4.一日目:森の魔女

 『ファンタジーの世界The world of fantasy』と宙に浮かんだ文字が、目の前でキラキラとつづられていく。それをぼんやり目で追った後、文字のうしろにある大きな建物を見上げた。

 私は今、テーマパークにいる。

 夏休みに入ってすぐ、バスを乗り継いで山奥にあるパークへと、たったひとりで訪れていた。

 

 一週間連泊コース。両親とお金と相談して、ぎりぎりいっぱいの予定である。県営だからか高校生以下は無料で入場できるけれど、泊まる施設は別料金なのだ。

(でも、お金のことよりもひとりで行くのを許してもらうほうがすごく大変だったな……)

 予定では親と一緒に来ることになっていた。それを私が「夏休みに入ってすぐに行く」と言って聞かないものだから、親の仕事の予定と合わなくなったのだ。「ひとりで行く」と言えば家族からは大反対。

(まぁ、当たり前だよね)

 中学一年生がひとりで一週間も泊まるというのは許されなくて当然。けれども、私は絶対に諦めなかった。

「この課題は県主催の作文コンクールのようなものだから、何かあったときのために施設には各学校から先生が何人か派遣されているって、パンフレットにも書いてるよ」と、パンフレットや学校からのしおりを表示して何日もかけて「ひとりでも安全だ」と説明し続けた結果、両親は渋々折れてくれた。

「この頑固さ、誰に似たのかしら……」なんてお母さんは嘆いていたけれど、聞こえなかったことにしておいた。

 

 ◇

 

 大きな建物の中はドーム状になっており、案内所やお土産屋さんなどが集まる入り口エントランスだった。

「では、端末へとソフトをダウンロードしていただきますので、こちらを二秒ほど見つめてください」

 入園手続きを終えた後、AIsアイズの案内人に言われるがまま、差し出された装置に目を向ける。

 ピピッと音がして、レンズ型端末には「パーク専用アプリケーションソフトがインストールされました」と表示が浮かび上がった。続けてソフトの簡単な説明がはじまり、それが終わると「上をごらんください」という音声ガイドが端末から流れる。見上げたドーム状の天井には、大きなパーク内のマップが表示されていた。南にここ、エントランスがあり、北側は海となっている。

「パーク内には大きな街がふたつあり、ひとつは南東、もうひとつは西側にあります。南東の街は、ひとつ山を越えたら魔王のすむ『魔王城』があるため冒険者と多く出会え、西側のほうは、農業が盛んで風車小屋など昔の風景を見られるでしょう。さらに北西には小さな村がいくつかあり、ここでは運が良ければ、依頼に訪れている勇者と出会えるかもしれません」

 音声ガイドがパーク内の紹介を終えると、マップ上のエントランスのところに私の顔写真が丸いアイコンになって表示された。ほかにもパパッとアイコンが増える。

 このアプリはパーク内のガイドだけじゃなくて、このようにマップへ位置情報を送信するためにも使われるようだ。

(ということは、他のアイコンは私以外のお客さんか。夏休みがはじまったばかりで、しかも開園してすぐのこの時間に、もうこんなに人がいるんだ……)

 他の人のアイコンをぼんやり眺めていると、「迷子になったり、危険地帯に入ったりするとすぐにスタッフが対応します」というガイドが聞こえ、どきりとする。

(危険地帯……。多分「森の魔女」ってそういうところにいるんだよね。まだいるのなら、だけど……)


「森の魔女って、どこにいるんですか?」

 おそるおそる尋ねると、案内人のAIsアイズは深く頭を下げた。

「申し訳ございません。魔女のいる森は立ち入り禁止区域です」

 私はホッと息を吐く。

(じゃあまだ、いるってことだよね……)

「魔法が見たいというのであれば、冒険者協会に行くと魔法使いに会えますよ! 本日の魔法使いの行動は――」

「え……、と。森の周辺が見たいだけなので、その魔女がいる森がどの辺りか教えていただけますか?」

 代わりの案をいろいろ出してくれる案内人には申し訳ないけれど、森の場所だけを聞いて私はエントランスを離れた。


 ◇

 

 馬車に乗って一時間ほど、さらに徒歩で三十分ほどかけて、北西の村から少し南側にある森にたどり着く。

 そこで私はひとり立ちすくんでいた。

「『森の魔女』を見た人がいるってことは、ここに入った人がいるってことだよね……」

 ダラダラと流れる汗をハンカチで拭いながら、目の前の状況をキョロキョロと見る。

 森、といっても想像していたようなきれいに整えられたファンタジーの森ではなくて、人の手が一切加えられてなさそうな荒れ放題の森だった。

 不ぞろいに並ぶ木々の隙間に、私の腰あたりまである草がこれでもかというくらい生えている。獣道すらない。

(今まで入っていった人たちって、なんでここに入ろうと思ったんだろう……)

 そう考え込んでしまうくらいに荒れている。

 ファンタジーの景観を守るためだろうか、テープやロープは張り巡らされていない。けれども私の端末に表示させているマップには、立ち入り禁止を示すように赤い線で区切られていた。

(ここに一歩でも足を踏み入れたら、スタッフの人が駆けつけてくるのだろうか)

 どうしようかと悩みながら、赤いゾーンのぎりぎりをうろうろと歩く。

 

「よしっ」

 気合をいれ、思い切ってマップの赤い線を越えてみる。

『あの……。ここは入らないほうがよろしいですよ……』

 片足を踏み入れてすぐ、か細い女の人の声が聞こえた。

(うそ、あの声だ……)

 私は、夢で聞いた声と同じだとすぐに気づく。

(あれはただの夢じゃなくて、本当に森の魔女の声だったんだ……!)

 口の端がゆるゆると上がるのを抑えられない。急いで周りを見渡すけれど、森の中には誰もいない様子だった。

「どこにいるんですか?」

 尋ねても返事はない。

(ただのアナウンスなのかも……)そう思いながらもう一歩踏み込めばまた声がする。

『あ、ですから……。それ以上は入らないで、お願い……』

「出てきてください。私はあなたに会いに来ました」

 また返事はない。

 ふぅ、と息を吐き出して目の前のうっそうとしたやぶの奥を見つめる。木々がひしめき合っていて、先は見えない。

(突き進むと、帰り道がわからなくなるのは確実だなぁ)

 なんて考えながらも、私は足を進めていった。

 

『止まってください。これは警告ですよ』

『危険な地帯に入っています。今すぐ折り返してください』

 強い口調になってくる警告音声を無視して、私はどんどん進んでいった。

 森の奥へと行くにつれて、木の数が多くなる。生い茂る木の葉が空を覆い隠していき、まだ昼前なのにあたりは薄暗くなっていた。遠くで動物のような鳴き声も聞こえる。心に渦巻く不安を無視しながら、私は歩みつづけた。

 そして、その瞬間は突然訪れる。

 濃い緑と灰色の暗い世界に、パッと目を引く明るい金色が現れたのだ。


「どうして! どうして無視するんですかぁ!」

 目の前からはっきりとした声が聞こえる。

「やっと、出てきてくれた……」

 私はほっとして立ち止まり、その人をまっすぐ見た。

 薄暗い森の中から発光しているように輝くプラチナブロンドのふわふわとした長い髪。その下にある顔は、子どものようにぷうっと頬を膨らませ、涙をぽろぽろこぼしていた。


「あ、あなたが、その」魔女、と言いかけて夢で聞いた『この魔女め!』という男の人の声を思い出してためらう。

(「魔女」は彼女を悪くいう言葉なのかもしれない)

「え、っと。魔法使いの方ですか?」


 夢の中で断片的に聞こえたものとレビューに書かれていたことをまとめると、「森の魔女」は強大な魔力を持っていて、人に対して悪事を働いているはず。けれども、目の前の人からその様子はみじんも感じられない。

 童話のお姫様ですといわれたほうが納得のいく姿だった。

 

「そ、そんなこと言われたって……」

「え……!」

 私の考えていたことは声に出ていたようだった。思わず手で口を押さえる。

 目の前のかわいらしい女の人は、くすんと鼻を鳴らすと背中を向けてしゃがみこんでしまった。

(やっちゃったなぁ……。やっぱりこれって「魔女」って言葉に悲しんでいるのかな……。でも、こんなに泣き虫の人が本当に、『内在する魔力がすさまじい』って言われていた魔女なんだろうか……)

 震える背中に不安になり近寄ってみると、彼女は顔を真っ赤にして「お姫様……」とつぶやいていた。

(それも口走ってたのかぁ……)

 私は口を押さえたまま一歩下がって彼女から離れる。そしてコホンとせき払いをすると、聞かなかったことにして話を先に進めた。


「信じてもらえるかわからないんですけど、私……その、夢というかデータの揺らぎの中で聞いたような気がしたんです。多分、あなたの声で『私を見つけて』っていう――」

 言い終わる前に、目の前のきれいなブロンドがぶわっと立ち上がる。

 

「ほんとに、本当に来てくれたの⁉ 私の声が届いたのね……!」

 彼女は涙をこぼしながら、しずくが飛んできそうなほど近くに顔を寄せ、喜びの声を上げた。


 

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