魔法研究(4)


   ◇◇◇


 次の日から、観察が始まった。湖に行くことはなくなり、庭で桶に入ったエッテントラウトのオスとメスを眺める時間が増えた。

 マリーはあの日から、僕と顔を合わせてもそっけなくなってしまった。

 なんか遠回しに、あなたとは結婚できませんって言ったみたいなもんだしな。時間がてばわかってくれると思うけど。

 マリーはとてもいい子だ。わんぱくだし、わがままなところもあるけれど、優しくていい姉だ。頼りがいもあるし、一緒にいて楽しい。顔立ちも整っているし、将来、美人になるのは間違いない。

 でも、実の姉だし、というか僕は精神的には三十過ぎのおっさんなわけで。なんというか異性としては見られないし、見てはいけない。ここは大人な僕が長い目で見るしかないだろう。身体は子供だけど。

 しかし一人の時間が長いと寂しいな。最近はずっとマリーと一緒にいたし、普段もこんなに一人でいることはなかった。早く仲直りできるといいんだけどな。

 ローズは家の用事があるから後で来ると言っていた。この世界では子供も重要な労働力なので、家事や畑仕事などの家業を手伝うことが当たり前らしい。

 彼女が来るまでは一人か。そんなことを考えるとまた寂しさがこみ上げてくる。僕は頭を振って、邪念を振り払う。今は、エッテントラウトの観察に集中しよう。

 今、僕は庭先にいる。自室で観察してもいいんだけど、トラウトが動き回ると桶から水があふれたりするから、桶は庭に置くようにしている。母さんに怒られるし。

 しかしこのエッテントラウトの現象、どうして周知されていないのだろうか。見える人と見えない人がいるとしても、ここまで誰にも知られないものなのかな。

 近くの湖に住むエッテントラウトだけが、この現象を起こせるのか、それとも見えている人はいるがごく少数だから知られていないのだろうか。少数派だと、多数派の人に黙殺されそうだし。

 幽霊みたいなもんか。いや、でも幽霊は別か。信じてなくても怖がる人はいるし。

 すでに観察を始めて三日。状況は変わらず、ずっと同じ。夕方になると求愛行動が始まり、光の玉が生まれる。十分ほどでそれは終わる。また次の日に同じことが起こる。それだけだ。

 桶の中を見つめる日々が続く。でも何も進んではいない。水を見ても、意味はない。

「……どうしたもんかな」

 僕は正直、この光の玉は魔法に繋がる何か、つまり魔力なのではないかと考えていた。あるいは魔法そのものなのかと思っていた。

 魔力を消費し、何かしらの現象を起こすのが、魔法だと思う。つまり魔法を使うには誰か、あるいは何かが魔力を費やさなければいけない。

 それは恐らくは能動的なもので、その存在が生物とわかり、僕は期待を膨らませた。なぜならば生み出した存在が生物であれば、人間である僕も同じようなことができる可能性が高くなるからだ。

 現象と照らし合わせて、共通点が多いと同じような結果をもたらすこともある。

 ちなみに桶を眺めるだけで時間を過ごしたわけではない。まず光の玉を両親に見せた。マリーの言うとおり、何も見えないと言っていた。ここまでは想定通りで、収穫はなかった。だから僕は二人に頼んで、手を出して、光の玉を触ってもらった。そして『何も感じない』という結果が出た。

 これはつまり視認性以外にも触覚、温度感知という点においても、差異があるということ。見えない人には感触がないし、温度も感じないのだ。これに関してはまだ答えは出ていないが、もしかしたらという考えはある。

 ひとずそれは置いておくとして、そろそろアプローチを変えた方がいいかもしれないな。でもどうしたらいいんだろう。

 僕は思考を巡らせる。現実に起こった結果ばかりに目を向けていてはきっと答えは出ない。ならば仮定しよう。この光の玉が魔法か魔力だと僕は考えている。そこから一歩前に進み、別の観点から実験をした方がいいかもしれない。

 魔法は、僕の中では多少高度な術だという印象がある。魔力を使って何かしらの現象を起こすものだ。呪文や魔道具や魔法陣のような触媒を使うこともある。光の玉を生み出す程度のことだったとしても、そんな高度な方法で魔法を使うことが魚にできるだろうか。微妙な線だ。でもまずは『できない』と仮定しよう。

 ではこの光が魔力だとする。魔力を視認できる人、できない人がいる。それはつまり素質があるかないか、という指標になるのではないか。

 僕やマリーは見える。つまり素質があると仮定を重ねる。エッテントラウトには魔力があり、僕たちにはその素質がある。つまり僕たちも魔力を持っているのではないだろうか。

 魔力を持っているが、その使い方がわからない。あるいは知覚できていない。つまり魔力を放出する際のエッテントラウトの行動をつぶさに観察し、模倣すれば。

「魔力が出せる、かも?」

 観察から試行へと移行することにした。変化がない状況では、模倣するにしてもきっかけがない。

 まずは夕方まで待つことにした。夕方になると、再びエッテントラウトたちが光の玉を出す。

 僕はじっと二匹を観察する。

 互いにぐるぐると回り、泳いでいる。ふとした時に光の玉が生まれて水面を通り、虚空に浮かぶと消える。僕はオスの魚を掴んでみた。ビチビチと暴れるエッテントラウト。水しぶきが飛び散るが構わず、観察する。

「魚なのに少しあったかいな……もしかして温かいのは光の玉だけじゃない?」

 魔力を放出している魚自体も温度がある。水温は低いのに、魚は温かいのだ。ただし光の玉よりは冷たい。それと求愛時以外では冷たかったことを思い出した。これはつまり魔力を放出する生物も発熱しているということだろう。

 僕はじっと魚を見つめた。近距離で凝視する。魚の濁った眼が僕を見ている気がしたけど、構わず見た。じっと凝視していると、魚の周りに何かが浮かんだ気がした。瞬間、魚はひときわ大きく暴れ、跳ねて、桶の中に落ちていった。

 僕は呆気にとられて、虚空を見つめる。

「魚自体も発光してた……?」

 オーラのようなものが見えた。とても微弱な光だったけど、間違いない。結果を考慮した仮定を頭の中で思い浮かべる。

「僕にも魔力を帯びさせることができるかも」

 いきなり光の玉を生み出すことは不可能だと思う。でも、自分の魔力を感知することはできるのではないか。トラウトのおかげで、己自身に魔力を溢れ出させることができると知った。魔力があるのならば、あるいは。

「でも、どうすればいいんだろう」

 魔力について考える。魔力って何だ? 言葉では知ってるけれど、魔力の具体的な説明は難しい。創作の世界でもなんとなく使えてしまっているイメージだ。そもそも不可思議なエネルギーをどうやって体外に放出するんだ。しかもそれを火や風に置換するとか、できるのだろうか。

 待て待て、可能か不可能かで考えれば、不可能という答えが出るに決まっている。疑っちゃダメだ。思い込みもダメ。客観的に、すべての可能性を否定しないようにしないと。

 現状、魔力に関して確実にあると言えることについて考える。

 熱と光だ。

 魔力を放出する際に、必ず熱と光が生み出される。体温とは違うんだろう。そうでなければ、両親が温度を感知できないはずがない。魔力と単純な温度は別ということだ。

 それとトラウトたちを模倣するならば、求愛行動をする際に魔力が放出されているということになる。もちろん、単純な行動に伴う現象ではない。能動的なものだから、真似をすれば同じような結果が得られるとは限らないけれど。試す価値はあるのかもしれない。

 そこまで考えた時、正門の奥に見知った姿が見えた。ローズだ。

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