第70話 うっわ、チャラ男くんガチで暗殺者じゃん……
「!」
クロノは、咄嗟に身をよじり、回避する。
飛び出た矢を視界の端で捉えたのだ。
すんでの気付けたが、遅れれば首元に突き刺さっていただろう。
見れば、矢じりには何か塗られている。
恐らくは、毒なのだろう。それも、猛毒を用いているかのうせが高い。
だが、仕掛けた人間の殺意の深さを感じ取る間もない。
「! あっぶ……!」
次は、反対方向からの奇襲だ。
反射的に振り返ると、瞬きの内に一面に広がる黒に、クロノは人並みに混乱した。
クロノは、長く鍛えられてきた。師によって搾られ、死地に何度も放り込まれ、潜り抜けた修羅場の数は、人の百倍はある。
だが、クロノは、慣れていない。
日常から非日常へ、平和から殺し合いへの、スイッチが上手くない。
身支度を整え、今日も今日とて授業へ向かおうとした、寮の中での出来事だ。襲撃されたという認識すら、この時点では叶わない。
戦い方を教わっても、常在戦場の心得は、彼の中には馴染まなかったのだ。
「え、な、なに、」
「死ね」
さらに、クロノの側面から声がした。
機械のように、熱のない音の出所は、クロノの背後からだ。
明確な殺意を感じとり、ようやく目覚める。
あまりにも遅いスタートだったが、十分だった。
クロノの反撃は、このタイミングからでも、先に当てられる。
「!」
クロノはそれを迎え撃つため、身を翻して蹴りを放った。
視覚は封じられても、攻撃のために現した微かな魔力反応は誤魔化せない。
確実にヒットしたと確信して、
「!」
渾身の攻撃は、見事に空振った。
そして、頭上から衝撃を受ける。
「く、おおお……!!」
「なるほど、話の通り、堅いな……」
黒い外套を纏う何者かが、視界に映った気がした。
早々に離脱したので、正体を見抜く前に消えてしまっていたのだ。
気配を探すが、既に下手人は外だ。追いかけても捕まえられない。
直前まで完璧に気配を隠していた。だが、今は、追っても無駄だと知らしめるため、気配遮断をしていないのだろう。豪胆だが、間違いではない。少なくとも、クロノには、追いかけ回すつもりはない。
遅れて、血が流れ出る。
脳天を貫かれかけたが、この数日で、クロノは劇的に変わったのだ。
無意識に張り巡らせた魔力ですら、凄まじい密度を保っている。
眠っている間すら、制御は保てと叩き込まれた。アインに気絶させられた時、出来なければ痛みによって叩き起こされるのだ。
下手人との魔力のレベルは、かけ離れている。
下手人の攻撃が通るのは、今のように、クロノが防御のための魔力を攻撃へ回した時だけだ。
「……なるほど」
下手人は、クロノのここ数日の修練の結果を知っている。
寝込みを襲っても通用しないと判断し、こうした手段を取ったのだ。
情報源は、一人しか居ない。
ということは、
「修行の一環か……」
アインの鬼畜な修行には、もう慣れた。
この数日で、いったい何度命の危機が訪れたか分からないのだ。
今さらこのくらい、なんともなかった。
クロノは、アインの意思を正しく見抜く。
この暗殺者を相手に、死なないこと。危機を前に、クロノは怖じない。
※※※※※※※※※
「……クロノ」
「どうしたんだ、アリオス?」
全身を張り巡らせた魔力に、アリオスは疑問を呈する。
ここ数日、凄まじい力を蓄えている。
はね上がった力の原因は、聞いていた。アインに鍛えられた事によってここまで来れたと。
それにしても異常だが、教える相手も、教えられてる彼も、どちらも規格外だ。
やり方だけは聞いた。それだけで、もう出せる口が無くなった。
だが、今はさらに様子がおかしい気がした。
やらたと、周囲を気にしているからだ。
「食事中なんだ。そんなに周りを見るな」
「いやー、それが実は事情があってさ」
正直、どんな事情かは予想が付く。
付くから、あまり聞きたくはない。
修行の内容を聞いた限り、アインという人間の、隠された狂暴性が明らかになった。
頼むから騒ぎにだけはなるな、と祈って、
「ん! グハッ!」
「むせたか? 落ち着いて食わないからだぞ」
アリオスは、呆れてクロノを見る。
こんな時ですら、魔力のコントロールは乱れていないのだ。
絶対に、マトモではない。
どこまで先へ進もうというのか? アリオスでは、もう想像することも出来なかった。
「げは、げはげはっ!」
「水が必要か?」
「ぐ、がはっ! ぐはっ!」
「……? クロノ?」
流石におかしい、と思った。
その次の瞬間に、
「ぐはっ!」
「! クロノ!」
血の塊を、クロノが吐き出す。
周囲はその様に騒然となるが、構ってはいられない。
アリオスはあまり得手ではないが、回復の魔法をクロノにかける。
苦しそうにしたクロノだったが、その苦痛も、そう長くは続かない。
十秒もした頃には、クロノはケロリとした表情をしていた。
「お前、大丈夫なのか?」
「ん、んん、大丈夫大丈夫。毒は予想外だったよ。盛られた事、なかったし」
それは、衝撃だった。
解毒の魔法は、高度な技術が必要だ。
体を害する特定の成分を特定し、体内から排除する。言葉にすればこれだけだが、これだけを出来ない人間は数えきれない。
体内に侵入した有害な物質。見えもしないそれを、如何にして見分けるか? 見分けられたとして、塩粒よりも遥かに小さなそれだけを、どうやって弾くのか?
緻密な制御と果てしないイメージの末に、ようやく辿り着ける極地なのだ。
それを、この短期間で。
あの状況で。
「…………」
「他の人たちの食事に毒はなかったみたいだし、どうやって俺だけに仕込んだんだ? 出来る人間は限られてると思いたいけど、あの速さだしなあ……」
引き離されていると、そう感じている。
手の届かないほど遠くにまで行ってしまったのだと。
思わず、アリオスは拳を握り締める。
「どう思う、アリオス? なんとかして、俺を狙う奴を捕まえたいんだけど……アリオス?」
「……ああ、いや、何でもない。ぼうっとしていた」
足手まといになるのは、ごめんだった。
劣る存在に甘んじるつもりは、断じてない。
滾る決意を糧にして、さらに向こうへと、アリオスは奮起する。
※※※※※※※※
「クロノくん、最近酷いです」
「え?」
時間が出来たので、アリシアの買い物に付き合う事にしたクロノは、投げ掛けられた言葉に固まる。
何かやらかしただろうかと、自分の行動を振り返った。
だが、特にこれといった粗相は思い浮かばない。というか、一緒に過ごす時間がそもそも無かったはずだ。
だから、どういう意味かと、聞き返そうとして、
「最近、私に構ってくれない。酷いです、酷いです」
「あ、あー」
「私も一緒に遊びたかったです」
遊んでいた訳ではないのだが、それを言ってしまえばやぶ蛇な気がした。
思わず、苦笑いを溢す。
可愛らしく頬を膨らませているが、怒らせれば死ぬより怖い目に遭うだろう。
下手な事は言えないので、沈黙を貫くしかない。
「聞けば、あの迷惑女を側に置き、あの不思議女に師事しているとか」
「う、うん、まあ。ていうか、迷惑女と不思議女って……」
「迷惑女のはた迷惑があってから、私を避けていますね、クロノくん」
ドキリと、胸をつかれた。
心を見抜かれたような気がした。
「酷いです酷いです。私をのけ者にするなんて、信じられません」
「あ、はは……」
クロノの袖を引っ張り、真っ直ぐ目を見つめる。
ゾッとするほど、暗く見える。
嫉妬や憎悪といったどす黒い感情が、気持ち悪く渦巻いている気がした。
散々アインにボコボコにされた時も、魔王に殺されかけた時ですら、感じたとこはない。
とても、とても、恐ろしいと思った。
「じゃあ、行きましょうか。今日は、デートをしてもらいます」
「う、うん」
「他にうつつをぬかせば、私、何するか分かりませんよ?」
袖を引かれて、歩き出す。
振り返る表情は、とても明るい。
先ほどの怖気が影も形も無いほどに、ただ、デートを楽しむ女の子のようだった。
ギャップで死にそうだったが、そんな緊張は、アリシアの知るところではない。
それに、ウキウキとしたあの雰囲気に、水を差すのは憚られた。
「なあ、アリシア」
「なんでしょう? 謝罪は結構ですよ? 今日、一緒に居てくれればいいです」
「いや、それもそうなんだけど、そうじゃなくて。ただ、悩んでただけなんだ」
アリシアは、小首を傾げる。
クロノを絶対視する彼女には、よく理解できない事だった。
クロノは笑っているが、その笑顔がぎこちなく見えたのだ。
アリシアは、クロノの弱さを、初めて目撃した気がした。
「俺のワガママに巻き込んで、酷い目に遭わせて。俺は、何をしてるんだって……」
「クロノくんは、凄い人ですよ」
「信じてもらえるだけの価値が、自分に無いような気がしてたんだよ」
それに対して、アリシアは不満げにする。
あまり、心地よい宣言ではなかったのだろう。
だが、押し止めたものの発露は、なかなか止まらない。
「俺は弱いから、強くないから、お前たちの期待に沿えるよう、強くなりたかった」
「クロノくん……」
「ごめん。俺、君が思うほど、強くないから。自信がなくて、足掻いてたんだ……」
申し訳なさそうに、クロノは視線を伏せる。
弱さが、その吐露そのものが、後ろめたい。そのまま、顔を背けてしまいたい。
だが、
「私は、クロノくんが不甲斐ないだとか、思ったこともありませんよ」
「…………」
差し込まれた光は、無視できない。
眩く、洗われるような心地だ。
その分、強く影が映る。
「まあ、何を言っても納得しないでしょうし、私の想いくらいは伝えましょうか」
「…………」
「私、貴方のために、命をかける気はありますよ。それは、私が決めた、私の判断です」
言わんとしている事は分かる。
だが、それでも、自信がない。
心が落ち込み、申し訳なさで潰れそうだ。
そして、
「うぐっ!」
「え?」
凶刃が、クロノを襲う。
「ぐ、がああ!」
「クロノくん、クロノくん!」
反撃と同時に、結界が張られた。
クロノが刺されると同時に行った、隔絶のための結界は、暗殺者の第二撃を防ぐ。
急速に傷は再生し、消えていく。
倒れかけたクロノであったが、すぐに立ち上がり、迎撃の準備をし始めていた。
だが、暗殺者の姿は既にない。
敵の慎重さに、クロノは嫌気が差す。
「クロノくん、あれは、いったい……?」
「分からない。分からないけど……」
ほんの一瞬だ。
小さな小さな呟きが、クロノの耳には届いた。
精神的動揺があれば崩せる、と。
「いくらなんでも、本気すぎるだろ……」
なりふり構わない本気の殺意に、クロノは戦慄する。
修行と呼ぶには、あまりにも、命懸けすぎた。
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