五日目

 †五日目†



「信仰とは、厄介なものだ」


 ティナスの巫女が身につける衣装を着せられ、犬用の狭い檻に入れられたモニカを謁見室の片隅に転がしたアズライルは、玉座の背に凭れつつ呟く。


「その理念が崩れない限り、信仰は強い力を産む。団結力然り、武力然り、信仰で結ばれた集団は、容易に崩れない」


 玉座に寄り添って立つベアトリーチェの腕にアズライルが甘えるように頭を擦り付ければ、細く柔らかい指先が、優しく髪を梳いてくれた。


「信仰の力を破るには、信仰対象が誰かに『落とされる』のではなく自ら『堕ちる』瞬間を、見せつける必要がある」

「堕ちる瞬間……」

「愛しいビーチェ、君には特等席で見せてあげよう。姫騎士と崇められた王女が、君を傷つけた女が、自ら堕ちていく瞬間を」


 やがて夜が明け、東の地平線から白々とした太陽が姿を見せはじめると、アズライルはモニカを入れた檻を兵士に持たせ、再びレイダ城の西門に赴いた。昨晩から西門の警護を続けている衛兵達に声をかけ、城壁の上からユーア皇国軍と姫騎士マリアベルの様子を窺う。


「不寝番、ご苦労だったな。どんな感じだ?」

「だいぶ参っているようですね」

「一晩中、妹の名を叫んでいましたよ」


 衛兵達が指差す堀の向こう側には、地面に膝をつき、蹲ったまま嗚咽を漏らすマリアベルの姿がある。レイダ城の東側に軍を配置している南部連合軍には既に報せが行っていると見えて、一応警戒はしているが、軍を動かす気配はない。

ユーア皇国軍には、試練の五日目を示す鐘が鳴る時に、モニカの心臓を抉り出すと伝えてあるのだ。どんなに懺悔の言葉を重ねても、対価を差し出すと申し出ても、固く閉ざされた門は動かない。最愛の妹を喪うのだと悟ったマリアベルの心は、絶望に満ちている。


「マリアベル・ファラミア」


 アズライルが張りのある声色で名を呼べば、姫騎士マリアベルは、土に汚れた顔をノロノロと上げた。丁寧に編み込まれていた金色の髪は縺れ、輝きに満ちていた紺碧の瞳も光をなくし、ひどく澱んでいる。その瞳がかろうじて、屈強な兵士に檻ごと抱えられた妹の姿をとらえた。


「ベル姉様ぁ……」

「モニカ!」


 死の運命が迫る妹を見上げたマリアベルの言葉が、悲壮を帯びる。


「どうか、どうかお慈悲を……私はどうなってもいい、妹をお助けください……! それが叶わないのであれば、せめて妹の側に居させて……!」

「ほう、そう願うか」


 血を吐くようなマリアベルの懇願を耳にしたアズライルは、城壁の上から彼女を睥睨し、酷薄な笑みを唇の端に乗せた。


「姫騎士マリアベルよ。そんなに、妹の傍に来たいか?」

「当然です!」


 間髪いれずに帰ってきた応えに、アズライルの笑みは深くなる。


「我が国は、女神の試練を受けている最中だ。他国の【騎士】を城内に招く行為は、侵略を受けた意味を持つ。入城を許されるのは、我が国の民か……兵を慰める【娼婦】のみだ」

「っ……!」


 マリアベルは絶句し、彼女の傍に控えるヘレンも息をのむ。


「レイダに【姫騎士】マリアベルを招き入れることはできない。しかし【娼婦】マリアベルであれば、入城を許そう。実の姉が我が身を差し出せば、祭壇を穢した妹の罪も濯がれる……さぁ、マリアベル・ファラミアよ。決めるのは、お前自身だ!」


「あ、あぁ……」

「マリアベル様! だめです!」

「相手の口車に乗ってはいけません!」


 ヘレンとユーア皇国軍の騎士達がふらふらと立ち上がるマリアベルを引き止めるが、彼女は愛剣を腰帯から外し、地面に投げ捨ててしまった。


「ジブリール殿……私は【騎士】を辞める……どうか、どうか私を城の中に、妹の傍に……!」

「……ならばそれを証明して見せよ、マリアベル」


 アズライルは首に巻いたクラヴァットに指をかけて僅かに緩め、未だ姫騎士の姿を保つマリアベルを嘲笑う。


「厳つい軍服を身につけた娼婦など、いるものか。お前が本当に娼婦としてレイダ城に入る覚悟があるならば、全てを脱ぎ捨てろ。鎧も、衣服も、下着も、何一つ身に纏うことは許さん。生まれたままの姿で、門の前に立つが良い」


「なっ……!」

「貴様! 姫君を愚弄する気か!」

「マリアベル様! そんな戯言に耳を貸す必要はないのです!」

「貴女様が犠牲になっても、モニカ様は喜びません!」


 マリアベルを諌める数多の声は、彼女が自ら鎧を外し、その下に纏う軍服まで躊躇なく脱ぎ捨てたことで、勢いをなくす。


「……ヘレン、ごめんなさい」


「マリアベル様……」


 ついに下着までも取り去り、露わになったマリアベルの美しい裸体を、昇ってきた朝陽が照らし出した。ユーア皇国軍の騎士達は無言で彼女の後ろ姿を見送り、レイダ城の中で【娼婦】を待つ兵士達からは、歓声が上がる。


「最後の仕上げだ、娼婦マリアベル。その長い髪を切れ」

「……仰せのままに」


マリアベルはアズライルの指示通りに、地面に投げ捨てていた愛剣を引き抜き、自慢の長い金髪を首の後ろで切り落とす。


 隠すものを全て失ったマリアベルの前で、西門の扉である跳ね橋が、ゆっくりと下ろされた。格子戸が開かれ、跳ね橋の上を迷いなく進む彼女を迎え入れる。


「娼婦マリアベルよ! レイダ城にようこそ!」


 アズライルの言葉を合図に、城内に足を踏み入れたマリアベルに、兵士達が群がった。彼女の悲鳴を打ち消すように、西門の扉が巻き上げられ、重い音と共に閉ざされる。


「……くっ」


 ヘレンは残されたマリアベルの髪と剣を拾い上げると。涙の溢れる眦を乱暴に拭い、動けないでいるユーア皇国軍の騎士達に号令をかけた。



「ユーア皇国の第三王女マリアベル様と第六王女モニカ様は、により亡くなられた。もはや、我らがこの地に留まる理由はない! 本国に撤退する!」


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