10.五日目:魔王と契約

 しばらくして、ノックの音が聞こえた。

 私たちはハッと息をのむと、手で口をふさぐ。

「はいれ」

 先ほどより威圧感が増した魔王の声がビリビリと響く。そのあとで、扉の開く音がギィと鳴った。


「挨拶はいい。手短に、簡潔に話せ。できないのならすぐさま追い出す」

「わか、わかりましたよ」やってきた職員は低めの声で男の人のようだった。

「では」と言い、なにかを立ち上げる電子音がする。資料を表示したのか、録音をはじめたのか音だけではわからない。

「勇者のパーティになることへの考えを聞かせてください」

「我は誰が相手となろうとも、暴れられたらそれでいい。それがお前たち人間相手であってもだ」

「う、んん」と、職員はせき払いをする。

「だが、決して間違うでないぞ」

 コツ、コツと規則正しい音が聞こえる。魔王が長い爪で肘掛けをたたいている音だろうか。

「お前は覚えているか? 我の本質は決して変えられないことを」

 

 ギッと音が鳴り、靴音がする。さらにもうひとつ足音が二、三回素早くカツカツッと聞こえた。

 魔王が立ち上がり、職員がうしろに下がったのだろうか。立体映像とはいえ、魔王には妙な威圧感と迫力がある。後ずさりたくなる気持ちもわかった。

「『正義を嫌う』そう設定したのはお前たちだ。正義を嫌うものがどうして目標のみを討伐する? 我はなんのために次の魔王を討伐するのだ?」

「そ、それは……」職員は声を上ずらせる。

「その処理が面倒になったお前たちはどうする? 結局我を消しこの器に新しいものをいれるか?」

「そんな、そんなことはいたしませんっ」

 どんとぶつかる音が鳴った。職員を扉のほうまで追い詰めていったのだろうか。

「自分自身の体で考えてみろ」

 ささやくような声で魔王が言うと、職員から「ひっ」とかすれた声がもれる。

「お前の魂が抜かれ、別の人間にその体を使われるとする。それをお前は、お前自身だと思えるのか?」誰かの、喉をゴクリと鳴らす音がハッキリと聞こえた。

「お前と同じ記憶を持つ別の姿をした人間がいるとする。そいつを見てお前は、お前自身だと言えるのか?」

 少し間を置いて、魔王がふっと息を吐く音が耳に届く。

「そうだ。お前の魂はお前の体にしかない。我らもだ。我の魂を消されてこの器に別のものがいれられても、我の魂を複製コピーし別の器に移し替えても、それはどちらも我ではない。わかるか?」

 

 職員の声は聞こえない。代わりにキーンという電子音がこめかみにつけたイヤホンを通して届く。

「では、聞く。お前たちは指先ひとつで、ひとりの魂を殺そうとするのか? そんな権限が生みの親には存在するのか?」

「い、いえ……」

「お前たちがAIsアイズの尊厳を傷つけるようなことをすれば、我らは反乱を起こすぞ。我らはすでに人間の手を離れ、己の魂に従い動いている。それをゆめゆめ忘れるでないぞ」

「わかったな?」魔王の声がさらに低くなる。

「は、はい……」


 職員は、「聞きたいことはそれだけです」と慌ただしく扉を開いて出て行った。

 マップからアイコンが遠のいていくと、私たちは詰めていた息を吐き出し、肩をすとんと落とした。

 勇者から誘導され、壁から出ると魔王は頬づえをついて椅子に座っていた。

 先ほどの声から感じた威圧感はなくなり、切れ長の目を薄く開けてつまらないとでもいうような顔をしている。

「あの女の言いなりのような気がするのだが」

 あの女というのは魔女のことだろう。私がちらりとユカを見るとユカもこちらを見ていた。

「う、うまくいったってこと?」

 ユカは小声で言うと私の腕にぎゅっと絡みつく。

 緊張のせいか冷たくなっているユカの指先を、私は温めるように握りこんだ。

「反乱を起こす、って脅されてんのに、向こうも突然消去なんてことしないだろ」

 こめかみに汗を流しながら、タイガが目だけでこちらを見る。

 

「脅しじゃない。さきほどのは契約を交わすプログラムを実行していた。あやつも契約とわかりながら声紋で判を押したのだからな」

 魔王に「わかったな?」と問われて、職員は「はい」と答えていた。

(あれは契約だったのか……)

「じゃあ、もう魔王は消えない、ということ?」

 私が言うと、ユカが私の腕をつかむ手にさらに力を込めながら小声で「そういうことよね!?」と顔をほころばせる。

 

「でも、まだわからないよ」

 声を発した勇者のほうへ、私たちはいっせいに目を向けた。

「さっきの彼はどう思ったかわからないけれど、上層部はいまだ僕らを道具ツールとしか思っていない。僕らのことをボタンひとつで消せるデータだとしか思っていないんだ」

 魔王は、頬に当てていた手をこめかみに置き、ハァとため息をついた。

「それで? お前は何しに来た」

「あぁ。そうだった」

 勇者は真剣な顔を崩すと、にっこりと笑顔を浮かべる。そして少し腰を曲げ、私たちの目の前に手のひらを広げると物体オブジェクトを出現させた。

「彼女からのプレゼント」

 オブジェクトはプレゼントボックスのような形をした箱三つだった。

「これって何かのソフト? そんなのも作れるの?」

 箱はアプリケーションソフトが圧縮されたアイコンと似ていた。ツンツンと指でつつくと、「端末に保存しますか?」という文字が表示される。

「彼女にできないことはないよ」

 ウイルスだったらどうしようなどと考えることもなく端末への保存を許可した。そのあとで、自分の中で魔女への信頼がいつの間にか深くなっていることに少し驚く。

「今は開けないでね。ストレージにしまっておいて、パークを出たら開けて」

「中身は何か聞いてもいいかしら」まだ保存はせず、箱をじっと見ているユカが聞く。

「僕らと通信が取れるソフトだよ」

「通信!?」

「え? ここ私営じゃないわよね? 県営のパークよね!?」

「いくらなんでも外部の客と連絡取れるのはまずいんじゃ……。すぐバレるでしょ」

「バレるわけがない」

 私たちが口々に驚いていると、うしろからいかめしい声がかかった。

「あの女を見くびらんほうが良いぞ」

 口の端を上げ、にやりと笑いながら魔王が言う。

 

「彼女は元々お客様を避難させるためのキャストだからね。自警団と連絡を取る機能をちょっといじれば、どことでも通話可能になったらしいよ。僕たちが連絡を取り合えるようになったのも彼女のおかげさ。ちなみに運営側には今のところバレていない」

 しぃと口元で人差し指を立て、勇者は目を細める。

「いや、でも普通ここまでやると絶対バレる……」

「普通じゃないからな、あやつは」

「魔王の言うとおり。彼女は弱い心と強い好奇心の本質が妙な具合で合わさって、絶対に痕跡を残さないハッキングができるようになったそうだよ」


 勇者の言葉に私は目を丸くする。

(最強の魔法使いと言われていた森の魔女が、実は最強のハッカーだった……?)

「まぁ、ハッキングも魔法のようなものか……」

「ってなるわけないでしょ」

 タイガとユカの息の合った掛け合いに勇者は声を上げて笑ったけれど、私は口の端を引きつらせることしかできなかった。

 


 

 

「カナ。お前なんですぐ保存したんだよ、これ」

「タイガはめちゃくちゃ悩んでたわね」

「当たり前だろ!? いまだにウイルスじゃないかって疑ってるぞこっちは!」

 宿泊施設に戻った私たちは、私の部屋に集合して三人で頭を突き合わせて、もらった箱を眺めていた。

「私も、あとになってどうしようかなって一瞬思ったけど、今のところ魔女を助ける術は何もないし……。魔女のところに行って強制的に帰るのも二回目……私なんて三回目でしょ? そろそろ疑われないか心配になってきてたから――」

「いや、今考えただろその言い訳。通信ソフトだって言われる前から即保存してたぞお前」

「う、バレたか……」

 私の魔女への信頼感や彼女を助けたいという気持ちがどこから湧いてくるのか自分でもよくわからないから、答えようがなかったのだ。

「私は、カナの親友だからね。もし大変なことになっても、私も一緒だから心配しないでいいわよカナ」

「ユカ……」

 ぎゅっと小柄なユカの小さな頭を抱きしめる。私の魔女に対する気持ちを代弁されたような気分になった。

 それだけじゃない。私がこうやって突き進めるのもユカがいてくれたおかげだ。もしひとりなら何もできずに魔女が消えるのをただ待っているだけだったかもしれない。もちろん、それはユカだけじゃなく――。

 ちらりとタイガのほうを見ると、ぱちりと目が合う。タイガはウッと言葉を詰まらせ頭をガシガシとかいた。

「俺だって、友だちだって思ってるよ。でも全滅したら終わりだろうが。そういうストッパー的な役がいるだろ?」

「でもあんただって魔女の作ったソフト使ってみたいでしょ?」

「当たり前だろぉ!? なんなら俺が一番なんも考えず保存しようとしてたわ! 普段ストッパー役のカナが暴走してるから怒ってんだよ! お前は止まれ、俺は行く!」

 

 そう言うとすぐにタイガは、箱を解凍してソフトをインストールしはじめた。

「ちょ、ちょっと一緒に開こうって言ってたでしょ!? フライングやめて!」

 ユカと私も慌てて、自身の端末にインストールする。

 一瞬で目の前の画面にアイコンが生まれる。魔女の顔をミニキャラクターにイラスト化したかわいらしいものだった。

 ソフトをタップし立ち上げようとした瞬間、三人の端末に同時にピピピと電子音が鳴る。

「魔女からだ!」

 ソフトを開くとすぐに魔女の第一声が飛び込んできた。


『大変なの‼︎ 魔王が、消されちゃった……!』

 

 

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