かれ、差し込まれた刃と、猛毒。

 治癒と解毒を幾度も行い、迎撃し、肉体、精神の疲労はピークに達していた。

 常在戦場こそ、目指すべき場所ではあった。

 しかし、アインが設定した目標値まで至るには、時間が足りなすぎた。

 一朝一夕で出来る事ではない事を、十分なレベルまで急速に行えるようになったから、アインすら勘違いしていた。

 そこまで、無理に詰め込んだクロノが、平気であるはずがないのだ。



「…………」


「ボロボロだね」



 否定は出来ない。

 街に入れば、どこから刃が飛ぶか分からない。

 出来れば人の来ない、遮蔽物のない平地に移動したかったが、それも難しかった。

 暗殺者の猛攻は、それだけ凄まじかった。

 逃げる者の心理を理解し、二手、三手先に罠を仕込む。どこまでも追いかけて来る恐ろしさは、クロノの心を大いに削った。

 


「長かったよ。正直、一日で終わると思ってたのに、よく耐えたね」


「…………」



 転移は、使えなかった。

 本気で逃げ切ってしまえば、その害意は、クロノの周囲に向きかねない。

 クロノですら、このざまなのだ。

 アリシアやアリオス、リリアが同じ目に遭えば、すぐに殺されてしまう。



「疲れたでしょ? 寝てても、いいよ」


「…………」



 逃げて、逃げて、一人を選び続けて。

 やってきたのは、薄暗い路地だった。

 誰も居ない、見向きもしない、寂しい場所だ。きっと、死んだとしても、腐り果てるまで打ち捨てられるのだろう。

 まるで、犬のように野垂れ死ぬ。

 泥にまみれて、傷だらけで、最後は踏みにじられて終わるのだ。

 そうなるように、暗殺者が仕向けていた。

 


「……なんで、こんな事をするんだ?」


「あはは、悪いね。それは言えないんだ。君の死を望まれていたって事だけ、知っておきなよ」



 暗殺者の両手には、大振りの短剣が握られている。

 美しい漆黒からつたる液体は、赤と黄緑が混じっていた。

 ゆっくりと近付く暗殺者は、極めて静かだ。足音はもちろん、衣擦れ、呼吸、心拍などなど、あらゆる音が、欠落しているように思える。

 襲われている時、何度もクロノは思った。なんて、無駄のない動きだろうか、と。

 アインを除けば、クロノが見た中で、最も美しい体捌きだった。



「……なんで、黙ってたんだ?」


「? この事かい? いや、言う訳ないじゃん。バレたら最悪、消されるからね」


「……そんなに、凄いのに」



 掛け値のない称賛だ。

 だが、相手はそうは受け取らなかったらしい。

 たまにある、死を目前にした事による錯乱。

 そう受け取り、聞く耳持たなかった。



「そりゃ、子供の頃から鍛練させられてたし」


「凄い、なあ……俺より、ずっと、上手い……」


「当然さー」



 暗殺者は、当初の想定を思い浮かべる。決定的なズレや思い違いはないかと。

 ここまで、特段おかしな事は起きていない。

 クロノは他人を危険に巻き込みたくないと、人に頼ることをしない。

 なので、とことん追い詰められる。

 戦闘を継続する能力は、自分が上だと確信していた。狩られる側に立った事のない相手を追い詰めるくらい、簡単だと思った。

 そして、実際、追い詰められた。

 理不尽なまでのパワーも、高い魔力操作の技も、見る影もないほどに磨耗させた。

 一対一で、勝てるようになるまで。

 


「小手先の技術を身に付けても、あんまり意味はない。それが当たり前になるまでにならないと」


「二人目の、師匠も、同じ事を、言っていた……」


「彼女は、どっちかっていうと、どんな時でも戦える精神を身に付けさせたかったんじゃない? その意味なら、君の力は結局、小手先だったのさ」



 戦えども、戦えども、一切疲労せず、外敵を殺し続ける戦士。

 アインはそのための技を教えた。

 しかし、その末に身に付けられる頑強な精神は、得るには至れなかった。

 当たり前だが、誰が常に戦いたいか? 生活の全てを、戦う事に捧げられるか?

 師にとっての当たり前を、クロノは理解できなかった。非凡が過ぎる力を持ってはいたが、心まで、それに伴うほど逸脱してはいなかったのだ。


 クロノは、アインとは違う。

 


「ラッシュ・リーブルム……」


「なんだい、クロノ・ディザウス?」



 クロノは、ラッシュとは違う。

 血と殺戮に慣れた、ろくでなしではない。

 命を落とす事を当然とは思えない。奪う命に目を瞑る事が出来ない。

 クロノでは、この二人と張り合うには、経験が浅すぎたのだ。



「俺は、甘かったよ」


「……そうだね。君は甘い。最後の最後まで、俺を死に至らしめるような反撃をしなかった」



 クロノは、無闇に命を奪いたくない。

 例え誰であろうとも、殺しを厭う心根は変えられない。

 その正体が、級友なのだ。クロノの選択肢の中に、殺しはなかった。

 そこに至る事は、出来なかった。

  

 

「命を大切に思ってるんだねぇ。命が掛け替えがないものだって、師匠に教えてもらったか?」


「師匠は、二人とも、その逆、だよ……だから、逆の事を、思った……」



 弱々しく、クロノは言う。

 ラッシュは刃を構えて、クロノの目の前に立つ。

 


「根っからの良い子ちゃんって訳か」


「俺は、お前たちみたいに、なれない」


「そうだね。残念だけど、君に俺の領域で戦う資質は、なかったよ」



 短剣を振り上げる。

 そして、クロノには、これを防げるだけの魔力の鎧を、用意できない。

 凶刃は容易く、クロノの体を切り裂くだろう。

 ラッシュの技量なら、瞬きの内にクロノの首を断ち切り、心臓を潰せる。

 到死の一撃が振り下ろされる。



「じゃあね」



 そして、



「!」


「俺は、お前たちみたいにはなれない。甘えてたよ。仲間のためなら、容赦なく敵を殺せる、そんな人間に簡単になれると、甘えてたよ」



 攻撃を、止められた。

 想定を超える動きのキレに、警戒を引き上げる。

 


「俺は、ダメだ。出来ない。何かを天秤にかけて、何かを諦めるのは、嫌だ」


「……なるほど、面倒だ」



 既に限界を迎えているはず。

 動きも想定よりは速かったが、決して速すぎる訳ではない。

 分があるのは、ラッシュの方だ。

 戦い続ければ、間違いなくラッシュが勝つ。

 戦力差をひっくり返すには、至らない。

 


「殺す」


「俺は、お前を殺したくない」



 路地裏の、誰も知らない戦いが、始まる。


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