魔法研究(1)

 ガチャガチャ、ガツガツ。食器のこすれる音が居間に響いている。

「はぐっ、はぐっ!」

「がふっ! もぐもぐっ!」

「あらあら……」

 僕とマリーは一心不乱に食事をしている。パンを食べて、水で一気に胃袋に流し込む。二人は同時に食事を終えると、コップをテーブルに置いた。

「「ごちそうさまでした!」」

 あっにとられている母さんを置いて、僕たちは椅子から立ち上がる。

「行こう、姉さん!」

「うん!」

 急いで部屋を出ようとしたけど、寸前で思い出して、食器を洗い場に持っていった。

「うふふ、お利口さんね」

「じゃあ、出かけてくるよ!」

「ええ、いってらっしゃい」

 うれしそうに笑う母さんに背を向けると、僕とマリーは居間を出た。廊下を早足で通り、中庭にある倉庫に向かう。おけを三つと竿ざおかばんを抱えて正門を出る。鞄にはぬぐいや、釣りのための餌などが入っている。

 待ちきれないとばかりに全力で走って湖へと到着すると、僕たちは地面に荷物を置いた。

「はあはあっ……つ、つらい」

「もう! シオンはだらしないんだから! 普段、運動しないから体力がないのよ!」

「い、言い返す言葉もないよ……」

 ずっとだらだらと過ごしていたツケがきたらしい。これからは少しずつ身体を動かすとしよう。

「それで? まだ夕方までかなり時間があるけれど、どうするの?」

「湖のことを調べたいんだ。まずはあの光の玉の出どころを知りたい」

 僕たちはあの魔法のような不可思議な現象を調べるために湖までやってきたのだ。

「出どころ? 湖から出てるんじゃないの?」

「そうかもしれないし、湖の生物が出してるのかもしれない。それをきちんと調べないと、あの玉の正体もわからないからね」

「ふーん、よくわかんないけど、シオンが言うんならそうなのね! それで何からするの?」

「まずは三つの桶に湖の水を入れよう。それからそれぞれに砂と石、水草、魚を入れようと思う」

「よっし、わかったわ。よくわからないけど、やることはわかった! じゃあ、あたしが水草をとってきてあげる!」

 マリーは言うやいなや、服を脱ぎ捨てようとした。れいなへそが露わになり、僕は慌てて、姉の暴挙を止める。

「な、何してんの!」

「何って、脱がないとれちゃうじゃない。水草は湖の底にあるだろうし」

「そ、そうだけど、姉さんが脱ぐ必要はないよ! 僕が行くから!」

「シオンが? あんた泳げるの?」

 日本にいた時は人並みには泳げた。ただこっちに来てからは外にはほとんど出てないし、この身体で泳いだ経験はない。まあ、大丈夫だと思うけど。

「何とかできるよ。姉さんは女の子なんだから、人前で肌をさらしちゃダメだよ」

「そ、そう? で、でもシオンしかいないし」

「それでもダメ! とにかく、これは僕がするから、姉さんは砂と石、それと魚釣りをお願い」

「むぅ、わかったわよ。そんな怖い顔しなくてもいいのに……」

 マリーはふくれっ面になりながらも、服を整えた。納得はしてないけど、理解はしてくれたらしい。

 ちなみにマリーはちょっと厚手のワンピース姿だ。よく動くので下着が見えることも多い。

 実の姉なので何も思わないけど。というか相手は子供だし。

 僕はいそいそと服を脱ぎ、下着姿になる。

 この世界の下着は、現代に近い見た目をしている。素材や作りはかなり劣るけどね。

 ちらちらとマリーが僕のことを見ているが気にしてはいけない。

 僕は湖に入った。腰までつかると一気に顔を水に入れる。よく見えないけど、比較的近くに緑色のものが揺らめいている。水草だろう。僕はいくつかの水草を根っこごと手にして桶に入れると、身体を拭いて服を着た。

 一つ目の桶には砂と石と湖の水、二つ目の桶には砂と水草と水、三つ目の桶には湖の水しか入ってない。

「なかなか釣れないわ」

 マリーが持つ太い枝の先端には糸が垂れ下がっていて、その先にはゆがんだ釣り針がついている。そんな簡素な釣り竿で、餌もミミズみたいなものを使っているのだから、すぐに釣れるかは疑問だ。

 相手は淡水魚だし、これで食いついてくれるんじゃないかと思うんだけど。引きは悪いようだ。

 僕はマリーの隣に座ると、水面を眺めた。

 この時間には光の玉は見えない。これがどういうことを表しているのか、気になるがまだわからない。しかし、今の僕には無気力感はない。

 マリーのおかげだ。マリーがこの場所を教えてくれたから、今の僕がある。それにどれだけ僕のことを想ってくれているのかもわかった。

 もしも、湖の現象が魔法とは全く別の、ただの不可思議な現象だったとしても、もう大丈夫。つまらなかったとしても不幸ではない。家族がいてくれることの大切さを僕は学んだのだから。

「な、何よニヤニヤして」

「姉さんがいてくれてよかったなぁって思って」

「な、ななな、何言ってんの! そ、そんなの当たり前じゃない! お姉ちゃんなんだもん。い、いるに決まってるわよっ!」

 一気に顔が紅潮した。わかりやすい。でもその素直さが、可愛かわいらしかった。

 小さいけれどマリーは僕の姉だ。それが痛いほどにわかった。

「ありがとね、姉さん。こんなことに付き合ってくれて」

「……暇だし、それにシオンがしたいことなんでしょ? だったら付き合うのは当たり前じゃない。それに、もしね、魔法みたいなのがあったとしたらあたしも見てみたいし。なんかワクワクするじゃない?」

「ふふ、そうだね。僕もそう思う。だから……ここにいるんだから」

 それは湖の前に、という意味だけでなく、異世界に、という意味も含む。けれどそれを姉は知らない。僕が別の世界で生きていたということを。

 ……考えるのはやめよう。話すべきじゃないし、話しても誰も幸せにはならない。こんなこうとうけいな話は誰も信じないだろうし、話しても折り合いをつけるのはとても難しいはずだ。お互いに不利益しかないのだから、話すという選択肢自体を持つべきではない。

「魔法、あるといいわね」

「もし存在したら、最初に姉さんに見せるよ」

「ふふ、約束よ」

 僕はマリーと笑い合った。幸せな時間だった。僕には大切な家族がいるのだと実感した。そんなことを思っていると、釣り竿がググッとしなった。

「あ、きたきた!」

 マリーは立ち上がり、ぐいっと釣り竿を引いた。徐々に後方に下がり、タイミングを見て竿を持ちあげると、水面から何かが打ちあがる。

「やった! エッテントラウトだわ!」

 満面の笑みを浮かべたマリーは慣れた様子でぴちぴちと暴れる魚を手に取り、釣り針を外すと桶に入れた。

「エッテントラウトって一般的な魚なの?」

「ええ、どこにでもいる淡水魚ね」

「どこにでもかぁ」

 だったら光の玉の出どころではないのかもしれない。こんな現象がどこにでもあるとは思えないし。もしあるのなら、たとえ見ることができなくても両親が知っているはずだ。

 でも、両親には見えなかったし、マリーが説明しても二人は首をかしげていたらしい。ということは、やはりこの湖だけの現象という線が濃厚だ。そしてエッテントラウトがその原因ではない、という可能性が高い。

 とりあえず何匹か釣るようにマリーにお願いした。

 僕はマリーの隣に座り、談笑しながら魚が釣れるのを待った。僕も魚釣りがしたいけど、竿は一つしかないから仕方がない。

 その日は、残念ながら他の魚は釣れず夕方になってしまった。そして念のため、光の玉が浮かぶ現象を邪魔しないように釣りを中止し、時間を待った。

 夕方になると、再び湖畔には光の玉が浮かび上がり、天空へ昇った。この現象は毎日起こるようだ。一年を通して観察しないと断定はできないけど。季節や環境、何かしらの条件下で起きる一時的な現象ということではないのかな。

 僕は桶を眺める。どれも発光していなかった。

「光ってないわね」

「できるだけ湖の中と同じ状況にしてみたんだけどなぁ」

 ということはエッテントラウト以外の魚か、湖畔にある別の物質か別の生物が出どころなのだろうか。

 僕は思案しながら、マリーに聞いてみた。

「この湖にエッテントラウト以外の魚とか生物はいるよね?」

「いっぱいいるんじゃないかしら。でも全部集めるのは大変よ。どれくらいの種類がいるのかもわからないし」

 それはそうか。一つの湖にむ生物を網羅するのは簡単じゃない。うーん、仕方ないな。潜ってみるか。僕は再び服を脱いで、湖に近づいた。

「あ、危ないかもしれないわよ!」

「大丈夫だよ。多分」

「だ、大丈夫じゃないかもしれないじゃない! もう! あたしも行くわ!」

 マリーは僕が何かを言う前に、服を脱ぎ捨てた。キャミソールとドロワーズ。露出は少ない方ではあるけど、完全に下着姿だ。

「ね、姉さん、脱いだら──」

「ダメって言うんでしょ! でも、シオンを一人で行かせるのは嫌よ!」

 マリーは強い意志を瞳にともらせている。この状態の彼女には何を言っても無駄だ。絶対に考えを曲げない。

 僕は嘆息して、受け入れるしかなかった。

「わかったよ。二人で行こう」

「ふふん! 最初からそう言えばいいのよ」

 ぐっと手を握られて、僕は握り返す。最初は恥ずかしかったけど今は抵抗がない。

 二人で湖につかり、少しずつ進んだ。光の玉が浮かぶ中を歩くのは幻想的だった。これが現実なのか疑いたくなる。同時にすさまじい高揚感を抱いた。この現象にどんな意味があるのかもわからないけれど、僕が望んでいたものが近くにあるような気がした。

 僕は不意に玉に向かって手を伸ばす。

「ちょ、ちょっと!」

 マリーが制止する前に、僕は光の玉に触れる。

「あったかい。それにちょっとくすぐったいかな?」

「あ、熱くない? 大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。なんかちょっと気持ちいいくらい」

 僕の言葉を聞き、マリーは恐る恐る光の玉に触れる。すると表情を柔らかくした。

「ほんと、あったかいわね。お風呂みたい」

 光の玉は手に触れると消失していく。これは一体なんなんだろうか。

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