第8話 遠い遠い

 麗らかな日差しを豪華な部屋の窓から恋しそうに見て、彼女は物憂げにため息をついた。その様子を見ていた彼は立ち上がり、彼女の前の机に片手をつき、彼女の目を覗き込む。

 神秘的な黒い瞳が彼を見上げる。

「ダメだぞ?」

 彼は笑顔で脅すように言った。

 彼女は目を逸らす。

「おい、今舌打ちしただろう。本当に君は女か」

「それ、今関係あります?」

 言い返した彼女の頭に手を乗せて、彼は盛大なため息を漏らした。

 華やかに輝く金髪に完璧な藤色の瞳が特徴の彼はぽんぽん彼女の頭を叩きながら、考えている。

「マナブ、少しは私の立場も考えろ」

「えー」

 心底嫌そうに学が答えた。

「王太子がわざわざ君の家庭教師をやっているんだぞ?この忙しい私が」

 押し付けがましい言い方に学は視線をアトリス曰くの「輝かしい美貌」の主に戻す。

「それじゃあ、私、帰ってもええんですか」

「まさか。逃さんぞ、マナブ」

 メラメラと決意に燃えたメレスの様子に学がもう何度目かのため息をついたのだった。

 ことの始まりは一週間前。

 フェンとの初デートが微妙な雰囲気で終わったということをマーカスが主人に報告したせいで、リーインが生半可な淑女教育ではダメだと思ったらしい。そして「考えがある」と称して、学を王城へ呼び付け、王太子であるメレスに丸投げしたのである。

 つまり、丸投げ返しである。

 そもそも、学の保護者もとい後見人はメレスで、それをリーインに丸投げした。リーインはなんの事情かフェンが学を好きだと判断し、彼のために学を超特急で養女にし、フェンとの愛を育むように仕向けてきた。しかし、フェンとの間にある目に見えない隔たりを護衛から聞いてしまった彼は最高の淑女教育と騎士道精神を学ばせるために王国一の教育を受けてきたメレスの時間を調整したのである。

「メレス、じゃなかった、殿下。私に騎士道やらお勉強を教えて楽しいですか」

 王城は人目が多い。軽くメレスと名前を呼んでいたらあちこちから指導が入った。最初に彼自身がメレスと呼べと言っていたのに、である。

「それは私も思うところがあるが、リーインが言うことに間違いはないのだろう。それに、お前は淑女というより騎士だろう?問題ない」

「んんー」

 なんと否定すべきか。

 しかし、権力には逆らえない。救いなのは騎士道が案外気が楽だったことだ。淑女教育も評価が悪いわけではない。母が躾に厳しかったおかげで、言葉遣いとダンス以外は完璧だとまさかの合格を言い渡されている。そして騎士道に関しては実際に騎士団へ見学に行ったり、剣を触らせてもらったりで興味が湧いてきたところだ。

 何が問題か。

 それは座学である。せっかくメレスが教えてくれるのだから、と帝王学まで学ばされることになってしまい、そもそも社会科が嫌いで、法律や風土の違いをマスターしろと言われると、途端に逃げ出したくなる。

「それはそうと、殿下」

「なんだ」

 面倒そうに学に向き直ったメレスが学の眼差しに何かを感じ取り、嫌そうな顔になっている。

「分かりましたか」

 ちゃんと敬語を使う。

「まだ何も聞いていないぞ」

「ええ、そうでしょうとも。まだ何も言ってませんから」

「なんだ、その茶番みたいな会話は。なんだか知らないが、答えられない問いには答えないからな」

「それでいいです。聞きたいんは、魔獣のことなんです」

「ダメだ」

 質問する前から断れた。

「それは国家秘密やからですか。それとも、単に答えたくないだけ?」

「両方だ」

「えー」

 不満そうに漏らすと、メレスが離れていく。

「繊細な問題なんだ。お前は異世界人だろう。余計話がややこしくなるかもしれん」

「なんで異世界人だと話がややこしくなるんですか」

「魔獣を倒せるのは聖女と決まっている。だが、異世界から来る者が全て聖女ではなかった。そういうことだ」

 分かったような、分からなかったような答えに学は諦めた。

「それじゃ、納得したことにしときます。殿下、たまには外に散歩に行きませんか。いいお天気なのに、勿体無い。殿下もお日様の光を浴びないと、その金髪が色褪せるかも知れませんよ」

「そんな訳あるか」

 短く切り捨てて、メレスはドアの外で控えている近衛騎士に視線を投げた。彼はそれだけで意図を汲んで中に入ってくる。

「今日の訓練所はどの部隊が使用している?」

 メレスの問いに近衛騎士はちらっと学を見てから主人に「第一騎士団第二部隊です」と答えを返した。

「そうか」

 メレスもちらっと学をみる。

 なんだかいたたまれない。

 学がフェンと付き合っているという噂が王城を駆け巡り、どうやら婚約するらしいとまことしやかに囁かれて以来、そこかしこから視線が飛んでくるのだ。その噂を流しているのが養父のリーインだということは目を瞑るしかない。

 フェンが訓練に立ち会うことは珍しいらしいが、いないとも限らない。

 訓練所で鉢合わせは御免だ。二人きりで会うのは構わないが、冷やかそうとする誰かと一緒なんて遠慮したい。

「行くか」

 短く意思を尋ねられて嫌な顔をする。

「言い出しっぺはお前だろう」

「私は散歩に行きたいって言ってんで。訓練所とは言ってへんもん」

「本当は会いたいくせに我慢する必要がどこにある」

「揶揄う気満々な人に一緒にいる所を見せてあげる義理は全くあらへんねん」

 まるで兄との兄弟喧嘩のようにいつも言い争いをしている二人を見て近衛騎士が苦笑している。

「ほほう、私がフェンにマナブではない婚約者候補の女性を紹介したなら、奴は断りきれなくなるが、いいのか」

「汚なっ!卑怯やで」

「なんとでも言え。お前は自分の立場を分かっていなさすぎる。フェンは引くて数多だぞ。四の五の言わずに唾つけるくらいしておけ」

「淑女に向かって、なんて破廉恥なっ」

「誰が淑女だよ」

 永遠に終わらなそうな言い合いをノックの音が打ち消した。

「殿下、お話中のところ恐縮です」

 まさしく会話の中心にあった人物が気まずそうにそこにいた。

 ラフな騎士姿、つまり訓練服を着ているフェンは一見すると善良な騎士の訓練生でお使いにきたように見えてしまう。深い紺色のシャツに同じ色のズボンという組み合わせだが、シャツの生地には織り込まれた紋様があり、王国の気品を感じさせるデザインになっている。そしてベルトの銀色のバックルには王国の紋章がある。訓練服とは言え、どこからどう見ても王国の立派な騎士だ。

 その見た目が色気を帯び、学を抱きしめる力の強い腕を持っていると想像して、学の顔から火がでた。

「おい、マナブ。お前、大丈夫か」

 グリグリとメレスが学の頭をこねくり回す。

「ちょっと、それやめてって。淑女に乱暴する王太子なんて婚約破棄されるで」

 隣国の姫との婚約が決まったばかりのメレスに言うと、ますます頭を撫でくりまわされ、髪の毛がくちゃくちゃになってしまう。伸びすぎた前髪で前が見えない状態だ。だからフェンから冷たい空気が流れてきていることにも気が付かないし、彼の藍色の瞳が猛吹雪を起こしてメレスに突撃していることなど知る由もない。

「もう、メレスは、違った、殿下はお子様すぎて男女の正しい在り方なんか知らないんですよね。思い思われて、粛々と、こう、眠れない夜を過ごす。これぞ男女の機微」

「お前、分からずに言ってるだろう?というよりも、もう黙れ。私がフェンに嫌われるではないか」

「は?フェンをこき使うような殿下は嫌われればいいんです」

「また生意気なことを言いやがって」

 まさしく延々続く言い争いに、フェンが介入する。

 学の前に立ち、丁寧に髪を綺麗に戻してやり、伸びた髪を耳にかけてやる。

「マナブ、今日もとても綺麗だ。マッケルの泉よりも麗しい貴女に会える幸運を女神に感謝しなくては」

 歯の浮くようなセリフも似合ってしまう男に学は思考停止している。

「さて殿下」

 学を背に庇うように立ち、氷壁をズドンと打ち立てたフェンがメレスに目を向ける。

「ちょっと、落ち着け?な?」

「私はいつも冷静です。ご存知の通り」

 フェンの声音がいつもと違って聞こえて、学は彼の背中に右手を当てる。彼の熱い体温が掌から伝わってくることに安心して、思わず頬まですり寄せて彼の匂いを実感する。そして彼女はフェンが固まっていることに気が付かない。

「おい、マナブ、そのままじっとしてろ」

 小声で逃げる体勢のメレスが言い、なんのことだろう、と我に返って、学は自分がとんでもない奇行に走っていることに気が付いた。

「ご、ごめん、フェン。つい」

「お前はつい男の匂いを嗅ぎに行く習性があるのか」

 呆れた声でツッコミをしてしまったメレスがせっかくフェンからの攻撃を逃れたというのに墓穴を掘った。

「メレスに言われたくないし。こないだアトリスが来たときに鼻の下伸ばして残り香嗅いでたん知ってるんやから」

「おまっ、それはだな」

 二人が言い合う側に冷気が走る。恐る恐る冷気の元凶に二人揃って目を向ける。

 ヒュオーと吹雪が辺りを雪で埋め尽くす。それこそ実際にスターダストがキラキラと目の前を横切っている。魔力の多いフェンのなせる技なのか、部屋に雪が積もるという怪現象を目にして、学は絶対にフェンを怒らせないでおこうと誓う。

「なんだ、魔力を感知したから来てみれば、修羅場か」

 呑気な声が空中から降りてくる。

「カーラインか、ちょうど良かった」

 メレスが天の助けというようにデスラー少年を見上げる。

 突然転移してきたデスラーはちらっとフェンを見て、興味なさそうに消えた。

「あいつ、王太子を守る役目を放棄したな」

 懲罰ものだと憤慨するメレスにフェンが近づいていく。

「殿下、お話がまだ終わっていません」

「いや、私は忙しい。後にしてくれるか」

「殿下がお忙しいのは承知しています。私の恋人にちょっかいをかけたりすることでお忙しいのは見ていて分かりますから」

「違う。落ち着け、フェン。いいや、第一騎士団団長。私の時間を奪うことは何人にも許されないことだ。そうだろう?」

 急に威圧的な空気を醸しだし、メレスが堂々と言ってのける。そういう態度はやはり一国を背負って立つ男なのだと思わせる。

 ハッと我に返ったフェンが冷気を引っ込めた。部屋は元の通り、のどかな日差しが窓から入ってくる心地の良い空間に戻った。

「失礼致しました」

 フェンが謝るとメレスは口元にちょっとだけ笑みを浮かべている。

「そんなに大切なら檻に入れてでも囲っておけ」

 小声でそう言ったメレスにフェンが深く頭を下げる。

「それで用事はなんだ」

 メレスがフェンに問うと彼は小声で何かメレスに耳打ちする。

「分かった。引き続き警戒しろ」

「御意。では御前失礼致します」

 フェンは敬礼して、そのまま行ってしまった。

 チラリとも目が合わなくて、学は意気消沈する。仕事だから仕方ないとか、そんなふうには思えなかった。最初に綺麗だと褒めてくれたのに、帰りは無視とか。

 学の意気消沈している姿にメレスが慰めるように頭に手を乗せてくる。

「あいつは仕事熱心だからな。許してやれ」

「でもここに来た時は話しかけてくれたのに」

「そりゃ、お前、私にお前を盗られると思って牽制したんだ。帰りは意趣返しじゃないか?」

「意趣返し?」

「お前に自分を意識させようって」

「えー、メレスと一緒にしんといてくれへん」

「何気に失礼だな。とにかく意趣返しというのは冗談だ。フェンの立場を考えろ。第一騎士団の団長ともあろうものが危機が起こっているというのに恋人にうつつは抜かしていられないからな」

「危機って、フェンは大丈夫なん」

「ああ。対処できる」

 王太子に信頼されていると思うと安心できるような、できないような。

 学はモヤモヤした気持ちのまま、散歩も行かずに座学の講習を受けたのだった。

 数時間後、魂の抜けた状態で学が王城を辞して屋敷に帰る。

 夕食の前に湯浴みをしてサッパリすると、部屋着以上外出着未満のドレスに着替えて食堂へ行く。リーインがいなくてもドレスに着替えて食事することを推奨されている身としては肩が凝って仕方ないが、フェンの為だと思うと我慢できる。そのフェンから無視されたことがかなり尾を引いているのが自分でも分かるのだが、仕事中だということは理解できる。それなら最初からいない者として扱って欲しかった。いいや、それも違う。最初から無視されていたらもっとショックだった。

 悶々と考え込んでいると、リーインが帰ってきたとアトリスに告げられる。どうやら一緒に食事をするらしい。

 程なくリーインが執務の時の姿でやってきた。

「リーインさん、まだ仕事するん?」

「ああ。一時帰宅だ。そういえば、フェンが西部に出張っていると聞いたが、君にも何か連絡はきたか」

「西部?」

「その様子では何も知らないんだな。まあ、知らなくて当然なのだが」

 極秘任務ということだろうか。

「親しい人にも業務内容は言っちゃダメってことですよね」

「ああ。騎士団の団長ともなれば責務は重く、その任は秘匿されて然るべきだ。例え妻でも任務の話はしない」

「じゃあ、なんでフェンから何か連絡きたかって聞いたんですか」

 低い声で抗議するとリーインが眉を上げた。

 責めるような口調になっていたと気が付いて学はハッとする。

「すみません。お城で無視されたから、ちょっと」

 恥ずかしくなって顔を背けると、リーインが笑った。

「フェンだけが好いているのかと思ったが、案外君も同じ気持ちらしい」

「……そうです」

「それなら信じて待っていてやってくれ」

「……はい」

 頷いたものの、なんだか気は晴れず、渋い顔になってくる。

「少し遠いところにいるが、きっと君を想っている」

 まさかそんな慰めを言わないであろう人が言ってくれた言葉に学は大きく頷いた。

 それからリーインと食事をして、また城へ帰る彼を玄関まで見送ると学はふかふかのベッドに飛び込んだ。

 もう難しいことは考えない。寝るに限る、だ。

 寝つきの良い学は数分も経たない間に寝入ってしまう。アトリスが灯りを落としにきたことも気が付かず、彼女の意識は飛んでいった。


「学、ちょっとコンビニ行ってこいや」

 二番目の兄の夜主波やすなみに言われて、学は目を開けた。どうやらソファでうたた寝をしていたらしい。変な夢を見ていた気がする。

「コンビニって。自分で行けばいいやん」

「俺は手が離せない」

 見ると兄はグラビアアイドルの際どい写真の載った雑誌を眺めているだけだ。

「んー、アイス買っていい?」

「ああ。ビールとつまみ、多い目に買ってこい」

「分かった」

 近所のコンビニでは兄の友達が働いている。いつもお使いにくる学を知っているから買い物しやすかった。

 学は起き上がって、ふとジーンズに違和感を覚える。

 こんな服で寝てたっけ。

「学、財布」

 ポイっと放られた兄の財布をキャッチして、学は眠い目を擦りながら外へ出た。薄暗闇の中に満開の桜が妖しく美しく咲き誇っている。

 いつの間に夜になったんだろう、とまだ寝ぼけた頭で桜を見上げながら移動する。

 コンビニに到着すると豊が制服姿のままでおにぎりやサンドイッチを買っているところに出くわした。

「あれ、学ちゃん、買い物?」

「うん」

「今度デートしようよ」

「いやや」

「即答って」

 豊はあははと笑って手を振って店を出て行った。

 制服姿に違和感を覚えながら、学はビールと兄の好きそうな惣菜やらナッツを買って外に出る。

 桜が綺麗だ。

 家に戻ると兄はいなかった。

「ヤス兄?」

 声をかけても誰もいない。

 せっかく買い物してきたのに、とビールを冷蔵庫にしまい、つまみ類はテーブルに出しておく。

 自分は一体何をしていたのだったか。

 学はガレージ倉庫へ行き、自分の愛車のエンジンをかける。

 小気味の良いエンジンの始動音のあと、機械の鼓動がしっかりと打ち出されるのを聞いていると落ち着いてきた。

 明日は学校?

 違和感は消えない。

 何か大事なことを忘れているような。

「あれ、学?どうした」

 一番上の兄の明希波あきなみがスーツ姿で顔を出す。

「アキ兄、帰ってきたん?」

 兄は一人暮らしのマンションで暮らしている。実家に戻ることは珍しい。

「ああ。お前は?」

「え、私?」

「なんか悩んでんのか。浮かない顔して」

「え、そうかな」

 学はバイクのエンジンを切って、明希波と一緒に居間に戻る。

「あ、明希、帰ってたんや」

 さっきはいなかった夜主波が缶ビール片手にスマホをいじりながら言った。この兄は歳上だろうが全て呼び捨てにするから時と場合によってハラハラする学だ。

「ああ。俺の分もあるか」

 明希波が夜主波からビールを奪い取って一口飲み、上着を脱いでソファの背に掛けた。

「学、平気か」

 明希波の声に学は微笑んだ。

「アキ兄の声って、なんか安心すんな」

「やっぱり何かあったんか」

 明希波が学の頭を撫でる。

 あれ、と彼女はその感触に記憶を刺激する何かを見つけては逃してしまう。

 誰かに、グリグリされてたような?

 腹立たしい相手だったような気もするし、違う人だった気もする。

「お前、ちょっと寝ろ。具合悪いんやろ」

 夜主波が睨みをきかす。

 学生の頃は夜に爆音で世間様を騒がすイケナイ走り屋さんの頭だっただけに迫力がある。しかし、自分はもう生死をかけて戦う男の気迫を知っているから怖くなんかないのだ。

 そう思って、また違和感を覚えた。

 誰の何を知っていると?

 遠いところへ行ってしまった、あの人はちゃんと帰ってきたら自分に笑いかけてくれるのだろうか。

 学の中の違和感の正体が掴めない。

「なあ、兄ぃ達。彼女ができたら毎日好きって言う?」

「は?お前、何言ってんねん」

 夜主波がむせてビールをこぼしながら変な顔をして学を見る。

「あー、ヤス兄はチャラいし参考にならんか」

「アホ言え。俺が相手に好きや可愛い結婚してくれって言えばホイホイやらしてくれるんや」

「……ヤス兄に聞いたんが間違いやった」

「学、夜主波は日本男児よろしく好きやとか可愛いとか言わへんって、前の彼女から愚痴を聞いたことがあるで」

「えー」

「なんやその目は。女口説く時は死ぬ気でやってるっちゅうねん」

 その割に火遊びが多いのを学は知っている。学とは大違いだ。

「アキ兄は?」

「そうやなあ。俺は時と場合によるかな。毎日好きやって言ってたら肝心な時に相手の心に刺さらへんかもしれんし、かと言って、言わんと不安になるっていうような相手になら毎日でも言うかもしれんな」

「なるほど」

 明希波の方が信用できる。

 学は誰かを思い浮かべようとして失敗する。

「学、相手ができたのなら俺たちに会わせろ。そいつが信用できるんか判断してやる」

 夜主波が吊り目になって言うのを明希波も頷いて同意する。

「信用って。一番信用できひんのヤス兄やんか」

「はぁ?お前、俺のどこが信用できひんねん。アホか」

「アホって言う人がアホなんですぅ」

「お前ら、アホって言ってたら母さんに怒鳴られる」

 明希波が至極真面目な表情で言った。

 高坂家のマナーブックで鬼軍曹で静かなる暗殺者の名前が出ると、夜主波も学も途端に黙る。

「とにかく、生半可な男では学を任せられへんのは分かってんな?俺たちよりも強くて、賢い奴を連れてこいよ?」

 明希波が低い声で言った。

「そんなん当たり前やろ」

 あの人は強くて賢くて、そしてとんでもなく優しい。

 今は遠い場所にいるけれど。

「お前、ホンマに相手いるんか。騙されとるんちゃうか」

 学の表情を見て夜主波が怪訝そうな顔で言った。

「なんで騙されてると思うん?」

「お前、人見知りのくせに相手に気ぃ許したらとことん甘いからな」

「えー」

 抗議の声を上げると、明希波が笑った。

「自覚ないんか」

「アキ兄まで。信用ないんやなあ」

「信用というよりも、男はそんなに優しいもんちゃうで。隙あらば食ってやろうって思ってる連中がほとんどや」

「ヤス兄みたいなんはそうやろうけど、そんな人ばっかりちゃうし。それに、自分が信じて裏切られるんやったら、それはそれでかまへんもん。自己責任やし」

「アホか。女は裏切られたらあかん生き物や」

 散々浮き名を流している兄を白い目で見て、学はもう一人の信用できる兄に目を向ける。

「俺はお前の選択を尊重するけど、助けが欲しい時はちゃんと言えよ。俺らがお前を守ったるから」

 最高に安心する言葉を言ってもらえて、学は心からの笑顔で頷いた。

 安心したせいか、なんだか眠くなる。

「なんも心配せんと、はよ寝ろ」

 夜主波に言われて、学は自分の部屋のベッドに向かう。

 少し硬いマットレスはいつもの場所で、デニム調のベッドカバーは最近買ったばかりのもの。

 兄のいる家で眠ることがこんなにも安心するとは正直思っていなかった。

 学は落ちてくる瞼を素直に閉じて、すうっと意識を手放したのだった。


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