第13話 異世界人とつるむには

 学は軍服もどきの格好に伸びた髪を後ろで括り、姿勢を正す。

 朝食後、そわそわと準備して学は鏡の前に立つ。

 アトリスが胸の前で両手を組んで見惚れてくれているのが少し恥ずかしい。

「んっと、アトリス?馬車で大広場まで行くんやね?」

 その問いに我に返ったアトリスが大きく頷いた。

「そこからは歩いてのご案内になります」

「うん。付いてきてくれるん、すごい嬉しい。ありがとう、アトリス」

 学に礼を言われてアトリスが微笑む。

「お嬢様のためになるのならば、それは私の喜びですよ」

 学はぎゅっと彼女を抱きしめる。女性としては背の高い学の腕の中に収まったアトリスが恥ずかしそうに身じろぎしている。

「何も返すものがなくて、本当に申し訳ない」

「どうしたのですか、そんなに改まって。私は好きでお嬢様のお世話をさせていただいているのです。お礼など宜しいのですよ。お嬢様のご負担になってはいけませんから、そのことは本当にご理解下さいませ」

「うん、分かった」

 アトリスを離して学が微笑む。

「それではお嬢様、出発しましょうか」

「うん」

 学はアトリスの腰をそっと押してエスコートする。ポッと頬を染めて彼女は学を見上げる。

「お嬢様が異世界にいらっしゃった時に人気だった訳が良く分かります」

「ん?」

「イケナイ扉を開きそうです」

 いつもシャンとしているアトリスがモジモジしていて学もピンとくる。

「地元で女子にモテてたって言ったっけ?」

「ふふふ」

 笑っているアトリスのご機嫌さに学も笑みを漏らす。

 馬車に乗り込み、平民の多く住む地域へ入る。そこで馬車を待たせて、学とアトリスは花屋の隣のお土産屋のような雰囲気の店へ入る。

 入り口近くには商品の並ぶ棚があり、皿やスプーンなどの手作りの木製品や金属を加工したアクセサリーなどが飾られ、端には食品も売っている。すぐ見える場所にレジがあり、ここだけならば物産の販売店だと思うところだ。しかし、半分仕切られるようにテーブルと椅子の並べられたスペークがあり、そこには見慣れた顔の、もとい、同じ世界の住人であろう人々が湯呑みを片手に語り合っている姿が目に入る。

「いらっしゃい」

 落ち着いた声に目を向けると中肉中背の男が立っている。

「おはようございます。お会いする約束をしていました者です」

 アトリスは名乗らずにアポがあることだけ言うと男は頷いて微笑んだ。

「異世界人組合へようこそ。宮部汀です」

「お嬢様、この方が異世界人組合の長ですよ」

 アトリスに言われて学はポカンとしていた自分に気が付く。

「初めまして。高坂学です」

 学はお辞儀して困ったように微笑む。

「とりあえず、お茶でも」

 彼は一番近くのテーブルへ学を誘い、奥から出てきた女性にお茶の準備を頼む。

「まずは自己紹介から。俺は滋賀県で酒屋を営んでいた者でここに来たのは三年くらい前かな。詳しいことは覚えてないんやけど、気が付いたらこの世界に来ていて、騎士に拾われたんやわ。面倒見のええ人で、俺がここで生活する段取りをつけてくれた上に、この店の資金までくれはって。組合作りたいって言うたら協力してくれはったんもその人なんやわ」

「へえ。ここに来た時はどうやってこの世界に慣れはったんですか」

 懐かしい関西弁に学はどこか夢を見ているような気になる。それでも同郷の人に聞いてみたいことが一杯だ。

「そうやなあ。どうやったかな。とにかく、一年くらいは落ち込んでたからなあ。でも仲間を探してみて故郷の話してたら気が楽になって、それで今は落ち着いて生活できてるんかな」

 一人だったら無理だったと彼は語る。

 遠巻きに視線を感じると他の異世界人たちが気遣うような視線を寄越している。だが無理に話に加わるわけでもなく、そっとしておいてくれているような雰囲気だ。

「学君は高校生くらいかな」

「はい。でも、男とちゃうんですけど」

「えっ」

 あちこちで「え」という声が上がったことに学は苦笑する。

「良く間違われるんですけど、女です。それに汀さんと同じ滋賀県出身で家はバイク屋なんです」

「おお、そうなんや」

 よくよく話を聞いてみると母校が同じで家も近い。

 不思議な縁を感じる。

「あれ、高坂って言ったっけ?」

「はい」

「あー、もしかしてスワンクラウンの」

 言いにくそうに言った汀の言葉に学は頷く。

「兄のことかなあ」

 そんな恥ずかしい名前の集団は兄のグループしかない。二番目の兄、夜須波の高校生の頃の話だ。単車で暴走したり喧嘩に明け暮れたりと、知っている人がいるのは恥ずかしい。

 何とも言えない顔で見られて学は兄を恨む。

「不束者の兄の妹やけど犯罪行為はしてないし、するつもりもないので」

 学の真面目アピールに汀が笑う。

「いやいや、責めたりせえへんし。懐かしいなって思っただけやわ。それから、ここでは敬語無しな。他人行儀な敬語のままやと助けてって言いにくくなるらしいから」

 豪快に笑っている汀に学はどういう顔をすればいいのか分からない。

 すると汀が真面目な表情で学を見つめる。そこで学は気が付く。

「顔怖いってよく言われてて」

 そう言って、自分の表情が相手に与える印象を思い出した学は慌てて愛想笑いを浮かべる。

 アトリスやフェンと一緒にいて、つい自分の顔の印象を忘れてしまっていた事実に学は驚いている。幼馴染の冬香や豊は無表情の学が冷たい人間ではないと知っているが、初対面の人は大体誤解するのだった。それに兄が暴れていた過去を知っている人なら血縁だということで誤解が大きいかもしれないのだ。注意しないと。

「無理に笑わんでも大丈夫やで。笑いたくても笑えへん気持ち、俺らには分かるし」

 痛々しいものを見る目で見られて逆に傷付く学だが、冷たいとか言う印象を与えていなくて安堵した。異世界へ来ての心境を慮ってもらえているのが嬉しい。

「あの、ジャージが手に入ると聞いてきたんですけど」

 学の言葉に汀の顔が明るくなる。

「やっぱジャージ派?俺も野球少年やったからジャージが手放せへんくてな。どうにかできひんかと、そこのかっちゃんと試行錯誤して産まれた商品があるねんや」

 汀は離れた席で女性と世間話をしていた青年に目を向ける。名前を呼ばれた青年は汀の召喚で学たちの席までやって来る。

 茶髪が伸びて黒髪に毛先だけ茶色という長髪の青年は学とそう歳が違わないように見える。大きな愛らしい瞳は眼鏡に隠され、学と正反対で可憐な少女に見えるというその容貌がニッと笑う。

「初めまして。俺は二柳勝己。俺は京都出身で、かれこれ十年ほどここにいるかな」

「十年」

 想像以上の年数だ。一体幾つでこちらにやって来たのだろう。

「詳しい話はおいおい。今日はジャージ欲しくて来たんやろ?ほな、見本持ってくるし、待ってて」

 そう言ってかっちゃんは暖簾のしてある入り口の奥へ消えて行った。

「美人やろ、あの子。それで苦労してはんねん」

「そうやろうなあ」

 自身の経験も踏まえて、容易に想像できてしまう。

「貴族のおっさんらが未だにかっちゃんをゲットしようと躍起になってるんで、この店にも良くおっさん連中が来るけど気にしんといてな。一応、この店に投資とかしてくれてるから害はないし」

「害がない?」

 投資の目的はかっちゃんだとしたら大きに問題があるのでは、と学が心配そうな目を向けると睨まれたと誤解した汀が慌てて手を振る。

「ちゃうで、詐欺とかそんなんと。かっちゃん、ああ見えて極悪非道やけど真っ当な人間やし。上手く言葉で言い含めてええ気にさせて交渉するから詐欺に見えるかも、やけど全然そんなんちゃうし。人たらしではあるけどな」

 褒めているのか貶しているのか分からない説明に学はふ、と笑みが漏れる。

「お?」

「え?」

 ポッと赤くなった汀を見返して学が不思議そうにしているとアトリスがずいっと身を乗り出して汀から学が見えないようにする。

「あ?どんな状況?」

 そこへかっちゃんが手にジャージを持ってきて呟く。

「おお、青いジャージ」

 学がかっちゃんの手にある念願のジャージを見せてもらう。

 異世界素材のジャージは絹のような滑らかで光沢のある素材だが、ちゃんと伸縮性があり、頑丈そうな気がする。

「こっちのパピラっていう植物の繊維が嘘みたいに頑丈で伸びるやつで、これを応用して軍服もできるんちゃうかって今王様から研究の指示が出てるねん」

 秘匿義務はないのか、と驚くような話を聞かされて学が目を丸くしていると彼は笑った。

「大丈夫。俺らの世界の常識と少しちゃうみたいやし。いや、異世界人が特殊って言ってたかな?まあ、どっちにしても、大口のお客さんやから張り切ってるんやけど」

 ニコニコしている姿は本当に可愛らしい。

「そう言えば、眼鏡ってこっちにもあるん?」

「あるけど、こっちのは規模が違うで。ただのガラスに魔法で視力補正をかけてあるねん。眼球まで治すことができるんは聖女様だけらしいけど、そんな恐れ多いことしてもらわれへんしな。俺は眼鏡派」

 ここでも出てきた聖女。

「聖女様って、もういないって聞いてんけど、会ったことがあるとか?」

「一回だけな。ま、十年もいるから、俺」

 その言葉の重みを学はどう返していいのか分からない。

「そんな辛気臭い顔しんといて。俺、こっち来て良かったと思ってるし」

 キラン、と彼は左手に光る結婚指輪を見せる。

「運命の人に出会えたんやから、ある意味こっちに来て勝ち組?」

「おお、眩しい」

 学が実際に眩しくて目を細める。

「あ、ごめん、ごめん。俺、なんか知らんけど照明魔法が使えるねん」

「照明?」

「こっちに電気はないけど、照明に光をつけたり、指先を光らせたり。で、今目立たそうとして無意識に指輪を光らせてしまってん。ごめんや。そんで、こういうんは光魔法とは言えないって最初の頃拾われた先で言われてんけど、今ならその意味が分かるわ。光魔法って言うのは、光属性の魔法で、こんな手品みたいな魔法とは一線を画すねん」

 学が分からないだろうことを先読見して教えてくれたかっちゃんは笑って光っていない指輪を見せてくれる。

「もしかして、異世界から来た人は何らかの魔法が使えるとか?」

「ああ、そう言うもんらしいで」

 魔力のない学にとっては痛い話になってしまう。魔力がないと何か不都合があるかもしれない。リーインに確認しなければ、と頭に留めておく。

「ところで、学ちゃんは公爵家に拾われたんやろ?ちょっと頼みがあんねんけど」

 かっちゃんがキランと目を光らせて学に詰め寄る。

 側から見ると美少年に詰め寄る美少女だが、何にしても目の保養だと汀が頬を緩ませ、アトリスが目を釣り上げる。

「頼み?」

「ああ。えっとな、なんとかの森って公爵家にあるやろ?大精霊が住んどるとこ」

「ああ、庭にいるわ」

「おお!ホンマの話やったんか。そりゃ好都合。あのな、大精霊の力で布を織って欲しいねん。織るのは違うか。祝福?あれ、なんて言うんやっけ、汀さん」

 話を振られた汀は、ほえ、と呑気な顔をかっちゃんに向ける。

「あかん、思考放棄の顔しとる」

 かっちゃんがため息をつく。

「汀さんは魔力が多くて、ちょっと感心することがあったり驚いたりすると、こうやって放電するんや。その間は使い物にならん」

「そんなことがあるんや」

 学は驚いて汀を見る。

 魔法のない世界から来ると色々想像できない事態が起こるらしい。

「とにかく、大精霊に会いたいねん」

「じゃあ、公爵さんに聞いてみる。友達を招待して庭を見せていいかって」

「友達!嬉しいなあ、その響き。異世界人って言うと嫌厭されることもあって、友達作るの大変やねん。見てたら分かると思うけど、ここにいる人らも結構年上が多いやろ?同年代って学ちゃんと俺らくらいやで」

「そうなんや」

 学はアトリスをそっと伺いながら嬉しそうにしている。冬香以外に初見で話しやすい人物に出会ったことがないが、かっちゃんは初めて会ったとは思えないくらい気安く思える。

「そや、そのジャージ、プレゼントやし」

 学の手にある青いジャージを指してかっちゃんが言った。

「ホンマに?ありがとう。大事にする」

「サイズも問題なさそうやし、丈夫やしほつれたりせんやろうけど、直すこともできるから、そん時はここに持ってきたらええし。で、洗い替えも欲しいやろうから、今デザイン違いを製作中やし、また出来たら知らせるわ」

 かっちゃんに礼を言い、昼前には異世界人組合を後にする。

 学は屋敷に戻るとすぐにジャージに手を通す。

 元の世界のジャージよりも肌触りが良く、軽い。

 ジャージの下にはシンプルな白いシャツを着ている。Tシャツがあればいいのだが、そうそ都合良くはいかない。ジャージができたのならTシャツもできそうだ。今度お願いしようと考えながら、学は上機嫌になる。

「お嬢様、本当にそれでお過ごしになるのですか」

 アトリスの不安そうな顔に学は苦笑してしまう。

「これでドレス作ってもええと思うで。艶があるし、しなやかで動きやすいし」

 元いた世界にはない気品のようなものをこちらのジャージから感じるから不思議だ。

「そう言われますとそうかもしれません」

 見慣れないジャージの上下にアトリスは相変わらず不審な眼差しを向けているものの、この生地の可能性には色々思うところがありそうだ。

「あとはジーンズとTシャツやな」

 学の呟きにアトリスが背後から心配そうな瞳を向けている。それから「あ」と声をあげて茶器の載ったワゴンから手紙を取り出す。

「お嬢様、そう言えば、デスラー魔術騎士団団長様からお手紙を預かっています」

「え、デスラーくんから?」

 学は受け取るとすぐに封を開ける。

 シンプルな便箋には滑らかな字が踊る。

『魔術棟にて確認したい事項あり。急ぎ来られたし』

 学はアトリスにそれを見せ、そわそわとしている。

「今から向かいますか?旦那様にも連絡しておきます。それからマーカス」

 辺りを見回してアトリスはマーカスを探す。

「いかがされました」

 ニョキっと壁から生えたように現れた護衛のマーカスに驚きながらも、アトリスは手紙を彼に見せる。

「魔術騎士団団長の自筆かどうか分かりますか」

 彼女の問いにマーカスは首を振った。

「傍目に筆跡は同じように思います。ですが詳しく鑑定しないと本物かどうか分かりません。私も鑑定眼を持ってはいますが、魔力の余波のようなものを感じるのです。デスラー殿の筆跡に間違いないと鑑定結果は言うが、勘がそれを信じてはいけないと言う」

 判別つかないことは珍しいのだろうか。マーカスは険しい表情だ。

「まあ、ともかく行ってみてあかんかったら帰ってきたらいいんやし」

 気楽に言った学にアトリスの揺れる瞳が行かないで欲しいと訴える。

 本物の手紙ならば急を要する用件だろうと思われるし、偽物ならば学の身が危ない。そんな不安な呼び出しに主人を侍女として行かせるわけにはいかないが、主人が行くと言えば従わざるを得ないのもまた事実。

「マーカス、必ずお守りするのですよ」

 アトリスは固い表情で馴染みの護衛に言い、自分自身も決意するように学の後に続く。

 馬車を走らせ、王城の奥に位置する魔術棟へ赴く。

 石造りの壁には蔦が這い、何か出そうな雰囲気だ。

「奥の部屋か地下にいるんかな?」

 学は馬車から降りて棟の入り口を見上げる。相変わらず、何か圧迫感を与えるものがある。

 そう言えば、フェンとはここで仲良くなったと思い出して、学は誰も来たがりそうにないこの建て物に愛着が湧く。

 後ろではアトリスが何かを警戒しながら控えている。

「アトリス、ここで待ってて」

 学が言うとアトリスは拒否するように首を振る。

「んー、なんか分からんけど、アトリスはここにいた方がええ気がするねん。多分、デスラーくんの用事って、魔法に関係することやろうし、それも魔術騎士団団長しか知り得ないような魔術の話かな」

「どうして分かるのですか」

「ここにいる何かがそう言ってる」

「え?」

 学の言葉にアトリスは魔術棟を不安そうに見上げる。

「お嬢様。私がはいそうですか、と素直に聞くとお思いですか」

「多分、違うね?」

 学は可笑しそうに笑った。

「でもね、従ってもらうよ。マーカスやっけ?あなたもここにいた方がええみたい」

「しかし」

 言い募ろうとするマーカスに学が鋭い目を向ける。その迫力にどんな危険な任務もこなしてきたマーカスが一歩退く。

「なんか知らんけど、私呼ばれているみたいやし行くわ。ちょっと待っててな」

 そう言って、学の姿が泡のように消えていく。それも深い、深い闇の奥に呑まれるように。

「お嬢様?」

 突然のことにアトリスもマーカスも身動きできずに立ち尽くすことしかできなかった。

 

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