第12話 聖女の行方
ドリュードシュバン公爵家には三人の子息と一人の息女がいた。
長男のリーインブルクは社交的で優秀、神童と称えられるほどだった。そして次男のラリューシャは兄とは正反対の大人しい性格で常に本を抱えて家から出ない少年だった。三男フェレナンは長男によく懐いていて、まだ幼いながらずば抜けた魔力と頭脳の持ち主だった。そしてそれが誉ある公爵家にとって異物だと思われている所以だったのだ。
そして、ただ一人の息女アレクシアは優しく大らかで、明るい性格で誰からも好かれ、また兄弟を深く愛していた。
その頃、王国には魔物が溢れ人々を脅かしていた。
もう何年も前に女神の恩寵で聖女がこの国へやってきている筈だったのに、その姿はどこにもなく、緩やかな絶望が王国を支配していた。魔物を退けられるのは騎士団の中でも精鋭の魔法騎士団だけで、ただの剣では魔物を傷つけることすらできない。いるはずの聖女を探し出すことが王国を救う唯一の方法だと言われていた。
ある日のことだった。
幼いフェレナンと遊んでいたアレクシアから叫び声が上がった。
駆けつけたリーインブルクは血まみれになっているフェレナンを抱えるアレクシアを見つけた。
「一体何があったんだ」
「魔物が来たの。でもフェンが退けてくれたの」
幼い弟が魔物を退けたと言うのは信じられなかったが、気を失っているフェレナンの顔色は青白く、血を失っているせいで早く処置しないといけないことは分かった。アレクシアの代わりに弟を抱き上げ、医者に見せるために移動しようとした先に義母がいた。フェレナンの母親で公爵の後妻だ。華やではなかったが、美しい人だった。
リーインブルクには彼女が貴族だとは思えなかったし、父は他人行儀に義母に接していて、とても家族だとは言えないと思っていたが、利口な彼はそれを口にすることはなかった。
「怪我をしたの?」
自分の息子が血まみれになっていると言うのに、彼女は慌てることなく息子の体を検分している。
「大丈夫、任せて」
彼女は祈るように目を閉じるとその手を息子に向けた。信じられないことに、そこから温かい光が溢れ出してフェレナンの体を包み、癒していく。
魔法で怪我を治すことはできない。それを義母はやってのけた。
「アレクシア、怖かったわね。もう大丈夫よ。それにリーインも。二人ともありがとう」
彼女に微笑まれると、安堵が広がる。そして不思議と優しい気持ちが湧き起こる。
子供達と彼女の関係は良好以上で、屋敷の使用人も家族も、父以外の者はみんな彼女が好きだった。
そんなある日のことだった。
父が厳しい顔つきで家に戻るなり、義母に詰め寄っていた。彼女は怯えていて、誰かが守ってやらねば息も出来なさそうに震えていた。
「父上、そんなに怒っていては母上が可哀想です」
リーインブルクが彼女の前に立ちはだかって言うと父はスッと目を細めた。その目に温度はない。初めて見る父のそんな目にリーインブルクは対抗するように義母を背にして手を広げた。誰にも近寄らせない、と。
「リーイン、そこを退きなさい。これは公爵家主人の言葉だ。お前も跡取りを名乗るのならば、賢明な判断をしなければならない。いいね?
この崇高なる女性は聖女だ。我々王国のために身を捧げて下さる尊いお方。我々の家に留めておくことはできないのだよ」
初めて聞く話にリーインブルクは背後の義母を伺った。彼女は震えて怯えていた。そして優しい彼女は震える手でリーインブルクを抱きしめた。
「大丈夫よ、リーイン。お父様の言うとおりにしましょうね」
彼女はリーインブルクを侍女に預けて、何事かと集まったラリューシャ、アレクシア、そしてフェレナンに笑顔を向けた。
「みんないい子で待っていてね」
震える声で精一杯強がったであろう姿で父に腕を掴まれて行ってしまった。
まるで連行されるような姿にリーインブルクは心を痛めた。
もし自分がもう少し大人で父に意見をしても聞き入れてもらえるような立場であったら彼女を守れたかもしれない。そう思った。
それから彼女は家には戻らなかった。幼いフェレナンの魔力が強すぎて、王城で過ごす聖女としての母の元へ連れられていき、屋敷と城を行き来するフェレナンから彼女のことを聞く以外に彼女の状況を知る手立てはリーインブルクには無かった。
やがて城で働くリーインブルクは知ることになる。
聖女が異世界から召喚された時、手違いで保護できず盗賊に襲われたこと。救出された時には体も精神もボロボロで落ち着くまで公爵家預かりになったこと。さらに聖女の血を残すために、無理矢理公爵家へ嫁がされたことを。
何一つ自由のなかった聖女は誰に文句を言うこともなく、ただ魔物をほうふるために働き、その短い一生を終えた。
ただ傷つき、弱音を吐くことされ許されなかった哀れな生き様だった。
そしてその息子であるフェレナンは政治に関わらないが王族の流れを汲む家に養子に出され、名前を変えた。聖女に最後まで付き従い、彼女のただ一人の支えとして過ごしていた。本来なら公爵家でぬくぬくと育てられるはずだった彼も、そして本来なら穏やかに異世界で暮らせるはずだった聖女も、幸せとは言えない暮らしだったとリーインブルクは思った。
リーインブルクは決意した。
大事な者を守る為に力をつけることを。無力な自分では何も救えないのだと知っているから。
冷たい風が肩を撫でていく。
ブルっと震えるとリーインが学に自分の上着をかけてくれる。
「中へ戻ろうか」
「ううん。もうちょっとここにいる」
「ならば、もう少しだけ」
リーインは夜空を見上げている。
「フェンは恨んでるのかな、公爵の家を」
「ああ、きっと。表に出したことはないが、私たちを避けているからな」
「それにしても、お母さんが聖女やったなんて」
聖女の話をフェンから聞いたことはある。まさか母親の話だとは思ってもみなかった。ただ世話になったと、そう言っていたからそれを信じていた。
「聖女に頼らなくても自分が魔物を全滅させるから扉を閉じてくれとアイツが王に提案したんだ。また不幸な聖女がこちらへ来てしまっては母上の魂が浮かばれないと、そう言っていた」
「そう、なんや」
そうでなくても異世界人は自分にとって何もない場所へ落とされる。そんなことはあってはならない。
フェンの想いが伝わってくる。
「そんなアイツが唯一君を望んだ。だから応援したかったのだが。今回のコレは本番ではないし、私も気楽に考えてしまった。アイツにとったら、着飾った君を独占できないばかりか、見ることさえできないのだから怒って当然だったな。配慮が足りなかった。今すぐアイツに頭を下げに行こうかと本気で思っている」
リーインは仕事上ではきっと謝らない人種だ。その人がそんなことを言うくらいだ。反省して弟の心配をしている。それを学もフェンに伝えたいと思う。
「リーインさん。フェンは聖女と同じ括りで合ってます?」
「いや、正確には違うな。聖女の血のせいなのか、信じられないほどの魔力を持っているが、それは聖女の持つ力とは別のようだ」
「それじゃ、聖女じゃないのに魔物と戦っていると言うことですか」
「ああ。ある一定以上の魔力があれば魔物を殺すことができるからな。とはいえ、癒しの力もなければ魔を浄化する力もない。困難なことに変わりはない」
「そうですよね。聖女はもう来ないんですよね、ここには」
「ああ。扉を閉じたからな」
その現場に学は落ちてきたのだが。
「うーん、じゃあ、誰がフェンを助けてくれるんですか」
学に魔力はない。だから助けたくても助けられない。それが悔しい。
異世界人組合に尋ねてみようか。誰か聖女みたいな力を持ってきてないか。
「学、落ち着くといい。フェンは大丈夫だ。だが、このままでいいとは私も思っていない。時間をくれ」
「私は偉そうに何かを言える立場じゃないし、リーインさんのことを信じてるんでお任せします。そやけど、一刻も早くフェンに会いたいと思うんです」
「ああ」
リーインが微笑みを浮かべて頷く。
「アイツのことは君に任せる。任務地には危険だから行かせるわけには行かないが、映像を届けられるよう手配しよう」
「動画みたいな?」
「ああ、異世界ではそう言うのだったか」
「そうです。でも、どこの世界も一緒ですね。便利な道具や魔法があっても、心を伝えるのは自分自身の努力しかない」
「そうだな。さあ、もう中へ入ろう。体が冷えるのは良くない」
「はい」
素直に頷いて学はリーインに手を引かれて会場へ戻って行った。
湯浴みを終えて、あとは寝るだけの姿になった学はホッと息をつくと寝台に寝転がる。一日の疲れがどっと出てくる気がする。
重い体を再び起こして、学はテーブルにある手紙を手に取る。
練習の舞踏会が終わって来客を見送ってから、フェンから手紙が届いた。すぐにでも開けたかったが、落ち着く時間まで待つことにして今に至る。
白い封筒に白い便箋。そこに丁寧な字でフェンの言葉が記されている。
「世界が暗闇に満ちても、私は貴女の光だけは見失わない。
永遠に愛を誓う」
そんな短い言葉だけがそこにある。
そこにどんな思いが込められているかなんて学には分かるはずがない。行間を読めるほど勘のいい人間ではないのだ。それにそこにはフェンの辛かったことも彼の欲求も何も書かれていないのだから。だからこそ彼の言葉でその思いをちゃんと聞きたい。
大切に大切に、その手紙を封筒に戻して胸に抱える。
彼の想いを大事にしたい。
寝具にくるまって眠っても学は手紙を離さず、翌朝アトリスに取り上げられてきちんと机の引き出しにしまわれた。
それから身支度をしてフェンに届ける映像を記録できる魔法師が屋敷にやってくるまで学はそわそわと落ち着かない時間を過ごす。
まだ若い見た目の魔法師は何となく年寄り臭い動きで学にソファに座るように言い、小さな宝石を手の平に乗せる。そこに何か呪文を唱えて光らせると学に伝えたいことを話すように指示する。
「あ、えっと。フェン、元気ですか。遠征中ということで、怪我とかしてないか心配してるんやけど、えっと、早く会いたいです」
幼稚園児か、と自分で自分にツッコミをして、学は一応可愛く見えるようにニッコリ笑って見せる。
「……」
他に言うことが出てこない。色々考えていたのにさっぱりだ。
「以上でございまするか」
魔法師に言われて学は引き攣った笑みで頷くしかない。
「それでは第一騎士団長に直にお渡ししてきますので、これにて失礼致しまする」
お辞儀しながら言った魔法師の姿が消えていく。
「すごっ」
興奮した学がアトリスに魔法師がいた場所を指差して言うと彼女も頷いた。
「本当に魔法を使える方は素晴らしいですね」
「ホンマに。っていうか、きちんとした動画できひんかった」
魔法に驚く姿から一変落ち込む学にアトリスが苦笑している。
「姿を送れるとなるとあちこちに気を配らねばならず、難しいものですね」
「そうやねん。緊張してあかん」
昔からカメラを向けられると硬直していた。幼馴染の冬香はポーズを取るのが上手く憧れたものだったが今は取り立てて自分を繕う必要もないかと思っていた。いたのだが、こうして恋人に自分の姿を送るとなると、てんでダメな自分に呆れてしまう。
フェンが喜んでくれればそれでいいのだが。
学はやっぱり笑わない方が自然だったかな、と不安になってきて今更取り直しもできないのに焦ってくる。
「ところでお嬢様、明日は異世界人組合へ訪問する予定ですが、最初に仕立てたズボンで本当に宜しいのですか」
ワンピースとかドレスとか絶対そっちの方がいい、とアトリスの顔が言っている。
「ええよ。動きやすいのが一番やわ」
「左様でございますか」
がっかり。
アトリスの方を落とす姿に学は苦笑する。
「あ、アトリス。ちょっと教えて欲しいねんけど」
「はい、何でしょうか」
「聖女について」
学の口から出た言葉にアトリスが一瞬驚いた顔をして、それからいつもの笑顔で頷いた。
「私の知っていることでしたら、何なりと」
「うん、ありがとう。じゃ、まず、どんな人やった?フェンのお母さんなんやろ?リーインさんにちゃんと聞いたよ」
「そうなのですね。聖女様はとても綺麗な方でした。そう言えば、お嬢様にも少し似ている気が致しますね。凛とした姿や儚げに微笑まれるところとか」
学の場合はそこに冷徹とか冷たいという言葉がくっついてきて、中身とのギャップに驚かれることが多いのだが。
「黒髪に黒目ってことやね」
「ふふ。同じ色だからと言って、安易に似ておられるとは言いませんよ」
「そやね、ごめん」
「いえ。それに人を見つめられる時の感じとか、良く似てらっしゃいます。不思議ですね」
だからフェンは自分を好きになったのだろうか、と学はいらぬ心配をしてしまう。
「性格は良さげな人やったんやろ?なにしろフェンのお母さんやもんな」
「それはもう気立ての良い優しいお方でした。私も小さな頃は一緒に遊んで頂いた思い出があります。明るくて、とても苦労した方には見えなかったのですが、お辛い経験をされたと後で他の方から聞きました」
「それも聞いたわ。異世界に着いた時に盗賊に捕まってたって」
「はい。聖女様なのに加護を受けられないなど信じられませんでした」
この国の信仰対象である女神が聖女に授ける加護があれば自身は最強に守られた存在になるはずだった。
「その聖女様はここを出てどうしたはったん?」
「王城でお過ごしになられながら当時の第一騎士団の騎士たちと魔物を狩る旅に出られました。いつからかフェン様も一緒に」
「ふうん。何かご褒美とか貰えたんかな?少しでも幸せな時間があったんやったら良かったんやろうけど」
「いいえ、聖女様は何もお求めになられなかったのです」
「そう、なんや」
同じ世界からここへやってきた女性の人生を思い、学が複雑な気持ちで項垂れる。
「アリス様は欲がない方でしたから」
「え、アリス?」
どこかで聞いたことのある名前だ。
学は記憶の奥に引っかかるその名前に思いを馳せる。
「聖女様のお名前はマナベ・アリス様とおっしゃいました。医学の心得があって、私も時々お世話になったものです」
「へえ?」
才女ということだな、と学は会ったこともない聖女の顔を想像しながらフェンの顔を思い出す。そうして気が付く。似ていないと思っていたが、フェンはどちらかというとリーインに似ているかもしれない。
「お嬢様、お茶をお持ちしましょうか」
「あ、そうやね。お願いしようかな」
話している間に時間がだいぶ進んだようだ。いつの間にか日差しがきつくなっている。
アトリスが部屋を出てワゴンに茶器を乗せて戻ってくる間、学は会った事もないはずのフェンの母親のことを考える。
名前に覚えがあるのだ。
「アリス……あーちゃん、違う、アリスちゃん?」
不意に耳元に『学ちゃん』と声が甦る。
誰の声だろうか。
思い出せないまま、彼女は息をつく。
戻ったアトリスの入れてくれたお茶に心を落ち着かせ、学はアトリスを見上げる。
「聖女がいなくなって、この世界は平気なん?」
「多分、としか言えません。聖女様のおかげで大方の魔物は消えました。平和になったのですから受け入れないと。それに他の世界の方にこの世界を押し付けるなど、きっとしてはいけないことだったのです」
アトリスの言葉に学は息をついた。
この世界にもう聖女はやって来ない。
扉は閉められたが、まだ異世界人は残っている。自分を含め、異世界人の命が尽きれば、この世界はまた自分たちの世界の人間だけで作られる。それが自然な姿のはずだ。
他の用事をしに行ったアトリスのいない部屋は静かだ。
学はフェンからの手紙を引き出しから取り出してまた眺める。
彼に会いたい。
仕事の邪魔をするのは気が咎めるが、行ってはいけないものだろうか。
この世界のことが分からないままでは判断に困ることが多い。
それでも、このもどかしい想いを彼に伝えられたら、彼のことを大事に思っている存在がいるのだと彼が心を安らげてくれる材料にならないだろうか。
彼が信じるに足るそれだけの価値が自分にあるのだと思いたい。
学は手紙をまたしまって、目を上げる。
その黒い瞳は何かを決意して宙を睨む。
それから戻ってきたアトリスと話をしたりお茶をしたりして過ごす。
夕食になってもリーインは戻らず、一人の食事を済ませると学は部屋に戻る。仕事の忙しいリーインに会えず、少し心残りだが仕方ない。
学はふかふかの布団に入り、聖女のことを考えながら目を閉じる。
彼女の人生に満足はあっただろうか。
フェンという素晴らしい人をこの世に生んでくれたその人に学は会いたいと思った。
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