第37話 手に入ったのはコレだけか……
全て、終わった。
どこぞの組織の橋渡し役らしい男は死に、アリシアは負けたのだ。
主犯二人の、無力化。
事件の発端が負けて、結局は未遂に終わったことになる。
何かが噛み合えば、もっと大事件になっていたかもしれないが、最終的には、犯罪者ひとりの死という結果に終わったのだ。
全て、内々で処理され、事情は外には漏れていない。
クロノが目を覚ました三日後には、大体の話し合いのケリが付いた後だったのだ。
「アリシア……」
「はい、何でしょうかクロノくん?」
何ともケロッとした顔をしている。
何事も無かったかのようで、天気の話でもするかのように気軽だ。
高級そうな家具に囲まれ、優雅にお茶を飲む彼女は、ただの貴族令嬢のようだった。
だが、相対しているクロノからすれば、そういきたくとも出来ない。
その部屋は、牢獄なのだ。普通の貴族の部屋のように見えても、そこは、アリシアを閉じ込めるための場所だったのだ。
アリシアに巻かれた、物々しい首輪が目を引く。
分かってしまう。
クロノの目で、部屋の隅々から、その首輪から見えるのは、重い拘束の術式だった。
「ああ、これだけ監禁のための魔法が部屋に仕掛けられたら、落ち着きませんよね?」
「…………」
「それとも、この首輪ですか? これは、罪人用の拘束具です。効果は、魔力の操作を妨害と、首輪の所有者への服従。これで、貴方を害せなくなってしまいました。取って食べたりは出来ませんので、安心してください」
偽りはない、はずだ。
残念そうに言っているが、本心を掴ませない。
感情の色のようなものが見えるクロノでも、自分の目が正しいか、そうでないか判断が付かなくなる。
それだけ曖昧で、実に上手く笑っていた。
「あはは。まあ、仕方がありません。負けたのは私で、勝ったのは貴方です。このくらい、甘んじて受けるのが道理というもの」
「…………」
「世界のどこを見ても、敗者と勝者が居るわけで、そして基本的に、敗者の権利は勝者へ委ねられる。当たり前のことなのですよ、こんなのは」
慰めだったのだろうか?
過剰に自分の処遇に嘆くクロノに対して、ひとまずそう言って納得してもらうために。
だが、透けて見えてしまうのだ。
自分の処遇に関して酷く無関心で、命すらどうでもいいと思っている態度が。
「……まだ納得してくださらない様子で」
無機質な目を向けられて、ドキリとする。
見る側に回ってばかりだというのに、いきなり見られる側にされた事に硬直したらしい。
だが、それも僅かな間だけだ。
もう既に、目に、表情に、色がついている。
ただの少女のように、笑っている。
「クラスメイトの女の子が、こんな目に遭っているのが理不尽でしたでしょうか?」
「理不尽、とは思わない。ただ、お前の扱いは、見ていて気持ちいいものではない」
クロノは、本音で語る以外のやり取りは知らない。
場違いなほど誠実に、クロノは事に当たる。
「では、私の首を見ないようにしてみては? 視界を調整する魔法を使ってみるのも……」
もちろん、そういう事を言いたいのではない。
当たり前の発想のはずだが、一番に思いつくのは対処療法らしい。
いや、その対処療法こそが、彼女にとってまっとうな対応だったのだろう。
根本から、違う生き物なのだ。
そう感じ入っても、仕方がない。
「そういう事じゃ、ないんだが……」
「……違いましたか」
誤ったことが想定外だったようだ。
アリシアは、目を丸くしている。
「ふーむ、今になってこれほど他人との齟齬を感じるとは。私もまだまだだったようです」
「考えの違いに気付くの、いくら何でも遅すぎないか?」
「今までお話をしてきた皆さんが単純なのもありますが、恐らく一番は、こういう事を指摘してくれるような関係性、今まで作った事がないからではないかと」
家族を含めて。
そんな枕詞が付きそうだ。
だが、そんな触れにくい事より、アリシアの表情に目が行く。
口元に手をやり、何かを考え込んでいる。
「不思議です。私は何故、ああも取り乱したのでしょう? 何故、こうして和やかにお話をしているのでしょう? 意味もないことなのに」
「変なことじゃあ、無いと思うが」
「いえいえ、そんな事はありません。貴方と話すのは、心地良い。こんな事は初めてです。とても変です」
人との会話に、実利以外を考えるのは初めてらしい。
異常が通常、通常が異常。
そんな歪み方を、誰も矯正出来なかった。
それは、とても、
「そっか……」
「クロノくん? どうしましたか?」
やけに親しげに感じるが、遅れて『そういう約束』だったと思い出す。
歩み寄ろうと、してくれている。
ならば、応えない訳にはいかなかった。答えを示さない訳にはいかなかった。
「理屈じゃないことも、良く見た方が良いんじゃないかな?」
「おや、何の話でしょう?」
「雑談……ていうか、もう独り言みたいなものだね。適当に聞き流して欲しい」
そうは言うが、真っ直ぐ、クロノはアリシアを見つめていた。
誰に向けた言葉なのか、明らかだ。
かつて、自分に言われたように、意図が正しく伝わる事を願って。
「何事も、理論だけじゃ動かないんだ。それだけで語れるほど、世の中は単純じゃあない。だから、今回は間違えたのさ」
「間違えた、ですか……」
「理屈以外も交えて、寄り添って、感情論すら含めて計画してたら、上手く行ったんじゃないか?」
目から鱗のような顔だ。
失敗の理由が自分の手落ちなど、考えていなかったらしい。
と、いう顔を作っている。
「お互い、視野が狭かった」
「お互い……?」
「ここまで来なきゃ、俺はお前の視界なんて微塵も分からなかった。分かって、分かり合える気になってたんだよ、俺も」
「不合理な思考に振り回されてしまった、ということでしょうか?」
小さく、クロノは頷く。
「俺は、理屈がどうこうとか細かい事は分からない」
「私は、嫌悪や道理といった感情への理解が足りなかったようでした」
なおも優しく微笑んでいる。
本当に、心から、顔を綻ばせているようだ。
正しく状況に合わせて、愛想を振りまけるその在り方こそ、クロノには理解出来ない。
ここまで徹底できるものなのか。
染み付いた人との関わり方が、被った分厚い仮面が、消えることはない。
「理屈では動かないのですね、貴方は」
「……そうだな」
「それは興味深い」
興味深い、というのは、人に対するものではあるまい。
磔にされた虫を相手にするような、そんな興味であったのだろう。
そう思うと、何とも機械的な笑みだ。
抜け落ちていると、クロノは感じた。
「興味深い、か……」
「不快に感じましたら申し訳ありません。こういうタチでして……決して悪い意味では……」
作り物のような顔をする。
とにかく上手い、困ったような顔をしている。
だが、一度気付いてしまえば、目につく。
本心は無、そのものであり、言葉は思ってもいないことばかりだ。
だから、クロノは奮い立つ。
するべきことは、目に見えている。
「いや、良いんだ。ただ……」
「ただ?」
「俺は、お前を理解出来ないと思った」
突き放すような言葉だった。
だが、残酷でも、真実だった。
「俺とお前とでは、見えてる世界が違うんだ。同じように『外れて』ても、まったく同じなんてあり得ない」
「……何の話でしょう?」
「お前が欲しかったモノの話だよ」
分かっている。
この少女は、理解者を求めているのだと。
自分のような『外れた』存在から、認められたいのだと。
抑えつけられた事に苦しんだのも、敵として立ちはだかるクロノに惹かれたのも、自分が間違っていないという確かな証が欲しかったのだ。
しかし、その言葉は投げかけられない。
「俺は、お前が、分からない。多分、この先もずっと」
少なからず、ショックを受けたようだった。
初めて、クロノに見える感情の色と表情が合致する。
「仕方がありませんとも。確かに、私は私以外の誰かと視界を共有してみたかった。特進クラスの面子なら、それも叶うと思っていました」
「…………」
「ですが、おっしゃる通り。皆さん、私とは違う世界を見ている。特に貴方とアリオスさん以外の三人は、自分の世界に他人を求めないほど、確立しているように、今になって思えます」
特段、否定することはない。
クロノから見ても、その通りだ。
「我ながら、なんと弱気な……」
「…………」
「ですが、否定できません。ただの子供のように振る舞ってみるのも、良いなとは思っていたので。ここ十数年、抑えつけられてばかりで、疲れていたので……」
目を逸らしていた事を、改めて垣間見る。
自分の弱さに、目を瞑らない。
それが、どれほど難しいか。
分かるクロノだから、見捨てない。
傷つけられて、苦しめられて、殺されかけて、それでも手は差し伸べる。
「……確かに、俺はお前が理解出来ない。多分、この先もずっと変わらないと思う」
「…………」
「だが、それで理解を諦めるほど、俺は物分りの良い性格はしていない」
歩み寄るのは、自分のためで。
決して、それは慰めではなかったはずで。
それでも、アリシアにとって、多少は救いとなったのは確かだった。
「それに、今をそんなに悲観する必要もない。縛られるものが無くなったんだろ? なら、自由に出来る機会が出来たんだ。お前にとって、悪いことじゃないんじゃないか?」
一度、友達になりたいと言ったのだ。
決して翻すことはしない。
妥協して生きる方法など、クロノは知らない。
「……それをして、現状を無駄に楽観して、どうなるというのです? 私の処分は、どうせ勘当でしょう。家のためという、私が力を発揮するための理由は無くなる」
「でも、そこは苦しかったんだろう? 何で、そんなに家にこだわるんだ?」
「何故って……」
言われてみて、気付く。
そこまで執着する理由が、無いのではないかと。
当主になれれば自由になれるの思っていたから、それを目指したのは確かだ。
だとしても、熱が入りすぎていたように思える。
もっと早く見切りをつけて、自分から野に下るのが一番『自分』らしいのに。
いや、そうだ。
自分には他人を支配する他に無いと思った。
生きていく上で、必ず自分はそうしてしまうと自覚した事は何度もある。
それが最も達成出来て、プラスで都合がいいと思ったのが、貴族の当主だと思ったのだ。
その過程で、他に居場所など無いと思ったのは、何故だったか?
アリシアは、段々と思い出してくる。
確か、
「貴族の立場で、沢山の人を支配するのは、とても、楽しそうだったので……」
思わず、思い出したことを素直に口に出す。
すると、クロノは難しそうな顔をして、
「そう、か、やっぱり分からないな……」
「……でしょうとも」
自分が異端と感じた瞬間は多々ある。
こういう表情も、そのトリガーの一つだ。
「でも、なんか顔がイキイキしてるな」
「……え?」
「それが、お前が本気でやりたい事か……じゃあ、今度は俺の言う事も考慮に入れて、もう一度目指さないとな」
理解出来ない、とクロノは再三言ってきた。
しかし、アリシアからしても、クロノは理解出来ない。
ようやく、他人の気持ちが分かってきた気がした。
「いえ、いえいえ、無理でしょう? 勘当されれば、私は貴族では……」
「爵位は功績次第で
真実ではある。
だが、それを叶えることは至難だ。やろうと思って出来るものではない。現在挑戦中ではあるが、実を結ばない者は星の数である。
なのに、訴えている。目が、態度が。
悠然と『お前なら出来るだろう』と、当然のように。
「居場所がない? やる理由がない? なら、自分で作ってみたらいいんじゃないか?」
「…………!」
興味深そうに、眉を上げたのが見えた。
考えたこともなかったから、驚いた。
これを自分で思いついたのならば、天啓だと、そう信じて疑わなかっただろう。
言われてみれば、当然の発想ではある。これまで課せられた呪いは、縛りは、深かった証拠だ。
そして、
「後ろ盾の無い人間は、そもそも受験すら出来ない学校なんですよ? 勘当なんてされて、後ろ盾が消えれば、当然退学になります。これからの関わりも無くなりますし、貴方に何のメリットが……」
「メリットの話なんか、俺は一度もしてない」
それから、初めて目があった。
文字通りの意味ではない。初めて、相手の芯を捉えた、認識しようとしたということ。
クロノという個人への、強い興味。
初めて、敵として立ちはだかった。初めて、自分の未熟を悟らせた。初めて、損得抜きの純粋な心で、相対してくれていた。
この時の興味は、もはや衝撃に近かった。
「惜しい……」
「…………」
「貴方の近くに居れる環境が無くなるとは。これは、私の人生最大の損失かもしれません」
衝撃によって零れ出た言葉だった。
初めて、意図せず他人に本音を漏らした。
クロノに出会って幾度となく訪れた『初めて』に、アリシアは改めて心動かされる。
「惜しい」
「アリシア……」
「本当に、本当に、惜しい」
独白だった。
生まれた空白を、聞き続ける時間が出来た。
すると、
「そうはならないよ」
不意にかけられた声に、二人は振り向く。
扉はいつの間にか開いている。
そこには、見知った相手が壁にもたれ掛かっている。
「アイン、今まで、どこに?」
「『そうはならない』とは、どういう事でしょう?」
アインは、ふいと廊下を見る。
つられて二人も視線を移すと、そこには、
「……私の処遇、お決まりになったようですね。お父様、お母様」
オーディルとアイラの夫妻が、居た。
とても疲れた表情とくたびれた服装が目につく。
何とも、覇気も優雅さも欠けている。
目も合わせず、気まずそうに絨毯に目を落としながら、言った。
「ああ。決まった」
「驚くことに、なるでしょうけど……」
声色からも、酷い疲労が窺える。
アリシアとは、かなり対照的だ。
心配そうな目を向けるクロノを他所に、感情の灯る目で、アリシアは当主の決定を待っていた。
そして、
「私は、コーリネス家の当主の座をお前に譲る」
「貴女の好きにしなさい。アリシア」
響いた声は、誰のものだったのか。
え、と一斉に聞こえた気もした。
その処遇は、予想とは正反対のものだ。あり得ない、いや、あってはいけないものだった。
当然のように、疑問は湧く。
「何故、でしょう? 私は当主に弓を引きました。剣を突き立てました。普通は処刑、甘くて放逐では?」
「そうだろう。私もそのつもりだった」
アリシアという人間は、この家にはあまりにも狭すぎたのだ。
そんなことは、夫妻は承知している。
むしろ、放逐してやる事が、二人にできる唯一の思いやりだと言えたろう。
自分たちが子を抑えつけたが故の暴走。それを思うと、非道な刑に処せるはずもない。
しかし、
「ですが、止められたのですよ。この方に」
「…………?」
アイラが視線を向けた先には、アインがひらひらと手を振っている。
どことなく不機嫌そうにしている理由は分からないが、そこは今は構わない。
「いやー、ボクとしてはクラスメイトが減るのは本意じゃないしねー。こうするのが一番だと思ってさー」
絶対に嘘だ。
調子が軽すぎるのもそうだが、何よりも、クロノの目がそう言っている。
クラスメイトが減るのは、本気でどうでもいいと思っている。他にも手段はあったが、この手段が一番だとは思っていない。
本心なんて、一つも表に出していない。
「アリシア。お前の能力は、他に出すには惜しい。これからのコーリネス家のために、お前が必要だ」
「私達が間違っていたわ。もう、止めない。貴女の力を、存分発揮して」
頭を下げる夫妻は、己の行動を心底悔いているようだった。
それは、間違いない。
きっとこれは、ずっと胸に秘めていた本音の一つに違いない。
不気味なのは、分からないのは、一人だけだ。
「……何が、お望みですか?」
解放の喜びも、残っていられる感動も、全てこの不気味さに呑まれた。
だが、本人は不気味に笑うだけだ。
こんなに薄っぺらで、適当な笑みが出来るのかと思えてくる。
アリシアのそれとは、比べようもない。
「いやあ、君のとこの紅茶、君が開発した品種なんでしょ?」
「私、というより、私が見出して、協力してくれている方々の成果です。私は出資しただけで……」
「どっちでも良いよ。でも、君が放逐されて、権利だけ君の両親に接収とかされたら困る。良い味だったし、出来ればそのままで居て欲しいんだよねえ」
たったそれだけの訳がない。
だが、それが本心に見えるだなんて、おかしくなってしまったのだろうか?
嘘が本当で、本当が嘘のような。
そんな破茶滅茶な印象に、混乱してしまう。
「文官が足りないなら、ボクの伝手で紹介してあげよう。君が卒業するまで、仕事を溜めないくらいは出来るだろうし、余裕はあるんじゃないかな?」
至れり尽くせりが過ぎる。
タダより高いものはない事は、アリシアは良く知っている。
何かしら、恩を分かりやすい形で返さなければならないと、貴族の部分が警鐘を鳴らした。
しかし、
「だから、君の所で紅茶とお茶請けを毎月、三人分ほど用意して欲しい。それでチャラで良いよ」
本気で言っているのだろうか?
見返りが安すぎて、恐ろしい。
意図が読めない事など、アリシアにとってはそうザラにあることではない。
子供をあやすような笑顔が、気持ち悪かった。
「じゃあ、ボクはこの辺でー。後は関係者の皆さんでごゆっくりー」
のらりくらりと、最後まで訳が分からない。
話も勝手に付けられてしまった。
だが、恩ができてしまった以上、無碍にする事も出来ない。
そして、
「アリシア」
思考を巡るアリシアに、クロノは声をかける。
そうして、ようやく思考を現実に戻せた。
「アリシア、その……」
「私達は……」
そこには、自分を抑え込み続けた人たちが居る。
ずっと煩わしい存在と思ってきた。
だが、厭う原因は取り除かれ、残っているのは、禍根だけだ。
正直、もう関わる価値のない者たちだ。
時間を取られるのも、いい気分はしない。
しかし、
「俺の話を聞いて少しでも反省したなら、二人の話を聞け。それから、ちゃんと向き合うように努力してみろ」
「……ええ、それは、とても、やり甲斐がある」
無理を、無駄を、通してみたい。
それはきっと、悪くはない進歩だったはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます