一日目

 †一日目†


 重鎮達が謁見室に集められる間に、アズライルは浴室で身を清め、メイドの手を借りて身支度を整えた。伸び放題の金髪を梳って切り揃え、緋色の絹地に金糸の刺繍が施されたジュストコールに揃いのホーズ。同じく金糸の刺繍が入った黒のジレという格好で再び謁見室に戻ってきた青年の外見は、見間違いそうになるほど国王ジブリールによく似ている。しかし、常に自信無さげに背中を丸めていたジブリールとは異なり、堂々と胸を張り、緩く腕を組んで軍議の始まりを待つ様は、既に貫禄すら感じられる。


「隠すことでもないので、先に説明しておく。俺はアズライル。ジブリールの双子の兄だ。先王の命で地下牢に入れられ、有事の際にを務める為に、秘密裏に育てられてきた」


 古参の家臣達は、揃って渋い表情をする。アズライルが言葉を濁した『身代わりを務める』意味は、王に成り代わることを示したわけではない。しかしそれは本人も重々承知の上で、この茶番めいた王位の代打劇に、自ら名乗りを上げている。


「各々、思うことはあるだろうが、一旦それは置いて欲しい。勘案すべきは【女神の試練】を如何に乗り越えるかだ」

「……確かに」

「ジブリール陛下は、話ができそうにもない状態ですしな……」


 集まった家臣達が頷きあうのを待って、アズライルは軽く指を鳴らす。


「ここに」


 垂れ下がっていた緞帳の裏から、小柄な人影がするりと姿を現した。驚くベアトリーチェに構わず、その人影は玉座の前に静かに傅く。顔の半分を覆う口布で表情は分かり難いが、控えめな曲線を描く身体つきと目元から、それが年若い少女だと窺い知ることができる。


しかし上下ともに闇に溶けそうな黒の衣装を身につけた彼女は、目の前に居ても極端に気配が薄い。何かしらの、特殊な訓練を受けているのは確かだ。


「まずは、現状を把握しよう。カスミ、説明してくれるか」

「かしこまりました」


 カスミと呼ばれた少女の指示で、レイダ城周辺の地図を乗せたテーブルが、謁見室の中央に据えられた。


 現在、レイダ城を包囲している軍は四つ。


 北からは、五千の北陵神聖王国軍。東からは、同じく五千のヤマシロ軍。南からは、三千の南部連合軍。そして西からは、三千のユーア皇国軍。


 レイダ城に常駐している兵は、二千。加えて、避難してきた多数の民衆達。


 城内には聖なる水瓶があるため、水の心配はまず必要ない。また兵糧も、二千人の兵を一ヶ月養えるだけの備蓄があるので、民衆達に分け与えても七日程度は十分に凌げる。


「食糧の心配はない。我々が備えなければならないのは、レイダ城の四方を囲んだ敵国からの攻撃のみだ」

「確かに、そうなりますな」

「だが、俺達が実質的に相対するのは、一国だけになる」

「え……一つだけ……ですか?」


 ベアトリーチェの質問に、アズライルは軽く頷き返す。


「順を追って説明しよう。まず、レイダ城に残されている兵力で、単独であれば軍はどこか」


家臣の一人が挙手をして、発言を求める。


「南部連合軍……オスマルク王の軍勢のみであれば、可能ではないかと考えます」

「兵の数は、南部連合軍もユーア皇国軍も同じだ。南部連合を選ぶ根拠は?」

「姫騎士マリアベルは人気があり、ユーア皇国軍の士気も高いと聞きます。翻ってオスマルク王は……その、お人柄と体格から【オーク王】と揶揄されるほどで……率いる連合軍は、周辺の小国家から寄せ集められた烏合の衆。統率が高いとは思えません」

「……上出来。俺も、同じ意見だ。南側は、一旦置いておく」


 アズライルは玉座から立ち上がって謁見室の中央に歩み寄り、地図の上に記されたレイダ城の四角形を指でなぞる。


「次に、一番軍はどこか。これは、間違えようも無い。北陵神聖王国軍だ。レイダ軍では、百回戦って二百回は負ける」

「そ、それほどですか……?」

「間違いなく。北陵神聖王国軍は練度が高く、一騎当千の猛者も多い。とてもではないが、太刀打ちできない」

「……どこから、それ程までの情報を」


 地下牢に幽閉されていたアズライルが次々と伝える情報に、家臣の一人が呻くように呟く。カスミはそれをちらりと横目で見やったが、そのまま沈黙を保つ。


「だが、付け入る隙はある」


 心配いらないとベアトリーチェに微笑み、アズライルは地図の上に置いた指を、レイダ城より遥か彼方……北陵と呼ばれる地域まで滑らせる。


「神聖王国は聖瓶七国の一つ……『聖なる水瓶』の保有国だ。わざわざレイダから水瓶を奪う必要はない。今回の参戦は、同盟国であるユーア皇国からの要請に応えたもの。つまり神聖王国には、この戦に『旨味』がない。余計な損失を出さないためにも撤退の理由を探しているだろう」

「ええと……?」


「明日になれば、意味が分かる。北陵神聖王国軍に対して俺達が行動すべきことは、何もない。手を出さないようにしておくだけで十分だ」


「は、はい」


 ベアトリーチェが頷くと、地図に置かれたアズライルの指が、今度は城の東側に移る。


「そして軍はどこか。それは東に陣取っている、クサナギ将軍が率いるヤマシロ軍だ。ヤマシロ軍はそれなりに強いが、将軍に頼りすぎている。クサナギ将軍さえ討ち取ることができれば、総崩れになるだろう」

「討ち取る……クサナギ様はヤマシロの大将軍を務める強者つわものです。そんなことが、可能でしょうか」


「レイダ城の東側は緩やかな傾斜地で、城から遠ざかるほどに少しずつ土地が低くなる。つまり、城から外敵には矢が届きやすく、逆に外から城に向けて射た矢は勢いが殺される。弓矢を警戒したヤマシロ軍は、俺の目論見通りに本陣を構えた。その時点で、奴等は俺の術中だ。労せず将軍を条件は、既に整っている」


「森の中で、排除、ですか……?」


 首を捻るベアトリーチェの言葉は、家臣達が抱く疑問の代弁でもある。


「その時が来たら、自分の目で確かめたら良い」


 アズライルの指先が地図の上を更に動き、城の西側に辿り着く。


「最後に軍はどこか。当然ながら、弟を策略に嵌めてくれたユーア皇国軍だ。軍を率いるのは、ジブリールに甘言を囁いた張本人、姫騎士マリアベル。良い度胸だよな?」


 くつりと、アズライルは、喉の奥で笑みを漏らす。


「言葉で弟を惑わせた報いは、同じように言葉で払ってもらおう……ベアトリーチェ、君が飲み込んだ怒りの分も、共にな」


「アズライル様……」


「さぁ、今日はこれぐらいでいい。【女神の試練】で包囲側の行動が始まるのは、二日目からと決まっている。こちらもを始めさせてもらうことにしよう」


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