第28話 人を陥れる時が一番ドーパミン出る気がする


「お父様、お母様、随分とお疲れですね」



 紅茶の良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 眩い朝日が差し込もうとする中で、薄目を開けて確認した。

 ドッと疲れていたのだろう。光に慣れるまで、長い時間が必要だった。

 どこか夢のような心地で、ふわりと漂う。席に付くまで、明確な思考をすることが出来なかった。

 向かいの席に座る人物は、誰なのか?

 怠い思考の中で、だんだんとハッキリしていく。

 とても見知った相手だ。生まれた時から、今この時まで、十五年余りの長い期間を共にした。

 ずっと、長らく、最も近しい他人のひとり。

 全てが始まる一日の、その早朝、二人を迎えたのは彼らの娘だったのだ。



「ああ……そう、だな……」



 ぼうっと、娘のことを考え続ける。


 そう、その子は、一際才能が目立つ、自慢の子だ。

 他の兄妹たちとは、一線を画す。

 ずっと、家を立て直すために必死だったのだ。だから、子供たちには何度も何度も折檻をしてきた。自分たちの次を任せるに足る人間を作ろうと。

 だが、この子だけは、違った。

 何もかもが違い、はじめから全てが外れていた。

 この子に教育を始めてすぐ、彼らは他の子供たちへの折檻を止めた。



「商談、お疲れ様でした。難しいお話合いでしたでしょう? 私、お二人のためにお茶を淹れましたの」


「え、ええ……ありがとう……」


 

 はじめは、不気味だと思っていた。

 何もかもが、出来すぎているから。

 教えた事は忘れない。無理難題も、軽々こなす。そして、出題者すら越える事を言う。

 何でも、何かの魔法のように容易く。

 ハードルがあったはずなのに、そんなものが無いかのように進んでいく。

 快進撃と言えるのなら、どれだけ良いか?

 進み続ける我が子は、どこまでも不気味だった。



「良い味でしょう? 私が見繕い、淹れました。使用人に淹れさせても良かったのですが、まあ、遊びのようなものです」


「…………」



 嫌に時間が緩やかに感じた。

 昔のことをぐだぐだと思い出すなんて、疲れているからとしか考えられない。

 もっと、話すべきことがあるはずだ。

 生産性のない会話をするほど、余裕がないのは変わらないはず。

 なのに、おかしい。

 何かが狂っている感覚がする。



「昔から、この時間は好きでしたよ。道を究める、という行為自体が大体好きでしたが、特にお茶は。何故でしょうか? とても不思議です」



 そうだ、一番はじめに教えたのは、お茶の淹れ方だった。

 貴族の茶会、会合の場では、ホストが自ら茶を淹れることもある。

 当主とその伴侶自らもてなすという、最上級のサービスだ。

 手本を見せ、やらせて、試飲する。彼らが満足出来る水準を満たせるまで、なじり続けて、どこが悪いか懇切丁寧に説明してやる時間だった。

 一度目、二度目に他の兄妹にしたようにして、三度目で文句の付け所がないものが出された時の事は、覚えている。



「とても、心穏やかですわ。こんな時でも、凪いでいる。何故か、ずっと、何も思えない」



 勉強も、魔法も、商売のやり方も、接客も、腹芸も、手紙の書き方も、護身術も、スポーツも、ゲームも、乗馬も、賭けも、投資も、組織運営のやり方も、人心掌握も、脅し方も、詐術も、勝ち方も、負け方も。

 全てが完全だったのだ。

 教えられる全てを教え終えたのは、まだこの子が十歳の時だった。

 試験の一環として、思わず期待をして、商売を任せてみても、完璧にこなした。

 正しく求めていた、完璧な後継者。これ以上の夢は、どこにもない。こんなにも都合のいい現実は、百年待っても二度と現れはしない。

 しかし、しかしだ。



「非道を為そうというのに、私の心は小揺るぎもしないのです」



 希望の光と崇めるよりも、その力を恐れたのは、間違いではなかったはずだ。

 枷をはめようとしたのは、あやまちではなかったはずだ。

 こんなにも貪欲で、欲しい物をただ求め続ける気質は、野放しにしていいものではない。

 あまりにも、人を切り捨てる事に躊躇いが無さすぎるのだ。

 目的のためには、何でもする。

 情というものが、一切存在しない。



「人でなしな娘で、ごめんなさい」



 商売の一部を任せた時、その一部は凄まじい盛り上がりを見せた。

 だが同時に、従業員の多くがお払い箱になった。

 あくまで、オーディルの商会の職員であるため、実際にクビになった訳では無い。ただ、働きが悪かった職員が虐げられるシステムが出来上がっていたのだ。

 人の嗜虐心を煽り、徹底して成果を求める。

 たった一年足らずの期間で、売上は数倍に伸びた。だが、たった一年足らずの期間で、長らく築かれてきた人間関係は致命的に終わった。


 少女ひとりの采配で、何もかもが変わった。

 容易く、変えられた。

 


「家のために、親を切り捨てられる娘でごめんなさい」


 

 それに気付いた時、問い詰めた時の事は覚えている。

 その時の、表情を、鮮明に。


 封じなければと思っていた。そして、死ぬまでに『慈悲』を学ばせなければと感じた。

 だが、教えれば今度は『慈悲』すら組み込んで、ビジネスを始めようとする。

 ソレは、骨の髄まで利益を求める生物だったのだ。

 


「でも、こうするのが最善だから」


「あ」


「うっ……!」 

 


 抗えない眠気に、倒れ伏す。

 机に体が叩きつけられるが、それでも覚醒には至らない。

 目を覚ましているのは、その子だけだ。



「ふ、ふふふふふ……」


 

 ずっとかけ続けていた催眠の魔法が、効いた。

 魔法の腕前は、その子は両親を軽く上回る。

 どんな魔導具を付けていても、防壁を自前で用意しても、簡単に透過させられる。

 防ぐことは、不可能だ。

 部屋に招かれた瞬間から、もう終わっていた。



「これが、最善ですよ!」



 アリシアは、嗤っていた。

 曇り無き表情で、ただ、嗤い続けていた。

 そこに、後悔も反省もない。

 一歩、『正しい道』を歩めたという喜びだけが、アリシアを支配している。

 


「ご安心ください、お父様、お母様。貴方たちは、私がちゃんと有効活用してあげます」



 ただ、愉しき事に酔いしれる。

 利益をひたすらに追い求めること、それだけの機械のようなもの。

 アリシア・コーリネスは、外れた人間だった。

 その毒牙の矛先は、例え肉親だろうとも、相手を選ばない。



 ※※※※※※



「あ゛あ゛! 埃っぽいなココは……」



 男は、座り込みながら何度も咳き込んだ。

 未だに調子が悪そうであり、喉を気にしながら咳払いを繰り返している。

 何もない暗がりの部屋は、さぞかし暇な事だろう。

 手慰みをしながら、じっと待つ。

 どことなく喉がカサつき、どこまでも埃が己に募っていく不快感に犯される。

 誰も居ないから、暇だから、独り言だけは大きくなっていく。


 

「はあ……まったく何だよ、クソったれめ……」



 思い出すのは、上からの言葉。

 予定にない取り引きの実行、そして、今回の件は必ず成功させろという厳命のみ。

 自分が組織の末端だと理解してはいる。

 しかし、ここまで説明がないと不満もある。

 理由すら尋ねず、ただ馬車馬の働けというのも、今に始まった事ではないが。



「恩があるからってよお……下手に出てりゃ調子に乗ってよぉ……」



 野垂れ死にかけた所を拾ってもらった恩がある。

 どこぞのゴロツキだった己が、今こうして生きているのは、組織のおかげだ。

 だが、だからと言って、コレは酷いのではないか?

 流石に殺されはしないだろうが、失敗すれば確実に罰を受ける。

 減給くらいは覚悟しなければならないだろう。

 貴族を脅すのも、かなり面倒だ。

 生半可なやり方では、言いくるめられる。そも、貴族は他人を舐めるのが普通の人種だ。自分が上だと分からせるのに、暴力を振るってはいけないのだから、本当に邪魔くさい。

 やり取りをするにも、使えない頭を使わなければならない。

 


「あーあ、使徒様の馬鹿野郎……もっと労働者の権利を守れ……」



 俯きながら、虚空に呟く。

 自分で何を言っているか、訳が分からない。

 暇すぎて、頭がおかしくなったのかもしれない。

 溜息が漏れるのだが、また息を吸う度に、埃っぽい空気を吸うことになる。

 また咳込み、最初に戻るのだが、本人はそんな事は気に留めない。


 無為に、時間が過ぎていく。

 下っ端は基本、性にあってはいる。

 だが、何も考えず、ただ指示されるだけの方が良い。考える余地など、無い方が良い。

 考える能がないくせに、嫌な想像だけは人並み以上に出来てしまうからだ。


 今回も、どんなイレギュラーが起きるのか?

 嫌な想像が頭から離れない。

 どんな厄介事が起きるのか、そればかりを考える。

 

 

「ったくよお。今回は何人殺す事になるんだ? 後処理が面倒なんだよなあ……」


「誰も殺さなくて良いですよ?」



 不意にかけられた声に、男は意識を切り替える。

 項垂れた情けない男の顔は消え、残忍な悪人としての顔を見せた。

 瞬時に、臨戦態勢に入る。

 隠していた得物に手を添えて、いつ、どの瞬間でも攻撃を開始できるように備える。


 奇襲に備える男だったが、相手は前方、姿や気配を隠すことも偽る事もなく、やって来た。

 


「はじめまして、貴方。お互い名前も知らない間柄ですが、これから末永くよろしくお願いします」


「……お前は」



 その顔に、見覚えがある。

 取引先の家族の顔くらいは、知っていた。いざという時、人質に取るために。

 だが、聞いていた話と違う。

 従順で、ただの優等生で、子供の領分を超えない娘だったはずだ。

 


「これからは、私が両親に代わって業務を引き継ぎます。アリシア・コーリネスと申しますわ」


「お前、ソイツらは……」



 アリシアが両手に引きずっていたのは、少し前に話をしていた取引先だ。

 乱雑に扱われても目が覚めないのは、恐らく、深く催眠の魔法をかけられた影響だろう。

 実の親にかけるような術ではない。



「引き継いだと、そう言ったでしょう?」


「……何が目的だ?」



 不気味だ。

 何を考えているか、まったく分からない。

 

 男の足りない頭では、目的を見抜き切れない。

 今、両親を切り捨てる理由は?

 何を期待している?

 彼女を突き動かすメリットは何か?

 グルグルと、男の頭の中では思考が巡る。


 そして、

 


「商談をしましょう。今は、それだけですよ」

 

 

 男は、眼前の化け物の世界に引きずり込まれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る