第9話 反逆者の影

 学が目を開けると、自分を覗き込んでいる藍に近い藤色の瞳と目が合う。

「目が覚めたか」

「はい?」

 起き上がると体の節々が痛い。

「一週間ほど眠りっぱなしだった」

 状況説明をしたリーインを驚いた学が見上げる。

 彼はそのままベッドにいていい、と言うふうに手で学が立ちあがろうとするのを制した。

「デスラー団長が言うには、何か魔法による精神への干渉があったらしい。だが攻撃ではないから特に措置は必要ないと言われた。それに魔力のない者に下手に干渉すると危険だと」

「難しいことは分からへんのですけど、夢を見ていたような?」

 覚えてもいないが、懐かしいようなホッとするような感情が胸の奥に宿っている。

「そうか。良い夢だったようだな。ところでフェンが見舞いに来たが眠っているので断った」

「え、遠いところに行ってたんじゃ?」

「とっくに任務を終えて帰還している。あいつは優秀だからな」

「そう、なんですか」

 会えなかったのが残念で力なく言うとリーインが口の端に笑みを浮かべている。まるで悪だくらみでもしていそうな美貌の主だが、学のことを心配してここにいるのだと分かっている。

「あの、リーインさん。ご心配をおかけしたようで、すみませんでした」

「いや、君が無事ならそれでいい。もう少し横になっているといい。何か困ったことがあればすぐにアトリスに言いなさい。それでは、私は仕事へ行く」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 学はベッドの上からリーインを見送って、その姿が見えなくなると吐息をついた。

 どうも体が重くて仕方ない。

 起き上がる気がせず、またふかふかの寝具に身を埋める。

 贅沢な寝具に肌触りのいい寝巻き、それに部屋の調度品だってセンスの良く良質な高級品だ。どこを取っても、この世界に馴染む要素がない。

 それにしても、と学は寝返りを打った。

 故郷の家族は、友達はどうしているだろうか。急にいなくなって、きっと心配しているはず。いや、そもそも存在が消されていたりしないのだろうか。

 もう戻れないと聞いていても、やはり気になる。

 どうにか魔法とやらで連絡つけられたりしないのだろうか。

 異世界人たちの組織があると聞いた。そこに行ってみようか。

 などとつらつら考えていると、ノックの音がしてアトリスが顔を出した。

「お嬢様、よろしければお茶かスープなどお持ちしますが」

「うん。どっちも欲しい」

「ではすぐに」

 アトリスが手を上げるとドアから他の侍女たちが入ってくる。お茶のセット、スープ、ミニサイズのパン、果物など軽くつまめるものも用意してある。

 侍女たちが退がるとアトリスが学の背に大きなクッションを置いて座らせてくれる。

「何日も寝込んでいらしたのですから急に動かずに、ゆっくり今までの生活に戻れるようにしていくのが良いそうです。食べるものも、まずは消化に良いものからと言う指示です」

「うん」

 学はアトリスの入れてくれたお茶をゆっくり飲んで、それが体に行き渡るのを感じる。

「魔法が使えれば良かったのですが。旦那様もそれはそれは心配なさって時間が許す限り、こちらでお嬢様の回復を待っていらっしゃったのですよ」

「そうなんや。みんなに迷惑をかけちゃったね」

「いいえ、迷惑なんてありません。ただ心配しただけです。そこは間違えないでくださいね」

 思いのほか強い口調でアトリスに指摘されて、学は苦笑した。

「みんな良い人やな」

 そんな場所に出没できただけ良かったのかもしれない。

「我らはお嬢様のお味方ですよ」

 アトリスの言葉に学は微笑んだ。

 安心できる場所は自分で作っていくものだ。誰かに与えられるだけじゃダメだ。

 ここに来た時は訳が分からず、取り合えず生きていける筋道を見つけなければとどこか現実を置いてけぼりにしていたような気がする。しかし今日はこの世界で「生きる」と言うことを本当の意味で分かった気がするのだ。

 学はここでやっていく決意を新たにする。

 そうなると、なんだか無性にフェンに会いたくなってきた。会ったばかりでも、彼のことをあんまり知らなくても、とにかく会いたいのだ。自分を真っ直ぐに見つめるあの明るい夜空のような瞳に会いたい。

 これは甘えているだけかもしれない、とも思う。

 学はアトリスから温かいスープを手渡され、琥珀色の液体をスプーンですくうとゆっくり口に流し込む。

「美味しい」

「そうでしょうとも。お嬢様、パンはいかがですか」

「うん、もらう」

「はい」

 アトリスに世話を焼かれながら、学は心も温まっていくのを感じる。

 しばらく食事をしたり、体を拭いてもらったりして過ごして落ち着いた後、学はアトリスが片付けをしているのをみるとはなしに見ていた。

 学は瞼が重くなってくるのを感じる。眠る前に聞かなければならないことがある。

「アトリス。フェンがお見舞いに来たって聞いたんやけど」

「ええ、お嬢様。お嬢様が目を覚まさないと聞いて、ひどく狼狽されておられましたよ。あんな表情もされるのだと少し意外でした」

「今も心配してるんかな」

「きっとそうだと思います。もう旦那様からお嬢様が目を覚まされたとお聞きになっているでしょうが、お嬢様の顔を見ないことには納得されないでしょうし」

「そうかな?もしそうなら会いに来てくれたら良いのにな」

「あら、お嬢様、寝巻き姿でお会いになって良いのですか」

「寝巻き……そうやった。ジャージがあったら良いのに」

「ジャージですか。聞いたことがあります。異世界人組合で商品化予定の生地にそんなものがあったと思うのですが、確認しましょうか」

「あるんや、ジャージ!異世界人組合ナイスや」

「ただし、公爵家に沿うデザインでしかお渡しできませんよ?お嬢様の様子ですと、なんだか嫌な予感がしてしまいます」

 さすがアトリス、と学はアトリスの察知能力に恐れ慄く。

「さあ、その話はまた。今はもうお休みください」

「うん」

 学は寝転んで目を閉じる。

 かと言って、すぐに寝られるわけではなかった。あんなに眠たくなっていたのに目が冴えてきた。

 学はパチリと目を開けて、誰もいなくなった部屋を見回す。時間の感覚はなかったが、夜遅い時間らしいと外を見て思う。暗い部屋に差し込む月明かりに誘われるように学が窓のそばに行く。バルコニーのある窓を開けて外に出ると、少し肌寒いくらいの風が流れていく。こちらの窓はプライベートの庭の方を向いているので落ち着いた景色が広がっている。表側は公爵家の権威を示すように豪勢で華やかだが、リーインの趣味なのか代々の公爵夫人の趣味なのか分からないが、センス良く可愛い花と草が配置されているのだ。学は花に詳しくないので草にしか見えないが、その植物ももしかすると花をつけるのかもしれない。

 しばらくぼうっと庭を見ていると、人影があるのに気が付いた。

 いつからだろうか。その影は学を見上げている。

「え」

 学が気が付いたからだろうか。

 影が近づいてきて、三階の部屋だというのに、ぴょんと軽く飛び跳ねてバルコニーに上がってきた。月明かりに彼の姿が良く見える。

 柔らかい金髪が風にふわふわ揺れている。そして夜を映した藍色の大きな瞳が学を見つめている。

「フェン?」

 会いたかったとはいえ、こういう会い方をするとは思わなかった学は珍しく驚きを顔に出していたのだろう、フェンが気まずげに目を伏せた。

「ごめん、どうしても会いたくて。気持ち悪いかな、夜に庭から見上げていたなんて」

「ちゃうちゃう、驚いただけやって。来てくれて嬉しいよ」

「本当?」

 フェンが顔を上げて学を見つめる。子犬のように愛らしい姿に学の胸がキュンとなってドキドキと鼓動が大きくなる。

「貴女が眠ったままだと聞いて、本当に心配した」

「うん、ごめんね。疲れてたんかな?」

 学がフェンに近付いて、袖の端をつまむように持った。

 彼は彼女の頬を両手で包んで顔を近付けてくる。目と目が吸い寄せられるように見つめ合ったまま、唇が重なった。

 温かい彼の唇が学の唇を啄むように吸って離れていく。

 彼は微笑んで、それから自分の上着を脱ぐと彼女の肩に回してかけてやる。

「寒い?唇が冷たかった」

 ボンっと顔が赤くなった学を愛しげに見つめて、フェンは彼女の髪を指先で弄ぶ。

「貴女を自分の部屋に閉じ込めておきたいって言ったら賛成してくれるかな」

「……賛成しかねるけど、一緒にはいたい」

「ふふ、閉じ込められてはくれないんだね」

 フェンは学の額や鼻先、耳たぶにキスを落として、それからぎゅっと抱きしめる。学も彼の広い背に手を回して抱きしめる。彼の匂いがして、それを感じられることに彼女はホッとした。

「このまま連れ去ったら公爵閣下に怒られるか」

「怒るんかな、あの人」

「怒るよ。ああ見えて世話好きで可愛いものに目がないから」

「可愛い?」

「ああ。学は可愛い。だから公爵閣下が手放さないかもしれない」

「まさか」

 フェンの冗談を笑い飛ばして、学は彼の熱い胸に頬擦りする。

 温かい彼の体温に包まれて、夢の中にいるようだ。

「そんな風にされると、どうにも抑えが効かなくなってしまう」

 フェンが学を抱きしめる腕に力を込める。

 抑えってなんだろう、と考えながら、学は逞しい彼の体に今更ながら感心する。見た目はこんなに筋肉質に見えないのに。

「マナブ、くすぐったいよ」

 無意識にサワサワとフェンの体を撫で回していたらしい。

「嫌やった?」

「嫌ではないけどね。貴女に同じことを私がすればどんなことになるか分かってもらえるかな」

 想像したら色々恥ずかしいことになると理解して学は赤い顔になる。

「ずっとこうしていたいけれど、貴女は病み上がりだから温かい部屋で早く休まないとね」

 フェンが体を離して学を部屋に押しやる。

「明日、また会いに来てもいいかな。今度はちゃんと玄関から来る」

「うん。楽しみにしてる」

「では、ここまでで止めておく。おやすみ、マナブ」

 フェンは窓から先の室内には入らず、学の唇に触れるだけの短いキスをして、来た時同様手すりを軽くジャンプして乗り越えて、まるでここが一階のように地上へ降りた。それから魔法で転移したのか、姿は見えなくなった。

 学は窓を閉め、柔らかい彼の唇を思い出して身悶えしながら寝具に潜り込む。

 なんだか興奮しすぎて眠れそうにない。

 そのまま明け方まで寝付けずに朝を迎えた学だったが、アトリスがゆっくり起こしに来てくれたお陰で寝不足にはならなかった。

 朝食は部屋で椅子とテーブルで食べることができたが、過保護のアトリスに再び寝台に追いやられてしまう。

「お庭に散歩くらいは行ってもいいんとちゃう?」

 そう提案すると思いっきり首を横に振って怖い顔をする。

「お目覚めになってから一週間は安静にするように言いつかっております」

 アトリスに敵いそうにないので学は大人しくいうことを聞くことにする。

「ところでフェンは来ないのかな」

 ワクワクして尋ねるとアトリスが微笑む。

「お嬢様が目を覚まされたことを聞いて駆けつけて来られるかもしれませんね。ですが、任務がまだおありでしょうし」

「どういうこと?」

「これは推測になるのでお聞き流しになって頂きたいのですが」

 そう前置きしてアトリスが話してくれる。

「遠方へ行ってらしたのはお聞き及びかと存じますが、それは王政への反逆者がいるということでフェン様自ら討伐に行かれたのだそうです。その反逆者の一味は捕縛なさったそうなのですが、まだ黒幕が捕まっていないと旦那様が仰っていました。ですから、きっとフェン様のお仕事はまだ終わっておらず引き続き何かしらの任務があるのではないかと推測しているのです」

「うーん、それやったら、フェンの回りにはまだ危険があるってことやんな」

 それは一大事だ。というか、今初めてフェンの仕事が危険を伴うものだと分かった。それは言いようのない不安を呼び起こし、彼の顔を見るまでソワソワと落ち着かない気持ちにさせる。

「第一騎士団は優秀でその団長ともなれば群を抜いて優秀な人物です。お嬢様は安心してフェン様がお見えになるのをお待ちになっていて下さい」

 アトリスに言われて、そういうものかとも思うが、心配も不安も消えない。

「あ」

「どうかされましたか」

「アトリス、この格好でフェンが来ても大丈夫かな」

 落ち着かない様子で学が言うとアトリスは安心させるように微笑む。

「本来なら男性をこの部屋にはお入れしないのですが、旦那様からお部屋での面会の許可を頂いています。その際にはドレスの着用はなくても良いとお許しが出ておりますので、今のお嬢様の格好でも問題ありません」

 それは大丈夫なのか大丈夫じゃないのか判断に迷う答え方だな、と悩ましい表情で学が唸っていると、扉がノックされてメイドが来客を告げる。

「ご案内さしあげて」

 アトリスが指示を出すと、しばらくしてメイドに連れられてフェンがやって来た。

「マナブ」

 優しい声でフェンが呼ぶ。

 彼は持ってきた豪華な花束をアトリスに預け、寝台の近くに用意された椅子に腰掛けた。

「昨日の夜は良く眠れた?」

「お陰様で」

 少し赤い顔で答えると花束を花瓶に生けていたアトリスの視線が刺さる。

「フェンは?」

「私も貴女のお陰で健やかに過ごしている」

 なんだか気恥ずかしさを通り越し最早どうするのが正解か分からない。でも彼に会えたのはすこぶる嬉しい。

「元気な顔を見られて安心した」

「うん。私もフェンの顔を見られて安心した」

 危険な任務がいつ何時彼をこの世界から奪ってしまうかもしれない。そんなことなら違う仕事をして欲しいと思うものの、この世界で貴族として生まれたのなら、その責務を全うする義務があるのだろう。短い期間だが彼らを見ていてそう思う。

「何か気になることがあるようだね」

「え、まあ、そうかな」

 お見通しであるらしい。学は困ったように微笑んで、そして言葉にすることを選ぶ。

「フェンは騎士やろう?」

「ああ、そうだね」

「騎士っていうのは、国に忠誠を誓う?」

「そうだね。そして王へ忠誠を誓う。王の剣となるために」

「危険なこともあるってことやんな」

「ああ」

 学が何を気にしているのか分かってフェンの顔にも困ったような笑みが浮かぶ。

「分かってるねんで。でも、やっぱり気にするわ」

「マナブ」

「それが仕事以上の価値を持っているんやって、分かるねん。私も自分に任されたマシンを調整する時は誇りを持ってやってる。仕事やからじゃなくて、それが私の誇りやから」

 でもそれは命がかかっていることではない。フェンには命よりも大事なものがあるのだと、そう思うと怖い。

「一つ言えることは」

 フェンが今まで見たこともないような優しい顔をして口を開く。

「私は貴女の前にも膝をつく。王へ忠誠を誓うように貴女に私の命を捧げる」

 彼は椅子から立ち上がり、そして片膝をついて学の右手を取ると口付けた。

 どうしていいか分からなくなって、学は拳を強く握る。

 フェンには信念がある。容易く折れるようなものではない。

 それが分かる。

 学はフェンに跪いて欲しいわけじゃない。彼の気持ちは嬉しいけれど、自分自身のことを第一に考えて欲しい。それが聞き入れられないことを分かっていてもそう願う。

 学はフェンの手を握り返して有無を言わさず引っ張り上げて立ち上がらせる。そして地元の仲間としていたように拳を交わらせるように腕を交わす。

「私とフェンは対等やで。私は守られるだけなんは嫌やし、フェンのことを自分にできる全てで守るから。絶対に私の前に命を投げ出すようなことはせんといて」

 強く言うと、彼は驚いたように目を見開く。藍色の瞳に自分が映っているのを見て、学は妙な胸騒ぎにフェンは彼の胸に飛び込んだ。

「マナブ?」

 彼は優しく学を抱きしめる。学は彼の逞しい腕の中にあって寒さを覚える。

「貴女は本当に予測不可能だ」

「幻滅した?」

「まさか。ますます好きになった」

 そう言ってもらえるとホッとするが、フェンが何かを隠しているのだと学は察知した。それは虫の知らせのような感覚だった。だから何とも言えない不安が胸の中を支配していく。

「そろそろ離れて頂けますか」

 ぬっとアトリスが彼らの間に割って入ってきた。

「ある程度は許容せよと旦那様に言われておりますが、淑女を守る公爵家の侍女として、寝衣姿のお嬢様を殿方の腕の中に留めておくことなどできません」

 低い唸り声のような言葉でアトリスがフェンに言い放つ。

「いや、私にそのような下心は……あるか、あるな」

 最後の方は自問自答のように言ってしまったフェンにアトリスが眉を吊り上げた。

「素直なのは良いことやんな」

 取りなすように学が言うと今度は学がアトリスに睨まれる。

「マナブと私の間には物理的距離があり過ぎるな。ああ、マナブ。早く一緒に暮らしたい」

 フェンが苦悩のため息混じりにそう言ったものだから、またアトリスを怒らせている。フェンが公爵家への出入りを禁止されたらどうしようかと学にはヒヤヒヤものだ。

「それはそうと、マナブはまだ街を見て回ったことがないだろう?公爵閣下にお許しを頂いてくるから体力が回復したら一緒に行こう」

「うんうん、行く行く」

 学が即答するとフェンが吹き出した。

「ごめん、貴女は同じ言葉を二度言う癖があるようだから、つい可愛いと思って」

「これは癖じゃなくて、地域的なもんかな。関西弁ってなんかしらんけど同じ言葉を二回繰り返すらしいねん。言われてみれば、そうかなあと思うけど。でも自分では分からへん」

「そうなのか。貴女が話すような言葉を私の部下も使っているよ。彼も異世界人でジエイタイという機関で働いていたらしい」

「自衛隊!そんな人おるんや。私のいた滋賀県には唐崎とか高島に自衛隊あったし、もしかしたらご近所にいたのかも」

「ご縁があるのかも知れないね」

 フェンは学の髪を長い指で弄びながら言って、それから彼女の額にキスを落としてまたアトリスに睨まれている。

「貴女が起きて動いているのがこんなにも素晴らしいことなんだと実感して歯止めが効かない。申し訳ないと思っている」

 学へなのかアトリスへなのか分からない言い訳をこぼして、フェンはやっと学から距離を取った。

 そのタイミングでアトリスがフェンにお茶を用意し、彼女を交えて世間話を少しすると彼は立ち上がった。

「本当はもっとここにいたいんだけどね。抜けられない仕事があるから戻るよ。また来る」

「ありがとう。フェン、無理しんといてね?」

 何だか不安になって言うとフェンは笑顔で頷いた。これは便宜上頷いているだけだな、と分かってしまって、学は苦笑した。

「またね」

「ああ。すぐに会えるよ」

 フェンは学の右手を取り、目線を合わせたまま甲にキスをした。そして颯爽と帰っていく。

 彼がいなくなると急に寒く感じて、学は布団に潜り込んだ。すっかり元気なのにベットとお友達になってしまっている。これは良くないな、と思うのに、フェンのいない寂しさを紛らわすことが難しく感じる。布団に包まれていれば、なんとなく安全圏にいるようで落ち着くのだ。

 アトリスは学をそっとしておいてくれている。茶器を片付けたりする音に安心してまた彼女はウトウトとしてしまう。


「いつまでもこんなことは続けられない」

 男の声がこだまする。

 洞窟のような岩を削った場所だ。暗闇の中に松明が一つ浮かんで見える。

 学は岩を伝って奥へ行ってみる。人の気配があるとはいえ、危険でないとは言い切れないが、暗闇に一人でいるのは心許なかった。

「しかし」

 別の声がボソボソと話をしているが、岩に反響して正確には聞き取れなかった。

「王都を血の海にしてやる」

 そんな言葉が耳に入って学は足を止めた。

「騎士団がいる」

 だから騎士団を最初に潰そう。

 そんな相談のようだ。フェンが危なくなる。学は意を決して見つからないように男たちのいる方へ近づいていく。

 そして。


「お嬢様?」

 目を開けると強烈な太陽の光が眩しくて目を瞬く。

「あれ、私どうしてた?」

 アトリスが心配そうに学を見つめている。

「お眠りになって三日が経ちました」

「え?」

 そんな、まさか。

 夢を見ていたと言うには足が岩を踏んだ感触を覚えている。それに男たちの声は覚えている。

「この居眠り、この前とは違うよね?」

「それが、魔術騎士団長様がおっしゃるには魔術の干渉だと。原因を突き止めてくださるとかで、今このお屋敷にご滞在になられています」

「えー」

 訳のわからないことになっている。それは理解した。しかし、そのせいで他の人に迷惑をかけるのは嫌だった。

「それはそうと、さっき夢でな、変なこと聞いてしまって」

 学がどう説明しようか悩むように言うと、突然ベッドの足元に漆黒の青年が現れる。

「起きてる」

 青年が呟く。

 デスラー魔術騎士団団長の側にいた精霊である。

「ふむ。何も読み取れないとはおかしな話だな」

 彼は学をまじまじと見て独り言を言っている。

「あ、精霊さん。デスラー団長に伝言してもらってええかな」

 学は解決策が目の前にいることに気がついて意気揚々と話しかける。

「なんだ」

「さっき夢で王都を血祭りにしてやるーって言ってた男の人がおってん。それって危ないやんか」

「血祭り?」

「いや、正確には違うかもしらんけど、そんな表現で合ってると思う」

「それで?」

「え、何かの計画があるんちゃうかなって思って」

 学は今になって、やっと説得力のない話をしていることに気が付いた。夢で見ただけで現実ではないのだ。それを現実と錯覚している危ない人間だと思われそうだ。

「待て、見てみる」

 精霊はスッと表情を消し、彫刻のように動かなくなった。彼の周りが闇に包まれたように暗いのは気のせいだろうか。

「分かった。反逆者の影がある。報告しておく」

 そう言って彼は消えた。

 一瞬の出来事に学もアトリスもさっきまでそこにあった闇の気配を呆然と眺めていたのだった。









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