第14話 心に鎧を着せて
人は生まれる場所を選べない。同様に人は自分の持つ能力を選ぶことなど出来はしない。
魔力をもって魔法を行使出来るものと魔力はないが魔法を行使出来るもの。
その違いは何だろうかと学は考える。
誰もいない魔術棟は不気味な様相を醸し出すが、取り立てて怖いとも思わず、散らかってるな、くらいの感覚で彼女は奥へ歩いていく。
一度来たことがある。しかし、案内された場所ではない所へ行く必要がある。
それが分かるのはどうしてか、など気にもせず、学は確かな歩みで古びた棟の中を行く。元は城だったせいで廊下は複雑な造りをしている。それでも迷うことがないのは「呼ばれている」からだ。
学は鍵のかけられた、物理的にはただの扉だが、魔法による鍵のかけられた扉を最も簡単に手で押し開け中に入る。
そこからは空気の重みが違った。
重力が増したかのような圧力。そして息苦しさ。
最初にここへ来た時に何かいると思ったのは間違いではなかったらしい。
だが、不快ではない。むしろ心地良いくらいの圧迫感だ。
学は更に奥へ踏み込んだ。
どれだけ進んだだろうか。永遠にどこにも着かないのではないかと思える距離を進んで、学はようやくホールのような場所へ出る。暗いその空間は今にも崩れそうな石造りの祭壇と破壊された白い石でできた銅像のカケラが並んでいる。
「ようやく
声がした。
よく聞き知った、そして会いたいと願ってやまない人のもの。
「フェン?」
まさかという思いに学は目を見開く。
漆黒の軍衣に身を包んだその人は、この世のものとは思えない美貌を儚く揺らしてそこにいる。
「学」
正しく発音してフェンは甘く微笑む。
「フェン、遠征に出てるって聞いたけど帰ってこれたん?」
駆け寄ると彼は学を愛しそうに見つめて抱きしめる。
「遠征には今もまだ出ている最中だけど、貴女会いたさに戻ってしまった」
「え、それって大丈夫?」
フェンがしそうにないことに学は不安を感じる。
背に回る腕の確かな存在に学は彼の腕の中から彼を見上げる。
「口付けても?」
許可を求められて拒否できる訳がない。
学は頷いて、彼の柔らかな唇の感触が優しく届き、やがては強引に自分の中をこじ開けてくるのを高揚した気分で受け入れる。
フェンの舌に翻弄されながら、学は彼の手が自分の体をその存在があるのを確かめるように撫でてくるのを感じ、大海で溺れた人間が藁を掴むかのように彼の体にしがみつく。
「フェン……?」
止まる様子のない彼の背中を叩いてみても彼は学を貪り食うように唇から首筋、そして引きちぎるようにして邪魔なものを剥ぎ取って現れた白い柔肌に食いついていく。肉厚な彼の舌がなぞるように彼女の肌の曲線を這い、鋭い歯が痕を残して赤い花が散る。
「んっ」
痛みと繊細な指先が強制的に与えてくる快感に軽くパニックになりながらも学はフェンを正気に戻すべく彼の背中を拳で力一杯叩く。力仕事が得意な学の力は強い。手加減なしで叩かれれば怪我をするくらいだ。
彼が動きを止める。
「貴女の全てを私のものにしたい」
フェンの夜空を想わせる瞳が熱情を孕み、真っ直ぐに学を射抜く。その底に切実そうに気弱な影を潜ませて。
「私はフェンのものやで。全部、全部、フェンのもの」
学が心を込めて言うのを彼は感極まったように聞いて、それからもうどう仕様も無いくらいに溢れる感情を堪えきれず、力任せに彼女を抱きしめる。そうするしか方法がないのだと言うふうに。
二人の存在が溶けてひとつになれれば良いのに、とフェンの心の叫びを学は聞いた。
勢いのあまり石畳に転がるが、フェンが学を上に抱えて怪我しないよう守る。
そっと彼の胸を押して頭を上げた学は彼を覗き込む。
「フェン」
学はフェンの抱える孤独に手を伸ばすように彼の顔を両手に包む。
「私がいるから。一生傍におるから。だからそんな顔せんとって」
迷子の様な、何かを堪えている表情に学は胸が詰まる。
「フェン?」
「ああ。貴女はずっと、私のもの」
「うん、そうやで」
「愛している」
フェンが優しく彼女を抱き寄せる。
温かな彼の心臓が脈打つのを感じながら学は、幸せなはずなのに違和感を感じる。
「学、貴女は私を許してくれるだろうか」
彼の胸の上で学はその重い言葉を聞く。
「貴女をこの世界へ誘ったのは他の誰でもない私なんだ」
「どういうこと?」
「この世界の門が閉じた時、私はある可能性に賭けた。聖女がこの世界に召喚できるのならば」
そこでフェンは言葉を止める。
学は顔を上げて彼を見つめる。彼の澄んだ夜空が見返してくる。
「魔王をこの世に召喚できると」
純粋な瞳は学の心を覗くかのように隅々まで見通そうとする。
「私が組んだ魔法陣は正しく魔王を呼ぶためのもの」
「魔王?」
「そう。この魔術棟に封じられている魔王の魔力をその身に宿す理を持つ者」
「それが、私?」
「ああ。唯一魔物を従えることができ、ただ一人闇魔法を行使できる者。この莫大な魔力を身に宿すことが可能な異世界からの召喚者」
「フェンは復讐するために私を呼んだってこと?」
「復讐、ではなかったのだと思う。聖女として呼ばれた人はその一生をこの国の魔物を討伐するために捧げなければならなかった。では魔物は狩られるために存在するのか。それが最初の疑問だった。そしてある時、この棟に込められている魔力の存在を知った。聖女がいるのならば魔王もいる、そう考えるのは自然な流れだったんだ。では魔王も召喚できるのか。何度か試してみたが門の魔術式が邪魔をして呼ぶことが叶わなかった」
「門を閉じてって願ったんは
「それだけではなかった。本当だ。この世界へ否応なく呼ばれる人々の安寧を誰が守ると言うのか。私は許せなかった。こちらの勝手で人を呼ぶことに。もう終わりにしたかったんだ。それなのに私は魔王となる人を召喚した。異世界から誘われた人々の苦悩を知っているのに、喚んだのだ」
「……フェン」
誰も苦しめたくない。聖女を苦しめた誰かを懲らしめたい。
どれも本当。世界の真実を求めた結果が魔王召喚。
「魔王がいないから門が狂って全然違う人をこちらに飛ばしてきたってことか」
学は自然と納得した。この世界では聖女と魔王は同時に存在するものだったのだ。
「聖女は言っていた。ここへ来た異世界人には共通点があると」
「共通点?」
「ああ。彼女が言うには、みんな血族ではないかと。聖女を生み出すのも、魔王を生み出すのも同じ家系。そしてこの世界に来ることができる血を持つ人々」
「え?」
「聖女の考えでは、本当はこちらに生まれるべき人々で、魔力がこの世界の波動に合わないがために異世界へ飛ばされたのではないかと。聖女と魔王という極端な魔力の持ち主をこの世界から弾いた結果、異世界からの召喚ができるという話になったのではないかと言っていた」
「凄いことを考える人やったんやね。そんな着眼点で考えられた人やからこそ聖女やったんかもしれんけど。そして聖女はフェンのお母さんやろ?」
フェンの母は才女だと聞いた気がする。ならば納得かもしれない。
「誰に聞いた?」
「リーインさん。フェンが弟やってことも聞いたよ」
「そうか。隠すことでもなかったのだが。とうとう自分から言えずじまいですまない」
「ううん。おいそれと言えるような話じゃなかったやろうし」
「……いつも心に鎧を着せて武装していた。誰も信じず、誰にも頼らず。ただ母を守りたかっただけだった」
幼い彼の鎧は大層重かったことだろう。
学は目の前のフェンの、他の大人に守られなかった小さな姿を想う。
「ねえ、最初に会った時、リーインさんが異世界人への差別主義者って言ってたのはなんで?」
最初に会った時のことを思い出し、学は困ったようにフェンを見る。フェンを知り、リーインの人柄を知った今、何の意図があったのか分からなかったのだ。
「どうして、か。衝動的に言ったんだ。貴女を取られたくなかったからかもしれない。最初から私は貴女を独り占めしたかった」
フェンは自嘲して形の良い口元を歪めて見せる。
「私はフェンのお眼鏡に適ってここにいるってことかな」
フェンが抱きしめる腕に力を込める。
「貴女を魔王になど、させられない」
フェンが苦渋に満ちた表情になって言った。
「魔物の王ってことやろ?カッコええやん」
元の世界では氷の王子様と呼ばれていた。ならば魔王になっても違和感ないのかもしれない。
「このまま魔力無しでただの学として生きて欲しい」
「なかったことに、できると思う?」
学は泣き笑いのように言った。
フェンも気が付いている筈だ。召喚した時点でもう始まって止められないのだと。学がこの世界へ降りた時から魔力の渦がここから出ようとしているのだ。今も暴走する一歩手前のように思える。だからフェンもここへ呼び出した。
学の体の奥底から力を欲する衝動が湧き出てくる。すぐそこに自分の心臓があるから取り戻そうとする当然の行為と言える。
「学、私が間違っていた。魔王など存在しない」
嘘を言う彼の顔も泣きそうだ。
「魔力を取り戻すって行為がどうとか分からんけど、私が私でなくなることはないと思う」
「でも、分からない」
「うん。まあ、大丈夫やわ。フェンは小さい頃から頑張ってきたんやろ?その願いを叶えたいねん」
「しかし」
「大丈夫」
学は言い切った。
「それが私の宿命や」
学が言った途端、誰かの声が重なって聞こえた気がした。
フェンの目が見開かれている。
「……母上」
同じ言葉を口にした聖女の姿が見える。
そして。
光と闇が炸裂する。
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