愛しい過去の記憶

火曜日

職員室にいる加藤は電話で話をしている。

「はい、分かりました」

電話を置く加藤  

隣の席に座る50代の数学教師

海老原が声をかける。髪が薄くなっているのも特徴だ。 

「親子さんから?」

「ええ、宮沢の母親から今日は具合が悪いから休ませて欲しいとのことです」


(まあ、行きにくいわな。昨日の今日じゃ)

どうするべきかと思案していると、再度コールが鳴る。

海老原が電話を取る。

「はい、今代わります。」

加藤先生、香取さんの親子さんからですと付け加えてから受話器を渡した。

「もしもし、お電話代わりました」

伝えられた内容に知らず知らず全身に力が入る。

「...分かりました。」

通話が終わってから受話器をガチャと置く。

「どうかしたんですか?香取さん」

「え、いや..彼女の身内に不幸があって金曜日は忌引扱いにしてほしいとのことでした」


奈津が倒れたあの日から、いつか来る未来だと予想はしていた。

眼鏡を外して過去の記憶を呼び起こした。


俺と奈津が付き合いだしたのは、ゼミの研修旅行のあった頃のことだ。

一匹狼だった俺にくっついて来てるうちに、なし崩し的にそういう関係になった。


奈津が海が見たいと言うので、今日はドライブがてら夕方に千葉まで海を見にいった。

俺は紺の半袖で黒のズボンとラフな格好である。


ザザーンと波が寄せては返し、夕焼けはオレンジ色に輝いて美しかった。

「先輩、海が綺麗ですね」

奈津が穏やかに微笑む。

俺はそんな彼女をスマホでパシャと撮影した。

「先輩、今、私を撮りましたか?」

彼女の顔が少々赤い。

「ああ」


「私、まだ先輩に言われてません。」

拗ねたような口調に俺はグッとなる。

確かに好きだとも、付き合ってくれとも言ってない。

俺は若干頬赤くしてから、奈津の頬を両手で包む。

「奈津が好きだ。付き合ってくれ」

夕日をバックに海の波の音

告白には少々ベタだったかと内心で思ってたが、奈津は幸せそうに微笑んでたのを見て、俺は彼女と唇を重ねた。


◇◇◇



気持ちを入れ替えるように、眼鏡をかけ直して教室へと向かう。

「HR始めるぞ」

そう言いながらドアを開ける。

生徒たちは席に着席した。


「先生、今日宮沢さんは」

香取の問いに俺は答える。

「宮沢は具合が悪くて休みだ」

香取と月島は昨日の今日だ。

思う部分があるだろう。複雑な表情だ。

生徒の顔を見回すと、2人以外にも表情を変えてる生徒がいた。


浜口美久だ。


◇◇◇

4限目が終わったあと、職員室に向かう彼女は俺に話かける。

「先生、加恋どうして休みなんですか」

濃いメイクをして、ショートの髪を耳にかけている。

だけど、その眼差しが真摯に真実を知りたいと訴えている。

俺は真実を話すと決めた。

「クラスの誰にも言うなよ」


◇◇◇


浜口に昨日起きた出来事を話した。

「加恋が資料室に奈歩を閉じ込めた?」

驚きのあまりに声が出ない。


「お前、宮沢と仲良いよな。」

俺の問いにコクリと頷いて答える。

「加恋とは中学の時からの友達です」


美久は中学の時からバトミントン部に入っていた。その学校のバト部は強豪で日々練習に明け暮れていた。

クラスの女子がカラオケしたり、クレープを食べに行く約束をしてるのを遠くから眺めている毎日だった。

バトミントンは好きだ。

レギュラーで最高のスマッシュを決める。

プロのバトミントン選手だったお母さんに喜んでもらう為ー...

私がバトミントンをやる理由だった。


ある日、後輩にレギュラーを奪取された。

日々練習に明け暮れて、同い年の女の子が遊ぶこともわからない。

(私には何もないー...)


体育館の裏でしゃがんでいると、クラスの子が話しかけてきた。

「浜口さん、良かったら一緒に遊ばない?」

今より髪は短かったけど、髪の毛を一つに結んで笑顔の加恋がいて、隣には整った顔立ちの男の子。月島君がいた。

あの日、二人と遊んだことでオンとオフの切り替えを学んでバトミントンを続けることができた。


「宮沢が苦しんでるなら助けてえか?」

俺の問いに彼女は即答える。

「もちろん!今日バト部はオフです。私、加恋の家に行ってみます」

返事をしようとしたら、正面から香取と月島が歩いてくるのが見えた。


「加藤先生、今日種植えたら宮沢さんの家に行こうかと」

「加恋の家は俺が知ってますから」


香取と月島の言葉に浜口は目を丸くする。

3人の顔をゆっくりと見て、俺は浜口に話しかける。

「園芸部は今日は種を植える日だ。浜口、終わったら放課後、月島と香取と行ってくれ」

『え?』

俺の言葉に3人とも声が重なる。


「苦しい時に支えになるのは、いつだって人の想いだ。」

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