第6話 アデライドお母様、嫌な予感を覚える。
婚約どころか両家の顔合わせも、母に相手を紹介することすらすっ飛ばして結婚である。
娘が渡航し寂しさを噛みしめていたらいきなり「そういえば私、結婚しました」と事後報告の手紙がきて、倒れるほどびっくりした母である。
お相手は娘に任せた支店がある国の準男爵家の三男で、不思議な道具を発明するのが得意な人なのだという。
丸くて薄い板に声や音楽を閉じ込める技術や、その板に閉じ込めた音をどこでも聞くことができる道具を作ったとか、なんとか。それが本当ならすごい発明だし、確かに商売の匂いがする。
どうやら彼は実家で不遇な目にあい、命の危機もあったとか。それを救い出すために結婚を選択した娘は、彼に愛を感じたのか商機を感じたのか……。
どちらにせよ結婚という手段で彼を救い出した娘に、たくましさを感じた母である。
夫となった人の実家の問題を片付けて、商売が軌道に乗り落ち着いたらこちらに帰ってきて結婚式をすると娘は言う。それまでの間に一度お相手に会っておきたいところではあるが、娘からは糖度の高い幸せエピソードがいっぱい詰まった手紙が送られてくるので、あまり心配はしていない。
今では友人と「娘がいきなり結婚したわ」とお茶を飲みながら話せるくらいに、アデライドの心も落ち着いた。
落ち着かなくて心配なのはむしろ、アデライドが住む国の王都のほうである。
最近の王都に、かつてあったような明るさがない。じりじりと上がっていく物価と地方から届くはずの物が滞っている状況に、市井の人々の顔が暗い。暗さが影を呼び、治安が悪くなりつつある。
この暗さの原因は、王都に住む貴族達が息をひそめるように過ごしていることにある。
そもそもの発端は王都の貴族達が〝婚約破棄事件〟と呼んでいる、娘の卒業パーティーで起こったあの出来事だ。
あのあと、第三王子のオーブリー殿下とバラデュール辺境伯のイザベル嬢との婚約は解消された。
お互いに非があるとして婚約を破棄するとどちらも主張していたが、王家から「バラデュール辺境伯家と王家のぞれぞれの発展のため、イザベル・フォン・バラデュール辺境伯令嬢の隣国留学に伴い二人の婚約関係を円満解消する」という公式発表が出された。
あの夜のことは、王都に居を構える貴族ならば知らぬ者はいない。
アデライドも王家のこの発表を聞いて唖然としたものだ。
円満解消。
つまりあの夜のイザベル嬢の主張はなかったことになった、ということだ。
気になって色々と調べてみたが、イザベル嬢の主張の裏付けは簡単に取れた。オーブリー殿下と浮気相手の男爵令嬢は隠す気がなかったのか、少し調べただけで浮気の証拠も不審な金の流れもほとんど全て把握できてしまった。
別邸に愛人を住まわせていた元夫並みに、堂々とした浮気と横領である。こんなに簡単に把握できたというのは、もしかすると王族が貴族達に仕掛けた何かの罠なのではとすら思ってしまった。
多くの貴族達がアデライドと同じ情報を得て、同じように疑った。そしてさらに深く調べて、結局罠も何も全くないオーブリー殿下の赤裸々な下半身の情報しか出てこず、皆が首を傾げ眉をひそめたのだった。
そして婚約解消の発表をしたのち、王子の、ひいては王家の体面を守るために泥をかぶったバラデュール辺境伯家へ、王家から詫びに当たる何某かのものが送られたとか、オーブリー殿下を両陛下が咎めたなどという話はいっさい耳に入ってこなかった。
子爵程度の情報網では捉えられないだけかもしれない。けれども王家と辺境伯家の婚約を壊した原因のひとつでもあるモンテルラン男爵令嬢がいまだ王都で何事もなく過ごし、男爵領も無事であることが、王家が何もしていないという情報に信ぴょう性を持たせるのだ。
さらにバラデュール辺境伯家縁の貴族達が、王都からそれぞれの領地に帰っていった。
辺境付近で生産・産出される小麦や鉄などの物資が、王都に届かなくなった。
バラデュール辺境伯令嬢が留学した隣国からの輸入品も値段が上がり、国境の出入りも今まで以上に厳しく審査されるようになった。
そしてバラデュール辺境伯とその派閥の貴族達は、今年の春に行われた国王陛下の在位三十周年を祝う式典に、〝国防に専念するため〟という理由で出席しなかった。
「近いうちに内乱でも起こりそうねえ……」
ぽつりと呟いたアデライドの言葉に、お茶の用意をしていたメイドがぎょっとした顔で手を止めた。
王都の貴族達は息を殺して王家とバラデュール辺境伯家の不仲の行く先を見守っている。
そしてふとした瞬間に出てしまう貴族達の不安や愚痴を、平民は敏感に察しているのだろう。だから王都の雰囲気はこんなにもどんよりと暗いのだ。
もしも本当に武力衝突などが起こったとしたら、アデライドは迷うことなくバラデュール辺境伯家へ味方しようと決めている。そのために鉄鉱山のある土地や飼い葉の産地を買い、腕のいい鍛冶や大工、薬師などの職人達をできる限り雇い入れていた。
それらは戦争が起こらなくても有用なものばかりだ。無駄にはならない。
ただひとつ懸念があるとすれば、権威と権力におもねるタイプだった元夫とその実家の今までの行いのせいで、フランセル子爵家が周囲から王家派であるとみられていることだ。
いざことが起こってバラデュール辺境伯へお味方しようとしたら間諜と疑われてバッサリ切られる、なんてことが起きないように、今のうちに穏便に辺境伯派であるとアピールしたいものである。
「ご当主様、……お、王家から、お手紙が」
「まあ……」
緊張した顔の執事が持ってきた、金の封蝋がまぶしい真っ白な封筒を摘みあげ、開封する。
王家の象徴である百合の花の匂いが封じ込められた便箋には、要約すると『国王陛下から話がある。明日、朝一番に登城せよ』とあった。
「嫌な予感がするわ」
まさかの呼び出しに、アデライドは眉根を寄せた。
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