第7話 アデライドお母様、白目をむく。
あまりに信じがたい言葉を聞いて、アデライドは白目をむいた。
まさかの国王陛下と王妃陛下のお二人の対面に座らされ、人を介さず直々に言葉を交わすことになるとは思わなかった。
それだけでも信じられないことなのだが、両陛下の口から告げられた言葉のほうが、アデライド的には今すぐこの場で髪の毛を掻きむしりたくなるほど信じられなかった。
「なんて?」と反射的に聞き返しそうになったアデライドは、思いっきり舌を噛むことでなんとか耐え、
「私の夫として、オーブリー殿下を、フランセル子爵家へ迎え入れよ……と、仰せですか……」
と、血まみれの舌をなんとか動かして別の言葉を紡ぐ。
「そうだ」
「かわいそうに、あれからあの子はすっかり落ち込んでしまって見ていられないの」
オーブリー殿下の結婚相手探しが難航しているとは、アデライドも噂では聞いていた。
なぜかといえば、そもそも婿入りできる貴族家は限られているうえ、あんな事件を起こしてしまった殿下の人気と信頼が地の底に落ちていると言っても過言ではないからだ。
あの事件でイザベル嬢が言ったように、モンテルラン男爵家は殿下の浮気相手だったララ嬢しか子供がいない。しかし、さすがにそこへ婿入りはさせられないと王家も判断したようだ。
元々爵位が釣り合わないということもあるが、元々の婚約を破棄し浮気相手と結婚など、あまりに体面が悪すぎる。
では王家が持つ適当な爵位を殿下に与えて嫁を募ろうとしても、条件に合う有力な上位貴族の女性には婚約者がいたり、すでに結婚していたりでお相手が見つからない。殿下に合う年頃の娘を持つ貴族達が、大慌てで結婚したり婚約を整えたりしたからだ。
常識のある親ならば、いくら王家と繋がりができるといっても婚約の段階から浮気をして、公金を使い込む男に娘も家の未来も任せたくはない。それこそ王命でも下れば渋々でも受け入れざるを得ないが、さすがに既婚者に対して「離婚して殿下を婿に」とは王家も言えないし、婚約しているところに横やりも入れられない。
そしてやらかしたオーブリー殿下を咎める様子のない王家に対して、貴族達はそこはかとなく不信感を抱いてしまった。殿下を受け入れて得られるはずの〝王家との繋がり〟や〝王家へ恩を売る見返り〟が全く魅力的に見えない今、貴族達の態度は硬い。
自衛のために、ここ二年は貴族達の結婚・婚約パーティーのラッシュであった。
日程的にも金銭的にもかなりきつい二年間だったが、事情をわかっているので誰も文句は言わなかった。
やらかし殿下の婿入り絶対拒否連盟とでもいうべきか。振り返れば、年頃の娘を持つ貴族達は派閥の垣根なく、謎の連帯感で結ばれていたように思う。
最後のほうはみな、半ば仕事のように淡々とスケジュールをこなしていた。
アデライドも年頃の娘を持つ貴族ではあるが、フランセル家は子爵なので王家とは家格が全く釣り合わない。
さらに娘のシャルロットは海の向こうですでに結婚してしまったので、「うちは気楽だわあ」なんて友人と笑っていたのだが、まさかそのせいで娘ではなく自分がターゲットにされるとは思ってもみなかった。
確かにアデライドは結婚をしていないし、婚約者もいない独り身の貴族である。
そして婿をとってもおかしくない立場と言うか、婿をとっていたというか、婿がいたというか……とりあえず、〝婿入り〟という言葉に対して誰よりも身近ではあった。
が、この場合は誰よりも縁遠いはずである。
「フランセル家は子爵位ですし、私は離婚歴があります。なによりその……殿下とは文字通り、親子ほどの年の差がありますが……?」
「しかたないわ、あなたしかいないんだもの。上位貴族でも貧乏な家には任せられないけれど、まあ下位貴族とはいえ、フランセル子爵家ならある程度あの子に見合う生活をさせてあげられるでしょう?」
王妃陛下の言葉に、アデライドは表情を消した。
「あの子はねぇ、とても繊細なの。バラデュールの娘は気が強くてあの子を傷付けたけれど、……まあ、その歳で夫に捨てられてしまったあなたなら、新しく婿になってくれるあの子のありがたみがわかるでしょうし」
ねえ陛下。と甘える王妃陛下の肩を抱き、国王陛下はゆっくりとうなずいた。
いつもならそれを「まあ、おしどり夫婦……素敵ね」なんて好意的に見ていたかもしれないが、王妃陛下のとんでもない発言のあとには――不敬ながら、ただの脳内お花畑夫婦にしか見えなかった。
「夜のことは気にせずともよい。あの子は真実の愛に目覚めておる。愛する娘と離れがたいと言うゆえに、夜はララ・フォン・モンテルランが侍るのでな」
その言葉を聞いて、アデライドは察した。
モンテルラン男爵家にオーブリー殿下を婿入りさせなかったのは、婚約者を放りだして浮気をしていたという醜聞を恥じていたからでも、そのために殿下にララ嬢をあきらめさせたからでもない。
男爵家の資産では今まで通りの生活水準を保つことができないし、贅沢もさせてあげられないという親心のためだったようだ、と。
このままだと、両陛下公認の愛人付きでトンチンカンな子供を夫として押し付けられてしまう。
アデライドは淀んだ空気から逃れるように細く息を吸いながら上を向き、目を閉じた。
淑女らしく太ももに重ねた手の甲は小刻みに震え、血管が信じられないくらい太く浮き上がる。
その様子を見て、両陛下はアデライドが感動していると思ったようだ。
機嫌良く、「ではよろしく頼む」と言い、そろって退室した。
署名捺印するばかりに整えられた婚姻届けを前に、アデライドはしばらく動けないでいた。
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