魔法研究(3)

 ローズはわずかに目を見開いていたけど、すぐに僕の質問に答えてくれた。

「いいえ、わたくしはただ眺めているだけですから。光の玉が何なのかは知りませんわ」

「そ、そっか」

 僕が落胆していると、ローズが僕のほおを軽く指でつついた。

「離れてくださる?」

「え? あ! ご、ごめん」

 動揺した様子もないローズに対して、僕は激しく狼狽うろたえながら彼女から距離をとった。

 隣でマリーが頬をぷっくりと膨らませていた。

「もしかして、あの光の玉を調べているんですの?」

「う、うん。初めて見てから気になって調べてるんだけど」

「……実はわたくしもあの光の玉が何なのか気になっていましたの。よろしければ、一緒に調査をさせていただけないかしら?」

 ローズは手を胸に添えて、貴族然とした所作を見せる。

 これが演技というか模倣ならたいしたものだ。まあ、ただの農民だってマリーが言っていたからそうなんだろうけど。服は簡素で村人が着るようなブラウスとスカートだし。

 協力してくれる人が増えれば、それだけ調査は進みやすいだろう。ローズは光の玉が見えるみたいだし、何かに役立ってくれる可能性もある。

 それに彼女は年の割にはかなり知的で落ち着いているみたいだ。マリーや僕とは違った観点から、意見を言ってくれそうでもある。

 僕はうかがうようにマリーに視線を移した。マリーはちょっと不機嫌そうだった。

 あ、まずい。考えてみればマリーを仲間外れにした感じになっていた。会話も僕とローズだけでしていたし。

 ローズには少し申し訳ないけど、ここは我が姉の機嫌を取ることを優先させてもらいたい。

「ね、姉さんどうかな? 姉さんが決めてくれていいよ。僕はどっちでもいいし」

 言い方はあまりよくないかもしれないが、姉の意思を尊重し、その上で自分は受け入れてもいいというスタンスを維持する最適な立ち回りだと思う。

 幸いにも僕とローズは初対面なので、互いの好感度もゼロだ。この場合、どちらも知っているマリーが決めるのが妥当でもある。

 そして、僕のもく通り、マリーは機嫌を直した様子だった。

「そ、そうね、別にいいんじゃないかしら? ローズがいた方ができることもあるかもしれないし」

「そう言ってもらえると助かりますわ」

「じゃあ、今後は三人で調査をするってことで。もちろん時間が合う時だけでいいからね」

 マリーとローズは同時にうなずいた。

「ところでどんな調査をしていたのです? 湖に生息する生物を集めているところですの?」

 僕は簡単に今までの経緯と、これからの目的を話した。

「──なるほど。魚類が光の玉を出している可能性が高いため、魚を釣っているのですわね」

 マリーと同じくらいの年齢だろうに理解が早い。そうめいな子なんだろうか。これは本当に、調査にかなり役立ってくれるかもしれない。

 マリーがまた不機嫌になるかもしれないと思った僕は、我が姉を横目で確認した。しかし彼女は明後日あさっての方向に視線を向けていた。

「あ、かかってるわよ!」

 地面に突き立てて固定していた釣り竿がギシギシと動いていた。糸が引いている。マリーは猫のような俊敏さで釣り竿をつかむと、後方に下がりながら竿を引っ張った。

 僕には反応できない速度だった。やっぱりマリーは運動神経が抜群だ。

 マリーが一気に竿を引くと、綺麗な放物線を描いて魚が湖畔に打ちあがる。見たことがない柄をしている魚だった。でも形は見たことがある。

「メスのエッテントラウトね」

「メスの?」

「ええ。そういえば、釣るのは初めてね。オスはよく釣れるんだけど。メスは普段、深いところにいるみたいであんまり釣れないのよ。でもこの時期は産卵期だから浅いところまで来ることも多くて、結構釣れるみたい。お父様の受け売りだけれど」

 僕は思案した。何だろう、何かが引っかかる。その理由は判然としないけど、ひらめきにも似た直感に従い、僕は特に考えずに口を開いた。

「オスのエッテントラウトも釣ろう」

 以前釣ったトラウトは二人のお腹の中だ。さすがに飼い続ける気はなかったし、希少な魚でもなかったから。

「え? ええ。それは構わないけれど、釣れるかどうかはわからないわよ」

「うん。もし他の魚が釣れたら放していいから」

「わかったわ」

 マリーは特に何も聞かずに、僕の指示通りに魚釣りを継続してくれた。

「釣り竿は一つしかないから、僕とローズは待機だね」

「仕方ありませんわね。待つのはあまり好きではないのですけれど」

 ローズは小さく嘆息すると僕の隣に座った。位置的にはローズ、僕、マリーの順だ。

 考えてみれば前世の幼少期にも、こうやって女の子たちと遊んだことはなかったな。そんな経験があれば、三十歳にもなって童貞なんてことにはなってなかったかもしれない。

 しばらくして、オスのエッテントラウトが釣れたのでメスと同じ桶に入れる。

「何か起こるんですの?」

「多分。単純な思いつきだけど。とにかく夕方まで待とうか」

 ローズとマリー、二人と話しながら夕方を待つことにした。

 簡単な世間話をしてわかったことがいくつかあった。ローズは父さんが治める領地の村人らしい。領地内にある村は一つしかないので、場所は何となくわかった。

 家からは結構近くて、徒歩十分もかからない位置にある。僕はまだ一度も行ったことがない。だって他人とか怖いし、行く理由もないし。

 時間が経過して、世界があかだいだいに染まると湖には光のまたたきが生まれる。

 僕たちは顔を見合わせて、桶の中を見た。

「変化はないわね」

「うん、そうみた……いや、待って」

 じっと見ていると、桶の中から小さな光の玉が浮かび上がってきた。ぽつぽつといくつも浮かび上がり、やがてその数が増える。数秒に一個の時もあれば、同時に二個浮かび上がることもあった。

「で、出たわよ!」

「トラウトから光の玉が出ていますわ!」

「やった! やっぱり、そうか。求愛行動の時に光の玉を出してたんだ!」

「求愛行動って何?」

 マリーが首を傾げる。産卵期は知っているのに、求愛行動は知らないとはこれいかに。

 僕が苦笑を浮かべているとローズが代わりに説明してくれた。

「オスがメスに結婚して家族になりましょうと伝えることですわ。人間とは違い、魚は言葉を持ちませんから、行動で示さないといけないのです。すべての種類に言えることではありませんが。確か、エッテントラウトは夕方に繁殖する傾向にあると聞いたことがありますわ。つまりエッテントラウトは夕方になると、求愛行動として光の玉を出していた、ということですわね?」

 ローズに向かい、僕は力強く頷いた。

 今まで釣ってきたのは別種の魚ばかりだった。トラウトは釣っていたけれど、オスだけだったし、性別にまで考えが至らなかった。つまり根本的に調査方法を間違っていたわけだ。

 夕方になれば自然に光の玉が生まれると勘違いしていたけど、エッテントラウトが夕方に繁殖を行うという生態を知っていれば、共通点から求愛行動を連想できたかもしれない。

 これは反省だな。今後に活かすためにも覚えておこう。あらゆる可能性を考えておく必要がある。そんなことを考えていると、マリーが思いもよらない言葉を発した。

「へぇ、それじゃ、あたしとシオンには求愛行動はいらないのね。もう家族だもん」

 いきなり何を言い出すんだこの子は。なんと答えたものかと困ってしまった。マリーが言っていることは間違ってはないけれど、まさかこんなことを言われるとは想定もしてなかった。

 ローズも僅かに戸惑っているようだった。ローズの反応を見ている限り、やはり親族婚は一般的ではないようだ。

 僕とローズの様子に気づかず、マリーはさらに話し続けた。

「あたしは女の子で、シオンは男の子じゃない? ってことはいずれあたしが卵を産むのかしら」

「産まないよ! 人間は卵を産む生物じゃないから! というか、姉弟きょうだいでは結婚できないから!」

 我が姉は常識がないのだろうか。というか学校とかないし、こういうことを勉強する機会ってなかなかないのでは。

「え? どうして? シオンはあたしのこと好きじゃないの?」

 ローズの前でこうも平気に好きだと言えるとは。いや、考えてみれば子供の好きなんてそんなものかもしれない。お父さんと結婚する的なことを娘は言うとよく聞くし。そう考えるとマリーが言っていることはそれほど常識外れではないのかな。卵を産む、はさすがにびっくりしたけど。

 マリーはものすごく悲しそうな顔をしていた。僕が思っているより深刻に考えているのかもしれない。ローズの手前、どうしたものかとしゅんじゅんしていたら、ローズが気を利かせて離れた場所へ移動してくれた。

 すごい気遣いだ。僕が彼女の年齢の時に、あんな風にできただろうか。

 とにかく今はマリーへの対応だ。僕は胸中でローズに感謝しつつ、マリーに向けて慌てて首を振った。

「す、好きだよ。好きに決まってるじゃないか」

「だったらいいじゃない。あたしもシオンのこと好きだもん」

「い、いや、だから家族だし」

「オスとメスは家族になりましょうって求愛するんでしょ? あたしたちはもう家族だし、後は結婚するだけじゃないの?」

 結婚は知ってるんだな。あれ、僕が間違ってるんだろうか。いやいや、僕は正しい。姉と弟で結婚できるはずがない。なんか混乱してきた。

「血縁者は結婚できないの!」

「どうして?」

「ど、どうしてって、そりゃ、倫理観とか遺伝子とか色々と問題が」

「よくわかんない……」

 子供だもんな。理解できないことも多いだろう。多分、大人になるにつれて、わかっていくだろう。大人になってもわからないことも多いけど。

「と、とにかくさ、求愛行動のために光の玉が生まれているってわかったのはよかったよ。ありがとね、姉さん」

「…………うん」

 そんな顔しないでくれ。僕が悲しませてしまったみたいだ。

 今すぐにマリーを納得させることは難しい。きっと時間が解決してくれるだろう。そう考えるしかなかった。

 僕が強引に話を打ち切ると、ローズは用事があると言って先に帰ってくれた。

 重苦しい空気の中、道具を抱えて僕たちは家に戻る。その間、ずっとマリーは無言だった。

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