第9話 アデライドお母様、賭けに勝つ。

 文官はそれなりの地位にある人物らしかった。

 そしてアデライドに渡された書類の内容に同情的でもあったらしい。


 しばらく迷ったあとに、「王城にいないかもしれないし、いても貴女には会わないとおっしゃるかもしれないが」と断ったあと、オーブリー殿下を呼びにいってくれた。


 そしてアデライドは賭けに勝ち、殿下にお目通りが叶った。


 格下の子爵ごときに呼び出されたのが不服である。という顔を隠しもしない殿下だったが、〝結婚〟ということは彼のなかでも大きな出来事ではあるらしい。

 相手となるアデライドがどのような人間なのか関心もあり、文句も言いたかったのだろう。すんなりとに応じてくれた。


 不機嫌で、高圧的で、落ち着きがなく理性もない態度であったが、アデライドはそういう相手との付き合い方はプロフェッショナルだ。なんせ元夫や元義実家の面々がそうだったので。


 「だからララと添い遂げるには貴様が適任だとお母様が言うから、仕方なく結婚してやるんだ」


 さらにはふわんとマザコンのにおいも香ばしく薫る。


 「ありがとう存じます」


 さりげなく隣に座り、しおらしく首を垂れる。内心で舌を出しつつ、怒りに潤んだ瞳で王子を見上げる。


 どうせこの手の男は、アデライドが自分の言葉に感動して感謝しているせいで涙目なのだと、都合よく解釈するのだ。


 娘と同じ年齢だというのでその物言いにもさほど腹も立たない。むしろ比べれば比べるほど娘の優秀さが際立つ。

 心の中で娘の頭をよしよしする想像をしながら、アデライドは慎ましい笑みを浮かべた。


 「私のような傷物で、しかも年増の女を拾ってくださる殿下のお優しさにはたいへん感謝しておりますわ」


 アデライドが自分を下げれば下げるだけ喜んで、おだてれば簡単に鼻の穴を膨らませる。オーブリー殿下のそういう反応も、元夫と同じであった。であれば、簡単である。

 元夫が見栄のために購入した馬の機嫌を取るよりも御しやすい。


 「ですが、よろしいのですか?」


 そっと目を伏せ、憐憫を含んだ声を出す。

 思い浮かべるのは教会で見かけたシスターだ。食い意地を張って変色した揚げ物を食べたばかりに急転直下の腹を抱え、脂汗を浮かべてうずくまる見習い神父を見つめていたあの瞳。


 「真実の愛、なのだと……おっしゃっていたではありませんか」


 「それは……!」


 「あの夜、私は衝撃を受けたのです。決められた婚約、約束された安定した生活、周囲の期待や羨望を捨ててまで、愛する女性の手を取ることを宣言なさった殿下のお心に……」


 なんてお馬鹿なのかと。

 バラデュール辺境伯令嬢に捨てられるのもむべなるかな。


 「しかし俺の想いは誰も受け入れてはくれなかった……!」


 「いいえ! 殿下の想いはただ一人、ララ嬢だけは受け入れてくださっているではないですか! 結婚はしなくていい、日陰の身になってもいい。殿下と一緒にいられるならば、と!」


 いつかの日のアデライドのように、殿下は雷に打たれたかのような顔をして息をのんだ。

 そこに畳みかけるアデライドである。


 「殿下からいただいた愛に対して、ララ嬢はきっと悩みに悩んで答えを出したのでしょうね……そのような悲壮な覚悟をするなど、どれほどの涙をこらえたのでしょう……。私も女の端くれですから、心情を察するに余りありますわ……!」


 実際には贅沢ができるのなら愛人でいい。というかむしろそっちのほうがいい。と、自ら好んでその椅子に座る女性がいることを、アデライドは知っている。

 元夫の愛人達然り、娘の元婚約者に愛人希望とのたまった娘の元親友然り。


 だがそんなことを考えていることを微塵も感じさせない悲壮な顔をして、アデライドはぐっと声の調子を落とした。


 「殿下は……それで、本当によろしいのですか?」


 真実の愛を誓い合った女性を日陰の身において?

 女性だけにそのような悲壮な覚悟を決めさせたままで?

 たった一人の愛する女性の心を守れず、放置して?


 「そんな健気な女性の目の前で、偽りとはいえ、他の女と愛し合うことを神に誓うのですか……?」


 「……! い、いいや……そんなむごいことは、できない!」


 「私だってできません!」


 反射的に怒鳴ったこの言葉だけは、アデライドの本心だった。

 偽りでも殿下との結婚を神に誓うなど嫌だ。殿下の生活は何も変わらないし、男爵令嬢はむしろ実家に入るときよりも生活水準は上がるだろうが、アデライドには全くなんのメリットもない。

 殿下との結婚など、はなはだ迷惑なだけである。


 「フランセル……いや、アデライド……お前はそんなにも俺達のことを心配してくれるのか!」


 アデライドを家名から名前に呼び変えた殿下に対し、内心でにんまりする。


 「当然でございます。私は王家の血に忠誠を誓う臣下ですわ」


 微笑んで、だからこそ許せないのです。と、唇を噛みしめてアデライドは続けた。


 「忠臣は耳に痛いことでも言わねばならないときがございます。それが私にとっては今ですの」


 このままこの扱いやすい殿下と結婚をして、王家のお掃除をするのでもいいかもしれない……と、ほんの一瞬だけ思った。

 しかし綺麗になるまでにどれほどの時間と労力を費やすのか、どれほどこの殿下をおだてなければならないかを考えて、その考えは脳内のゴミ箱に捨てた。

 少し考えただけでも、とってもとってもとっても面倒臭かった。


 「殿下は真実の愛を貫くべきです。私を介してではなく、ララ嬢と直接。日陰の身になってしまうララ嬢を、その苦しいお心を、殿下は救い出すべきですわ!」


 「確かに! そうだな! その通りだアデライド! 俺にはララしかいない!」


 「そうですわ殿下! ララ嬢と、真実の愛のために戦うべきですわ!」


 立ち上がったオーブリー殿下を見上げ、アデライドは万感の思いを込めて言った。


 「まずは両陛下に、殿下の心のなかで燃えるララ嬢への愛をもう一度訴えるべきです! 私のことは捨て置いていただいてかまいません!」


 むしろほっといてくれ! と心の中で付け足す。


 「そんなにも俺のことを……しかし、アデライド……すまない。俺はやはりお前は愛せない」


 「ぞ、存じております」


 どうしてこの手の男はみな、無条件で自分が愛される存在だと思うのだろうか。元夫もそうだった。その自信と根拠はどこからくるのか。

 少し動揺してしまい、アデライドは慌てて目を伏せた。


 王子殿下の〝俺に愛されないと再確認させられて動揺するアデライドを可哀想だと思う俺、超優しい〟という視線には、これ以上は耐えられない。


 「私は、この……」


 と、アデライドは気を取り直して、テーブルの上に置いてあった書類を手に取り胸に抱きしめた。


 「殿下との繋がりを感じられるこの書類を記念にいただけるだけで、それだけで望外の喜びでございます」


 「ああ……そんなものでいいんなら、いくらでも持って帰れ。俺はさっそくお母様にララのことを話してくる」


 書類を抱きしめたまま一度深く頭を下げる。そして「あきらめてはいけませんよ、殿下」と、忠臣の顔をして釘を刺した。


 「あきらめずに何度でも説得なさいませ。ララ嬢のために……いいえ、お二人の、愛ある未来のために!」


 「ああ! わかった!」


 オーブリー殿下はぐっと握った拳をアデライドに突き出して、これだけはさまになっているロイヤルスマイルを浮かべて勢いよく部屋を出ていった。


 「……」


 気配が遠ざかり、完全に消えるのを待ってから、アデライドはふふっと笑って言った。


 「おかげさまでオーブリー殿下がどうしてもララ嬢と結婚したい、お前のことは愛せないとおっしゃって無事ふられましたわ。……私の一生に一度のお願いを聞いてくださって、ありがとうございました」


 アデライドが朗らかに礼を述べると、それまで気配を空気と同化させるようにひっそりとしていた文官がぎこちなくうなずいた。


 その引きつった顔から視線を外し、アデライドは胸に抱きしめた書類を念入りに小さく折りたたんで胸の谷間にしまい、一刻も早くこの場から立ち去るべく立ち上がる。


 アデライドは、王家の無茶ぶりの証拠を手に入れた。

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