魔法研究(5)

 彼女は僕に気づくと手を振って、優雅に歩いてきた。こういう時に小走りしないのは彼女らしい、というんだろうか。まだ知り合って間もないけど、少しだけローズのことがわかった気がした。

「ごきげんよう、シオン」

「こんにちは、ローズ」

 流麗に一礼するローズに僕は笑顔で答える。

 彼女は挨拶を終えると僕の隣に座った。子供だからなのか、距離感が近い。付き合いは浅いのに、多少なりとも友達っぽい関係性を築けているのは、相手がローズだからなのだろうか。

 人見知りの僕だけど、ローズ相手だとあまり気兼ねしなくて済む。ローズが大人っぽいからかもしれない。子供には話が通じないしどうしていいかわからなくなるけど、大人だと話せば理解できる部分もあるからね。

「マリーは、いないんですのね。何をしてるんですの?」

「さ、さあ。部屋に閉じこもってたみたいだけど」

「あのマリーがですか」

 マリーはじっとしていられる性分ではない。病気の時でも外で遊ぶとか、剣の練習がしたいとか駄々をこねるくらいだ。そのマリーが部屋から出てこない。もちろん病気ではない。

 原因は三日前のことだろう。それを僕もローズもわかっているから、妙な空気感が漂っていた。

「マリーでしたら、すぐにいつも通りになると思いますわ。けんをしても、次に会う時にはケロッとしてるんですもの。大丈夫ですわよ」

「そう、だよね」

 僕もそう思いたいけど、今回はいつもと違う気もする。またいつものように一緒に魔法の研究がしたいんだけどな。

「それでトラウトはどんな状況ですの?」

「今のところ何も変化はないね。ただちょっと考えていることはあるよ」

 僕はさっきまで考えていたことをローズに話した。

「──つまり、トラウトと同じ行動をとれば何かわかるかもしれない、と」

「かなり短絡的だけど、行き詰まってるからね。やってみる価値はあるかなって…………何?」

 僕が話している間、ローズはずっと僕をまっすぐに見つめていた。それが気になって思わず聞き返してしまう。

「あなた、変わってますわね」

 しまった。自分の年齢を考慮することを失念していた。子供が話すにしては内容が難しかったかもしれない。ローズは大人びているけれど子供だ。あまりに話しやすいから調子に乗ってしまったけど、僕の言動を見て違和感を抱いてもおかしくはない。

 僕は内心で冷や汗をかきつつ、誤魔化すように笑った。

「そ、そうかな? 別に普通だと思うけど」

「普通の子供はこんな研究はしないかと思いますわ。いえ、興味は持ってもそんなに深い部分まで理解できない。あなたはまるで……大人みたいですわ。それもかなり知識のある」

 図星すぎて何も言えない。この世界の人間からすれば地球の人間は知識が豊富に思えるだろう。実際はただ、誰でも情報を簡単に手に入れられる世界に生きていただけだ。もちろんそんなことを話せるわけもない。

「な、何言ってるのさ。僕は見ての通り子供だよ?」

「それはわかっていますわ。ただそんな風に感じただけですの。失礼、おかしなことを言ってしまいましたわね」

 上品に笑うローズに、僕は思わずれた。恋がれたというわけじゃなく、単純に綺麗な子だなと思っただけだ。それ以外の感情はそこにはない。本当だ。

 とにかく僕への疑いはなくなったらしい。転生したなんて発想ができるわけもないか。

「それにしても求愛行動、でしたか……どんな風にするつもりなんですの?」

「それはこれから考えるところだね。良い案は浮かんでないよ」

 求愛行動。つまり愛情表現だ。そんな相手もいないし、そんな感情も持ち合わせてはいない。家族は好きだけど、多分そういうのとは違うと思うし。

 どうしたものかなと頭を悩ませていると、ローズが事もなげに言った。

「どうしてもというなら、わたくしが相手になってあげてもよろしくてよ?」

「……はい?」

「ですから、わたくしに求愛行動をしても構いませんわ。マリー相手にするわけにもいかないでしょう?」

 確かに実の姉であるマリー相手に求愛するのは色々な意味でまずい気がする。それに考えてみれば、昨日の流れでマリーには好きだと伝えている。それなのに何も変化はなかったわけで。とするとやはり姉に好きと言うのは、求愛行動とは違うのだろうか。だったら相手はローズしかいない。

 他に手段はないし、研究を進めるには手段を選んでいる余裕もない。

「そ、そうだね。じゃあ、お願いできる?」

「ええ、どうぞ」

 ローズと僕はたたずまいを直して、向き合った。いつもの冷静な彼女らしくない。瞳は少しだけ潤んでいるように見えたし、なんだか視線からは熱を感じる。気のせいだと自分に言い聞かせると、一気に鼓動が速くなってきた。

 あれ、なんか緊張してきたぞ。子供相手に何考えているんだ僕は。落ち着け。

 女性経験が皆無という事実がここにきて足を引っ張ってくる。たとえ子供だろうが、女の子であることは間違いない。形だけとはいえ、異性に告白した経験もない僕にハードルは高く感じられた。

 しかし行くしかない。魔法を使うために、前に進むんだ。

 深呼吸を二度、三度。おかしいくらいに心臓がドクドクといっている。

 さあ、言うぞ。

 僕が意を決して、口を開こうとした時、ローズが突如として顔をそむける。

「……時間切れみたいですわね」

 ローズの視線の先、正門前に一人の老人が立っていた。やや大柄で七十歳は超えているであろう白髪の老人は、姿勢正しくこちらを見ていた。眼光は鋭く、背も曲がっていない。質素な格好をしているから村人で間違いないみたいだけど。ローズのおじいちゃんだろうか。

 ローズは立ち上がるとスカートについたほこりを払った。しかしなぜかローズはこっちを一切見なかった。彼女にしてはなんだか違和感のある行動だった。普段はまっすぐこっちを見てくるのに。

「研究の続きはまた次回、ということで」

「あ、ああ。うん、わかった。またね」

 ローズは早口で言うと老人と共に帰っていった。

 去り際、甘い香りがこうをくすぐった。それに、僕の見間違いかもしれないけど、ローズの横顔は、少し赤く染まっていたように見えた。いやいや、まさか、ローズに限ってそんなこと。

 なんとなく恥ずかしくなってきて、僕は頭を振って邪念を排除する。

 どうも調子がおかしいな。

 気を取り直そうと考えた時、バンッというけたたましい音が聞こえ、僕は振り返った。玄関の扉が開かれ、その前にはマリーが立っていた。彼女はいかめしい顔つきのまま、僕の隣に座る。

 明らかに不機嫌だ。僕は硬直したまま、桶を眺めることしかできない。無言のまま時間が過ぎる。どうしたものかと思っていると、マリーが口を開いた。

「…………怒られた」

「母さんに?」

「…………うん」

 なぜ怒られたのだろうか。よくわからないけど、踏み込まないといけないらしい。

「どうして?」

「シオンと結婚するって言ったら怒られた。シオンと同じこと言われた……」

「そ、そっか」

 子供の戯言ざれごととあの母さんなら思うだろう。恐らく、にこにこしながら、そうなのねぇ、とか言いそうだ。そんな母さんが怒ったということは、それだけマリーがしつこかったか、本気だと言ったかのどちらかだろう。

「あたし、そんなに悪いこと言ってるの? シオンとずっと一緒にいたいだけなのに……」

「僕も姉さんとずっと一緒にいたいよ。でもそれなら結婚しなくてもいいんじゃない?」

「だって、結婚するって特別ってことでしょ? シオンとあたしが結婚しないなら、どちらかが別の人と結婚するじゃない。そしたら一緒にいられないでしょ。お父様とお母様みたいになるんだもの」

 結構考えてるんだな。確かにそうなる。もし、僕かマリーが結婚すれば、その相手との家庭を築く。そうなれば姉と弟の関係は継続するが、一緒に住んだり、ずっと共に過ごすことは難しくなるだろう。

 短絡的な考えかと思っていたけど、マリーはマリーなりに考えてのことだったようだ。それだけ好きだと言ってくれるのは嬉しい。本当に。

 それに、幸か不幸か僕はすでに人生二度目だ。一度目で色々と経験している。そして経験してないこともある。僕は童貞だ。そのまま三十年を生きてきた。だったらあと数十年そのままでも同じかもしれないな。

 目の前で泣きそうになっている姉のためなら、別にいいか。だって僕もマリーのことが好きで、大事なんだ。異性としてではないけれど。

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