3.夏休み前の悪夢

――誰かが泣いている。


 暗闇の中で、すんすんと鼻を鳴らす音が聞こえる。ゆっくりと目を開けた私は、周囲を見渡して何もない空間を見た。

(そっか、これは夢だ)

 レンズ型端末をしたまま寝てしまったのだろう。きっとメンテナンスがはじまり、私が起きているときに見聞きした記憶が呼び起されているのだ。けれども最近誰かが泣いたという記憶はない。タイガはしょげてはいたが、人前で泣くような人ではないし……。

「ユカ……?」

 言ったあとで、ユカが泣く姿も見たことがないな、と思いなおす。

 考えている最中でも、すんすんと泣く声はやまない。

 

 夢の中なのに妙にはっきりとした意識がある。VR空間にいるような感覚なのに、動いてもふわふわとしていて自分の体ではないような心地。

 まるでネットの海に魂が幽体離脱しているような気分だなぁ、なんてのんきに考えていた。

 

『彼女は魔法使いだった』

 突如、ザーザーとノイズ混じりの音声が流れる。

『その内在する魔力は、彼女や周囲の人の想像を超えるすさまじきもの』

 キョロキョロとあたりを見渡すと、真っ暗な足元にぼんやり光が生まれて、そこから草がどんどん生い茂っていく。


『――は、自身の力を恐れ、仲間たちと離れて誰も傷つけないよう森の奥深くに隠れた。だが、彼女は人……、魔力の強大さとは裏腹に、ひとりで暮ら…………た』

 音は途切れ途切れに聞こえる。

 『ファンタジーの世界』の遭遇ランキングの名称部分を押すと流れる音声ファイルの音と似ているような気がした。

(メンテナンス中もネットにはつながっているから、オンライン上にあるデータが私の端末で開いたのかな。それかページを読み込んだ時、ダウンロードされたものに壊れたデータがあったか……)


『森の中でさまよう人を見つけては森の隠れ家へ招待し、……ことを起こすまで……外から人を呼び込み、……』

 ガサガサと鳴るひどい音声が続く。

 

『――て……』

 

 ノイズが少しやんだ瞬間、ふいに別の声が聞こえた。

(さっき泣いていた声かな……)

 何かを言っているようだったので、よくよく聞こうと集中していると――。

『この魔女め!』

 

 

 男の人の大きな怒鳴り声に驚き、一気に目が覚めた。

 はぁはぁとベッドの上で呼吸を整える。体中、びっしょりと汗をかいていた。

 慌てて両目の端末を外し、充電ポットに放り込む。

 そのまま、またベッドに寝転がるけれども、肩は荒く上下していて目はぱっちりと開いたままだ。

 天井を見つめ、夢のことを思いかえす。

 男の人の怖い声よりも、目が覚める直前にかすかに聞きとれた言葉が私の頭には残っていた。

(消えてしまいそうな、すすり泣く声だったなぁ……)

 

『私を見つけて……』




 

 いつの間にか閉じていた目を開ける。

 どうやら眠っていたみたいで、カーテンの隙間からは明るい光が差し込んでいた。

 体を起こして、充電ポットからレンズを取り出すと目に装着する。

 

(あの泣いていた声、女の人みたいだったけど……)

 一度眠ってもまだ『私を見つけて』という、か細い声が頭にこびりついて離れなかった。

 

(ノイズまみれの壊れた音は音声ガイドと同じものだったと思うから、あれと関係があるのなら――)

 私はベッドに座ったまま、端末からインターネット閲覧ソフトウェブブラウザを立ち上げる。

 『ファンタジーの世界』のホームページを開くと、昨日見ていたランキング一覧を見た。

 夢で聞いた途切れ途切れの音声を思い出しながら検索する。

(『魔法使いだった』って言ってたよね)

 「魔法使い」の項目を探すけれども、魔法使いは冒険者の欄にまとめて載せられていた。ガイドにも簡単な紹介文しか書かれていない。

 

(そうだ。ユカとタイガがレアリティランキングにない名前もあるって言ってた!)

 うーんと悩みこんだ後、友人たちの言葉を思い出す。

「それで、レビューっていうのがあるんだよね、確か……」

 『ファンタジーの世界』は、お客様の声を第一にというのがモットーらしく、レビューを投稿するページの注意事項には「レビューで受けた指摘は必ず検討し、出来得る限り反映します」と書いてあった。そのおかげか、多くの人が書き込んでいる。

 そこから魔法使いについて調べるが、やはり冒険者のことしか載っていなかった。

 

(彼女は、冒険者ではないはずなんだよね。『仲間から離れて』って言ってたと思うから……。あとは『魔力が強大』だとか)

 夢の記憶をたどっていると、『この魔女め』という大きな声に驚き飛び起きたことを思い出す。

(あんなに印象強い怒鳴り声を今の今まで忘れていたなんて……)

 それほど、そのあとに聞いた『私を見つけて』という言葉が強く記憶に残っていたのだ。

(でも魔女かぁ……。ランキングには魔女なんてなかったと思うけど……)

 半信半疑で、レビューから「魔女」と検索すると「森の魔女」という言葉が出てきた。


『散々な目に遭いました。実際に影響はないとはいえ、子どもたちはを今でも恐れています』

『いくらそういう演出だとはいえ、のやり方はちょっとやり過ぎな気もします。鍵をかけられて閉じ込められたとわかったときには本気で焦りました』


 レビューによると、森の魔女は以前SSSランクだったらしい。お客さんが「迷いの森」に入り込むと自分の家に誘導して、家でいろいろなもてなしをするそうだ。しかし、魔法で客を燃やそうとしたり大量の水を頭の上から出してみたりと、驚かしてくる悪い魔女だった、とレビューではたくさんの批判が書かれていた。

 けれどもその実態は、家に引き留めて冒険者や狩人、まれに妖精などのキャストが助けに入るという遭難した人を保護するときのアトラクションの一部だったみたいだ。

 

 しかし、「森の魔女」のレビューという名の苦情クレームはここ最近ピタッとなくなっていた。

(ランキングからも外されて、苦情もなくなった……。ってことは、もういなくなってたりする……?)

 考えている最中にも、私の頭の中ではすすり泣く、はかなげな声がずっとこだましている。

(夢で聞いた説明はきっと「森の魔女」のことを言っているんだろうけど……)

 あの弱々しい声の持ち主が、強大な魔力を持つと恐れられている森の魔女なのかどうかはわからない。

 

「確かめるにはもう、行くしかないか……」

 今すぐに行けるわけでもなく、夏休みまであと少し登校日もあるというのに、そわそわと体が動くのを抑えられない。

『私を見つけて……』というかすかな声に突き動かされている。


「正体はセイレーンだったらどうしよう……」

 頭では悩みながらも、体は親へ報告したり宿泊施設の予約を入れたりとその日に向けて動き回っていた。



 

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