第25話 ホント、予想以上の進行だね。素晴らしい


「なあ、楽しいか、コレ?」



 インクの匂いが充満する、薄暗い部屋の中。

 一切の光を遮らせているために、他に比べて妙に涼しい。

 お付きの使用人を撒き、そして迷わず入っていったこの一室。やけに厳重な魔法的なロックを外し、少々の肌寒さを感じながら、灯される小さな光で辺りを照らす。

 部屋の至る所に紙が束になって置かれており、良く見れば、それらが様々な区分がされていると分かる。

 殺風景で、重苦しく、人の住む所ではない。

 しかし、その紙束にあるものは、人の歴史であり、生活であり、命なのだ。

 過剰に守っているのは、当たり前。そうすることが、領主としての義務だと言わんばかりに。


 そこは、クロノとアリシアが居たのは、別邸に備え付けられた資料保管室である。

 要件は、やはり一つだけ。

 当初の目的、アリシアは、そこに捜し物をしにきたのだ。親を支配するための、弱みを見つけるためのもの。


 しかし、そんな真面目な目的の中で、クロノがこうして無駄口をこぼしたのは、実はそうおかしな事ではなかった。


 探偵チックで、多少ワクワクしていたクロノだが、あまりそれも続かない。

 その作業は果てしなく地味なものだからだ。

 近年のものに絞り、紙束のページを一つ一つ捲る。どのページにと、収益や負債についての詳細が、嫌になるほどびっしりと書き綴られている。

 クロノも付いてきたからには手伝えと、見たページをひたすら読み上げさせられていたのだ。

 

 クロノが手元の資料をまくりながら、アリシアに気怠げに問うたのは、そんな時だ。

 同じ作業をし続けて、飽きてきて、そしてようやく発した、仕事の外の言葉である。


 そんな無駄口に、アリシアは嫌々答えを返す。



「……楽しい事が、重要でしょうか?」


「大事さ。師匠も、良く言ってたよ」



 アリシアは、手を止めなかった。

 次々と手元の資料を眺めては戻し、眺めては戻していく。

 いつから取り引きが始まったのか、何を取り引きしているのか。

 少しでも情報を探るしかない。

 ここにあるとは思ってはいないのだが、手掛かりくらいはあるのではと望みをかけていた。

 だが、期待出来ないからと言って、無駄な時間を過ごしたくはなかった。

 勤勉に、常に思考をフルに回転させている。いつもしているのと同じように、沢山の事を考え続ける。

 資料を確認しつつも口を動かせるのは、並行して物を考えるのに慣れているからだった。



「『楽しくない事は、している意味を見出だせない』ってさ」


「貴方、師匠は嫌いなのでは?」


「育ててくれた人だ。良い人だと思ってはいないけど、悪い人だと憎むほどじゃない」


 

 同じ姿勢で居すぎたのだろう。

 ボキボキと肩を鳴らしながら、クロノは伸びをする。リラックスした状態なのは明らかで、これまでのような緊迫や意図があるようには思えない。

 まさに、息抜きの暇潰し。

 会話には何の意味もない。アリシアがあまり好まないやり取りだ。

 アリシアも短期ではないため、一応付き合う。



「俺を育てる事自体は、誰かに命令されたかららしい。だから、俺の面倒を見ることは師匠にとって『する意味が分からない』事だった」


「……良い話、ではないですね」


「まあな。さらに良い話からは遠ざかるが、師匠は俺を十五歳まで育てた。『する意味の分からない』事の合間に、『する意味が分かる』事をしてきたんだ。だから、師匠は十五年耐えられたんだよ」


 

 次へ次へと情報を取り込む。

 ながらでも、その精度に劣化はない。

 だから、無駄に集中しながら、クロノの話に聞き入ってしまっている。

 


「俺のことを育てるのは苦痛だったけど、俺をいたぶるのは楽しかったんだと」


「……それは、」


「いや、別に同情して欲しいんじゃない。俺が言いたいのは、そういう事じゃなくてな……」



 言葉を探すようなクロノは、本当に何も考えていないかのようだった。

 ダラダラと、取り留めもないことを思い浮かべ、そして相手に伝える言葉を初めて形にしようとしている。

 


「ただ、楽しいのかなあって、さ」


「……それは、どういう?」


「いっつも気ぃ張り詰めて、難しい事をずっと考えて、楽しいのかなってさ」



 その時、一瞬だけ、アリシアの手が止まる。

 その直後、誤魔化すように再び動き始めた。

 突きつけられてはいけないことを、自覚させられた気がしたからだ。

 


「…………」


「いっつも誰かの顔色見て、何か難しい事考えて、難しそうな顔してるじゃん」



 確かに、最近はずっとそうだった。

 親からの命令、上手く行かない関係の構築。

 出来ることの幅が狭く、力不足を感じていたこの頃。苛立ちをずっと募らせていたのは、間違いない。

 こんな風に、言われるのも仕方がない。

 ずっと笑みを浮かべてはいる。誰にも自分の真意を悟らせないように、そして、不快感を感じさせないように、そうしてはいた。

 

 だが、何故それが見抜かれたのか?

 そこだけは、引っかかる。分からない。

 


「ずっとだよ。ずっと。ずっと、頭が痛そうにしてる。悩んでる」


「そんな、ことは……」


「楽しい事があるなら、別にいいんだ。そんなに心配する必要はない。師匠を見てきたからな」



 クロノのそれは、優しさだったのだろうか?

 ただ、取り留めもなく溢れたくだらない妄言か?

 何にせよ、アリシアの心を揺さぶったのは確かだ。

 その言葉に、『余計なお世話』だとも、『そんなことはない』とも言えない。

 否定も肯定もないのは、心に答えがないから。

 なのにおべっかでも、言葉をかけられなかったのは、想像以上にその言葉が効いたからだ。



「お前は、楽しい事があるか? 『これだ!』っていう、息抜きはあるか?」


「…………」


「そんなに自分を追い込んで、お前がしようとしていることは、そこまで大切なことなのか?」



 誤魔化すように笑おうとしたが、想像以上に乾いた笑いがこぼれた。

 クロノの相手は、アリシアの思う以上に心に来た。

 この真を捉え、抉るような言葉は、捻くれているほど、痛く響く。

 こんなにも人の性根を正確に捉えられる人だっただろうかと疑問だが、理由など見つかるはずもない。

 ぎこちない笑みを見られないよう、アリシアは背を向けたまま話に耳を傾ける。

 


「お前は、俺をそこまで信じてくれていないんだろう。自分の心に鍵をして、誰にも踏み込ませないようにしてる」


「わたし、は……」


「だから、俺には。本当の本当の本音、深い所は分からない」



 その不思議な言葉には、何故か説得力があるように思えた。

 嫌味なくらいに優しくて、それでいて、心をぐるりとかき混ぜる。

 初めて抱いた、クロノに対する不気味さは、これまでの評価を掻き消す。

 超越としたナニカを、感じ取る。



「だから、俺の言える事は少ない。せめて、心を開いてくれないと、いや、開かせないといけないんだろうなあ」


「…………」


「でも、やれることをやろう。今のところ、俺が出来るのは、本当にキツくなった時に親身になるくらいだろうなあ……」



 悟ったような言葉には、どこか実現しそうな言い知れぬものを感じた。

 未来に、そんな事が起きるかのような。

 だが、実際にそれはきっと正解で、間違いではない。

 クロノのという人間の中身に潜むものを、知りたくなってくる。

 アリシアの中に生まれる感情は、きっと明らかにしてはいけないもので、



「あの……!」


「さ、続きをやろうか。時間を取らせて悪かったな」



 素直に、クロノは作業を続ける。

 文句も言わずに、淡々と。

 ありがたいのだが、少しだけ不満が募る。

 


「…………」



 協力してくれとは言ったが、ここまで協力的とは思わなかった。

 しつこく付いてこようとするから、飽きてどこかへ行って欲しいと思ってこうしていたのだ。

 わざわざ好感度を稼がなくても、向こうからアプローチしてくるとタカを括ったら、想像以上の好意に引いていたところである。

 出玉に取りやす過ぎて、逆に裏があるのではないかと思えた、軽い人間なのではないか。

 そう思っていたのだが、改める。

 

 その中で垣間見た、クロノの底知れないナニカ。

 おぞましい、凄まじいナニカ。

 それを、アリシアは、



「……ありがとうございます。クロノさん」

     


 心のままに、■■したいと思った。

 


 

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