第4話 宰相とその娘

 テーブルを挟んで対峙する美貌の男に、学は隙のない目線で迎え打つ。

 彼が敵だと思う以上、気を許すことはしない。

「どうした?先ほどから食が進まないようだが」

 煌びやかな食卓を前にして、言われた通り学の皿の数は減っていない。

 向かいのリーインは食事よりもワインを楽しんでいる様子で会話がなくても平気らしい。

「きちんと噛んで食べなさいと母にきつく言われて育ちましたので」

 失礼にならない程度に無愛想に告げて、学は氷と定評のある冷たい瞳を義理の父親になった男に向ける。

「そうか。ならば、ゆっくり食べなさい。時間はあるから」

 若い。若すぎる父親に学は正直どう対応していいのか分からない。

「そう言えばアトリスから聞いたが、明日君は第一騎士団の団長殿と昼食を一緒にとるそうだね」

 油断ならない麗しい美貌が言葉を紡ぎ出すのが不思議な光景で、気を抜くとその声に聞き惚れそうになる。学は理性でそれを堪えて、ゆっくり呼吸を整えると微笑んでみせる。

「デートです」

 淑女がデートする時は親の許可がいるらしい、と女友達から聞いた知識を思い出して挑発するように言った。

「ほう。第一騎士団団長殿は君に好意を抱いていると?それならば私に君を連れ出す許可を得なければならないはず。私は聞いていないのだから、それはデートとは言わないのかもしれないな」

 おっと、そうきたか。

 学は微笑みを崩さず、底冷えする空気を作り出している。対するリーインは余裕の表情で学の返答を待っている。

「そうですね、私の勘違いかもしれません。まさか、こちらの世界の要職に就く方が異世界人を好きになるわけがありませんものね」

 フェンから聞いた情報、リーインが異世界人差別をするということを踏まえての言葉だ。

「いや、第一騎士団団長殿は異世界人に偏見はない。騎士には鬼だと言われているがそれ以外には優しいと評判だ。ご令嬢方にも人気で素晴らしい紳士だと陛下も認めている。これから国の中枢を担う人材だ」

 歌うように言って、リーインはワインを口に入れる。

 学はフェンがそこまで人気者だと知って動揺する。あの見た目で優しい上に礼儀正しく気が利くとか、想像はしていたが優良物件すぎるのだ。

「そんな人が私をデートに誘う訳ないですね。自惚れました。スミマセン」

 棒読みで言ってから、学は食事のペースを早めた。リーインは学に何を期待しているのだろうか。異世界人が騎士団長の恋愛対象になるわけがない。そして異世界人は貴族の後見人を持つと淑女教育を受けないといけない等々。意味分からん、と学は憤慨する。こうなったら、もうやけ食いだ。 

「おや、気に障ったのかな」

 相変わらず綺麗な笑顔で、そして余裕の態度でリーインは学を見ている。

「いいえ。現実を見つめ直す良い機会やと思ってます」

 ギロリとリーインをひと睨みしてから、学は空っぽになった皿を下げにきた侍女を目線だけで見送った。その横から給仕に差し出されたデザートを見て、彼女の目の色が変わる。

 なんと美味しそうな芸術なのだろうか。

 タルトなのか、クッキー生地のようなものの上にホイップがリボンのように飾られ、その回りを苺のようなベリーの実が可憐に彩って、その合間をチョコレートで出来た様々な形の葉っぱで飾られている。

 見た目で分かる、絶対美味しいやつやん。

 クール王子と地元で評判の彼女の目がデレデレとしているのを見てとって、リーインが微笑んでいるように見えるが、それどころではない。この美味しい芸術をいかに堪能するか、それが最重要ミッションだ。

 学はそっとフォークをクリームとベリーの混じり合った部分に入れ込んで慎重に口に運ぶ。

「なに、これ、天国なん?」

 あまりの美味しさに目を閉じてうっとりしている彼女にリーインが笑みを漏らす。

 まだそのことに気が付いていない学は握り拳で幸せを表現し、もう一口、とフォークを進めて、また感動を同じ表現でしつつ、拳を振るわせる。

「君は甘党なんだな」

 リーインが可笑しそうに言うのを聞いて、やっと彼に目を向けた学は自分が相当笑われていることに気が付いた。

「えっと、そうです。甘いもんが好きです」

 バレンタインシーズンには見た目のせいなのかビターチョコやブラックコーヒー系の渋い贈り物をされてしまうのだが、実際は激甘のミルクチョコレートしか受け付けない。学の学校にも地元にもファンクラブのようなものがあるが、正確な情報が出回っていないのが残念すぎる現実である。

「今度、王都で人気の菓子職人を呼んでやろう。きっと気に入る」

「ありがとうございます」

 この好意は素直に受け取っておくべし、と本能が言っている。

 学は上機嫌で提案を受け入れた。今度っていつだろう、とワクワクしているのもバレているようだ。菓子で釣られるなんて、まだまだ子供だと思われているのかもしれない。

 学は厳かな気持ちで食べ終えると、取り澄ました表情でお茶を飲む。

「ぷっ」

 思わずといった風にリーインが吹き出して、学は視線だけで彼を見る。

「すまない、いつもの澄ました顔とさっきの顔のギャップが」

 そのまま腹を抱えて笑い出したリーインに側仕えの侍従や侍女たちが驚いた表情を一瞬浮かべるが、公爵家の使用人だけあって、すぐに何でもなかったように控えている。

 しばらく笑われている間、学は気まずそうにお茶のお代わりをしてその場をしのぐが、何となく恥ずかしい。別に悪いことをしているわけでもないのだが。

「失礼した。淑女に対して大笑いするなど普通は許されないことだが、君は私の義理の娘だから親子としての他愛ない交流だとして許してはくれまいか」

 絶対的権力者相手に怒れるわけがない。学は「恐れ多いことです」と気取って答える。

「ところで、君の住んでいた場所はどんな所だ。君のことを聞かせて欲しい」

 改まって言われて、学はカップを置いた。それから、息を緩く吸って吐き出すとリーインを真っ直ぐに見つめる。

「自然が多い場所です。山の緑がとても綺麗で、そこから見下ろすような形で大きな湖があるんです。家の近くには大きな運動公園があって、あ、運動公園って分かりますか」

「ああ。聞いたことがある。競技場のようなものだろう?」

「はい。よく友達と遊びに行ってました。他に何があるかって言われると困るけど、疎水とかあったり。疎水っていうのは湖の水を他の地域に流す為の装置です。そこは春には桜が咲いて綺麗やし、夏の緑は生き生きして生命力を感じるし、秋の紅葉は心惹かれる美しさやし、冬は冬で雪が降ったりすると趣深いというか、とにかく季節を問わずに景色を楽しんで暮らせる所です」

「そうか。君はそこが好きだったんだな」

「はい。とても」

「それでは家族は?」

「両親と兄が二人。家はバイク屋です。バイクってこちらの世界にあるんか分かりませんけど」

「鉄でできた馬が自動で走るようなものだと教わった。それを売っていると言うことだな」

「はい。売ってるだけやなくて、修理とか調整もしたりしてます。家の従業員さんとも仲良しやったんで、私も自然と仕事を覚えてしまって、大抵のものは修理できるようになりましたけど、ここでは無用な才能でしょうね」

「ほう。だから手先が器用だと言っていたのだな」

「はい。兄たちはまた違う方面へ進学してたので、私が家を継ぐことになってたんです。だから、ちょっと」

 学の言葉が途切れた。

 いかつい顔の父が、実はひょうきんで優しい男で、学に丁寧にバイク部品の説明をしてくれたり、おっとり美人な見た目で中身はクールで肝の座ったはすっぱな母との言い合いだったり、意地悪をしてくる兄たちの澄ました顔だったり。そこに冬香が加わって賑やかな家だ。

 家を思い出すということは、こんなにも泣けてくるものなのかと学は思い知る。

 宙を睨むかのようにしている彼女の目から溢れる透き通った雫に気がついて、リーインが立ち上がった。そして横に立つと彼女を抱きしめる。彼の服を濡らす自分の涙を止めることもできずに、学は途方に暮れてしまう。

「君の家族の代わりになれるかは分からないが、最善を尽くす。これからは私が君の家族だ」

 リーインが優しく頭上から言葉を落としてくる。

 それにまた泣けて、学はとめどない涙を流し続けた。





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