第16話 和平という名の拘束

 王城の奥、公式では存在しない離宮で魔王と王国の話し合いの席が設けられることになった。

 石造りの小さな城は古いが、内装は綺麗でシンプルだ。暖色で色味が統一されていて落ち着いた感じがする。その城にあって客人を招く迎賓室は上品な範囲で色彩に富んだ趣向を凝らしたインテリアになっている。この城で唯一華美な内装が設えてあるのだ。その迎賓室には国王、宰相を務めるドリュードシュバン公爵であるリーインブルク、そして王太子であるメレス王子と精鋭の近衛騎士数名が並ぶ。魔王側には学、フェン、そして五人の闇の精霊たちがその場にいる。

「陛下、こちらが学です」

 メレスが彼と良く似た面持ちの、迫力はあるが若々しい青年と言っても過言ではない美貌の主に学を紹介する。小声で「魔王の」と付け加えられていることを聞き取ったが、あえて学は何も言わない。

「ようこそ、わが国へ。学殿」

 国王は穏やかに言い、他の緊張した面持ちの臣下とはまるで違う態度だ。

 これこそ王なんやな、と感心する学に彼は微笑みかける。

「あなたのように素晴らしい魔力持ちならば息子の配偶者にピッタリだと思うのだが」

 笑顔で冗談を言う国王にメレスが冷や汗をかいている。学の隣のフェンは冷んやりする空気を放ち、近衛騎士たちが肌寒さに鳥肌を立てている。

「面白い方ですね、国王陛下って」

 学が呑気に言い、運ばれてきた茶菓子に手を出す。

「学、私の菓子もあげよう」

 対面にいるリーインが手を伸ばして学に可愛らしい形の焼き菓子を差し出す。彼女は嬉しそうに礼を言って受け取る。

 魔王とお茶するただの会場になってきている和平会談において、学はどうやってフェンの立場を守り、そしてどうやって一緒にいられるようにするのか実はフル回転で頭を働かせているが解決策はない。

 慣れない交渉の場に知った顔が多くあるのはありがたいのだが、どのように話を進めていいものなのか皆目見当もつかない。

「学、そろそろこちらの要求を話しても良いと思う」

 フェンに話を振ってもらって、やっと考えを話す機会を得た学はチラッとリーインの顔を見てから国王と視線を合わせる。

「こちらの要求は二つ。先ほどフェンが拘束されていましたが、何の罪も犯していないのにおかしいですよね。彼はこの国のために働いて来たのだから、その功績を認めて褒賞を出すのは分かりますけど、捕らえたり罪に問うのは認められません。それから、彼がこれからこの国で自由に過ごせるように取り計らって下さい」

 一番の要求を口にできてホッとしながら学は相手の反応を見る。国王は微笑んでいるだけで何も言わない。子供の戯言と思われたのかと学は不安を隠してじっと国王を見つめる。

「そう睨まないでくれ。君の話は理解している」

 彼にそう言われて、自分の顔が『睨んでいないのに睨んでいるように見える』ことを思い出して内心戸惑う。

「理解した、と言うのはどういう意味合いで?」

 確認のために問うてみたものの、どうも強気な発言に捉えられているような気がする学だ。

「我々は君の存在の前に塵芥と同じだ。だから君が望むものを用意する心づもりがある。その代わりに、君は我々の国へ干渉しないと約束してもらうつもりでこの場を設けている」

「ええ、その認識でお互い合っていると思います」

「君の条件はフェン団長の安全と自由を我々が保証すること、で間違いないね」

「はい、その通りです」

「我々の要求は前出の通り、我々の国への干渉をしないと言うこと。深く言えば、魔王としてこちらを蹂躙しないと言うこと。これには無茶な要求を突きつけたり、領土、民を危険に晒さないと言うことだ。それに加えて一つ提案がある」

「提案?」

「そうだ。この和平を確実にするために、君に提案する。君と王太子の婚姻だ。我々は今まで聖女を迎えたことはあるが魔王というのは初めてでね。聖女よりも強大な力を持ち、尚且つ世界を従える存在。どう考えても君が不可侵の保証をしてくれても我々には不安が残る。そうなると君の大切なフェン団長を我々は監視しなければならなくなる。これは彼の自由という条件に反するかもしれないねえ。そこで、だ。我々を安心させるために、このメレスの伴侶になってはくれまいか。メレスは何をおいても君を大事にするよ。君も伴侶は大切にしてくれるだろう?どうかな」

 この提案を聞いて学に従っている闇の精霊たちの気配が変わる。部屋が暗黒に呑まれそうになるのを学が右手を挙げて押し留める。

「なんでそんな発想になるのか聞かせてもらっても?」

 敬語を放棄し出した学は見る者を恐怖へ落とし込む漆黒の瞳で王を見据える。

「ふふふ、そのように恐ろしい目で睨まずとも、我々は君に手出しも強要も出来ないのだ。脅しはいらぬよ。これは年寄りの戯言だ。長年国をまとめ、民を守ってきたが、脅威というものはなくならぬ。だが、魔王と呼ばれる君を血族として迎えられたらどうなるであろうか。強い魔力、強い後ろ盾、そして可愛い孫たち。老後の楽しみをこのような形で得られる機会があるのならば全力を尽くして君を説得するのが王というものだろう」

 力説してくる王に学は目が点になっている。

「父上、孫は和平と関係のない案件なのでは」

 メレスがこっそり耳打ちしているのが聞こえて学はメレスを睨む。彼が悪いわけではないことは分かっているのだが、何だか彼を見ていると腹が立ってくるのだから仕方ない。メレスの隣のリーインに至っては周囲に薄い氷を作り出しているから彼もこの条件には反対なのだろうと推測する。隣のフェンですら怒りを抑えているように見える。そんな臣下に囲まれてもタフな主張ができてしまう王は結構な性格をしているようだ。

「結婚はしません」

 断言した学に王は眉を上げて見せ、悪戯を仕掛けるように口端だけで笑む。

「本当に?」

「逆にあなたの娘をこちらに嫁がせてもええんですよ?」

 学が言うとギョッとしたようにメレスが「ダメだ」とすぐに拒否した。

「やっぱり妹がいるんや」

 小声で呟いた学にメレスがしまった、という顔を見せる。隣でリーインが呆れ顔だ。

「ちなみに誰に嫁がせればいい?」

 王が乗り気で発言するのを見て、学は並んでいる闇の精霊たちをそれぞれに見ていく。

「どれでも選んでくれればいい」

 学の言葉に精霊たちが「我が君」、「主」、とそれぞれ焦ったように拒否を表示する。

「そちらの希望に沿うよう居城を整えよう」

「恐れながら、人間にはこちらの世界は生きづらいかと思われますので、王は真に受けて検討なさらぬように」

 学の言葉に被せるようにランティスが笑顔で圧をかける。

「精霊に嫁ぐという発想もなかなかに面白い」

 王はご機嫌である。

「とにかく、要望をまとめたものを用意してある。目を通してくれるか」

 リーインが装飾の施された羊皮紙を学へ渡す。既に王の署名がしてある和平の構文だ。内容を確認して下部にある署名欄へサインして返却すると彼は藍に近い藤色の瞳を学に真っ直ぐに向けてくる。

「どのような立場になっても、君は私の家族だよ。世界中が敵になっても君の居場所は私の家にある」

 彼の穏やかな言葉が学の中に染み渡る。

「ありがとう、リーインさん」

 これ以上にないくらい頼もしい味方だ。だがフェンが机の下でぎゅっと学の手を握ってくるので嫉妬されていることに気が付く。フェンの兄でもあるリーインの愛情を独占したりしないから、と言う気持ちを込めて学はその手を握り返す。フェンの居場所もリーインの家にあるのだと分かって欲しい、と思いながら学は彼を見上げる。

「和平条約締結、だな」

 メレスがホッとしたように言う。

「それでは条約通り、王城に君の居室を作ろう」

「え?」

 学が驚いて王を見る。

「条約に書いてある通りだ。君の居室を作り、我々が友好の間柄であると内外へ示すため、一年間君はここで過ごす。もうサインはしたのだから異論は認めないぞ」

 慌ててリーインから羊皮紙を奪って確認すると小さな字で確かに書いてある。まるで詐欺のような手口に学は二の句が出ない。

「和平という名前の拘束手段を使うなんて、王様としてどうなんやろ」

 学の呆れた様子に王はお茶目に片目を瞑って見せる。

「滞在中に心変わりしてフェン団長ではなくメレスの愛を受け取ることになるかもしれない。人生とは何が起こるか分からないものであるからな」

 不穏な言葉に顔色を変えるメレスとフェンに学は苦笑して、とりあえず危機は脱したのだと己を納得させるのだった。

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